楓の提案で一時間だけということで、誠司たち四人は駅前にあるカラオケボックスに来ていた。

　交流戦で男子総合優勝した誠司と、女子総合優勝したひかりと楓が祝杯をあげようという趣旨だったので、ついてきた勇磨は何となく肩身が狭そうだった。

「あらら？　新君は男子総合何位だったっけー」

　マイクをオンにして楓は勇磨をいじめ始めた。

「こら。楓、やめなさい」

　ひかりに窘められ、楓はしぶしぶマイクを引いた。

　そして楓はマイクの矛先を、いきなり誠司に向けた。

「じゃあ最優秀選手、高木誠司君ひと言どうぞ！」

　勇磨にもひかりにも、もてはやされて、しぶしぶ誠司はコメントをする。

「あの、別に最優秀でも何でもないんですが、とにかく勝てて良かったです」

「ほう、で、勝因は何だったんでしょうか？」

　間髪入れずの質問に、誠司はやや躊躇いつつ、こう応えた。

「えっと、その……応援ですかね……」

「そう言えば熱烈な応援をしてた女生徒が一人いましたね」

　楓はなんだかちょっと興奮気味に、今度はひかりにマイクを向けた。

「熱心に応援していた時任ひかりさんです。さあひと言どうぞ」

　いきなりコメントを求められたひかりは、少し首を傾げて困った顔を見せた。

「えっ？　私？　うーん、何て言おうかな……」

「どのような気持ちで声援を送られていたか詳しく聞かせて下さいな」

「え？　何よそれ。それはその、頑張って欲しくって思わず叫んじゃったわけで……」

「思わず叫んだということは相当気持ちが入っていたということでいいんでしょうか？」

　楓はもうここで全部吐いちゃいなさいという勢いでひかりに詰め寄ってきた。

　ひかりは少し紅くなりつつ、楓の質問をはぐらかそうとする。

「もう、何なの？　私ばっかり。楓はどうなのよ」

「私が体育館に入ったときは高木君がシュートを打つ瞬間だったから応援できなかったの。ひかりは高木君が怪我したって聞いてミーティング中だったのに飛び出してったのよね」

　体育館に飛び込んだ経緯を暴露されて、ひかりは真っ赤になった。

　注目を浴びたひかりは、しどろもどろになりながら苦しい言い訳をする。

「だ、だって怪我したって聞いたから心配で……」

　そんなひかりの前で、誠司はまだかなり痛みの残る右手を少し振って見せた。

「時任さんごめんね。でも、このとおり大したことないから心配しないでね」

「うん。少し安心した」

　誠司の言葉を素直に受け止めたひかりは安心したような笑顔を見せた。一方で、誠司が無理していることを知っている勇磨はただ黙ったままだった。

　なんだか一段落してしまった話に、楓は物足りなさを顔に出す。しかし、また気を取り直した様子でマイクを取った。

「えー、では女子最優秀選手、時任ひかりさんのプレーをこっそり見ていた高木誠司君。一言どうぞ」

「橘さん、知ってたんだ……」

　けっこうな人だかりだったので、観戦していたのを気付かれていないと思っていた誠司は、いきなり暴露されて何を言おうかと悩む。

　ひかりも誠司をじっと見つめている。

「その、誤解しないでね。覗き見してたとかそんなんじゃないんだ。その、すごくかっこよかったというか、つい見入ってしまったというか……」

「へー、見入ってしまったんだー。ねえ高木君、その辺りもう少し詳しく聞かせてよ」

「かえで！」

　どんどんエスカレートしていく楓にひかりはくぎを刺す。

「それといい加減歌わない？　そのために来たんでしょ」

「へへへ。そうだった」

　楓は一度マイクを置いて、ささっと慣れた手つきで選曲して、また再びマイクを手に席を立った。

「さあ行くわよ。今夜は寝かさないからね！」

「一時間って言ったよね」

　最初から長時間羽目を外そうとする楓に、これは一時間では終わりそうにないなと三人は覚悟した。

　そして結局もう一時間延長した。

　楓と勇磨が盛り上がって二人で同じ曲を歌っている間に、誠司はお手洗いに行こうと席を立った。

　それから、お手洗い済ませて、部屋に戻ろうとしたタイミングで、扉を開けて出て来たひかりと誠司は鉢合わせになる。

「あっ」

　ちょっと二人で笑い合う。

「何だかあの二人、意気投合してたね」

「高木君もそう思った？　私ちょっと二人にしてあげようかなって気を利かせたんだ」

「なんだ、そうだったんだ」

　二人で部屋の外から窓越しに覗いてみると、次の曲をまた二人で歌い始めていた。

「なんだか盛り上がってるみたい」

「そうだね」

　二人はくすくす笑いながら通路に設置されてある長椅子に腰かけた。

「時任さんは上手だね？　よく来るの？」

「えっ？　私、歌は全然自信ないよ。楓に誘われてたまに来るけどそれだけ」

「そうなの？　俺すごい聴き入っちゃった。声が綺麗だからかな」

「そんなこと無いよ。それに高木君だって上手いよ」

「俺は全くダメ。こういう所に滅多に来ないし、流行ってる歌も知らないし恥ずかしんだ」

　そう言って誠司はいつもの気弱な照れ笑いを浮かべる。

「私も一緒だよ」

　ひかりは誠司にとって目の毒になりそうな、はにかんだ笑顔を見せた。

　そんなひかりの表情に、腫れている手の痛みを忘れてしまうほど、誠司はうっとりと見入ってしまう。

　そんな誠司の心情に気付いた様子もなく、ひかりは少し真面目な顔を誠司に向けた。

「何となく楓が誘っちゃったけど良かったのかな。高木君は美大に推薦なんだよね。それで試験もあったよね」

「うん。年末に。でも試験って言っても決められたテーマの絵を描くだけだから何とかなるかなって思ってるんだ」

　誠司はひかりの心遣いに感謝しながら、少しでもひかりを安心させようと言葉を選んだ。

「そうなんだ。じゃあ早く手を本調子に戻さないといけないね」

「あ、うん、そうだね……」

　一瞬だけ表情を曇らせた誠司に、ひかりは気付いていない。

「私、高木君のサポートがんばるね。早く良くなって思う存分絵を描けるようになったらいいね」

「うん。ありがとう。俺もリハビリ頑張るから……」

　ひかりの前で気丈に振舞う誠司だったが、恐らくこのままでは絵もろくに描けず美大に行く道も危ういであろうということは承知していた。

　誠司はそんな胸中の不安以上に、今目の前の優しい気遣いをしてくれる少女を想い苦しくなるのだった。

　

「何だ誠ちゃん、こんなところにいたのか」

　勇磨がちょっと疲れた顔でやって来て誠司の横にドカッと腰を下ろした。

「ああ、何だか楽しそうだったじゃないか」

「え？　ああ、しかしあいつのスタミナは尋常じゃない。今も一人で熱唱してるよ」

　勇磨のやれやれといった顔に、誠司とひかりはくすくすと笑いあう。

「じゃあ、そろそろ戻ろうかな。ね、時任さん」

「そうね。楓も誰かに聴いて欲しいだろうし」

「俺はパス。ちょっと休憩させてくれ」

　勇磨は椅子に深く座ってため息を一つついた。

「あと五分経ったら戻るよ。ホント疲れるんだよ、あいつといたら」

　そう言いつつも、まんざらでもなさそうだった勇磨に二人はまた可笑しくる。

「じゃあ、先行っとくな」

「ああ頼んだ」

　誠司とひかりは勇磨を残して部屋に戻った。

　そこにはお構いなしに熱唱し続ける楓の姿があった。

　そしてまた一曲歌い終えた。

「ふー。疲れたー。あ、ひかりと高木君、どこ行ってたのよ」

「ちょっとお手洗いに。ね、時任さん」

「うん。そうなの」

「まあいいわ。あー喉がガラガラになってきた。ちょっとトイレ行ってくるから適当に二人で歌ってなさいよ」

　そして部屋を出て行き際、楓はニヤリと笑った。

「ごゆっくりー」

　そういい残して、そそくさと部屋を出て行った。

　残された二人は、顔を見合わせ照れながら苦笑する。

「時任さんどう？　一曲ずつ歌わない？」

「うん。せっかくだしね」

　誠司はそう提案し、慣れない端末を手に取って、歌えそうな曲を探す。

　そしてふと、端末を手に選曲に悩んでいる様子のひかりに、誠司は声を掛けた。

「時任さん」

「え？」

「実は謝りたいんだ。時任さん応援してくれてたのに、俺見ていただけだった。ごめんね」

「そんなの気にしないでいいんだよ。私が思わず叫んじゃっただけだから」

「嬉しかったんだ。本当にありがとう」

　選曲を終えて、ほんの少し緊張した面持ちでマイクを手にしたひかりの横顔を誠司は見つめる。

　今日、君が応援してくれたことをずっと忘れないでおこう。

　きっとこれからもそのことを思い出せば、いろんなことを乗り越えて行ける……。

　

　そして、モニターにひかりの選曲した曲のタイトルが流れ、イントロが始まった。

　でも今は……もう少しだけ……。

　歌いだしたひかりの恥ずかし気な歌声に、誠司はただ幸せを感じてしまうのだった。