第20話 校舎裏の謝罪

 教室棟の廊下を、やや肩を怒らせた坊主頭の少年が急ぎ足で歩いている。

 不機嫌を絵に描いたような様子のその少年の名は新勇磨あらたゆうま

 普段からあまり目つきの良くない、女子生徒の間からちょっと怖い人で通っているこの少年に、廊下で雑談をしていた生徒たちが自然と道をあけていく。

 それほど今日の勇磨は近寄りがたいほどの不機嫌を周囲に振り撒いていた。

 そして、勇磨は3-6の札の上がった教室に何の遠慮も無しに入って行った。


「おい。ちょっと顔かせ」


 六組の教室に乗り込んできた勇磨が声をかけたのは、丁度三人程の連れたちと話し込んでいた梶原だった。


「あ、新……」


 いきなり登場した明らかに不機嫌そうな坊主頭に、取り巻きの連中がたじろぐ。

 殆どの男子生徒は勇磨のことを、女子生徒と同様に、ちょっと怖い奴だという風に平素から見ていた。


「な、なんだお前」


 取り巻きの三人と同じく、梶原も動揺していそうだ。

 それでも周囲の目を気にしてか、梶原は席から立ち上がると虚勢を張った様子で勇磨と向かい合う。

 席を立った梶原は勇磨よりも頭半分ほど背が高かった。

 勇磨は梶原の顔を鋭い目で睨みつける。


「話がある。ちょっと付き合え」


 その声は苛立ちを無理やり抑えているような声だった。

 梶原は勇磨の迫力に押されながらも突っぱねる。


「お、俺はお前に用なんかない。出てけよ」

「やだね」


 勇磨はムスッとした顔のまま、簡単に梶原の言葉を跳ね返した。

 一触即発で喧嘩に発展しかねない雰囲気に、周囲の生徒達も無関心ではいられなくなった。

 教室にいた者全員が険悪な二人に注目する。


「昨日のことだ。クラスの奴等に聞かれていい話じゃないだろ」

「お前……」



 ようやく梶原を階段の踊り場まで連れ出した勇磨は、いきなり相手の胸ぐらをつかんだ。

 梶原は咄嗟に目をつぶって腕で顔を庇う。


「殴らねーよ」


 そして勇磨はすぐに手を放した。


「おまえ、自分のやったこと分かってんのか」


 勇磨の追及に梶原は服装を直す。何とか平静を保とうとしているのが窺えた。


「何のことだ? 俺が何をしたって?」

「お前が俺の友達にしたことだよ」

「なんだよ試合中の事故のことか」


 勇磨の迫力に梶原はたじろいではいるものの、悪びれた様子はない。

 恐らく梶原は誰かに指摘された時のために、予め試合中の事故であるという言い逃れを用意していたに違いない。


「俺も熱くなってああなったけど、あんなの試合してたらしょっちゅう有ることだぜ。お前も空手やってるんだからそのぐらい分かるだろ」


 故意であるという証拠がない限り、何をやっても競技中の事故になる。その計算高さに勇磨は不快感を滲ませた。


「ああ、事故ならな」

「だから事故だったんだって。そういうことだから、もう俺行くわ」


 そそくさとその場を立ち去ろうとする梶原の腕を勇磨が掴む。


「待て」


 勇磨の声に凄みが増す。


「正直に言えよ。わざとなんだろ」


 目つき鋭く勇磨は食い下がった。

 梶原は勇磨の視線を避けつつ、やや強気に苛立ちを見せた。


「しつこい奴だな。事故だって言ってるだろ。わざとだって言うんなら証拠を出してみろよ」


 梶原は必死になって勇磨の手を振り解こうとするが、その腕は強い力で掴まれたままだった。


「そうか、自分から言う気はないんだな。じゃあ俺が証拠を出してやる」


 梶原のかたくなな態度に、勇磨はここで方針を変えた。


「昨日お前の取り巻きに聞いたよ。お前の指示でやったって。お前がどんだけ汚い奴か洗いざらいしゃべってくれたぜ」

「くっそ、あいつら」


 さっきまでの余裕が消え、梶原は苦々しく毒づいた。


「証拠なら出したぜ。今から俺と一緒に来て、あいつに謝れ」

「やだね」

「なんだと」


 勇磨の鋭い目つきを梶原は真っ向から睨み返した。


「あいつに謝る気は無いね」


 ひかりの関心が誠司だけに向いていることが余程気に食わないのだろう。勇磨の迫力に怯みつつも梶原は意固地を貫いた。

 どこまでも往生際の悪い輩に、勇磨は半ば呆れ顔で仕方ないとため息をついた。


「もういい。だが、このこと俺は黙ってるつもりはない。時任に全部バラすけどそれでいいんだな」


 その言葉で梶原の顔色が一瞬で変わった。

 勇磨は思っていた以上に切札に取っておいたひかりの名が、この卑怯者に効いたことで内心ニヤリとした。

 梶原は奥歯を噛み締めたまま、しばらく棒立ちになっていた。

 そして、ようやく絞り出すように言葉を吐き出した。


「ひかりには言わないでくれ……」


 それから諦めた様に肩を落とした梶原は、大人しく勇磨について行った。


 あまり日当たりの良くない校舎裏で誠司と向かい合った梶原は、勇磨が拍子抜けするほど簡単に謝った。


「悪かったよ」


 どう見ても心がこもっていない。嫌々言わされているだけという感じだった。


「これでいいんだろ」


 梶原は苦々しく吐き捨てた。何の反省もしていない様子がありありと窺えた。

 勇磨はとうてい納得できなかったが、一応の謝罪を受けた誠司に「どうだ」と問いかけた。


「ああ、済んだことだ。もういいよ」


 誠司がいとも簡単に許したので、勇磨はまた拍子抜けしてしまう。


 「まあこんな感じになるとは思っていたけど……」


 本人がそれでいいと言っているのに、これ以上何もすることは無い。

 あまりにも呆気なかったが、勇磨は渋々解散することにした。

 

「ってことだ。もう帰っていいぞ」


 誠司が早速校舎に戻ろうとしていたので勇磨も後に続く。

 そんな二人の背中に、何故か梶原は追い縋って来た。


「ちょっと待ってくれ」


 呼び止められて、勇磨は意外な顔で振り返った。

 さっきまで一刻も早く解放して欲しそうにしていた梶原が、どういう訳か立ち去らずに必死な面持ちで引き留めてきた。


「なあ、二人とも、今回のことひかりには黙ってると約束してくれないか」

「なんだって? お前、よくその口で言えんな」


 愛想笑いを口元に浮かべながら、身勝手な頼みを押し付けてきた梶原に、勇磨は開いた口が塞がらない。

 梶原のひかりに対する異様な執着に呆れるしかなかった。

 そんな感じで急に卑屈になった梶原に、誠司はあっさりとこう返す。


「分かった。言わないよ。勇磨も、な」

「誠ちゃんがそういうなら、俺も言わないけどさ」


 都合のいい返答をもらった梶原は、分かり易い安堵の表情を浮かべた。


「約束だぞ。ちゃんと守ってくれよな」


 調子のいい梶原に、なんでてめえの頼みを聞いてやらないといけないんだと罵ってやりたかったが、あまり騒ぎ立てるのも良くないと思い、勇磨はぐっとこらえた。

 多少物足りなさを感じつつ、勇磨は誠司に続いて梶原に背を向けた。


「じゃあな」

「ちょっと待ってくれ」


 校舎に戻ろうとする誠司と勇磨を、何故か再び梶原は引き留めた。

 誠司と勇磨は再び足を止めて振り返る。


「何なんだお前は。いい加減にしろ」

「いや、その、実はもう一つ頼みがあるんだ」

「お前、ホント厚かましい奴だな。立場をわきまえろよ」


 勇磨は梶原のしつこさに語気を強めた。

 そんな勇磨の苛立ちなどものともせずに、梶原はさらなる身勝手なことを誠司に向かって言いだした。


「あのさ、バスケもあんなにできてたしさ、手のほうもだいぶ使えるようになったんだろ? ひかりは昔から困ってる人とかに優しくて、お前がいつまでもそんな感じだから、手を貸すのをやめたくてもやめられないんだと思うんだ」

「おまえ、何が言いたいんだ……」


 勇磨はあからさまに苛立った態度を見せた。そうすることで梶原にこれ以上余計なことを言わせないように威圧したつもりだった。


「まあ聞けよ。俺はひかりが可哀そうなんだよ。ただでさえ部活で忙しいのに、お前の世話をやめれないのを見てられないんだ。つまりさ、あいつの親切心や同情心にいつまでも甘えないで欲しいってことなんだよ」


 勇磨の威圧をものともせず、梶原はペラペラとしゃべり続けた。

 誠司は無言で梶原の話を聞いている。


「お前がいつまでもそんな感じで治ってない姿を見せてたら、ひかりはいつまでもお前の面倒を見てしまうことになるんだよ」


 流石に我慢できず、勇磨は梶原のほうに一歩踏みだす。それを誠司はすぐに引き留めた。

 そして一呼吸置いた梶原の口から、最後に決定的な言葉が漏れ出た。


「いい加減ひかりのこと解放してやれよ」


 誠司の目が大きく開く。

 その瞬間に勇磨は梶原に掴みかかった。


「おまえ!」

「よせ!」


 拳を振り上げた勇磨を、誠司は強い口調で引き留めた。


「行こう」


 足早に歩き出した誠司の横顔はいつもの感じではなかった。

 この時、勇磨は梶原を誠司に引き合わせたことを深く後悔したのだった。

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