第59話「綻び、結び【前編】」

衝撃

 本格的にテスト週間にも入り、それに伴って、学内では冬休みへのワクワクも膨れ上がっているのが分かった。テストが終わったら、もうすぐに冬休みだからだ。


 僕は……別に、特段休みが楽しみだと思うことはない。前まではただ単にどうでも良かっただけだけど、むしろ今は……休みにならないでほしいな、なんて思っている。

 僕は、この学園が……好きだから。明け星学園に帰りたいと、いずみさんに請うたくらいには。


 だけどそんなことを言っていても仕方がないので、大人しくテスト勉強に励む。冬休みに何をするのか……考えるのは、それからだろう。とりあえずはいつも通り、それなりにいい点を取らなければ。

 僕は今、異能力を使うのを控えているけれど……テストには異能力の試験も含まれるし、流石に多少は練習しておくべきだろうか。万が一勘が鈍っていても困るし。


 じゃあせっかくだし、春松はるまつくんに声を掛けて……いや、でも向こうも期末の時期だろうし、忙しい時に声を掛けるのは良くないか、と考えながら歩いていると。


「わっ」


 誰かにぶつかる。向こうの方が体幹が強かったらしく、僕は軽く吹き飛ばされて尻もちを付いた。

 持っていたノートや教科書、ペンケースが床に散乱して、派手な音を立てる。それはそうとしてお尻が痛い。ていうかぶつかった人は誰だ。どれから処理しようかと考え始めると。


「……あぁ、伊勢美いせみ、ごめん」


 頭上から、聞きなれた声が降り注ぐ。顔を上げると、そこには青柳あおやなぎいずみさんがこちらに手を差し出して来ていた。ぶつかったのは、この人だったのか。僕が吹き飛ばされたことに納得しつつ、その手を取る。

 するといつも通り、強い力で引き上げられたが……なんとなく、違和感を覚える。


 なんか、泉さん……覇気がない?


「……って、引き上げちゃ、物拾えないよな。ごめん」


 泉さんはそう言って笑うと、しゃがんで僕のノートやら教科書やらを拾ってくれた。僕も慌てて同じようにしゃがみ、散乱したペンを拾ったりする。

 そしてさり気なく泉さんを見つめるが……やはり、どこか暗いというか、何かを考えていて心ここにあらずというか……。


「泉さん……何か、ありましたか?」


 気づけば、そう問いかけていて。泉さんは物を拾う手を止め、驚いたような表情で僕を見つめる。それから小さく笑った。


「……そんなに俺、分かりやすい?」

「はい、結構」

「……そっかぁ、上手く、隠せないや」


 泉さんは手に力を込めたのか、僕の教科書の端が少しだけくしゃりと曲がる。いやそれ僕の教科書、というツッコミは置いておいて。


 泉さんは膝に自身の顔を埋めた。そのまましばらく黙って。僕は淡々と筆記用具を回収し続ける。

 全てしまったことを確認してから、僕は再び口を開いた。


「……場所、変えます?」

「……聞いてくれるの?」

「ここまで来て聞かないとか、有り得ないでしょう」


 そっかぁ、と泉さんは呟き、顔を上げる。やっぱり、その微笑みに元気はなくて。

 はい、と僕に拾ってくれた教科書とノートを拾ってから、彼は立ち上がった。


「……そうだね、お前には、話しておいた方がいいかも」


 僕も次いで立ち上がって、その言葉を聞く。

 そして歩き出した泉さんの背中を追って、歩き出した。





 辿り着いたのは理事長室。まあそうだろうな、と納得した。というかこの人、いつまで理事長なのだろう、とそこでふと思う。確か、次の理事長が正式に決まるまで……という話だった気がするが。ちゃんと次の理事長、探してるのかな……。


 と、脱線してしまった。その話は今はいいのだ。今は、泉さんが元気がない理由を聞かなければいけない。


 泉さんは理事長席に着くと、深々とため息を吐く。そして目の前の引き出しを開けると、そこから何か……薄っぺらい紙のようなものを取り出すと、机の上にそれを滑らせた。

 それが何か確かめようと、僕は一歩踏み出す。しかし泉さんが手の平で、その紙が見えないように隠してしまった。


 顔を上げると、泉さんが真剣な表情で僕を見つめている。


「……お前には、辛い内容になるかもしれない。それでも大丈夫か?」


 ……自分の方が何倍も辛いと思っているだろうに、そうやって僕を気遣ってくれる。この人は、優しい人だ。


「はい、大丈夫です」


 何も迷わず、頷く。


 どんな内容なのかは分からないけど、僕はそれから目を逸らすわけにはいかない。泉さんが困っているような様子なのだ。だったら、力になりたい。

 ののかみたいに、僕も。


 今の僕は、それが土台になっている。だから、何も迷うことなどないのだ。


 泉さんは目を見開いて、すぐに微笑む。


「……そっか、強いな、お前は」


 そして泉さんは、手の平を退ける。今度こそ僕はそれに近づいて、手に取って見て。

 目を見開く。


「……言葉ことはちゃんの、写真?」


 それは、1枚の写真だった。どこで撮られたものかは分からないが、全体的に薄暗い。彼女の視線はこちらを向いていなくて、何かをじっと見つめている。遠くから撮ったものを無理矢理引き延ばしたのか、画質が悪いが……でも、分かる。これは、言葉ちゃんだ。

 僕は写真から顔を上げ、泉さんを見つめる。それを見て、泉さんは口を開いた。


「……それは、1週間前に防犯カメラに映った映像を切り取ったものだ。監視カメラに、小鳥遊たかなしの姿があった」

「……?」

「それが映った10分後、明け星学園の元理事長……百目鬼ももめきれいが、無残な姿で発見されたんだ」

「!?」


 僕は言葉にならない声を上げる。元理事長が……!?

 いや、別に、あんな人のことなんてどうでもいいけど、でも。


「……言葉ちゃんが、その犯人……?」


 浮かんだことを、そんなことあるわけ、と思いながら、無意識のうちに呟く。泉さんは……苦虫でも潰したような表情で、頷いた。


「もちろん、まだ容疑者扱いだ。でも、防犯カメラにこうして映っているし……何より、現場に残されていた異能力痕が、小鳥遊の異能力と酷似している。だから……もう確定みたいなものだ」

「そんな……でも、言葉ちゃんですよ? 言葉ちゃんに限って、そんなこと……」

「……俺も、そう、思いたいんだけど」


 泉さんが泣きそうに、絞り出すように、呟く。その声に、僕は何も言えなくなってしまった。


 泉さんは既に同じ感想になっていて、だからそれを否定する材料を探そうとして、必死に探して、でも……確証は薄れなかった。そして今なのだろう。

 それが、分かってしまったから。


「何かの間違いだと、思いたいよ。でも、見つかるのは、小鳥遊が犯人だってことを後押しするようなもんばかりでさ……もう、否定しようがないんだ。一応まだ、容疑者の段階だけど……いつ、確定されるか分からない。もう、俺も、どうすればいいのか……」

「……」


 何も、言えない。泉さんの力になりたいと思った。でもそう思って聞いた結果が、これだ。僕は、どうすればいいのか分からない。

 ……いや。


「……言葉ちゃん、今日も学校にいますよね」

「え? ……う、うん。いる、ね……」

「そうですよね、分かりました」

「ちょっ、ちょちょちょっ、待っ、えっ、まさかお前……」

「……大丈夫ですよ、突然『貴方が犯人ですよね』なんて言ったり、しませんから。……少し、探りを入れるだけです」


 僕がそう言うと、僕を引き留めようとしていた泉さんの手が、宙を舞ったまま止まって。


「良かった……喧嘩しに行くのかと……」

「僕のことなんだと思ってるんですか」

「だってこの前、密香ひそかからの喧嘩思いっきり買おうとしてたじゃぁん!!!!」


 耳にうるさい。いや、それは事実なんだけど。僕は思わず顔をしかめた。


 僕は泉さんに背を向け、理事長室を出る。深呼吸をして、しっかりと、前を向いて。


 言葉ちゃんがそんなことをするなんて信じられない。でもどうやらそれは代えがたい事実らしい。どうすればいいかは、分からない。


 だからといってそれは、止まる理由にはならないから。


 無様に見えても、なんでも、とりあえずがむしゃらに動く。僕に出来るのは……それだけだ。

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