53.イチャイチャイチャ

 ユリウス様はエスメ様に促され「リディル子爵……。先日はすまなかった」と謝罪を口にした。

 ハヤトは黙って頷き、私の頬をすり、と撫でる。

 すると、横でジョージが「いいなぁ……。俺も結婚しようかな。ベティ、俺なんてどう?」と言い出した。


「えっ……!? わ、私はトイプーのほうが!」


「え!? 俺!?」


「違います! トイプーです! 犬です!」


 慌てるテッドさんとベティを見て、ジョージさんは笑った。


「そっかぁ。残念。俺、猫派なんだよな」


 ささやかな笑いが湧き起こり、再び軽やかな音楽が戻ってくる。

 あまり聞き慣れない種類の音楽に、エスメ様達は興味津々な表情を浮かべた。


「あら、面白そう。ふぅん、あんなふうに踊るのね……。ブリジット様、セシリア様! 私達も混ざってみましょう!」


「はい!」


 扇子を従者に渡して、踊りの輪に入っていくエスメ様達。

 貴族のダンスは横にスイッと滑らかに動くのが基本だけど、下町のダンスはどちらかというと縦に跳ねるほうが多いようだ。

 手を繋いでスキップしながら回り、次々に相手を変えていくスタイル。

 白雪姫と小人たちのダンスパーティーみたい。


 クインビー達が市民に混ざって踊る一方で、ユリウス様はジョージにお酒を勧められて既に飲んでしまっていた。

 ……まあ、少しならいいか。

 段々陽気になってきたユリウス様は、空のグラスをジョージに押し付けてエスメ様の元へ行き、優美な仕草でダンスを申し込んだ。

 嬉しそうに微笑んで手を取るエスメ様。ダンス前のお辞儀をする生粋の貴族の二人を周囲の人々は口笛で囃し立て、慣れない庶民のダンスをする二人を盛り上げる。

 ブリジット様とセシリア様のコンビにはいつの間にかラヴも混ざって楽しそうに踊っていた。


 ラヴのところは兄も妹も揃って物怖じしない性格なんだな……。


 曲が終わって、エスメ様は楽しそうに笑いながら奏者達に次の曲をリクエストしていた。

 彼らはちょっと休憩、と言ってお酒を飲みだす。

 みんな仕事で演奏してた訳じゃないからね。仕方ない。

 えー、と不服そうな声を上げるエスメ様を、ユリウス様はずいぶん柔らかくなった視線で見つめている。

 本当にもう大丈夫なのかな、と思わないでもないけれど、関係を修復する気があるのなら私から言う事は何も無い。

 私に出来るのは歩み寄る二人を応援する事だけ。


 せっかくだから、もう一曲くらい躍らせてあげたいな……。


「……ね、ハヤト。あのお二人に私達から一曲贈って差し上げませんか?」


 ちょうど今日の噴水広場にはアップライトピアノが設置されている。

 パーティーには絶対に音楽が必要なの、と、ベティが近所のバーから借りておいたらしいのだ。

 ハヤトはピアノ一択として、私は――、ちょうどバイオリンを持ってる人がいるからあの人から借りられないか聞いてみよう。


「いいけど。何やるの?」


「うーん……。この雰囲気だったらワルツじゃなくて――あ、『夢の香り』とか、どうでしょう」


「いいよ」


 前世でも絶対聴いたことがあるタンゴの名曲。

 これも女神様が持ち込んできたもの。元の女神様の楽譜はちゃんとオーケストラ用になっているんだけど、こっちの世界の研究者達がソロやデュオに対応したアレンジした楽譜もたくさん出ているのだ。これからやるのはそのデュオバージョンの内のひとつ。


 タイトルが絶妙に違うのは多分単純に間違えているんだと思う。

 女神様は案外適当なところがあるらしい。

 きっと私だけが知っている女神様の性格。女神様でも完璧じゃないんだから、私達が失敗をすることは何もおかしな事ではないのだ。

 たとえ失敗したとしても、その姿すら愛おしいと思えるような人と出会えた私達は幸せ者だとも思う。


「すみません、バイオリン貸して下さい」


「えっ!? いいよいいよ、どんどん使って!」


「ありがとうございます」


 上手いこと楽器を借り受けて、ハヤトと一緒にピアノのところへ向かう。


「エスメ様、ユリウス様。良かったら私達が一曲やりますよ」


「あら、本当に? ありがとうございます。ユリウス様、踊りましょう」


 上機嫌で頷くユリウス様。私とハヤトは目でお互いにタイミングを合わせて最初の音を鳴らした。




 深夜にまで及んだ婚約パーティーは無事盛況のうちに終わり、そこからほど近い街の家でぐっすり眠った翌朝。

 少し遅めに起き出した私達は、お昼過ぎまで鍛練場で打ち合いをした。

 こうして身体を動かす時間は今は貴重。大事な時間だ。

 最近の鍛練では、ハヤトも遠慮がなくなってきて投げ飛ばされたり転がされたりはもう当たり前になった。

 護衛対象ではなく本当に仲間だと認めてくれているようで、結構嬉しい。


 本当は狩りに行きたかったけど、あまり時間がないのでそれはまた来週。

 夕方には公爵家に戻らないといけないからね。

 何度も地面に転がされているうちにちょっと起き上がれなくなって、寝っ転がったままゼェゼェしていると彼は横に来てしゃがみ込んだ。


「疲れた? ちょっと休憩しよっか」


「はい」


 寝っ転がったまま荒くなった息を整え落ち着かせながら、頭の中では改めて昨晩の事を思い出していた。

 昨晩は結局、最初こそ嫌々連れて来られたみたいな顔をしていたユリウス様が誰よりも最後まで残りたがっていてエスメ様に「貴方、少しばかり楽しみ過ぎです」と苦笑いされていた。

 テッドさんとジョージさんはユリウス様と妙に打ち解けていたし、クインビー達とラヴは仲良くなっていたし。

 マリアはシスターに回収されて行ったし。


 色々な垣根を越えて人の輪が広がった、良いパーティーだったと思う。

 皆が集まる機会を作ってくれたベティには本当に感謝だ。


 息が整ってきたので体を起こし、座ったまま昨晩の思い出に浸っていると不意にハヤトが後ろからハグしてきた。


「どうしたんですか?」


「特に理由はないけどこうしたくなった」


「ふふっ、そうですか。私もそういう時があるのでわかります」


「あるの?」


「はい」


 腕の中で体ごとくるりと後ろに向き直り、正面からハグをし返した。


「愛しさを感じた時は特にこうしたくなります」


「ふーん。今のこれは?」


「とっても愛しいからしているんです」


 額を彼の鎖骨の辺りに当てて、腕にぎゅっと力を込める。ハグはされるのも好きだけどするのも好きだ。

 この多幸感、何物にも代えがたい。


「俺は幸せ者だなぁ……」


「私だってそう思ってますよ」


 体も心もぽかぽかしている。

 気持ちを受け止めてくれる人がいるって、幸せな事だ。


 鍛練場は基本的に貸し切りなので人目がない上に、一応屋外なので解放感があった。

 なので少し気が大きくなっていたのかもしれない。

 私の手が無意識に動き、ハヤトの背中から腰にかけての線を確かめるようになぞっていった。理想的な線を描く、細身ながら筋肉で引き締まったスタイル。

 兄さんええ身体してますのー、とセクハラオヤジみたいな事を考えながら脇腹をこしょこしょとくすぐって悪戯をした。

 でもあんまり反応がなかった。


「くすぐられるの平気なんですか?」


「うん。別に。何ともない訳じゃないけど平気」


「なーんだ。面白くないですね」


 ふっ、と笑われた。

 その笑みに何だか黒いものを感じて体を後ろに引く。だけど、退路は既に脚で塞がれていて。


 ――あっ。


「あはははは! や、やだ! ひゃあはは!」


 脇腹を思いっきりくすぐられて、今生初めて出すような大声で笑った。


「ごめんなさいごめんなさい! もうやめて!」


「本っ当ーにアリスは懲りないね! やり返されるとか、思わなかった?」


「ちょっとは思いましたけど! からかいたい欲の方が勝ったというか!」


 爆笑ついでに本音が出てしまった。そう、あの澄ました顔が狼狽えるのが面白くてついちょっかいを掛けてしまう。

 倍返しされるのは分かってるけどやめられない。

 ちゃんと謝ったのにハヤトさんはむしろお怒りになったようだ。


「からかいたい……。ああ、そう。アリスはそういうつもりだったのか。そういうつもりで、いっつも際どい事をしてくるんだ。天然なのかと思ってたら、わざとだったんだ、ふーん」


 くすぐりは熾烈さを増し、たまらず地面に倒れ込んできゃはははと笑い転げた。

 身を守るようにうつ伏せるけれど、背中側だって充分くすぐったい。

 足をばたばたさせて笑っていたら少し攻撃の手が緩んできて、ちょっとだけ喋る余裕が出来た。

 脇腹を両手で押さえてガードしつつ、ころんと仰向けになって懇願する。


「はぁ、はぁ……っ……ごめんなさい、もう許して」


 笑いすぎて涙が出ているようだ。まばたきをしたら涙がこめかみをつうっと流れていった。

 私の上で四つん這いになっていたハヤトは手を止めて無言で見下ろしてくる。


「あのね、全部がわざとって訳じゃないですよ。どちらかというと、途中でこれちょっとまずいかなって気付くことの方が多いです」


 フォローになっているかは不明だけど、一応伝えておく。

 今回だってそうだ。ハグ(愛情表現)とくすぐり(悪戯)の境目がどこにあったのかは不明で、気付いたらやってしまっていた、としか言いようがない。

 するとハヤトは真顔で呟いた。


「…………今の俺の気持ちをそのまま説明されてしまった」


「え? 今ちょっとまずいかなって気持ちなんですか?」


「ちょっと待って、アリスはこの状況で危機感とかない訳?」


「ああ、言われてみたら……」


 そうかもしれない。

 でも何も起きないでしょ。そのくらいわかってる。


「……いえ、やっぱり危機感は特にないですね」


「マジか」


 たち悪いな、と言って私の上から退き、隣にごろんと転がって塀で囲まれた四角い空を仰いだ。


「……ねぇアリス。俺達はいずれ家族になるけど、まだ恋人同士なんだよ」


「はい。急にどうしたんですか?」


 っていうか恋人同士って。

 ハヤトの口から聞くと改めて嬉し恥ずかしな気持ちになる。


「つまりね、熟年夫婦感を出すにはまだ早いと思うんだ」


「熟年夫婦? そんな事ないと思いますが」


「今そんな感じじゃん! もうちょっとドキドキしたり赤面したりしてくれてもいいのにさー」


「してますよ、いつも」


「そうかな」


 仰向けのまま顔だけをハヤトの方に向ける。彼も同じように私に顔を向けた。

 じっと見つめ合っていたらすぐにドキドキしてくる。頬だって火照ってきた。

 私を赤面させたいならこれだけで充分なのに、ハヤトは何を言っているのだろう。

 彼は投げ出した腕をそろそろと動かして、私の頭の下に入れようとしてきた。

 これは……腕枕!?

 頭を少し上げて腕に乗せると、満足そうに笑みを浮かべて抱き寄せてきた。

 お互いに体がころっと横向きになり、向かい合うと自然と距離が近くなる。私の鼻先が彼の首筋に触れ、ほんの僅かに残るホワイトムスクの香りを感じ取った。

 とても色気のある香りに頭がクラクラしてくる。


「アリス、かわいい」


 髪に口付けて、それから前髪をかき上げて額にもキスをしてきた。

 髪を撫でた手は耳を通り首筋を撫で、肩から背中に移動していく。こうなるとドキドキどころかゾクゾクしてくる訳だけど、この人は一体どこでこういう事を覚えてくるのだろう。

 カルロス姐さんの小説とかかな。

 そう思った瞬間なぜかドキドキがシュンと引っ込み、これまたなぜか気持ちに余裕が出てきた。

 胸の前に置いていた手を彼の背中に回し、抱きしめてみる。

 転がったままでするハグはいつもよりちょっと糖度が高い。

 膝の間に彼の脚が割って入ってきそうになって、それはさすがにまずいと思ってすぐに止めた。

 だってここ屋外だから。


「それはダメです」


「はい」


 大人しく言う事を聞いて脚を引っ込めるハヤトに笑いが込み上げてきた。

 そういう人だから、私も安心してくっつけるんだよね。

 額を首筋に擦り付けると、彼は「猫みたい」と言って笑った。



 夕方、公爵家に戻った私達は、お父様にパーティーの資金援助をしてくれていた件のお礼とマリアに関する報告を行い、治療のため殿下への取り次ぎをお願いした。

 だけどお父様は私達と殿下とマリアが一堂に会する事にあまり良い感情を持てないようで、この件はお父様預りとなった。

 私達は基本的にノータッチでいるように、との事だ。

 有難い。別に積極的に関わりたい訳ではないからね。

 私の知らないところで幸せになってくれたらそれが一番良いと思う。




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