【コミックス2巻発売記念SS】『全てを失った元公爵令嬢は、自分の人生を己で引き寄せる』④
初舞台を終えてから、エフゲニーの家に入り浸っていた。家になんか帰りたくなかった。あの日の高揚感を失いたくなかったからだ。
私が書いた前座の劇は、静かに定着していき、少しずつではあるが、感想が書かれた手紙が届くようになった。その感想はすぐ落ち着きを見せはじるようになったので、なぜだか理由を聞いてみると「観客の心はコルク夫人にあるからだろう? それを超える衝撃がないからだ」とエフゲニーから淡々とした返事が戻ってきた。
「面白いから、前座になったんでしょう?」
「甘えんな。いい作品だと評価は出したが、前座は前座だ。おまけにそこまで反応があるなら、今頃支配人がもっと長編の脚本依頼をお前にしてるよ。悔しかったら、もっと努力することだな」
「そうなのね……」
いきなり大きな名声を期待していたわけではなかったが、もう少しエフゲニーにはよくやったと手放しに褒めて欲しかった。
そのような感情を抱きながらも、頭の片隅では次はどんな話がいいだろうと物語が動き始めている。
「ところで、お前、本当に何日俺のところに入り浸っているつもりだ?」
私の妄想時間に冷や水を浴びせるように、エフゲニーは私を家に帰そうとする。彼の言葉を無視していたが、頭の中ではわかっていた。こんな日々が長く続くはずもないと。本当に向き合わなければならないものがあるのは、理解できていたが、このまま見逃してくれたらと願わずにはいられなかった。
人生の転換期というものは、予期せぬ時に訪れるらしい。
いつものように劇の前座を舞台袖から観に行こうと劇場へ向かった時だった。
「アルム……」
聞き慣れた声が聞こえた。プルペにいてはいけない人の声だった。恐る恐る声のした方へ視線を向けると、ローブで顔を隠していたが使用人を引き連れた母がいた。
私は逃げるように劇場へと向かった。会いたくなかった。そして、奪われたくない。あそこには戻ってしまえば、私の夢は潰えてしまうと思ったからだ。
「追いかけてちょうだい!」
使用人たちに金切り声で命令をする母。
今、オルテル元公爵の妻が追放されたはずなのに、戻ってきていると大声で告げたらどうなるだろうと考えたが、そうしてしまうと自分も同じように追い出されてしまう身分だと思い出してやめた。
飛び込むように劇場の裏口から中へ入ると先に来て稽古をしていたエフゲニーが「何があった?」と私に駆け寄ってきた。
「お母様が……」
「あ?」
息も絶え絶えに伝えると彼はよく聞き取れなかったらしく聞き返した。
それと同時に、無遠慮に使用人たちが勝手に劇場の中へ入ってきて、私を捕獲しようとする。
「おい。勝手に侵入してくるな。ここは関係者以外立ち居入り禁止だぞ」
私を後ろに隠してエフゲニーが使用人たちに厳しい声色で伝える。
「アルムお嬢様を誘拐したのは、お前か?」
「は? 誘拐なんかしてねえよ。寝言も休み休み言ってくれないかねえ」
騒ぎが起きたことで、支配人を含めて劇場の関係者が集まってくる。
後から追いついた母がゆっくりと劇場の裏口から勝手に入ってきて「アルム! 出てきなさい!」と怒鳴りつけてきた。
呆気に取られる面々を見渡し、私は顔が真っ赤になるのがわかった。怒りと恥ずかしさだ。
ここは私の大事な聖域だ。それと同時に職場でもある。
母の癇癪をこんなところで披露して欲しいわけじゃない。
「親の私に向かって、このようなふざけた態度、絶対に許さない!」
「母親か?」
エフゲニーの腰にしがみついている私に、彼はそっと尋ねてきた。私は、彼に嘘をつきたくなかった。
しかし、本当のことを告げてしまったら、彼は私を手放すのではないかとも思った。
無言であることが肯定の印になってしまったらしい。
エフゲニーは「仕方ねえやつ」と小さく呟いたあと、私をそっと引き剥がして母のところへ歩いて行った。
母は、私がしがみついていた相手がエフゲニー・ホロストだと分かると、一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべた。彼の演技をかつて母も褒めて劇場鑑賞を楽しんでいた時期があるからだ。
「お初にお目にかかりますというわけではないですね。王宮のお茶会で一度お話ししたことがあるかと思います。エフゲニー・ホロストと申します」
あくまで冷静に丁寧に彼は母に声をかけた。
「ええ、存じております。あなたが、娘をたぶらかして、家に泊めていることも調査済みです。まだ役者としてご活躍されたいでしょう? 問題にしてほしくなかったら、早く娘を返してください。娘は貴族なのよ。あなたとは、身分が違うの」
その一言を放った瞬間、私は駆け出していた。
許せなかった。
エフゲニーは私の恩人だ。
もう役にも立たない身分をひけらかして、彼を支配して動かそうとするなんて、あってはならないことだ。
「お母様。もう、やめて! 私たち、そんな身分は持ってないじゃない!」
「アルム。あなたはわかっていないわ。私たちは貴族として生まれて、貴族として死ぬの。どうしていうことが聞けないの? どうしてお父様と同じで私を追い詰めることしかできないの?」
母は重ねている。自分を追い詰めた男と私を。
私を攻撃することは、父に復讐すると同じことなのだ。だから、何時間も詰る。追いかけ回して、私を支配しようとする。
母も、私の中に父と同じ化物が存在していることを見抜いているのかもしれない。
だからこそ、ここではっきりと伝えるべきなのかもしれない。
「お母様。私は、貴族の娘として生きていくつもりはないわ。創作の道に行きたいの。現実には私たちに何も残っていないのはわかっているでしょう? 貴族であることに期待できることなんかない。私は、前座だけど劇場で、創作で一つ形になった。この道だったら何かできるかもしれない。私にはこれしかないのよ!」
うまくまとまらなかった。
文章もぐちゃぐちゃだ。
だけど、私は生まれて初めて親に自分の夢を伝えた。
腹の中に溜め込んでいた重荷を吐き出した後は、やたら気持ちが爽快だった。自分の意思を伝えるって大事なことなのだと改めて痛感する。
母は呆気に取られたような表情を浮かべていたが、表情を歪めた後、私にはっきりと言い放った。
「そんなくだらない夢物語、捨てておしまいなさい!」
私の中で、最後の母との絆が音を立てて壊れていく。
「くだらないって、何? 私からすれば、腐り果てていくだけなのに、いつまでも家の中で喚くだけの貴族であることだけしかないお母様の方がくだらないわ」
「おい、やめろ。これ以上は言うな」
私が母に言い返していると、エフゲニーが強い口調で遮ってきた。
「でも……」
「自分の夢を侮辱されて腹たつ気持ちは、痛いほどわかる。だが、お前はやるべきことを放棄してここへ逃げてきたことも事実だろ」
痛いところをつかれて、私は口を閉ざす。彼がいなかったら、今私は劇場の中に入ることすらできていなかった。
「娘を返してください。この子はここにいてはいけない子なのです」
母は、どうしても私をあの地獄へ連れて帰りたいらしい。
「そもそも、娘さんが勝手に転がり込んできたんです。今まで王室に見つからずに、無事でいたのだから、礼の一つでも述べるのが礼儀ってものでしょう。なんなら、今からでも通報しましょうか?」
エフゲニーの脅しに、母はわかりやすく動揺した。手が震えている。唇がわずかに震え、視線が泳ぐ。使用人たちも息を呑んだように静まり返った。空気が硬く、冷たく凝固していく。
反逆者元オルテル公爵の妻と子供は、国王エミリオンによって首都プルペを追放されると言うことで、罪には問われずに済んでいる。母も私もこの街にいてはいけない。今になって、どれだけの勇気を持ってこの場所に来たのか分かって、胸の奥がざらりと揺れた。
通報されてしまったら、立場が弱くなることを、使用人たちもわかっているらしい。異様な緊迫感がその場を包み込んでいた。
「通報なんかしませんよ。一つ条件を飲んでいただけるのであればね」
エフゲニーの言葉に「私を脅すつもりですか」と母が怯えを隠さずに尋ねる。
「脅すなんてとんでもありません。この子を、アルムを俺に預からせていただけませんか?」
予想もしていなかったエフゲニーの申し出に最も驚いてしまったのは、私だった。
母の反応も気になったので、私はそっと彼女の様子を伺う。
「先ほどから申し上げている通りです。この子は、この街にいてはなりません」
「そして、貴族としての生活をしていく中で、彼女はまともな嫁の貰い手があるんですか?」
「……それは」
母は口ごもる。やはり、貴族であることなんて、もう意味がないという私の予感は当たっていたのだ。
「生まれは下賤ですが、貴族社会のことは演じてきたので、理解しています。ロニーノ王国が滅亡でもしない限り、あなた方の烙印は消えることはない」
エフゲニーは淡々と言葉を進めた。
「……」
「ですから、全てを捨ててもらいます。貴族であることも、名前も。あなたも。そして、俺が責任を持ってこの子を一人前の劇作家として名前を売る。こいつの才能は、他にない原石です」
***
母がその後どういった反応を見せたのかわからなかった。その後、「こいつを別室へ連れて行ってくれないか?」とエフゲニーが支配人に頼んだからだ。
別室に移されたあと、私は緊張が極限まで達していたらしい。椅子に座り込んで、呼吸が乱れていた。
「大丈夫か? 水を飲め」
支配人が心配そうに水を持ってきてくれたものの、上手くコップを持つことができないほど手が震えていた。
母と決別してしまったという事実。あれほど憎んでいた貴族社会からの離別は、望んでいたことだったはずなのに、すでにこれで本当に良かったのだろうかという疑問が脳内に浮かび上がる。
私は、親元から離れるという事実を甘く考えていたのではないだろうか。
そう気がつくのに時間は掛からなかった。
もし、エフゲニーが私を放置して捨ててしまったら、私は行くところがなくなってしまう。
そのように考えているのがわかったのだろうか。支配人が私の様子を見て「エフゲニーが君の面倒を見ると言ったのなら、大丈夫さ」と静かに呟いた。
彼の声を辿るように視線を向けると支配人は力強く頷いた。
本当に大丈夫なのだろうか。藁にもすがるような思いで、支配人の言葉を心の安心に繋げる。
話し合いはすぐに決着がついたのか、三十分もしないうちにエフゲニーが部屋に入ってきて「新しい名前どうする?」とぶっきらぼうに尋ねてきた。
いつもと変わらない不器用さに、私は心の底から安心するのだった。
私はあの地獄から解放されることとなり、正式にエフゲニーの付き人として新しい生活を送ることになったようだ。
名前は「ルム」と名乗ることとなった。元々、アルムとはロニーノ王国の言葉、ロニガル語で「一本の木」を意味する。大木のように頑丈で天にまで届くようにと意味を込めた名前であった。一本の大木から、ただの平凡な木へ。
今の私にはちょうどいい名前だとも思った。
私を弟子として預かると決めてから、エフゲニーは引っ越しをした。元々あった部屋は役者として売れない時代から安いという理由で使い続けていただけだったらしい。弟子とはいえ私と暮らすにしては、狭すぎると判断したようだ。
「お金はどうしたらいいの?」
そう尋ねた私に「んなもん、お前が真摯に働けば問題ねえだろ」と言い放っただけだった。
引っ越し先は、劇場と目と鼻の先にある建物だった。狭い部屋であったが、個室も与えられた。
しかし、ベッドと机と椅子があるだけで、紙とインクが揃っているだけで、天国のような場所に思えた。
引っ越しを終えた後、エフゲニーに髪の毛を短く切ってもらった。
シャキシャキと長い栗毛の髪の毛が、床に落ちていく。
『女の子なのだから、絶対に髪の毛は肩より短くしてはなりません』
一度だけ髪の毛を短くしたいと母にねだった時に、厳しく言われた言葉だった。
「本当に切るぞ」
肩より短くなる段階でエフゲニーが、一度だけ尋ねてきた。彼も肩より短くしてしまえば、貴族の女性としての尊厳が失われることを知っているからだ。最後の確認作業ともいえた。
「もちろん!」
私はあえて力強く答えた。
本当に欲しかった生活を手に入れたのだ。絶対にあの場所には戻らない。
服装は、男の子が履くようなズボンを身に纏った。ふわふわのドレスなんかよりずっと動きやすく、自由に慣れて気分が爽快だった。
「念の為、帽子もかぶっておけ」
「うん」
「言っておくけど、俺は甘やかさないからな。お前はもう貴族でもなんでもない、ただの弟子なんだ」
「うん!」
「ニヤニヤすんな。ったく、クソが」
宣言通り、エフゲニーは私に手加減をするのをやめた。甘さなんてない。師匠と弟子としての生活に、ぐったりしてベッドに倒れ込んでしまう日もあったが、生きていると実感するのに、そう時間は掛からなかった。
***
エフゲニー・ホロストの弟子になってから、八年が経った。
想像していた以上に充実した日々を過ごしているうちに、私の身長は伸び、身体は女性として丸みを帯び始め、私を素朴な少年だと思っていた人々からも女性だと認識されるようになってしまった。
流石に男性服では誤魔化せなくなり、正直に女性服に袖を通して劇場に足を運ぶようになった。短く刈り込んでいた髪の毛も、伸ばすようになり、ふわふわの栗毛をお団子にまとめて動き回っている。
成長と共に男性からのアプローチも受けるようになり始めたが、唯一変わらなかったのはエフゲニーだけだった。
「んな、くだらない誘いを受けている暇があったら、新作でも書け」
彼には八年間、半年に一回長編の新作を提出している。いつもダメだしばかりで全然受け入れてもらえていないが、諦めてはいない。
舞台の前座はあの後何回かやらせてもらえたけれど、エフゲニーが演じたいと思うような作品は、まだ生み出せてはいない。
彼曰く「お前らしい作品を書け」と口を酸っぱく言われている。私が書いたのだから、私らしい作品なのだが、彼はそれだけを繰り返す。
私らしい作品ってなんだろうと考えれば考えるほど、筆が鈍くなってきていた。最近では、前座の脚本すら却下されることもあり、完全に行き詰まっている。
反対に、八年の歳月が経ったというのに、エフゲニーの美しさは健在だ。未だに『コルク夫人の一生』は、プルペの街の中で評判の舞台であるし、彼を超える名優は生まれていない。
「買い物行ってきます」
脚本を読み込んでいるエフゲニーに声をかけたが、返事はなかった。彼は集中すると人の話が耳に入らないようである。それは執筆途中の私も同じであるが、そのゾーンにはしばらく入っていない。
あれだけ集中しているのだ。しばらくは現実世界に戻ってはこないだろう。
私は、買い物ついでに少し息抜きをしようと最近サドルノフ家が出店したアイスクリームのお店に寄った。
短い間ではあるが、寒さに厳しいロニーノ王国にも夏が訪れる。暑さに慣れていないロニーノ王国の人々がこの時期だけは冷たいものを好んで食べることに目をつけた、ヴィオラ・サドルノフ・ジートキフ公爵夫人が、アイスクリームの販売に着手したのである。商売は大成功。夏の定番商品としてプルペの街に定着し始めている。
貴族しか食べられないアイスクリームが手軽に食べられることとなって、私も喜んだ平民のうちの一人だ。
初めて食べた時はエフゲニーも一緒だった。
「食ったことねえよ。んな軟弱な食べもの」と言っていたものの、一口食べ始めたら終始無言で食べていた。美味しかったらしい。
その様子を思い出しながら、私は余白時間でアイスクリームを食べにくる。
彼の姿を思い出すと幸せな気持ちになれるのだ。
この感情が、師匠を尊敬する感情なのか、家族的な愛情なのか、恋慕なのか、唯一の生命線だから縋っているのかわからないでいる。
同時にエフゲニーが何を考えているのかもわからない。
女っ気は、私と暮らし始めてから消えた。私を一人前に育てることだけに集中してくれているのはわかるが、劇場の人から相当遊び人であった過去があると言われて、私のせいでその機会を紛失してしまっているのが少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「ガルスニエル殿下が、婚約されたそうだぜ。相手は、ノーランド王国のユーリア姫だってよ」
油断していたせいだ。王室の噂は耳に入れないように注意していたのに、通行人の会話から届いてしまった。
かつての私の場所は、もう他の人が手に入れてしまった。戻れるはずも、戻りたくもないが、聞きたい話ではない。
頭の中で靄がかかっていた少年と一匹の犬の姿が鮮明に浮かび上がってくる。もうあの子たちはいないのに。心の奥が締め付けられる。
私は、残りのアイスクリームを口の中に頬張って、逃げるようにその場を去った。
幸せになっているのであれば、それでいい。
***
帰宅して、エフゲニーと自分の食事を作って、机に齧り付いた。
頭の中から少年と一匹の犬をかき消すには、書くしか方法がないからだ。
どうして人間という生き物は、失って二度と手に入らないとわかった瞬間、これほど乱されてしまうのだろう。
当時は当たり前のものだった日常が、自分のせいではなく人のせいでそれも自分の父親のせいで、全てが消えた。
エフゲニーと出会うまでは、選択肢などなかった。
あれから母と一度も会っていない。思い出したくなかった、思い出さないようにしていた記憶が溢れかえる。
気持ちとは裏腹に、物語は勝手に出来上がっていった。
貴族であったこと、王宮内の陰謀。兵士たちの目を潜り抜けて逃げ出し城内を冒険した過去。王妃様の部屋へ侵入し、こっぴどく叱られた経験。
私は、ただのルムだ。平民の劇作家見習いの。
それなのに、私から出てくるものは、憎んでいた貴族の、化け物の血しかない。
それを封印して物語を書いていかないといけないはずなのに、私の過去が私の筆を進ませる。
私の父がどうして王室を裏切ったのか、知っている。もう生きてはいない。処刑されたと聞いた。
当然の報いだ。私を母を、そして国全体を危機に追いやっておいて、生きていられる方が不思議だ。
憎しみと同時に、共感すべきところもいくつかあると思ってしまうのは、絶対あってはいけないと思っていた。
しかし、物語を書き進める今、あの化け物が一番の武器になる。化け物の日常がどのようなものだったか、家族に向ける視線がどのようなものだったか、詳細に描けるのは国中の作家を探しても私しかいないだろう。
思い出したくない、拒絶したい。
けれど、物語は進んでいく。
苦しい。助けて。
でも楽しい。
紙の上で、どのような謀反を起こしても、人を傷つけても、罪に問われることはない。
私が神様だから。
私の箱庭で、私が好きなように、誰しもを支配できる。仮にそれが王様であったとしても。
ねえ、お父様。
お父様も創作の道に進めばよかったのにね。
馬鹿な外国人に騙されて、命まで奪われてさ。
本当に人生楽しかった?
あなたの人生を餌に、私は進ませてもらうね。
蓋をしていたものを外したら、少しだけ楽になった。
私は、貴族であったということを武器に物語を書いていいのかもしれないと思った。
今まで書いた作品の中で、最も激しく、私しか知り得ないことばかりだ。
どうして、私はこの宝の山たちを使わないでいようとしたのだろう。
つまらない感情を切り捨てなかったせいで、私はずっと損をしていたのかもしれない。
「おい! 起きろ」
エフゲニーの声がして目がさめる。
「お前、一晩中書いていたのか?」
机の上に散らばった原稿を手に取って、エフゲニーが不機嫌そうに私に尋ねた。
「一晩、書いていたかもしれません」
「ったく。なんで師匠が弟子の朝食の世話をしなきゃなんねえんだ。朝飯できたぞ」
ため息まじりに言われて私は飛び起きる。
「ごめんなさい! 今すぐ」
「だから、できたって言ってんだろ。顔洗ってこい。ひっでえ顔してんぞ」
呆れたような声をかけられて、私は慌てて洗面所へ向かった。居間からはエフゲニーが作ったらしい朝食のいい香りがした。
冷たい水で顔を洗うと、現実に戻ってきたような気がする。
それと同時に、久しぶりに創作に夢中になった。あの高揚感は、しばらく味わっていなかったものだった。
小さくため息をついた後、食卓へ戻る。そこにエフゲニーの姿がなかったので、私は彼を探すために自分の部屋へと戻った。
彼は立ちっぱなしで私の原稿に目を通していた。まだ荒削りでまとめてすらいない稚拙な原稿を、ただ静かに見つめ読んでいた。
しばらく私はその様子を見つめていた。美しい後ろ姿だなと思った。
何時間経ったのだろうか。ようやく読み終えた彼が「おい、これ続きは?」と尋ねてきた。
ようやくもらえた合格の合図に、私は「朝食を食べたら、書きます」と静かに答えるのだった。
(⑤へ続く)
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