87.ここにいない人


 術式は予想通り複雑化しいていった。

 圧縮と分離、そして封印。これにプラスして分離後の魔力を本人に戻す機能も付与しなければならない。透析みたいなことを魔力で行うのだ。

 透析――もしくはミルクティーからミルクだけを取り除き、紅茶に戻す作業とも言える。


 さて、魔力の圧縮率はどのくらいに設定するのか。

 ここを間違えると魔法銀のプレートが壊れてしまう。失敗出来ない。


「……そうだ。お兄様に相談してみよう」


 あの人が事情をどこまで知っているか分からないけど、聞くだけ聞いてみよう。

 そう思ってつけっ放しだったイヤーカフに魔力を通す。すぐに反応があり、まずはお父様が出た。


『アリス?』


「はい」


 何か作業中のようだ。背後でがちゃがちゃと音がしている。

 家を出てから毎日一回、“彼を見付けた”、“一緒に変異種を倒している”程度の当たり障りのない一言連絡はしてきたけれど、問題の本質に踏み込んだ相談事は初めてするので少し緊張する。


『どうしたの? ハヤトに何かあった?』


 私の声の感じから何かを察したようだ。

 お父様の声にも緊張が滲んでいる。

 お互いになんとなく触れてこなかったけれど、やはりお父様も“事情を知っている”のだ。

 私は周囲に音を遮断する魔法を張り、大きく深呼吸をしてから口を開く。


「――魔道具の、相談をしたくて。お兄様はお近くにおられますか? 少しお話がしたいです」


『あ、ああ……。少し待ちなさい。すぐそこに居るから、代わろう』


 ノイズがしてすぐにお兄様の声に変わる。


『アリス? どうかした?』


「お兄様……」


 ふと、どうでも良いような弱音を吐きたくなって、こらえた。

 なんの前置きもなくいきなり本題を切り出す。


「人の中で混ざってしまった魔力を分離する術式を書きたいです」


 イヤーカフの向こうで息を呑む音がした。


『…………素材は?』


「魔法銀」


『だよね。現状ではそれが一番だもんね。……でもなぁ。アリス、この場合は魔法銀でも多分……いや、いいか。術式だよね。それについて実は僕も考えていたんだけど、このケースに関しては対象が自分の名前を認識している事が大事なんじゃないかと思うんだ』


「名前ですか」


『そう。名前。そもそも、なぜこの治療は他人が危険を冒してまで一度魔力を受け入れなくてはならないのかって話になるんだけど』


「はい」


『きっと、自分じゃ分からないんだよ。どこからどこまでが、本来の自分だったのか。乗っ取る側も、乗っ取られた側も』


「……はい」


『だから、他人が必要なんだ。……まあ、他人風情がどこまでその人を知っているのかって疑問はあるけど、小さな違和感に気付くのはやっぱり他人だったりするからその件はいいとして。他人を介在させないなら本人達に自分と他人の境目を思い出してもらわなくちゃいけない。そこで名前が最低限必要になるって訳』


「……はい」


『で、術式だけど――が……からそれを――移して――い――』


「お兄様?」


 急にノイズがひどくなった。

 聞こえなくて聞き返しているうちに通信はぷつんと切れて繋がらなくなってしまった。そして背後から声が響く。


「……アリーシャ」


 音を遮断する魔法が破られた……。

 振り返ると、そこには体を起こしている彼がいて。

いつから起きていたのだろう。なんだか纏う雰囲気が少し怖いような気がする。でも元の彼のような気もする。今の貴方は“どっち”なのか……分からない。自信がない。

 でもそんなふうに感じているなんて、気取られてはいけない。


「……起きましたか。どうですか? 眠れました?」


「うん。……おかげさまで。ありがと。……どう? 術式」


 ああ、きっと元の彼だ。ホッとして肩の力が抜ける。

 通信機の不具合は……。まあ、こんな状況だし、そういう事もあるだろう。


「もう少しで完成すると思います。……ちょっと見てみて下さい。成立すると思いますか?」


「……そうだね。流れは出来てると思うけど、ここでエラーが出そうな気もする。もし修正するとしたら……こう、かな」


 プレートの横に置いておいたメモ用の紙に、さらさらと術式を書く。


「ああ……なるほど。確かに、そっちの方が良さそうですね。スッキリしてて」


「多分、だけどね」


 その後も彼のアドバイスを受けながら黙々と続けていき、お兄様が言っていた通り対象の名前もしっかり入れて、やがて術式がみっしりと書き込まれたプレートが出来上がった。

 もし素材のキャパシティを越えていたら術式を定着させた時点でこのプレートは壊れてしまう。

 壊れなければ――ひとまずは完成という事で。


「それでは……いきますよ」


 ミスが無いか何度も見直し、どきどきしながらプレートに文字列を定着させる。

 これはいける気がする。お兄様の助言とハヤトに手伝って貰った破綻も隙もない術式。これでダメなら、正直お手上げだ。

 文字はスッと沈んでいき、そのまましばらく観察してみる。特に異変は起こらないようだ。


「……いけるようです」


 第一段階はクリア。

 これで設定した通りに動いてくれれば――。


「試してみて下さい!」


 差し出すと彼は緊張した面持ちで頷き、受け取ってくれた。

 魔力が通されて術式の文字が光る。いつも隠蔽しているから知らなかったけれど、魔道具は発動している間、文字が光るのだなぁとどうでも良い事が頭に浮かぶ。

 固唾を飲んで見守る中、文字列が光る魔法銀のプレートはパキパキと音を立ててヒビが走り――彼の手の中で砕け散った。

 パラパラ落ちていく魔法銀の欠片は、私の目にはやけにゆっくりと遅く見えた。

 床に散らばる欠片を呆然と眺め、しばらくしてからしゃがみ込んでのろのろと拾い集める。

 ハヤトに弱いところは見せられない。


「……ああ、そうでした。ひとつ、要素を書き加えるのを忘れていたかもしれません。きっとそのせいですね……。大丈夫ですよ、ここを片付けたらもう一回やってみますから。……すみせん、貴方にはもう一回魔法銀を創り出してもらわないと……」


 拾い集める手を掴まれて、抱きすくめられた。

 彼は言った。


「もういいよ。ありがとう、アリーシャ。もうじゅうぶん、やって貰った」


 ゆっくりと髪を撫でられる。泣きたくないのに涙が出てきた。

 まだやれる、と言いたいけど……これ以上どうしたら良いか分からないのも事実。だって、書き忘れなんて本当は無かった。

 一度決壊すると止まらなくて、ぼろぼろと涙があふれてくる。


「大丈夫だよ。よしよし」


 なんで私が慰められているんですか?

 そう言いたくても声にならない。

 全然大丈夫なんかじゃない。


「俺、すごく幸せだったよ。生まれ変わっても、また君に会いたい」


 そんな事、言わないでほしい。

 ぎゅっとハヤトの背中の服を掴んだ。


「……聞いて、アリーシャ」


 声がスッと頭の奥に響いてくる。


「本当に……“君達”には良いものを見せてもらったと思ってる。胸が痛いよ。だからこれは俺なりに考えたほんのお礼なんだけどさ……。その苦しみから、解放してやろう」


 違う。別人だ。

 今の彼はハヤトじゃない!

 そう感じて咄嗟に離れようと思ったけど、どうしてか体が動かない。彼の声に意識が絡め取られて、話を聞く事以外の事が出来ない。

 まるで魔力が込められているかのような――強制力のある声だった。


「その苦しみは、全て“夢の中の出来事だった”。もうすぐ、君は“夢”から覚める」


「夢……?」


「そう。夢から覚めたらどうなる? 忘れている。“俺”と出会った事も、一緒に過ごした時間も全て」


 頭の中に靄がかかっていく。

 こんな……。こんな、事って。


 抗いがたい何かによって急激に彼の顔が思い出せなくなっていく。

 頭の中から、彼の存在が消えていく。


「や……やめ、て」


 涙でぼやけて貴方の顔が見えない。

 彼は立ち上がり、私の頭にポンと手を置いた。


「あの仲間達のところに君を送り届けてやろう。今はここでさよならだ。全てが終わったら迎えに行くから、待ってて。……じゃ、またどこかで」


 ふわりと浮遊感に包まれて、世界がモノクロになった。

 と思った次の瞬間、私は宿の部屋ではなく真っ暗な平原の中に座っていて。


「えっ!? アリス様!?」


 という声と共に大きな火球が二つ飛んで来た。目の前に迫る火球に咄嗟に氷壁を張り、防ぐ。


「危ない!」


 真横でモンスターの蠢く気配に無意識に剣を抜き、暗闇を切り裂く。

 手持ちランプの頼りない明かりの中、ベティとジョージ、それにテッドさんが駆け寄って来るのが見えた。


「だ、大丈夫⁉ ごめんね、私の魔法、アリス様に当たっちゃうところだった……」


「お前、どこから出て来たんだよ。……アイツは? 一緒じゃないのか?」


「アイツ?」


 誰のことだろう……。

 首を傾げて仲間達を見ると、みんな一様に息を呑んだ。


「アリス様、どうして泣いているの……?」


 ベティに言われて頬を拭うと、確かに濡れていた。

 どうして? 分からない。


「おいお前、大丈夫か? 俺達が誰か分かるか?」


「はい。ベティに、テッドさんに、ジョージ。ですよね?」


「なんだよ。分かってんじゃねーか。で? アイツは?」


「誰のことですか? 私達、最初から四人でしたよね? ……え?」


「え……?」


 三人はお互いに顔を見合わせて「こりゃマズい」と言った。

 私も、胸にぽっかりと穴が開いたような不思議な気分だった。



 私はベティ達に最寄りの村まで連行された。

 この村は昨日黒いドラゴンが出て大騒ぎだったところだ。見張り番の青年が、私を見て声をかけてくる。

「あっ! 嬢ちゃん、どこに行ってたんだ!? シスターが探してたぞ!」


「シスターが?」


「おう。沐浴場が変なんだけど何か事情を知らないかって」


「あっ……。知ってます」


「そうか。じゃあ後で説明しに行ってやれ。ずぶ濡れだったから」


「はい……」


 私と村の人が話すところを見て、ベティは「なーんだ。アリス様達、ここに来てたんだ」と言う。

 ん? みんなで一緒に来たじゃない?


「一緒に来ましたよね?」


「いや、私達はこれが初」


「あーもう……。そういうのいいから。とにかく来い」


 ジョージは私のマントを引っ張って村唯一の、酒場の看板が下がる小さな建物に向かった。


「ねー、店開いてる?」


「開いてるよ! 入っといで!」


 ずかずかと店に入る私達よそ者一行に先客達の遠慮のない視線が注がれる。


「あの私、飲みませんよ?」


「別にいいよ。マスター、なんか強いのちょーだい」


「俺エール」


「あ、私ワインにオレンジジュース混ぜて!」


「はいよ」


 それぞれが注文したものがテーブルに並べられ、まずはジョージが小さなグラスを一気にあおった。

 ふー、と息をついてぐいと前のめり気味に訊ねてくる。


「……で、何があった?」


「何って?」


「聞き返してくるなよ。聞きたいのはこっちなんだからさ。質問を変えよう。ハヤトはどこで何をしてる?」


 ずき、と胸が痛くなった。どうしてかは分からない。

 そんな人、知らない。記憶にない。頭がボーッとする。


「誰ですか? それ。私、その人に会った事あるんですか?」


「うわぁ……。これはマジなやつだ。どうしたんだろうな……。頭でも打ったのかな」


「アリス様、ちょっとごめんね。頭触らせて」


「え、ちょっと」


 ベティがわしわしと私の頭を触る。


「……たんこぶは無いみたい。痣も……ない」


「もう、なんなんですか?」


「お前の頭の心配をしてるんだよ。アイツの事だけ綺麗に忘れてるじゃんか。……アリス、お前の中でここ数日の事はどうなってるんだ? ちょっと聞かせてみろよ」


「ここ数日……?」


 思い出してみる。

 空が突然黒い雲に現れたこと。その雲が世界中を覆いつつあること。……そこまでははっきり思い出せる。

 それから……なんだかモヤモヤする。

 確か、元凶の魔物を倒しにみんなで旅に出たんだ。で、今は黒い変異種の魔物を倒しながら進んでいる真っ最中。

 思い出した通りに話してみると、みんなは複雑そうな顔でそれぞれのお酒を口に運んだ。


「間違っちゃいないんだよな……。確かにある意味その通りだったよ。でもそれだけだと変だろ。よく考えてみろ。お前はどこの家の娘だ?」


「ス、ステュアート……」


「そうだろ。そんな家の娘がなんで俺達なんかと一緒に討伐の旅をしなきゃいけない?」


「友達だからですよ」


「今はな。じゃあ、なんで俺達は友達になった? 誰かが間に入らないと知り合う事すら無いような身分差があるんだよ、俺達には。その誰かを……思い出せないか?」


「誰か……?」


 じっとテーブルを見つめて考える。

 確かに、私はどうやってジョージ達と知り合ったのだろう。

 誰かの紹介で出会った。でもその人が誰だったのか、思い出せない。

 しばらく考えても答えられずにいると、ジョージは痺れを切らした様子で「お前の剣を出してみろ」と言った。


「何故ですか?」


「いいから出せ」


 苛立ちを隠しもせずチンピラみたいな雰囲気を出すジョージに、おずおずと剣を差し出す。

 黒いのになぜか光をよく跳ね返す性質を持つおかげで、角度によってはピカピカの鏡のように見える不思議な素材の剣だ。

 魔道具化しようとしても術式が一切入らない、でもどんなに硬い敵でもさくっと斬れる凄い剣でもある。


「これがどうかしましたか?」


「これ、誰から貰った?」


 そうだ。

 これ、誰かから貰ったんだ。

 誰だっけ……。


「今すぐ思い出せなくてもいいよ。でもそいつを使う時は頭の片隅で“誰から貰ったんだっけ”と毎回自分に問い直せ。必ずだ。いいな?」


「は、はい……」


 頷くとジョージは脱力してお酒のお代わりを頼んだ。

 質問の時間はこれで終わりのようだ。彼はベティとテッドさんに視線を向け、「これからどうする?」と問いかける。


「どうするって……。アリスちゃんをか?」


「私は家に帰すのが良いと思うけど……。だってただ事じゃないもの」


「そうなんだよなぁ……。でもさ、説明できるか? 公爵に“お嬢様の記憶が一部抜け落ちました。理由は分かりません”なんて……。俺は嫌だ。こんな事で死にたくない」


「ちょっと。勝手に人の今後を決めないで下さいよ。それに、物忘れくらい誰にでもある事じゃないですか。そんな小さな事、お父様に報告なんてしなくても」


「お前にとってアイツは小さな物忘れ程度の事なのか? そうじゃねぇだろ。だからみんな困ってんだよ。……あー、もういいわ。そのうち思い出すだろ。後で女神様にでも祈っとくか」


 そう言ってお酒を煽るジョージにベティは頷いた。


「そうだね……。困った時の女神様だよね。アリス様、ちょっと今から教会に行って来ようよ。シスターにも話をしなきゃいけないんでしょ?」


「あ、そうですね。行って来ますか」


「私も一緒に行くよ。……沐浴場について説明するんだっけ。何をしたの?」


「壁からお湯が出るようにしたんです」


「何それ最高じゃない! 私も借りようかなー」


 ベティと連れ立って教会へ向かうと、庭先でずぶ濡れの修道服を干しているシスターに出会った。

 彼女は私達を見付けた瞬間、パッと表情を輝かせて駆け寄って来る。


「いたー! 探しましたよ! 私達の村の英雄――あら? 昨日のお方はご一緒ではないのですか?」


「昨日のお方?」


「はい。黒髪の、素敵なお方です。てっきり恋人同士でパーティを組んでいるのかと思っていたのですが、他にもお仲間の方がいらしたのですね」


「黒髪?」


 私達のパーティーの黒髪の人……テッドさん?


「テッド君は違うよ、アリス様」


「あれ? そうなんですか? じゃあ誰なんです?」


「その件で教会に来たの! しっかりしてよアリス様。さ、早くシスターに説明しちゃいなよ」


「は、はい。あのですねシスター」


 私は沐浴場の壁を少し改造してしまった事を話した。

 触れて発動させる魔道具と同じようなものだと説明すると、シスターは息を呑み、口元をおさえて声を潜めた。


「あの……魔道具って、一族しか作り出せないと聞いているのですが」


 するとベティが割り込んでくる。


「ええその通り。つまり、そういう事よ。シスター。この子はそういう子なの。今はちょっと訳ありでね。私達Aランクパーティーの護衛の元、お忍びで旅をしてるの」


「まあ……! そ、それは大変なことで……! かしこまりました。わたくし、この事は決して口外いたしません」


「お願いね。……それでね、シスター。ちょっとお祈りして行きたいの。礼拝堂、お邪魔して行ってもいい?」


「はい! どうぞご自由に……! 今は子ども達が中で遊んでいて騒がしいので、気にならなければ良いのですが」


「子ども? なんで?」


「昨晩、村の中に真っ黒いドラゴンが出たんです。なのでしばらく外で遊ばせるのはやめにしようという事で、教会に集まってもらっていて」


「ま、まま真っ黒いドラゴン!? そんなのが出た翌日になんでこんな平和なの!?」


「お嬢様のお連れ様が一瞬で倒してくださいました」


 そう言ってシスターはポーッと熱に浮かされたような顔をした。

 私のお連れ様……?

 そんな展開だっただろうか。あのドラゴン、結局何もせずに自分から消えたんじゃなかった?


「あの、ベティ」


「いいから。アリス様は何も言わないで。……そっか。ハヤト君がいたからみんな無事だったんだね。納得だけど、建物ひとつも壊れてないのはさすがに怖いわ。もうちょっと何かあっても良いでしょ、戦った痕跡みたいなものとか」


 話しながら教会に入って、礼拝堂をところ狭しと走り回る子ども達を避けながら奥に進む。

 女神様の像の前で跪き、手のひらを組んだ。


「……さ、アリス様も祈ろ?」


「は、はい」


 でも何を……? 世界に光が戻りますように、とか?

 ベティと並んでなんとなく世界平和を祈る。

 私、こういう神頼みは自分の力じゃどうにもならないと思った時にやりたいんだよね……。

 そういう意味ではまだ全然やれる事があるから、あんまり身が入らない。


 早々に祈りをやめて隣を見ると、子どもが熱心に祈るベティを横から覗き込んでいた。

 どうやら暇を持て余しているようだ。……そうだよね。外で遊べないと暇だよね。

 その子は見られている事に気付いて、私に話しかけてきた。


「おねーちゃん、音楽やって」


「音楽?」


「うん。昨日みたいなやつ。もう一回聞きたい」


「ああ……。いいですよ。何がいいですか?」


「わかんない。楽しいやつがいい」


「楽しいやつ……?」


 やっぱりワルツかしら。

 そう思ってなんの気なしにバイオリンを取り出し、チューニングを始める。


「じゃあ、選曲は貴方にお任せします。いつものような感じで――、あら?」


 ピアノに向かって話しかけてしまった。

 そこには誰もいないのに、まるで誰かがそこにいるのが当然かのような感覚で。


「アリス様……」


「な、なんだか頭がボーッとしていて……。すみません」


 気を取り直し、一人で花のワルツを弾いてみる。

 華やかなメロディだけど、一人だとやっぱり盛り上がりが足りないね。変だな。こんな感じだったっけ……?

 そうしているうちに音を聞きつけた他の子どもが集まって来て、口々にリクエストを飛ばしてきた。


「あれやってよ、あのかっこいいやつ」


「俺もあれがいい。バーンって始まるやつだろ。なんか力が湧いてくるやつ」


「バーンって始まるかっこいいやつ? 何かしら」


「こういう感じの」


 男の子の一人がそう言ってピアノの前に行き、本当にバーンと音を鳴らした。多分適当にやっているんだろうけど、音の運び方からなんとなくアタリがつく。


「――あ、もしかして英雄ですか? いや、私はちょっとアレは無理なんですけど」


「なんでー!? あの冒険者の兄ちゃんはどこ? もう一回聞きたい。強くなる感じがするんだよ」


「まあ……」


 確かに勇壮な曲ではあるけれど。あの難曲を子どもにせがまれるレベルで弾きこなせる冒険者がいるなんて。


「凄い人がいたものですね……。ね、ベティ。そう思いません?」


「そうだね……」


 ベティは複雑そうな顔をしている。どうしたんだろう。


「どうか、しましたか……?」


「全部忘れてる訳じゃないんだなって思って……なんか切なくなった」


「どういう事です?」


「ううん。いいの。……じゃあ、お祈りしたし、もう戻ろっか。ほら子ども達ー! もうすぐご飯の時間だよ! お手伝いしておいで!」


 お手伝い、の一言で子ども達はパーッと散って逃げていった。

 苦笑しながら教会を後にし、酒場に戻る。

 そこではいい感じに酔いの回ったジョージが、他の村人や冒険者らしい出で立ちの人と会話をしていた。


「だーかーらーさー、別に俺達も最初から新種に通用してた訳じゃないんだって。急に苦戦しなくなっただけ!」


「そんな話をよそでも何件か聞いてるんだよ。中でも君達の戦いぶりは別格だった。何か秘密があるんだろう? 急に強くなったやつらに共通する何かが」


「知らねーよ」


 横で黙々と食事しているテッドさんにこそっと訊ねてみる。


「……あれはなんの話です?」


「ん? ああ……。俺達が新種と渡り合えてるのを見ていたやつがいてさ。その件で質問されてるだけだよ。たった三人で、回復専門の人員も置かずにどうやって戦ってるのかって」


「それねー。私も自分の事ながら凄いって思ってるわ。まあ、アリス様にもらった装備の力なんだけどね」


「あと、ハヤトの“英雄”もだな。あれを聴いた後から明らかに体の動きが変わった実感がある。ジョージを質問攻めにしている奴が言っているのも、多分それの事だろう」


「そうだね。……私は黙っとこ。下手な事言うとお二人に迷惑をかけるもんね」


 ベティとテッドさんの会話を聞きながら、さっきから何回も話に出てくる“ハヤト”はいったい何者なんだろうと思う。

 私、会ったことがあるのかな。

 みんな、私が知ってる前提で話をしている気がするけど。でも多分会ったことないのよね……。

 そんな逸話の多い人、一度会ったら忘れるはずないんだけどな。


 テーブルの上に並べられた食事を頂きながら、改めて自分の記憶を探ってみる。

 するといつの間にかボーッとしていたようで、「おい。もうそろそろ出るぞ」とジョージに肩を叩かれてようやくフォークを持ったまま停止していた事に気が付いた。


「寒い……」


 外の空気は冷たく、肌を刺すような風が吹きつける。息が白い。まるで真冬だ。


「本当に寒いね……。太陽が見えなくなって今日で3日目かぁ。どこまで雲が広がってるか分かんないけど、この調子だとそろそろ雪が降りそうだね」


「っていうか降るだろ、この感じは。参ったな……。ハヤトの野郎、アイツ何やってんだろうな。早く元凶を倒さないと今年の農作物が全滅するぞ」


 “ハヤト”は元凶を討伐に行ったらしい。

 ……一人で? それって、大丈夫なの?


「あの、手助けに行かないんですか?」


「俺達が? ……まあ、必要なら応えるつもりだけど。でもいらないだろ。俺達なんて雑魚狩りがせいぜいだよ」


「って言いつつアリス様達が向かった南方面をなんとなく目指してきたジョージであった」


「うるせぇな」


 げしげしとベティの足を足で小突くジョージに、何やら考え事をしていた様子のテッドさんが声をかける。


「……アイツ、本当に苦戦してたりして」


「まさか」


「いや、だってさ。不穏じゃん。アリスちゃんがこんな状態で送り返されて来たりとかさ。……少なくとも順調ではないんじゃないか? そもそもアイツ、王都を出る時点でもう戻って来る気が無いみたいな行動取ってたし」


 ジョージはムスッとした顔で無言のまま前に進んだ。

 そして村の外周に立ち並ぶ魔法銀のランプの明かりを眺め、ぽつりと呟く。


「……様子、見に行くか」


 その言葉にベティとテッドさんが頷いた。



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