拮抗

 最初に動いたのは、孝治こうじだった。


 ほぼ予備動作無しで突き込まれる孝治の右ストレート。


 普通の相手ならば殴られて初めて気づくほどのその疾くて重い一撃を、しかし龍俊たつとしは紙一重でかわす。


 さらにそれから間髪入れずに、孝治の頬に硬いモノが直撃した。龍俊の右拳だ。


「っ……!」


 孝治は大きく顔を仰け反らせる。——そこまで重い一撃ではなかったが、反撃を食らう寸前に龍俊の左拳が閃いていたのが見えたので「二撃目が即座に来る」と判断。なので打たれたインパクトに逆らわず顔をのけ反らせることで、龍俊の腕のリーチから身を離したのだ。案の定、二撃目が即座に閃いたが、孝治のとっさの判断が功を奏して空振りに終わった。


 数歩たたらを踏んで、距離を取る孝治。


 龍俊は嬉しそうに微笑んだ。しかしどことなく、嗜虐じみた感情が混じっている。


「……お前、やっぱりスゲェよ。普通の奴なら避けられずKOしちまう程のパンチを打てる身体能力もさることながら、あの一瞬で俺の二発目を避けられる判断力。流石だねぇ。これ以上俺を惚れさせないでくれよぉ?」


 孝治は血の味が混じった唾を吐き捨て、目を鋭く細めた。


 その剣尖のごとき視線の先には、半身はんみになって両拳を付かず離れずに構えた龍俊の立ち姿。


「……よく言うぜ。テメェも随分やるじゃねぇか。なんだ「ソレ」は? ボクシング……にしては構え方が少し斜めってて変だな。かかとも浮いてねぇ」


「さすがの観察力だな。——翻子拳ほんしけんってやつさ。最もボクシングに似た中国武術だが、一瞬でぶっ放せる手数はボクシングよりも多い」


 再び孝治は動いた。先ほどよりも威力は劣るが、速さと鋭さの増した鞭のごときパンチを放つ。


 その牽制けんせいの一撃で顔を叩かれ、たたらを踏んだ龍俊。そこへ決め手となり得る二撃目を叩き込むべく足を近づけ——ようとした瞬間、あごの真下から風圧の塊を感知し、ほぼ本能的に頭を退かせた。


 その一瞬後に、孝治の顎があった位置を、象牙のような軌道の後ろ蹴りが鋭利に通過した。


「何っ? ——っぐ!?」


 孝治が呻く。馬の蹴上げのごとく持ち上げられていた龍俊の足が急激に下降し、その爪先が杭を打つように孝治の右足甲に突き刺さった。その痛みだ。


 その一瞬の硬直を埋める形で、またも龍俊の蹴り足が素早く持ち上がり、靴裏で押し飛ばすような蹴りを真っ直ぐ叩き込んできた。


 その蹴りの勢いによって後方へ押し流される孝治。


「ってぇっ……今度は蹴り技かよ。曲芸みてぇな動きしやがって」


戳脚たくきゃくってんだ。手技主体の翻子拳を補うためによく学ぶ。面白ぇだろ?」


 孝治は蹴られた場所についた土を払いながら、かすかに敬意のにじんだ口調で言った。


「チンピラが威張るために格闘技かじった、っていう腕前じゃねぇ。地道に鍛錬を積んできた奴の技のキレだ。——これだけ熱心に鍛錬できる奴が、何があってカスな行為にのめり込むようになった?」


「『お前の技は美しい、悪人の技じゃない』って感じの漫画みてーなセリフかい? 甘いねぇ、甘々。オセロが裏返るように、何かのキッカケで白が黒に豹変することなんざ珍しくも何ともない。俺や、俺の仲間達はのさ。お前ら日本人のおかげでなぁ」


 侮蔑の混じった笑みを浮かべる龍俊に、孝治は眉をひそめ、


「何があったんだ、って問うのは流石に野暮か」


「そうだなぁ。突っつかないでくれるとこっちも助かるねぇ。胸糞が悪くなってケンカどころじゃなくなる」


 孝治は瞳を細めた。


「……にしても、まさかテメェが『傲天武陣会ゴウテンブジンカイ』のリーダーだったとは、世間の狭さを感じるぜ。「外側にある人脈」ってのは、ソレのことだったわけか」


「そうなのさぁ。ちなみに俺は、武陣会をただのチンピラの集まりで終わらせるつもりは無い。将来的にはするつもりだ。すでにその下準備として、このあたりのいくつかのヤクザや半グレとネットワークを構築している。お前の家の情報も、そいつらの情報網を使って得た情報だよ、薩摩隼人さつまはやとくん」


「なるほど……気持ち悪ぃ奴の正体は、もっと気持ち悪ぃ野郎だったわけか」


 龍俊は握りしめた拳を前へかざした。


「……だが、今のままじゃ、まだ不十分だ。今の俺達には圧倒的に「資本」が足りん。暴力団認定されてないからヤクザよりは自由に動き回れるが、それでも素人どもからなんぞ取れるだけの組織力があるとはいえん。正攻法で各々がバイト稼ぎをして金を得ても、「自分が稼いだ金」という意識がどうしても拭えない。それを徴収したら逆に組織内に不満が募るだろうな。であればどうすればいい? ——


「んだと……?」


「腕力に自信があって、なおかつ少年法で守られている——クズの吹き溜まりにしか見えんあの学校の生徒どもにも、素敵な使い道があるってこった。あいつらが当たり前に行っているカツアゲで金を集めさせ、それで得た利益の一部を各クラスごとに集めさせ、それを上納金アガリとして納めさせる。——俺はヌマ高の『アタマ』になって、その「集金システム」を作り上げる。そして卒業するまでの間に資本を稼ぎ、武陣会のさらなる成長の足がかりにする」


「可能だと思ってんのか?」


「出来る出来ないじゃねーのさ。チャンスがあったら迷わず行動する。そんなフットワークの軽さがアウトローの必須能力だ。それに……あいつらは「団子だんご」だ。強い奴なら迷わず尻尾を振る。案外チョロいかもしれんぞ?」


 自分の口癖を借りられて、孝治は舌打ちする。


「もう何度目かの勧誘だ。——樺山孝治かばやまこうじ、俺の仲間にならないか? お前は別枠で、武陣会メンバーと同等の扱いをしてやる。お前の腕にはそれだけの価値がある。一緒にヌマ高を手にしよう。もしも俺が『アタマ』になった暁には、お前にアガリの一部をくれてやるよ」


 孝治は鼻を鳴らす。くだらないと言わんばかりに。


「言いてぇことはそれだけか?」


「駄目か…………分からねーな。なぜ、そこまであいつに固執する? あいつはお前が一番嫌ってる「団子」だぞ? 強い者の威を借りてデカい顔をする奴だ。自分は弱いくせによ。俺が知ってるお前は、そんなキツネ野郎に付き従うことをヨシとするような男じゃねーはずだぜ?」


 龍俊が言っている「あいつ」とは、十中八九、幸人のことだった。


「……俺は別に、あいつの子分になった覚えはねぇ。俺は今まで通り、俺のままだ。「団子」と群れるのが大嫌いな樺山孝治だ」


「なら——」


「だけどよ……もしも手を組むとしたら、テメェとよりも、あいつとの方がずっとだ」


 龍俊の瞳がスッと細められた。


「それに、あいつは……幸人は「団子」じゃねぇ。「ねずみ」だ。確かにあいつには強い味方がついてるが、。たとえ一人きりの時でも、大人になろうとすることができる奴だ。こすく立ち回って、自分の優位や利益を勝ち取る気合いの入った奴だ。……組織ありきで自分を語ってるテメェの方がよっぽど「団子」だ、クソが」


「…………あーあ、マジで駄目だこりゃ。お前よ、完全にあのショボイ小僧に惚れちまってるよ。まるで遊び人に騙されてる女を見てる気分だぜ。お前ともあろう奴がよ」


「そうかい。死ね」


 孝治は陽炎じみた残像を残し、立ち位置を瞬時に龍俊の近距離まで移動させた。その移動の流れに合わせた鋭い右ストレートが疾る。


「ぐむぅ!?」


 そのこもった呻き声は、孝治のものだった。 


 顔面を強く打たれた。龍俊は両拳を構えた状態のまま孝治のパンチを紙一重でかわしつつ、その構えのままぶつかってきたのだ。殴ったというより、拳で衝突してきたと言う方が適切な表現か。


 龍俊の進歩の勢いと、孝治の移動の勢いとがぶつかったカウンター的一撃に、一瞬意識が揺らいだ。


 孝治は跳ねて距離を取り、垂れてきた少量の鼻血を手でぬぐった。……自分の鼻血を見るのはいつ以来か。


「……面白ぇパンチだな」


冲天火炮ちゅうてんかほうって奴さ。ほら、どんどん行くぜぇ!」


 再び龍俊は歩を進めてきた。


 龍俊が自分の間合いに孝治をとらえた瞬間、孝治の顔面と胴体で衝撃がいくつか弾けた。


「かっ……!?」


 速ぇ。


 まばたきするくらいの瞬間で、五発打ち込まれた。拳が閃いているのが一瞬見えたところを見ると、パンチだろう。しかしそれにしたって速過ぎる。ボクサー以上だ。


 龍俊が一歩近づく。それに合わせてまた瞬時に五発食らう。爆竹が鳴るような連続パンチ。


 たまらず孝治は両腕を顔の前で構えた。しかし、その防御もまた爆竹じみた五連撃によって強引にこじ開けられた。


 ガラ空きとなった胴体めがけて、龍俊の正拳が前足ごと迫る。


 孝治はギョッとした。——分かる。。重心が余すことなく乗っかっている。食らえば確実に昏倒する。


 あれは言うなれば「拳を使った体当たり」だ。自重を真っ直ぐ沈めて大地とのを作り、その重みを相手にぶつける打撃。「沈墜勁ちんついけい」という、中国拳法で用いられる基本的な力だ。亡き祖父から聞いたことがある。


 であれば……拳の向きを変えればいい。拳が重心と違う方向へ進めば、威力を失うはずだ。


 瞬時にそう判断した孝治は、突っ込んできた龍俊の正拳を蹴り上げた。拳が弾き上げられる。


 孝治は蹴り足の軌道を変え、踏みつけるような蹴りを放った。龍俊は後方へ跳んで避けたが、それでも結果的に遠ざけることに成功したのでひとまず良しとする。

 

 龍俊は余裕のある声で言った。 


「ははっ、良い判断じゃねーの。食らっていい攻撃とダメな攻撃の区別がついてやがる。だけどよ、食らっていい攻撃だって蓄積すれば鈍るんだぜ?」


「そのようだな。それじゃ——


「は?」


 呆気にとられた顔の龍俊に答えることなく、孝治は稲妻のごとき速度でパンチを放った。


「っ……!?」


 困惑の混じった呻きを漏らす龍俊。パンチの重さはさほどでもないが、それでも龍俊が反応できないほどのスピード。龍俊はよろけながら数歩後ろへ退いた。


 さらに孝治は近づく。アッパーカットの要領で真下から拳を突き上げる。


 瞬時に意識を持ち直した龍俊は、顔をスウェーのように反らせてアッパーをかわす。猛烈な風圧を帯びた鉄拳が目の前で上昇する。


 しかし、そのアッパーは本命ではなかった。


 アッパーを避けるために、龍俊は体を後ろへ反らせた。それによって、。……孝治の狙いはそこだった。中国拳法の動きは、姿勢と重心の安定を前提に成り立っている。このような不安定な体勢ではうまく動けまい。


 龍俊はハッとした様子で目を見開いた。こちらの狙いに気づいたようだが、もう遅い。


 渾身の力を込めたフックを、龍俊の顔面へ叩き込んだ。


「ごあっ……!!」


「ぐぅっ……!?」


 の呻き。


 孝治のパンチは確かに直撃したが、直前に龍俊の放った蹴上げによって顎を打たれた。それに、


(……直撃寸然で後ろに跳んで衝撃を弱めやがったな)


 転がって受け身を取る龍俊を苦しげに睨みながら、そう思った。


 再び近づいてくる龍俊。接する両者の間合い。


 そこから再び壮絶な殴り合いが始まった。


 逐一立ち位置を変えながら、しかし両者の間合いを離さない、激しいダンスを思わせる打撃の応酬。


 十秒ほど息もつかせぬやり取りを繰り返し、


「「ごぉっ……!?」」


 孝治のストレートと龍俊の蹴上げによる交差で終わった。


 お互いによろつきながら数歩退く。両者ともに、鼻と口からかすかに血が流れ、全身のあちこちが土埃にまみれていた。


「はあっ、はぁっ……テメェ…………ずいぶん、やるじゃねぇかよ……こんなに続いた殴り合いは久しぶりだ……!」


「ははっ……光栄だねぇ。お前みてーなバケモンに褒めてもらえてよぉ……! だがな……そろそろ終わりにさせてもらうぜ」


 言って、龍俊はポケットに手を突っ込んだ。……樹のスマホを入れていた場所だ。

 

 おそらく、踏み潰して破壊する気だ。

 今までは孝治の妨害があったからその隙が無かったが、今の孝治は最初より消耗している。スマホを落として踏んづけるくらいの時間的余裕はある。


「……何っ? スマホがねーぞっ?」


 だが、そうはならなかった。龍俊はポケットに手を入れたまま、驚きとうろたえが混じった声でそう言った。


「終わりにさせてもらう、だ? ……そいつはこっちのセリフなんだよボケ。——おい、加藤かとういつき! 終わったか!?」


 孝治のその呼びかけに、龍俊の視線が、電柱の根元でもたれかかっている樹へと移動した。


 樹はを片手で操作していた。ゆっくり孝治の方へ向き、もう片方の手で力無くサムズアップした。


「ああ…………ユキに、送っておいたぞ…………」


 そう。このケンカの勝利条件は、龍俊の企みを録音したデータを守り、幸人に送りつけることだ。それができるなら、わざわざ龍俊をぶちのめす必要は無い。


 そのために孝治は、先ほどの殴り合いのどさくさに紛れて、龍俊のポケットからスマホを取り出し、その取り出した流れそのままに樹へと放り投げたのだ。龍俊は勘がいいが、孝治という目の前の脅威との戦いに意識を削がれ、スマホへの意識がおろそかになっていた。その意識の隙を突いたのだ。


 自分達は、このケンカに勝利したのだ。


「いつの間に……テメェら…………!!」


 龍俊は切歯し、樹と孝治を同時に睨みすえる。


 樹は疲れたような、醒めたような眼差しでそれを見つめながら問うた。


「……それで? まだ俺らとケンカする? それとも自分の描いた青写真を守るために頑張る? どっちでもいいよ。——どうせあとはユキがなんとかしてくれるだろうし」


该死くそっ!!」


 龍俊は苛立った様子で自分のスマホを取り出し、電話をかけた。


おい! 现在你们在月波幸人的附近吧今お前ら月波幸人の近くにいるだろ! 马上捉拿とっとと捕まえろ! 别磨烦了ぐずぐずすんな快点儿早く!」


 叩きつけるように言うと、龍俊は電話を切った。


 孝治は眉をひそめて言った。


「……幸人をお仲間に見張らせてやがったか」


「そうさ。俺は用心深いんだよ。だが、これで終わりだ。あんなチョロい小僧が、俺の仲間から逃れられるわけがねーんだ。結局、お前らの頑張りも水泡にすわけだ」


「どうかな」


 孝治はここではない、どこか遠くへ目を向けた。


「予言してやるよ。——あいつはクソ弱いが、かなり面倒くさい。お前らの手には負えねぇよ」


 そう言う孝治の顔は、どこか嬉しそうだった。


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