創造の箱
空花凪紗~永劫涅槃=虚空の先へ~
第1話 箱『記憶』
いつの頃からだろうか。
記憶が記憶として色彩や音を伴い始めた頃にはもう、心のどこかで君のことを探していたのかもしれない。
友達と公園の遊具で遊んでいる時も、退屈な授業を右から左へと受け流す間にも、ずっとここではない感覚があった。君のいない現実は朧気だ。だからなのだろう。君の不在を憂うる度に、自分を消してしまいたいという衝動に駆り立てられた。
僕は弱い。脆くて君がいないと生きていけない。どうすれば時流が断絶したものを、再び結び合わせることができるのだろうか。その方法をずっと探していた。ずっとずっとずっと。だから僕は……。
祈った、叫んだ、涙を流した。
怒った、震えた、殴打した。
死んだ、生まれた、吐いた。
そして、僕は、私を創った。
「広い世界の中で、見つけてくれてありがとう」
私が僕に言った。鏡の中で私が笑うのを見て、僕もはにかんで笑って見せた。僕は私の瞳を見つめて
「君が世界のどこにいたとしても見つけたさ。例え君がこの世界にいなかったとしてもね」
と言うと、ありがとう、と私は口ずさみ、そして僕とキスをした。
あ、そういえば、季節が移ろうのも忘れて、笑っていたね、あの日の私たちは。そうだったっけ。そうだよ、覚えてないの?ごめん、僕は忘れん坊なんだ。
また僕は君のことを忘れてしまうのだろう。幾度も忘れて、その度に探し求めて。木漏れ日の下で育てた僕の弱い夢。此岸と彼岸を繋ぐ夢。それか妄想と現実の錯綜か。トーラスの深い森の奥底で、三千世界の深い夜の川底で、光る景色を確かに見たんだ。闇をそれでも引き裂くような轟音は、君の笑顔をかき消して、記憶を白いキャンバスに戻す。原色のコントラストもままならず、僕は泣く泣くこの輪から立ち去った。
せめて、最後に君の顔を見たかった。君の醜くも美しい存在証明を噛みしめたかった。万華鏡に映し出された幾千もの面影たちは、あの日の聖夜と君の柔らかな唇のために収束し、ああ、晴れやかな全能の朝へと繋がったのだ!本当に晴れていたんだ。全世界が君と僕のためだけに晴れたんだよ。冬の日の涼やかな風のもと、愛用の白のタートルネックと黒のスキニーを纏って。君よ、笑って。僕も笑うから。君よ、泣いて。僕も泣くから。悲しくて泣くのではない。嬉しいから泣くんだ!
すべての存在たちがあの時僕たちを見ていた。これ以上の人生を僕は知らないしこれからも知ることはないのだろう。水浸しのバルコニーから部屋へと水が流れ込み、時流が揺蕩うのに合わせて、私は、いや、彼女は踊った。最果ての望楼から見張る時流の終わりは、夕陽のように万象を朱く染め、この町で生まれた午後を祝福した。
踏まれたのはこの町か。それとも僕の方だったか。
記憶はただそこにあるだけだ。時流などないのに私たちはいつも縛られて息をする。だから、僕も私も息をするのを躊躇って、過去の記憶にすがるのだ。その度に記憶が薄れていくことがわかっていても、もう後悔はしないと決めたんだ。なのに、どうして。どうしてなんだ。せめて、僕に教えてくれないか。僕を救ってくれないか。
「お別れをさせてください」
涙を流しながら言うのは、ずるいよ……。白昼夢の中で、ただただ君は美しかった。
「愛しています。だから、お別れです。お別れなんです……」
嫌だ。未だ、君の顔すら知らないのに。
「あなたはたまたまそちら側にいて、何も知らないだけなの」
水辺の門が開く。君は遠く、遠く、小さくなっていく。まだ行かないで。置いてかないで。
「エデンの園まで来て。先に行かずに、ちゃんとそこで待っているから」
だから、それまでは私のことは忘れて、と。
目覚めたのはリビングのソファーの上だった。時計の針は15時過ぎを示す。物凄く永い眠りから覚めた気がした。よくある昼下がりの午睡のつもりだったのに、二時間以上も寝てしまった。だけどそんなことはどうでもいい。なぜ僕は今、泣いているのだろう。
いや、あれは夢ではない。僕は決して夢のままでは終わらせない。泣いているのはやはり
嬉しいからだ。君のことを思い出せたこと。そのメモリアが真理の片鱗を垣間見せたこと。けれど、悲しいから泣いている僕も確かにいた。これから続くだろう長い人生の間、君に会えないことを独り悲しんでいた。なら、いっそのこと死のうか。死んでしまえば、もしかしたら君に会えるかもしれない。けれど、それでは駄目なんだ。もし自殺してしまえば、僕は何のために生まれて、何のために私を創ったのか分からなくなってしまうではないか。何か、何か方法はないか。
「どうして泣いているの?」
物思いにふけっていた僕に声をかけたのは、僕でも君でも私でもなくあの日の母だった。夕陽が差し込む病室で、母が病気で亡くなる一週間くらい前、僕は母に言われたんだ。
「立派になろうとしなくていい。平凡でいいから幸せになってほしい」
なぜか、今になって想起された。今思えばこの言葉が母の遺言だったのかもしれない。そうか。そうだよ。平凡でいいんだ。運命とか、奇跡とか。そんなもんは捨てちまえ。よし、決めたぞ。これからも生きていこう。特別でなくていいから、僕は僕として生きていこう。そんな人生を思って日々を行こう。
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