彼女の本性

 「あたしがかける君を好きになったのはね……、実は一年生の時なんだ」


 もったいぶった言い方で話を進めていく如月きさらぎさん。

 その表情は、つい先程までは見たこともないような自信に満ち溢れている。

 ……いつの間にか名前呼びしてやがるし。 

 如月さんに名前で呼ばれてもなんとも思わないのは、豹変した後の雰囲気がどことなく浜辺に似ているからかもしれない。

 ああもういいや、こっちもさん付けなんてやめてやる。


 「翔君は覚えてないかも、だけどね―――……」





 如月の話を簡潔にまとめるとこうだった。

 僕は、女子達に詰め寄られていた如月のことを(なんかよくわからないけど)助けたらしい。

 ……以上。





 「やだなぁ、翔君ってば。私の美しき初恋の思い出をそんなに何でもないことのようにまとめないでよ」

 「事実だろ」

 「っていうか覚えてないの?ほらぁ、筆箱を落としてさ。そして〝うるさいんだけど〟―――って一言! 格好良かったんだから」

 「全く記憶にございませんね。偶然じゃないのか」

 「もーっ、政治家みたいなこと言って誤魔化さないでよぉ」


 実のところを言えば、その出来事は普通に覚えている。

 しかし、それは如月を助けようとか思ってやったわけではなく、単に揉めてる女子達の声が耳障りだったからだ。


 「本当に覚えてないの?……陽菜乃ひなの、悲しいな」


 しゅん、としながらわざとらしい声を出す如月。

 普通の男子だったら落とされてしまいそうだが、生憎あいにく僕はそういう女子に興味ない。

 ……むしろ苦手だ。


 「っていうか、そんなちょっとしたことなのか? きっかけは」

 「ねー、あたしもそれくらいで落ちるとはおもわなかったんだけど。やっぱりギャップかなぁ、女子はギャップに弱いからねー」


 ギャップ、ね。

 僕が浜辺に興味を持ったのは、それもあるだろうな。


 「でも如月の気持ちには応えられません、ごめんなさい」

 「……そうだよね。翔君にはちゃんと浜辺はまべさんって言う彼女がいるんだもんね」

 

 しょんぼりと肩を落とした如月を見ると、なぜだか申し訳なくなってくる。


 ……いやいや、何で振った側の僕が申し訳なくならないといけないんだ?


 だが、結論が出たとはいえこのまま「じゃあ」って帰るのはどうかとも思ったので、座り込んでしまった如月の隣―――とは言っても微妙に距離を空けた位置に腰を下ろす。


 「如月……」

 「ねえ翔君。攻め方変えるからもう一回言わせて。今まで正当に手順踏んで付き合うことしか言わなかったけど―――浜辺さんに内緒であたしと付き合う気はある?」


 品定めでもするかのように、目を細めて僕を見つめてくる。

 ふっと血の気が引いて、自分の体が後ろに傾いだ。

 僕の頭が手摺てすりに当たり、カァンッという音が響く。


 「……正気か?」


 ジンジンと痛む後頭部をさすりながら訊くと、


 「当たり前よ」


 ……。

 ものすごい自信だ。

 呆れを通り越して、感心すらしてしまう。


 「……ないな。浜辺と付き合ってようが付き合ってなかろうが、内緒だろうが内緒じゃなかろうが如月と付き合う気は全く無い」


 曖昧に断ったとしても、どうせどうせさっきのように泣き真似とかしてくるんだろうと思ったので、はっきりとそう言った。

 

 「そっか……」

 

 そう呟いた如月を振り向くと、寂しそうな笑みを浮かべていた。


 「……」


 俺が黙り込むと、パッと普通の笑顔に変わる。

 でも、その笑顔には仮面のような違和感が残っている。

 いくら付き合う気がないとはいえ、罪悪感が湧いてきた。

 振った女子を慰めるのはちょっとおかしいし、だからと言って謝るのも違う……。

 こういう時、何て声掛けたらいいんだ……?


 「あはは、やめてよ、そんなに深刻そうな顔するの」

 「でも……」

 「もし貸し手があたしが傷ついたとでも思った? 嬉しいなぁ、翔君がそんなに気にしてくれるなんて」

 「違っ」

 「演技だよ、演技。もー、翔君ったら女子のこんな演技にもコロッと騙されちゃうなんて、これからが心配だなぁ」


 あぁ、心配して損した。

 本当に元気そうだ。


 「心配しなきゃよかった、帰る」


 鞄をつかんで足早に階段に向かう。


 「あたしは諦めないからね」


 そういう声が後ろから降ってきて、思わず足を止めてしまった。

 しかし、また本気にして冗談だといわれるのも癪なので、片手を上げただけで応えた。





 「あたしは諦めないからね」


 そう言った時、彼はどんな表情をしていたのだろうか。

 きっとまた冗談だと思っているのだろう。


 「ふふっ。翔君ったら全部本気にしちゃって本当に鈍感なんだから。―――……演技なわけないじゃん。好きな人に振られて、悲しくないわけ、ないじゃん」


 滲み始めた目元をぐいっと拭い、あたしは立ち上がった。





 「おっそーい、翔君」

 「悪い」


 もうあんまり時間ないよぉ、と浜辺は腕時計を付けた左腕を突き出した。

 針は午後五時四十五分あたりを指している。


 「今日は数学者一人も教えてる暇ないから、サクッと終わらせちゃおう」


 浜辺は数オタ活動記録のノートを開き、ページをパラパラとめくった。

 今日のテーマは既に決まっていたらしく、浜辺は見開きのページを「じゃんっ」と勢いよく開いた。

 右側のページには小さい文字で「フィボナッチ数列」とあり、左側のページには「1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233…」と、延々と数字が並んでいる。しかも浜辺の小さな文字で、見開き半ページを埋める量の数字だ。


 「何だこれ……?」

 「これが〝フィボナッチ数列〟だよ」

 

 いやいや、それは見ればわかるんだが。


 「吐き気がしてくる……」

 「あはは」


 笑うより先に説明してくれ……。


 「ものすごく簡潔に説明すると、その数と、その数の一つ前の数の和が次の数になってる、っていう数列」

 「いや、何言ってんのか全くわからない」


 また、あははっ、と笑う浜辺。


 「じゃあ作ってみよっか」

 

 何を? と訊けば、当たり前のように、フィボナッチ数列だよー、と返された。

 作れるもんなのか?覚えるんじゃなくて?


 「ほらぁ、ごちゃごちゃ言ってないで筆記用具出してー」


 浜辺はノートのページをめくった。

 そしてそのままノートの向きをくるりと回し、僕のほうを向ける。


 「もしかして……、僕が書くんですか?」

 「当り前だよ、何言ってんの」


 だーいじょうぶっ、教えてあげるから、と浜辺は微笑んだ。


 「はいっ、まずは1を2つ書いてー」

 「何でだ?」

 「わお、そこ訊くかー……。でもちょっと今は難しいと思うから、そんなもんだと思ってて」


 1、1


ノートにこの二文字が記された。

 「で?」

 「んー、じゃあさっき言った〝その数〟っていうのが2つ目の1ね。〝その数と、その数の一つ前の数の和は次の数〟だからー?」


 浜辺は出来損ないの生徒に教えるように、語尾を上げて僕に尋ねた。


 「ってことは……。〝その数〟が2つ目の1、〝その数の一つ前の数〟が最初の1 のことか」

 「そうそう!」


 それでね……、と続ける浜辺の背後の窓からは、もう既に沈みかけた太陽が覗いていた。

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