84.夜が明けない


 夜が更けた。

 見回りの人が「外の松明が魔法銀のランプに変わってるんだが!?」と叫びながら教会に駆け込んできて騒然としたりもしたけれど、犯人(私達)はそ知らぬ顔でやり過ごした。

 で、なんだかよく分からないけど奇跡が起きたという空気のまま有耶無耶になり、やがて就寝の流れになる。

 明かりをいくつか落としてみんなが眠りに入り始めた頃、私達も講堂の片隅に並んで座り、マントをお布団代わりにかけて身を横たえた。 

 私は昨日の夜やったのと同じように彼の首の下に腕を差し込んでみた。腕枕によって逃走を防止するという例の姑息なやり方ね。

 体を横向きにして向かい合い、彼の頭を両腕でぎゅっと抱え込む。すると途中まで無抵抗だった彼から小声の抗議が上がった。


「アリーシャ……。これはちょっとどうかと思う」


「苦しいですか?」


「いやそういう問題じゃなくて……近すぎるって。眠る時にこれはダメだよ」


 マントの中に私達のひそひそ声がこもる。


「近すぎる? なんだ、そんな事ですか。昨日もこうして眠りましたし、今さらです」


「えっ。……そうなの?」


「そうですよ」


 シーン……と静まり返った。

 それっきり動かなくなってしまったハヤトの呼吸を鎖骨の辺りに感じなから目を閉じる。

 ……今日はとても疲れた。

 ずっと歩き続けたのもそうだけど、空が暗闇に覆われたという事も精神にかなり負担があった気がする。


 ……ああ、もう、すぐに寝ちゃいそう。

 腕に感じる重みを抱きしめながらウトウトとし、すぐに意識が落ちた。

 

 しばらく経ってふと目を覚まし、寝ぼけ眼で窓の外を見た。

 真っ暗だ。まだ夜だなと思いながら懐中時計を開いてみると、予想に反して朝の7時をとっくに過ぎていて。 

 最初に感じたのは絶望に近い気持ちだった。

 というのも、心のどこかにはまだ“寝て起きて、朝になれば日が昇って元通りの生活が始まる”という無意識に近い思い込みがあったから。

 朝になっても一筋の光も射さないことがこんなに心を重くするなんて……。

 私でもそうなのだから、当事者――ハヤトにとってはどれほどしんどい事かなと思う。

 ため息をついて視線を下に移すと、彼の紅い瞳と目が合った。起きてた。ちょっとびっくりした。


「……おはよ。よく眠れた?」


「はい。一度も目を覚まさないくらいには……。貴方はどうですか? 眠れました?」


「全っ然」


「あら。ずっと起きてたって事ですか? なぜそんな……、あっ」


 はっとした。

 他者の魔力に体を支配されつつある人は空腹を感じなくなるらしい。という事は、眠気もそうなのではないだろうか。

 どうしよう、ハヤトがどんどん人間離れしていく……。


「……あの、早く分離術を試しましょうね」


「そうだね……」


 焦りを感じてパッと起き上がり、彼の首の下から腕を抜く。

 彼も一緒に起きてくるのかと思いきや、そうはならなくて。やたらホッとした顔をしたかと思うとトロンとした目をゆっくり瞬かせ、やがて目を閉じてしまった。


「あれっ……?」


 早くもすーすーと寝息を立てている。

 眠気を感じないんじゃなかったの……?

 離れた瞬間に寝落ちした。私の勘違いだったようだ。

 じゃあなんで一晩中起きていたのかな。


 首を傾げながらマントをかけ直してやり、じゃあ私はこの隙に水でも浴びて来ようかな……と思って、音を立てないように静かに教会の外に出る。

 やはり真っ暗だ。ものすごく寒いし、鳥の鳴き声もしない。

 それでも私の他にもチラホラ起き出した人はいて、それぞれ顔を洗ったり自宅に出入りしたりと様々。

 空は暗いけれど、ドラゴンが出た翌朝の村としては信じられないくらい平和だった。

 何事もなくて良かった。英雄候補も作ったし、これで安心して旅立てる。


 私は井戸で水汲みをしているシスターを見付けて声をかけ、教会の沐浴場を貸してもらった。

 魔道具のシャワーなんて無い、ただの水の沐浴場。

 それを見た私はふと思い立ち、壁の一部分にシャワーっぽい水飛沫の形のマークを描いた。その下に40℃と温度を書き込み、触れる事で発動するように設定した記号をつけて丸で囲い、壁に定着。

 そっと壁に触れてみると思惑通り(?)壁一面からお湯が吹き出してきた。壁一面から出てくると思わなくてちょっとびっくりした。すぐに止めたけど既に手遅れだった。


「あーあ……ずぶ濡れになっちゃった」


 独り言を言いながら肌に貼り付いた服を苦労して脱ぎ、気を取り直して石鹸で体を洗っている時にふと気付く。


 服、乾くまで着れないんじゃない……?


 ……やってしまった。

 着替え、あったかな。

 少し考えて、姐さんにもらった黒いミニスカートのやつがあったなぁと思い出す。

 いつものやつより少し肌が出る面積が多いけど……まぁ、いいか。これだけ真っ暗な世界でそんな事を気にしてもしょうがないもんね。


 シャワータイムを終えてすっきりしたところで黒ミニのやつに着替え、なに食わぬ顔で講堂に戻った。

 ハヤトはもう起きていて、ボーッとした表情でどこか宙を見つめている。やっぱり深くは眠れないみたいだ。

 声をかけようと思って近付くと、彼はこちらに気付いたようで顔をこちらに向けた。――その時やってきたのは、例の強烈な違和感。恐怖で身がすくんで固まってしまった。


 まただ。

 今の彼は中身が違う。別人だ。


「……おかえり。どこに行ってたの?」


 普段通りの口調で彼は言う。

 私は精一杯、普段通りを装って答えた。


「ちょっと、水浴び、を」


「ふーん」


 講堂の奥で、赤ちゃんが大声で泣き始めた。


「ずっと一緒って言ったのに、どこに消えたんだろうと思ったよ」


 動揺を表に出さない令嬢スキルがこんなところで役に立つとは思わなかった。

 震える足を叱咤して、感情の一切読み取れない虚無としか言いようのない表情をしている彼の元へと歩み寄る。


「……まだ眠っていた方が良いのではありませんか?」


「なぜ?」


「なぜって……体が持ちませんよ。さっきようやく眠ったばかりじゃないですか。どんな超人でも休息は必要です」


「ああ……そうなのか。混ざりきれていないせいで、よく分からなかった」


「混ざりきれてない?」


「うん。女神の加護もあるけど、何より本人の心に入り込めなくて……なかなかね」


 女神の加護。そんなものがあったのね。

 しかも心に入り込まれようとしていた、なんて――。

 あの人がずっと危険な状態で過ごしていたのかと思うと胸が痛む。そして彼は別の人格であることを隠すつもりも無いようだ。


「心に弱さを出してくれれば一気に取り込めるんだけど、案外隙が無くて困ってる。きっと君のせいだね」


「私の?」


「そう。君の事でいつも頭の中がいっぱいだよ。おかげで寂しいと感じる暇が無くて、付け入る事が出来ない。……凄いね、愛の力って」


「そんな……」


 喜んでいいのかどうか分からない。

 ただ、ここまで会話が出来るのならもっと深く突っ込んだ話をしてみても良いのではないかと思った。


「あの、貴方は……ハヤトではないのですよね。誰なのですか?」


「誰って事は無いかな。誰でも無いよ。……個体ごとに呼び名を変えるなんて面倒だと思わない?」


 ……そういう価値観か。理解し合うのは簡単じゃなさそうだ。


「彼の意識は今どうなっているんですか……?」


「寝てる。夢も見てないみたいだから、しばらくは起きないんじゃないかな。おかげで俺はこうして表に出て来られた訳だけど。……あぁ、今日で二日目か。どおりで、女神の加護も少しずつ薄れてきてる訳だ。あと、ちょっとの我慢」


 どうやら加護は期限付きらしい。しかも段々薄れていくという話。

 昨日より今日、今日より明日というふうに、ハヤトは少しずつ消えていってしまうのだろうか。

 つい泣きそうになって、声が震える。


「なぜ、ハヤトを選んだのですか……?」


「選んだんじゃない。向こうからやって来たんだ。この個体に出会うまでに色んな個体を試したけど、どれも器には足りなかった。壊れなかったのはこの個体だけだった」


「……なぜ器が必要なんですか?」


「なぜ? だって、動けないじゃないか。女神はここでは何の制限もなく自由に動き回れるけど、俺はそうじゃない。自分の支配している範囲でしか動けない。だから、借りた」


 そういう事だったの……。

 でも、彼にとって自分の比較対象が女神様だなんて。

 まさかとは思うけど……同格?

 だとしたら天変地異じみた規模の闇魔法や、この世界における魔法の概念を越えた現象にも納得がいく。

 それに、向かい合った時に感じるこの恐怖心も。


「……勝手に借りちゃダメですよ。返して下さい」


「そう言われてもね。俺も知らなかったけど、生きている体って一度入ったら出られないみたいなんだ。生命が宿っている物質って特殊なんだね。出られない割にすぐ壊れるし……。石とかは出入り自由だったんだけどな。動けないけど」


「生命が宿っている体からは……出られない?」


「そうみたい。本体の魂と癒着した感じがする。きっと、人の間で分離術なんてものが必要とされたのはこれが原因だったんだろうね。……まぁ、俺は別に出られなくてもいいんだけどさ」


「良くないですよ……全然、良くない」


 ぎゅっと握った手のひらに爪が食い込む。

 彼は人形のように冷たくて温度の感じられない瞳でこちらを見ている。


「君にとってはそうなんだよね。聞いてたから知ってるよ。分離術、試そうとしてるんだろ。……別に協力してやっても良いけど。試してみる?」


「いいんですか!?」


 嫌がるのではないかとばかり思っていた。

 まさかの協力的な姿勢に驚き、つい大きな声が出る。


「まぁね。俺もさ……何も知らないまっさらな状態でこの体を借りてから今まで、君達と一緒に色々な事を経験して……。少しは人の営みってものを理解してきたつもりだよ。君が“死ぬまで一緒”って言った時はなぜか俺が嬉しくなったりもした。……もしも君がこの癒着を引き剥がせると言うのなら、やってみると良い」


「本当に? 信じても良いのですか……?」


「ああ。……せっかくだから話しておくけどさ。俺はずっと、自由に動けるようになったら真っ先に君を殺して俺のものにしたいと思っていた。でもこうして面と向かって自分の言葉で話をしてみると――もう少し、こんな時間が続いてもいいのかなと思えてくる」


 なんだかとんでもない事を言われている気がするけど……。

 歩み寄ろうという気持ちがあるのだろうか。だったら。


「だったら……空を覆う闇魔法は、やめませんか……? それさえなければ、きっと私達は共存出来ます」


「嫌だ。女神の支配する場所でコソコソ動き回るしかないなんて絶対にゴメンだ。そんなもの、俺に取っては共存でもなんでもない。大体、共存出来るかどうかを決めるのは君達じゃないんだよ」


 私達とは理からして違う存在なのだという主張だ。

 残念だけど、分離に応じる気はあるのなら……それに賭けない手はない。


「――じゃあ、分離術を試してみましょう」


「うん。いいよ」


 彼が頷いた瞬間ふわりと落ちた感覚がして、周囲から全ての色が消えた。音も消えた。

 人々は停止し、炎の揺めきすらも動かなくなる。私と彼の二人だけが実体として存在している、白と黒の反転した静止画のような世界。


「これは……?」


「影の中だよ。見るのは初めて?」


「……はい」


「へぇ、そうなんだ」


 そう呟く間に周囲の景色がゆっくりと流れ始めた。壁をすり抜け、村の外に出て、森に入る。

 私達は一歩も動いていないのに周りの景色だけが流れていく。不思議な感覚。

 初めはゆっくりだったそれは段々と加速していき、やがて目で追えないくらいの速さになった。瞬く間に遥か遠くまで流れていく景色はまるで流星群のようだ。


「あの、どこへ行くのですか?」


「あいつが行こうとしていた所だよ。あいつ、俺を警戒してか影を渡ろうとしなくなったから。だから俺が連れて行ってあげるんだ。あいつが、君と見たがっていた場所へ」


 ぴたりと景色の流れが止まった。同時に世界が動き出す。色や音も、戻ってきた。

 ここは――森の中だ。

 木立の向こうには大きくて静かな泉があり、水面がきらきらと光を放っている。

 そう、光を反射していたのだ。不思議な事に、泉の上だけ闇魔法の雲にぽっかりと穴が開き、本来あるべき青い空が丸く広がっていた。


 ……私はこの泉を知っている。

 リディルの泉だ。


 学院に入る前、領地から王都に向かう時に通りかかった記憶がある。


「ああ……。女神はここで俺を待ち構えるつもりだったんだな」


 泉の上の青空を見上げて、彼はそう呟いた。


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