第3章
プロローグ
穏やかな昼下がり。
ステンドグラスから日の光が差し込み、元歌姫ファンセ・ヴェルテのエメラルドグリーンの長い髪に乱反射した。
自らの髪が周囲に撒き散らした光が鏡か何かに当たりさらに跳ね返ってきたのだろうか。
エメラルドグリーンの瞳が細められた。
「それで空間魔法を使えるって本当なの?」
「使えない」
「もう認めなさいよ、私たち婚約した仲でしょ?隠し事はなしよ」
「それは設定の話だろっ!?」
「……つまらない男ね、そんなだからお客さんの一人も来ないんじゃない」
「た、確かに画廊にはお客さんはいないけれども……余計なお世話だ!これはきっと大義のために休息をする戦士の如く、来るべき大口顧客のための準備期間なんだ!」
「へー」とファンセはジトーっと目を細めた。
現在、俺とファンセは画廊の奥でだべっていた。
いや正確にはファンセが一方的に質問し、俺が適当に回答をはぐらかしているだけなのだが……。
どうしてこんな状況になってしまったのか。
それははっきりとしていた。
全ての元凶はあの腹黒聖女様――ドーレ・ジプスのせいだ。
隣国ホールビール王国との外交問題。
不幸にも首を突っ込むこととなった『ヘロベロ草』と『劇団と小国との違法な奴隷売買』の摘発。
あの腹黒聖女様……というか教会としても教義だかなんだか知らないが、許せなかったらしい。
俺には全く関係のないことだったわけだが、あの師匠が絡んでいたため仕方なく利用されてやったのだ。
くっそ、俺の善良でそして虫一匹も殺すことのできない良心を利用しやがって許せん!
……こほん。
いや元々の原因はその前からすでに始まっていたのだ。
あの腹黒聖女様との出会いそのものが元凶だろう。
やれやれ神様というやつはどうにも俺に対して働きすぎではないだろうか。
などとどこにも行くことのない怒りをふつふつと抱いていると、先ほどより冷たい声が聞こえた。
「ねえ、このままじゃ私の給与払えないんじゃない?」
「勝手に押しかけてきたくせに、どの口が言うんだよ!?こっちは行き場がないって言うから仕方なく!本当に仕方がなく、受付嬢としておいてやっているんだからなっ!」
「え、じゃあ私に身体で払えってこと……?」
仕方ないわね、と言って、なぜか真昼間の画廊でそれも意気揚々と脱ぎ出しやがった。
ほんと勘弁してくれ。
この元女優——歌姫様は何がしたいんだよ……。
勝手に女優や歌姫としての活動を休止?とやらをして押しかけてきたかと思ったら、ことあるごとに俺に絡み始めてきた。
いい加減にしてほしいものだ。
俺には師匠を探す……いや、探し出してぶん殴って、借金を取り立てるという大きな使命があるんだから――
「ファンセ!とっとと服を着ろ――」「いやー」「おい、どさくさに紛れて、俺の服も脱がそうとするなっ!」「ちょっとくらい良いでしょ?」「ふざけるなっ」
「ふふ……面白いことをしているんですね、ブール様?」
「――っ!?」
「ファンセさんも風邪をひいてしまう前にお洋服を着た方がいいのではないでしょうか?」
「うーん、まあ、それもそうね」
そう言って、ファンセはチラッと俺のことを見てから口元に笑みを浮かべた。
この元歌姫……腹黒聖女様がこっそりと画廊に入ってきたことに気がついていやがったな。
てかなんで俺の探索魔法に引っ掛からなかったんだ?
自分以外の魔力が画廊に近づいたら検知するはずなのだが……わからん。
この腹黒聖女様は『特別な』魔道具でも身につけているのか。
いや、今はそんな些細なことは問題ではない。
なぜこの腹黒聖女様がやって来たのかが問題だ。
嫌な予感しかしない。
「それで今日は何の用だよ?」
「ふふ」
腹黒聖女様のエルフ特有の耳がピクピクと動いた。
そして、綺麗な声で言った。
「最近グリーズ王国内で『魔獣絵画集』が売買されているとの情報が流れているのは知っていますね?」
「あーそれ知っている!グリーズ新聞で載っていたわ!確か『魔獣絵画集』は、高明な画家が画集の中に魔獣を封印したってやつでしょ?」
「そうです。ファンセさんのご認識通り……天才画家といわれたノウ・ハウハウ様が生前に封印魔法で魔獣を封印したと言われる魔導書です」
「……確かどこかの貴族様の館で眠っていた魔導書が見つかったっていう話だろ?それがどうかしたのかよ」
「そうですね……元々禁書目録としてチエイ大図書館で厳重に保管されていたものらしいのです」
腹黒聖女はどこかわざとらしく息を飲み込んでから意味深に言った。
やはり……嫌な予感がする。
それもすごく面倒なことになりそうな予感だ。
またしても腹黒聖女様の掌で転がされるような気がしてならない。
もちろんそんな俺の内心などわかるはずもなく、呑気な声で元歌姫が言った。
「なんでチエイ大図書館で保管されていた本をその貴族様が持っていたわけ?」
「それはですね……どうやらチエイ大図書館から勝手に持ち去った人がいるからです」
ドーレはチラッと俺を見た。
はあ……なるほど。
そういうことかよ。
おおよそのことはわかった。
わかりたくなかったが、わかってしまった。
どこのどいつかは知らないが、その貴族様とやらに魔導書を売り渡した奴がいるんだ。
それもチエイ大図書館というグリーズ王国が世界中からありとあらゆる知恵と知識を集めた図書館。そこの厳重な警備をすり抜けて禁書目録を持ち出した。
そして持ち出しただけでなく、おそらく足がつかないように裏市場経由で貴族様とやらに売り捌いたのだろう。
俺の就職する予定だったグリーズ王国博物館。そこと同じくらいに古今東西の希少価値の高い魔導書を保管しているチエイ大図書館。そこから簡単に書物が紛失するはずがない。
そうなると、そこから持ち出せる人物は限られるだろう。
十中八九、図書館で働いている者の仕業ということか。
例えば――魔法司書。
優秀な者しかなれない職業。
魔導書を収集し、解読、保存し、修繕する。そして、それらの知識を用いて貴族たちへのアドバイスもする。そして何より——古今東西の魔導書への幅広い造詣がなくては務まらない仕事——専門知識だけでなく熟練した経験が必要となる職業だ。
もしも魔法司書の中に事件に関係する者がいるのだとしたら――王国を揺るがすスキャンダルになるだろう。
ため息が溢れそうになるのをなんとか飲み込んで、腹黒聖女ドーレを見る。
ドーレはちょこんと不思議そうな顔で首を傾げ、絹色の長い髪が揺れた。
「……?」
「関係者か入館者かわからないが……誰かがこっそりと持ち出したって言いたいのか?」
「そうですね……少なくとも館長のセルローナさんはそのようにお考えのようです」
「先に言っておくが、俺は無関係だからな」
「えー、どうだかー」とファンセが茶々を入れた。
……我慢しろ、俺。
いちいちファンセの言葉に反応していたら話が先に進まない。
ドーレ黄金色の瞳が一瞬だけ細められた。
そんな気がしたが、ドーレは明るい声で言った。
「ふふふ、ブール様がそのようなことをしていないことはわかっています」
「だったら何だよ?わざわざ世間話をしに来たわけじゃないんだろ?」
「そうですね……そろそろですかね」
腹黒聖女様が小さく呟いた時だった。
――カランカランと、入り口に付けている魔鈴が鳴った。
どうやら画廊に誰かが入ってきたようだ。
「あ、私見てくるわね」
ファンセがパチンとウィンクをして立ち上がった。
絶対にただの客じゃない……明らかに腹黒聖女様の差金だ。
タイミングが良すぎる。
ため息が溢れそうになるのをなんとか堪えるので精一杯だった。
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