第38話 天文台の痕跡
天文台一階は天文学者の居住スペースのようだった。
暗い室内に目を凝らす。あちこち崩れているけれど、三つの部屋はそれぞれ台所と居間と寝室だ。廊下の隅にトイレとお風呂。
腐ったにおいが充満しているのは台所からだ。食べられそうな食糧は残っていないだろうし、気持ち悪くて、ドゥーク一人で中を確認したけどやはり何もなかった。臭いからさっさとドアを閉め切る。
居間には暖炉とテーブルと椅子があるだけ。お客さんが来ることもほとんどなかったのかもしれない。
寝室に入る。ベッドにも大きな爪の跡があり、床一面に白い羽毛を散らした枕はぺたんこになっていて、長らく誰にも使われていないことが分かる。残念ながら、ここに泊まるよりは野宿した方がましみたいだ。
床に広がる白い羽毛の上の汚れに先に気付いたのはドゥークだ。
ドゥークの視線を辿って、僕も汚れに気付いた。けど、なぜ彼がそれをじっと凝視しているのか分からなかった。
気付いた時には、声も出なかった。
――足跡だ。
寝室の床に残された黒い陰は、とてつもなくでかくて、まさか足跡だとは思いもしなかった。一体どれだけの大きさだというのか。
イチハとミミは気付かずに、家具など確認している。怖がらせるといけないから、僕も何も言わなかった。
「なーんにもないです!」
ミミが投げやりに言う。
写真でもあれば天文学者がどんな人か分かるけど、壁には家族写真の一枚も飾られていない。引き出しも全部開けたけど、手紙の一枚も見つからない。
「こんな辺鄙な場所に独りぼっちで暮らすのは、さぞ寂しいでしょうね」
イチハが嘆息した。
寝室を出て、居間に戻った時、ドゥークが暖炉の中から燃え残った小さな紙片を拾い上げた。
「なに?」
「メモだ」
掠れたペンで走り書きしてある。
「なんて書いてるですか?」
ミミがぴょんぴょん跳ねる。光源がないから、ミミとイチハの位置からはメモの中身は見えない。
「読んでください!」
読んでくれなきゃ、文字の読めない坊ちゃんが分かりませんからね! いちいち憎まれ口を叩く。
「……モンスターから逃れるために、入り江の洞窟を抜けて虹の丘を目指す……。そう書いてある」
「なるほどです!」
ミミはとことこ入口に向かって出て行く。やはり廃墟は気味が悪かったのだろう。
「こら、ひとりじゃ危ないわよ」
イチハもあとを追う。
読み上げたドゥークは、メモをくしゃりと握り潰した。
読んでもらわなくても、メモの内容は僕にも理解できた。
メモには下手くそな絵が描いてあった。棒人間は天文学者自身だろう。矢印が洞窟の穴に向けて引かれてあり、洞窟の向こうには丘の上に虹が架かってる。洞窟の部分には大きく「?」マークが付いている。内部がどうなっているのか分からないってことだろう。
では、なぜそんな危険な道を選んだのか。
一目瞭然だった。
天文学者の後ろには、洞窟の穴よりもさらに大きなモンスターが描かれていた。
ほとんど黒く塗り潰されたような下手くそなモンスターの絵からは、実際そいつがどのような姿なのか想像もつかない。ただ、不気味さだけが際立つ。
入口より大きなモンスターは、洞窟の中まで追い掛けることはできない。少なくとも、奴が別のルートを見つけるまで時間稼ぎにはなる。だから、得体の知れない洞窟へ逃げ込んだ。モンスターはそれより恐ろしいのだ。
「……モンスター、すごく大きいね……」
小声でドゥークに言う。無意識に彼のマントの裾を掴む。
「ああ。それよりも……」
僕よりも小さな声で、まるで独り言みたいにドゥークは呟いた。
――それよりも、このモンスターは、天文台で明らかに何かを探していたようだ。これだけでかい化け物がそれだけの知性を持っているということの方が、俺は恐ろしいよ。
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