第35話 明かされた真実

 学校へと続く朝の並木道、いつものようにひかりと楓は肩を並べて通学していた。

 楓はずっと元気のない友人の横顔を伺う。


 何だかいつも以上に元気がないみたい。また何かあったのかな。


 どんよりと重たい空気を払拭しようと、ひかりの前で楓は普通以上に明るく振舞う。

 

「ねえ聞いた? ウエイトレスのコスチュームやっとできたんだって。なんかデザインがメイドっぽいのよね。やっぱり男子に任せたの失敗だったんじゃないかな」

「そうだね……」


 楓の言葉にひかりは生返事で返す。

 楓は事情を聞いていなかったが、ひかりは昨日誠司が同じクラスの女の子とデートしていたのだと思い込んで、ずっとふさぎ込んでいた。

 楓は心ここになしのような様子のひかりの横顔に、ため息をひとつつく。


 また泣いたみたいね。瞼が赤くなってる。


 すっかり明るさを失ってしまった友人に、楓はただただ歯がゆさを覚える。

 先日ようやく誠司についての事情を島田から聞き出すことができたのに、口止めされていたので、ひかりには何一つ本当のことを話せていなかった。


 こんなんじゃ本当のことを話した方が楽なんじゃないかな。


 またひとつため息をついた時に、ふいに後ろから声をかけられた。


「時任さん、橘さん」


 振り返ってそこにいた男子生徒に、楓は思わず声を上げてしまった。


「高木君!」


 気懸かりだった本人のいきなりの登場にうろたえさせられた楓は、平静を装おうとしたものの、島田に事情を聞かされているせいか、なんとなくぎこちなくなってしまう。

 誠司は少しはにかんだ笑顔で、小さく手を振って二人に近づいて来た。


「おはよう」

「おはよう、高木君」


 すぐに楓はそう返したが、ひかりは何も言わずうつむいてしまった。


「あの……時任さん、ちょっといい?」


 硬い表情のひかりに、誠司は少し緊張した様子で向き合う。 

 楓は二人の話の邪魔にならない様に気を利かせて、少し離れた所で待つことにした。

 ひかりはあまり誠司と目を合わそうとせずに話を聞いているようだった。

 要件を伝え終えた誠司が行ってしまったのを見計らい、すかさず楓はひかりに駆け寄る。

 久しぶりに誠司と話せて少しは元気になったのかと思いきや、ひかりは相変わらず沈んだ感じだった。


「それで、高木君なんて言ってたの?」

「うん。絵を描いたって……部活終わったら美術室に見に来て欲しいって……」


 島田から聞かされていた絵が仕上がったのを知って、楓はようやく少し気が楽になった。

 もしかするとこれがきっかけで、二人の関係が好転するのではと期待していたのだった。


「今日は午後からは学祭の準備に振り当てられてるから、ミーティング終わったら行ったらいいじゃん。遅くても二時には行けるんじゃない? 良かったね」

「うん。そうだね……」


 ひかりは相変わらず元気がない。

 何を考えているのか掴みどころの無いひかりに、本当に心配になってきた楓だった。



 楓が予想した通り、陸上部幅跳びグループのミーティングは二時までには終わっていた。

 解散の合図をする前に、コーチは学祭の準備が忙しくない者がいたら三人でいいからグラウンド周りのライン引きを手伝ってくれと募った。

 わざわざ貧乏くじひく奴いないよねとコソコソ話す部員もいる中、ひかりがスッと手を挙げた。


「私、やります」


 ひかりの不可解な行動に、楓は即座に反応する。


「約束してるのにどうして?」


 楓は前に座るひかりの背中を何度も掌で叩いたが、ひかりは振り向きもしなかった。


 他の二人も決まって、グラウンドに残ろうとするひかりを楓は捉まえた。


「待って、ひかり。約束はどうするのよ」


 ひかりは真っ直ぐな楓の視線から目を逸らし、こう応えた。


「部活なんだから仕方ないじゃない。あとで顔出す」

「こんなの誰でも良かった仕事じゃない。どうしてよ」

「誰かがしなきゃいけない仕事でしょ。ほっといて」


 明らかにイライラしているような態度をとってしまったことに気付いたのか、ひかりはハッとなってから、すぐに手を合わせた。


「ごめん。私言い過ぎた。ごめんね」


 それだけを言い残して、ひかりは奥の用具置き場に走って行ってしまった。



 グラウンドのライン引きは一時間程度で終わった。

 コーチに作業が終わったことを連絡しようと体育館に顔を出したひかりは、そこで陸上部の後輩が学園祭の出し物の準備をしているのに出くわした。

 

「あ、ひかり先輩」


 数人の後輩が気付いてひかりに手を振って来た。


「頑張ってるのね。コーチ見なかった?」

「あそこにいますよ。けっこう手伝ってくれてます」

「ありがとう」


 ひかりはコーチに作業が終わったのを告げた後、壁に掛けられた時計を見上げた。

 時計は三時半を指していた。


「もうこんな時間……」


 ひかりは絵を見に行く約束をしていながら、美術室に行くことを躊躇っていた。

 そこに立ち止まったまま、ひかりはあの日、休日の待ち合わせをしていた二人のことをまた考えてしまっていた。


 あの靴箱の前で親しそうに話をしていた二人。

 昨日あの二人はどんな一日を過ごしたのだろう。


 胸の中のささくれたような引っ掛かりが、ひかりの足を重くしていた。

 体育館の時計を見上げたまま立ちすくんでいたひかりに、準備を進めていた後輩の一人が声を掛けてきた。


「ひかり先輩も一緒にどうですか? 手伝ってもらえると大助かりなんですけど」

「私は……その……」

「用事あるんならいいですよ。そっちを優先してください」


 本当は躊躇わずに体育館を出るべきだった。

 しかしこの時、ひかりはいつもの自分なら絶対に選ばない選択をしてしまった。


「うん。私も手伝うよ」


 

 楓がクラスの飾り付けを済ませた時はもう五時を少し回っていた。

 日直だった楓は、クラスの戸締りを終えて一息つく。


「あー、疲れた」


 グーッと伸びをした楓は、夕日の射しこむ廊下に目を向ける。

 校舎にはもうあまりひと気が無い。

 教室の鍵を手に、楓はすっかり静かになった他のクラスを覗きつつ、職員室へと向かった。


「うちが最後だったみたいね」


 どうやら他のクラスも今日は解散したようだ。

 遠方から通う生徒の多いこの学校の方針で、クラブ活動以外は五時までと決められている。


「ひかり、どうだったのかな……」


 オレンジ色に染まった廊下を歩みながら、楓は自然と気になっていた一言を呟いていた。

 あれから結局ひかりはクラスには戻ってこず、楓は話を聞けていなかった。


「ちゃんと高木君と話、出来たのかな……」

 

 それから教室の鍵を担任に返し終え、楓が水道で手を洗っていると、丁度制服に着替えたひかりが更衣室から出てくるのが見えた。


「ひかり!」


 濡れた手を制服でゴシゴシ拭きながら、楓はひかりを呼び止めて駆け寄った。


「どうだった? 高木君のとこ行ったんでしょ?」


 気になっていたことをストレートに訊いた楓の前で、ひかりは硬い表情で楓から視線を逸らした。

 そのひかりの様子に、楓はまさかと問いかける。


「もう五時だいぶ過ぎたよ。もしかしてまだ行ってないの?」

「うん。遅くなったし、もういいかなと思って」


 約束していたことを特に気に掛けてもいなかったかのように、ひかりは楓の横を通り抜けようとした。

 咄嗟に楓はひかりの腕を掴んで引き留めた。


「待って、ひかり。ダメ。ダメだよ」


 楓はかたくなに目を合わそうとしないひかりの顔を覗き込む。

 引き留めようとする楓の視線をひかりは避け続ける。


「私、用事あるんだ。ごめん。また明日ね」

「ひかりのバカ!」


 溜め込んでいた感情が溢れだしたかのように、楓の目に涙が浮かぶ。


「高木君の気持ち、なんで分からないのよ!」

「放して。痛いよ楓。放してよ」

「いやだ。絶対に放さない!」


 振り切ろうとするひかりに抗って、楓は掴んだ手に力を込める。


「絵を描いて待ってるんでしょ。見てあげないとダメだよ」

「そんなの明日でもいいじゃない」

「そんなのって何よ! 描けない手で必死に描いたのよ!」


 そのひと言のあと、一瞬でひかりの表情が変わった。

 秘密にしていたことを夢中で口走ってしまった楓は、しまったと両手で口を塞いだ。

 ひかりの手から鞄が滑り落ちた。


「楓、今なんて言ったの、何か知ってるんでしょ、話して」


 ひかりは両手で楓の肩を掴み問い詰める。

 真っ直ぐなひかりの問いかけに、楓は唇をきつく結んで下を向いた。


「おねがい。話して楓。お願いだから」


 ひかりの必死の追及に、根負けした楓はとうとう口を開いた。


「本当は黙ってるつもりだったんだ……」


 楓の目から涙が溢れポロポロとこぼれだす。

 頬を伝った涙が廊下を濡らしたあと、楓はやっと本当のことを打ち明けた。


「高木君の手、まだ治ってない。ううん、もう治らないの」


 ひかりは絶句し、大きく目を見開いた。


「そんな……高木君、手はだいぶ良くなったって……鞄も持ってたし、絵だって描けるように……」

「先生が言ってた。神経が完全に切れてて、あの手はもう殆ど使い物にならないって。描ける筈のない手で、高木君は……」


 ひかりはそのまま呆然とその場で膝をついた。


「そんな……」


 やがてひかりの目からとめどない涙が溢れだす。


「黙っててごめん。責任感じてひかり、自分を責めそうだったから言えなかった」


 楓の言葉が終わらないうちに、ひかりは立ち上がって走り出していた。


「ひかり!」


 背中を追いかけてくる楓の声に振り返らず、夕日に照らし出された廊下をひかりは駆け抜けていく。


 私、取り返しのつかないことを……。


 教室棟を抜け、美術室に繋がるひと気のなくなった渡り廊下をひかりは走り抜ける。


 ごめんなさい……。


 あふれ出る涙がひかりの視界を滲ませる。


 あなたの気持ちに全然気付いてあげられなかった……。

 本当は使えないはずの手で鞄を持てるふりをしていたことも。

 鉛筆すら持てない手で、キャンバスに向かっていたことも。


 ひと気のなくなった校舎に、階段を駆け上がる靴音がこだまする。


 大切にすると決めたあなたのことを私は……。


 どうしようもないほどの後悔がひかりの胸を締め付ける。


 高木君……。


 間に合って……おねがい間に合って。

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