【コミックス2巻発売記念SS】『全てを失った元公爵令嬢は、自分の人生を己で引き寄せる』⑤
私らしい話を書いた瞬間、生活が一変した。
エフゲニーが支配人に交渉して、主演公演の一つに組み込んだからだ。
「主演は、俺がやる」
そう宣言したことで、エフゲニー・ホロストの新たな演目として注目を浴びた。原作、脚本の箇所には『ルムの森』と記載があった。
「私の名前、ルムじゃなかったの? 間違ってるよ」
そうエフゲニーに進言したところ「お前は、もう一本の凡庸な木じゃないだろ。改名してやった」と楽しげな表情を浮かべて手にしていたカップの中に入ったお茶を飲み干していた。
「勝手に名前変えないでください」
文句を言いつつも、彼に認めてもらえたこと。そして、彼が私の書いた脚本で主演を張ることは長年の夢だったので、素直に嬉しかった。
稽古にも参加させてもらい、貴族の立ち振る舞いや視線の送り方など、知っていることは全て注ぎ込んだ。何気ない日常のシーンですら感心されることもあり、私は思っていた以上に元貴族ということが武器になるのだとわかった。
初舞台は週の真ん中。一番客数が少ない日ではあったものの、エフゲニー主演の新作ということもあり、満席の初日を迎えた。
舞台袖で彼の姿を眺める。稽古の間、ずっと見てきた姿だった。
「独白しましょう。私が、犯した禁忌を……」
私の書いた文字をエフゲニーが演じている。観客が、私の考えた通りの物語に沿って動いている彼を必死に追いかけている。
化け物の血を、貴族の血を、私はこの作品に全て注ぎ込んだ。
もし、少女神サイアが本当に私を見守ってくれているのであれば、この物語を全土に広がるくらいの力をください。
そのような願いを込めながら、私は息をするのもすっかり忘れて、舞台袖から眺めていた。
あまりに身を乗り出して真剣に眺めていたので、支配人から「観客から見えてしまうから、もう少し下がって」と指摘を受けてしまうほどだった。
舞台は順調に進んでいた。
「おお、神よ。私の血を、この身体に流れる悪魔のような血をどうしてお与えなさったのですか。この血さえなければ……いや、もはや悩むことすら無駄なことだ。もう全てが手遅れ。私に与えられた時間は短い」
光がエフゲニーだけを照らす。最後の独白のシーンだ。
そして、エフゲニーを演じる人物は、王宮の兵士たちに連れて行かれる。自分の犯した罪を裁かれるために。
彼が命を落とすところで、舞台は暗転する。闇の中で観客が息を呑む様子が伝わってくる。
無音がしばらく続いた。そして、ゆっくりと拍手の音が一つ、また一つと鳴り響く。
舞台袖に戻ってきたエフゲニーが、白い歯を見せて「顔を曇らせるな。俺が選んだ舞台だ、成功以外あり得ない。そうだろう?」と私に笑いかけた。
「支配人、新聞記者の方が今作について質問があると。明日の見出しに使いたいそうです」
裏方の人間が、息を切らして私たちの方へやってきた。
「俺がいく。久々の当たり役だ。ルムの森についても聞かれるだろうな。明日から、謎の覆面作家としてプルペ中に名前が広がるだろうよ」
支配人がわかりやすく私に視線を向けたことに気がついて、エフゲニーが口を挟んだ。そして、彼はカーテンコールに呼ばれるまま、舞台に戻っていく。
私は、未だ夢見心地のまま、忙しなく動く舞台裏で余韻に浸った。鳴り止まない拍手、大きな花束を抱え舞台の上で深々とお辞儀をするエフゲニー。
長い八年だった。あっという間だったなど嘘はつけない。
いつになったら、自分の作品が世の中に出られるのだろうと、何度も何度も悔しさを、弱音を飲み込みながら、機会を伺ってきたのだ。
ただの、アルム。よくやったね。
今夜は、私が私を褒めてあげよう。そして、エフゲニーもきっと私のことを褒めてくれるはずだ。
***
エフゲニーの予言通り「ルムの森」という謎の覆面作家の名前は、プルペの街中に広がった。
姿を見せなかったことで、人々の好奇心が掻き立てられたらしい。誰が「ルムの森」なのか、既存の作家たちの中に名前を変えた人物がいるのではないかとか、エフゲニーの別名なのではないかとか様々な憶測がたてられた。中には、エフゲニー・ホロストの恋人なのではないかという声も出てきていて、ありえない妄想に私は思わず笑ってしまった。
そんな時、一通の手紙が劇場に届き、人々を震撼させた。
支援を希望する内容の手紙が「ルムの森」へ届いたからである。
差出人はヴィオラ・サドルノフ・ジートキフ公爵夫人。王妃つきの女官であり、私が大好きなアイスクリームの店の事業主でもある。
彼女が後ろ盾となってくれれば、作家として安泰は確実だ。この手紙を出されて、断る作家はまずいないだろう。
しかし、私は首を縦に振るわけにはいかなかった。
なぜなら、手紙の中に記載されていた内容に「条件として、一度顔を合わせること」あったからである。
王宮にいた時に、そこまで深い仲であったわけではないが、何度も顔を合わせて話をしている。あれから八年経ったとはいえ、彼女が私のことを忘れている可能性の方が低い。
さらに、エミリオン王の元婚約者であり、現在はジョジュ王妃の女官として王族に忠誠を誓っている彼女が、オルテル元公爵の娘だと知って支援をするはずはないだろう。
私は「お断りするしかないわ」と静かに呟く。
だが、断るにしても一度直接会いに行かないといけないことには変わりないだろう。
ジートキフ公爵夫人の支援を無視したなどといった事実が広まってしまえば、ルムの森だけでなく劇場にも迷惑がかかることになる。
夫人は観劇好きであることも有名なので、誰か人を雇って代わりの人間に行かせたとしても、作品の話をしているうちにルムの森でないことは見抜いてしまう可能性が高い。
「賭けに出るしかないな」
悩んでいる私にエフゲニーが朝食のスープが入った器を私の前に置く。私は焼きたてのパンにバターとビジベリーのジャムを塗りながら「でも……」と小さく呟いた。
「どちらにしろ、こんな大物からパトロンの申請が来ることなんかそうそうない。仮に追い返されたとしても、正直に姿を見せる誠意は必要になるだろうな」
「一緒に来てくれる?」
「甘えるなと言いたいところではあるが、俺がお前の立場だったら同じようにすくむだろうから、今回は特別に一緒に行ってやってもいい。だから、飯はくえ。ここ数日ろくに食ってないだろ」
「うん」
エフゲニーの言葉に安心して、私は手に持っていたパンを齧るのだった。
***
プルペの中心街から少し離れた広大な土地に、ジートキフ夫妻の屋敷はある。
ニックス城までは毎日馬車で通っているらしい。巨大な屋敷の前に停められている豪華な装飾の馬車は、ジョジュ王妃の女官を務めているヴィオラ夫人が使用しているものだろうか。
震える手を握りしめながら、私は大きなため息を一つついた。
怖い。
ルムの森がアルムだと分かったら、私は処分される。ジートキフ夫妻は、エミリオン王と幼い頃から旧知の仲だ。私がアルムだと知れば、すぐに城へ報告を出すだろう。
この先のことを考えると恐ろしかった。
「胸を張れ」
私の隣を歩いていたエフゲニーが静かに言い放った。
真冬の冷たい風が、吹き付ける。あまりの冷たさに鼻の奥がつんと痛んだ。
「うん」
私は小さく答える。いいようのない不安が胸の奥に走り抜けた。
まだ一緒にいるつもりあるよね?
いつもならあけすけにそう尋ねていただろう。いや、尋ねようとも思わない。
何故なら、彼の隣にいるのは当たり前のことだったからだ。
「どうした?」
私が足を止めたからだろう。少し先に歩いていた彼は、立ち止まって私の方へ振り返った。
「なんでもない」
私は言葉を飲み込んで、彼の隣に並んだ。口にしてしまったら、心の中にある不安が現実になってしまう気がした。
今日は、ヴィオラ夫人に支援の断りを入れるだけ。
屋敷の中は、ヴィオラ夫人が選んだのだろうか。真っ赤なビロードの絨毯と、大きな黄金のシャンデリアが玄関ホールで主張していた。
中年の執事が「お待ちしておりました。ご主人様と奥様がお待ちにございます」と丁寧に恭しく挨拶をしてくる。私は幼い頃に叩き込まれた作法を思い出して、カーテシーの所作をする。片足を後ろに引いて、膝を軽く曲げ、スカートの端を軽く持ったまま「どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げた。
ジートキフ公爵家は、活気に溢れていた。メイドたちの表情は明るく、私たちとすれ違うときに溌剌とした表情を浮かべながら丁寧に頭を下げてくる。統率の取れた無駄のない動き、それぞれが率先して屋敷の中を美しく保とうと掃除をしたり、数ヶ月先の催しのための装飾の相談をしたりしているようだった。
実家のように、誰かが通るたびに上から下まで品定めするような視線を送ってきたりしない。
同じ公爵家のはずだったのに、上に立つものが違うだけでここまで変わるものなのか。
脳裏に母の顔がよぎった。そして、一瞬でかき消した。忘れよう。みなかったことにすればいい。今日は、公爵家の品定めをしにきたわけではない。
***
夫人が待ち構える部屋は、屋敷の最上階にあった。
執事が「ルムの森様と、エフゲニー・ホロスト様がいらっしゃいました」とノックをすると、懐かしい声が部屋の中から聞こえた。
「まあ、ようやく到着しましたのね」
屋敷の南側に面して作られている部屋の窓から木漏れ日が差し込んでいる。強い風が吹いているので、少しばかり枯れ葉が窓の外で乾いた音を立てて暴れていた。
私は、すぐには顔を合わせられなかったが、覚悟を決めて顔を上げた。このまま城に通報されてしまうかもしれないが、いつまでも俯いているわけにもいかなかったからである。
しかし、ヴィオラ夫人は私の顔を見ても、咎めるような声色は出さなかった。夫人の横に座っているデニス・ジートキフ公爵は、何やら楽しそうな表情を浮かべて私と妻を見比べている。
私が困惑した表情を浮かべて黙っているのを見兼ねたのか、エフゲニーが私を小突き「ジートキフ公爵様、そしてヴィオラ公爵夫人、本日はルムの森と共に私の同伴をご了承くださり誠に感謝申し上げます」と挨拶をする。
ヴィオラの視線は私の方へ向けられていた。私は、彼女が何を言うのか恐ろしくなりやはり言葉を紡ぐことができなかった。
しばらく沈黙が部屋の中を包んだ。全員が私の言葉を待っているのだと気がつき、私は静かに「申し訳ありません」と頭を下げることしかできなかった。
「何に対して謝っておいで?」
「全てにです。ジートキフ公爵夫人。彼は関係ありません。私のわがままに巻き込んだのです」
父親はオルテル元公爵。国王エミリオン・レックスを裏切り、敵国であったドルマン王国に自国を売り飛ばそうとした男。情状酌量の余地ありと私と母はプルペから追放されたのだ。
こんなことになるまで私は自分の愚かさに気が付かなかった。ヴィオラから援助の申し出があった時点で、あの劇団から姿を消すべきだった。
「ですから、先ほどから何を申し上げていますの? 私は本日、ルムの森という方を呼んだのですわ。正直に申しまして、彼女の出生に微塵も興味がありません。この件につきましては、国王エミリオンから内密に許可を得ております。あなたが、自分の過去を曝け出したいとおっしゃるのであれば、それがそれでよろしいですけれど。お互いに利益はでませんわね」
「え? でも……」
混乱する私にとうとう我慢できなくなったのか、ジートキフ公爵が吹き出して腹を抱えて笑う。
「あまりいじめてやるなよ。ヴィオラ」
「デニス、人聞きが悪いですわね。私はいじめてなんかおりませんわ。彼女が勝手に身の上話をしようとしてきたので、ちゃんと情報を与えて差し上げたまでですわよ」
彼らの話を聞いてエフゲニーが「なるほどな」と小さな声で呟く。私だけがどういうことだが分からずに困惑する。
「彼女、意外に不器用だから僕が話そう」
私に視線を向けて口を開いたのは、ジートキフ公爵だった。
「単刀直入に言って、君は我が国の財産として認定しようかって話だよ」
「財産?」
「まあ、君だけではないんだけどね。ここ数年のあいだ軍事力や経済力の強化ばかりに注力してきただろう。ただ、それだけでは国は豊かにならない。やはり芸術分野もね。我が国は、君の隣にいるエフゲニー・ホロストという名優はいるけれど、まあ彼も危惧していたのだろうね。若手の芸術家が少ない」
横でエフゲニーは静かに頷いていた。彼が台頭できていたのは、もちろん彼が天才だからというのもあるが、絶対的な役者の数が少ないからだ。
「だから、君の才能に目をつけた我が愛しの妻は、国王に直談判した。もちろん正式な許可など降りるはずがないからね。それは君が一番よくわかっているだろう」
私は静かに頷いた。
つまり、今回の支援の打診は、私が元オルテル公爵令嬢だとわかった上で、行われた。
ロニーノ王国の芸術発展のために。
ジートキフ公爵が、小さく微笑む。そして「断ってもいいけれど、賢い君ならどう動くかわかっているだろう?」と静かに言葉を紡いだ。
エフゲニーの方へ視線を向ける。彼は私の方を見てはいなかった。
***
ジートキフ公爵夫妻が『ルムの森』のパトロンになったことで私の名前に箔がついた。劇場は、長蛇の列でチケットは数ヶ月先まで売り切れらしい。
顔が割れてしまったら問題であるからと、公爵夫妻が用意したメイドや護衛のついた小さな屋敷をアトリエとして与えられた。昔住んでいたような豪華な造りだ。
朝昼晩と出される豪華な食事。流行のドレス、紙の束、新品の筆記用具。傷ひとつつけられていない机や椅子。
書くためだけに用意された部屋の中で、私は一人原稿と向き合わなくてはならなかった。
舞台の原稿は、劇場から支配人がメイドから受け取るように指示されているらしい。幕が開ける前の喧騒がとても遠い日の思い出に思えた。
月に一度だけ夫妻と食事をする機会を設けられている。もちろん、ただ話すだけでなく作業の進捗も報告しなければならない。
それでも彼らは、人払いをして私が話しやすい環境を与えてくれる。私の過去を考えたら、彼らはこの上ないほど高待遇で私を抱え込んでくれている。他の貴族たちに私の正体がわかってしまえば、彼らだけでなく王家への不信にも繋がるからだ。
文句を言える立場ではない。公に思い切り芸術に舞台に物語に身を委ねていいのだと許可をもらえたのだ。今が一番の頑張り時である。幸せなはずだった。
夜になると、孤独で目が覚める。扉の向こうで鼻歌を口ずさみながら、役作りに励む彼の姿を探す癖がついた。
『ったく。なんで師匠が弟子の朝食の世話をしなきゃなんねえんだ。朝飯できたぞ』
荒っぽい口調で用意してくれた食事が恋しい。
三度目の夫妻の食事を迎えたころ、我慢できなくなってこっそり屋敷を抜け出した。執筆の間は、邪魔しないでほしいと伝えているので誰も部屋の中を覗きには来ない。
少しだけでいい。エフゲニーに会いたかった。
しかし、二人で住んでいたはずの部屋はすでに引き払われた後だった。扉に鍵はかかっておらず、がらんとした部屋の中に微かに彼のつけていた香水の香りが残っている。
私は、そのまま劇場へと足を運び、私に驚く支配人を無視して楽屋で準備をするエフゲニーのところへ向かった。
彼は、化粧を始めるところだったらしい。鏡越しに私を確認すると「帰れ」とだけ短く言い放った。
「どうして、あの部屋を売り払ったの?」
「使う人間がいない部屋を維持するほど、俺は贅沢な金銭感覚の持ち主じゃないもんでね」
ゆっくりと丁寧に化粧を施しながら、エフゲニーは静かに答えた。
「でも… …」
「お前は、一人前の売れっ子作家様だ。そろそろ子守から卒業させてくれよ。今夜は、新しい恋人と食事の約束もできたしな」
彼は振り返らない。鏡越しに私はエフゲニーの化粧をしていく様子をじっと見つめるしかない。手のひらにじんわりと汗が滲む。指先が冷えていくのを感じた。
「ルムの森様。新しい脚本楽しみにしていますよ」
明るい声色で彼は口紅を引きながら、私に言った。お得意様の貴族に言う時と同じ口調だった。
屋敷にどうやって戻ったのかは覚えていなかった。ただ、ふかふかのベッドに座って空をじっと見つめていた。
エフゲニーだけは自分の味方だと思い込んでいた。思っていたかった。
それだけ彼は、私に、そして芸術に対して正直な人だった。
この数年間、私も彼も嘘はつかなかった。本音で語り合ってきた。
しかし、先ほどの彼は私に演じた。役者の顔で、お得意様のご機嫌取りをしてきた。私を追い払うために。
恋人ができたとか、部屋を引き払ったことなど、そのことに比べたら瑣末なことだ。
涙は不思議と出てこなかった。ただ、ぼんやりと頭の中に靄がかかっていく。
新作を書くことだけが、今後エフゲニーと繋がる唯一のものなのに、私はその日を境に物語が書けなくなってしまった。
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