第18話 見えない力
直史の最も身近で、そしてチームとは離れている存在。
瑞希は冷静に、今年のチーム状態が悪いことを分かっている。
しかしそれが、直史のピッチングにより劇的に改善。
樋口が戻ってきたというのもあるが、少しずつ貯金が出来てきていた。
ただこれは考えようによっては、直史一人に全ての負担がかかっているということでもある。
もちろんグラウンドの上では、樋口が助けになっていることは確かだろうが。
瑞希は記録を書くために、直史からやっていることを色々と聞いている。
引退したらその時には、直史の使っている技術を公開することになるだろう。
ただ、もしも今年で、大介との決着がつかなければ。
直史を野球の世界から引き離すことは、本当にいいことなのかと考えたりもする。
五年という約束で、直史はプロの世界に入った。
しかし二年目は、大介がNPBを去ったために対決の機会がなかった。
そして今年、インターリーグでも対戦がない。
決戦を行うためにはワールドシリーズまで進む必要があるが、本当にそれが可能な環境にあるのか。
ここ最近、直史のやっている無茶苦茶なことを、当然ながら瑞希は聞いている。
本当にそんなことが可能なのかな、とは思うのだが、実際に直史は出来ている。
強制的にスランプを押し付ける、まさに正しい意味でのバッター殺し。
ピッチャーがバッティングをしていた時代であれば、バレバレでも故意死球で潰そうとしてきたかもしれない。
瑞希は元は野球になどほとんど興味はなかったが、それでももう15年ほどは直史と出会ってから経過している。
そして色々と記録を残すために、様々な勉強や知識の吸収などをしてきたのだ。
直史の思考法は明らかに、日本の野球的ではない。
だがアメリカに来てみれば、これもやはり違うと思う。
直史のやっていることは、直史にしか出来ないことだ。
この果てに何があるのか、今の瑞希は期待している。
ニューヨークからラッキーズが訪れて、アナハイムとの対戦が行われる。
第一戦の先発は、アナハイムの第二エース的な立場のボーエンである。
開幕からは三連勝していたが、その後の二試合では打線の援護も少なく、勝ち星は着かず。
しかし負け星もつかないという、安定したピッチングをしていた。
直史の投げない試合、瑞希はスタジアムには行かず、試合を見守っていった。
枝豆とビールが欲しいところであるのは、野球好きのおっさんだけだ。
瑞希はこの試合にも、それなりに意味があると思っている。
明日の試合に直史は先発登板する。
そしてそこで勝てるのは、おおよそ間違いないだろう。
だがその試合で心を折って、第三戦まで勝てるだろうか。
今までなら問題なく勝っていた。
ただここで、二番手のボーエンが負けたとしたら、直史のピッチングにも影響するのではないか。
初回のボーエンは立ち上がりが悪いようにも見えないが、一点を先取された。
今の得点力の低下したアナハイムでは、これだけで苦しくなってくる。
一回の裏、アナハイムは樋口が戻ってきて、やや得点力は回復している。
しかしやはり打線の軸となるのは、ターナーであったのだ。
「一回の裏は無得点」
スコアは後から、全て確認することが出来る。
だが同時性は、まさにこのタイミングでしか感じられないものだ。
二回の表から、ボーエンのピッチングはさらに冴え渡る。
それだけに初回の失点が厳しくなるかもしれない。
「三者凡退」
ボーエンはいいピッチングをしているが、ラッキーズの先発も負けてはいない。
アナハイムの打線が、いまいちつながらないのだ。
こういう試合は、一発やエラーで流れが変わる。
瑞希はもう何度も、そういう試合を見てきた。
アナハイムはアレクも長打力があるが、樋口やシュタイナー、それに今は三番に入っているウィリアムズも、タイミングが上手く合わない。
長打が単発になるという、とてつもなくもったいないことをしている。
瑞希の目からすると、もうスモールベースボールに徹したらいいのに、と思えてくる。
少なくともアレクと樋口は、そういった野球に慣れている。
統計的に見れば、長打を狙うのが効率はいいと言われるのだが、まだ統計の見方が間違っているのではと思うのだ。
セイバー・メトリクスは進化をし続ける。
直史のようなグラウンドボールピッチャーは、本来なら奪三振率の高い武史よりも、ピッチャーとしての価値は低いと計算される。
チャンスという点では、それはあまり間違ってはいない。
ただものの見方は色々とあって、ゴロはホームランにならない。
一発さえどうにかすれば、確率的に連打にはならずに点は取られない。
MLBにおいてさえ、直史の防御率は圧倒的だ。
むしろ防御率だけを言うならば、NPB時代の方がまだ点を取られていたのだ。
NPBというのは、アマチュアの技術が基となっている。
どれだけの素材型の選手であっても、今では野球以外のスポーツから、プロ入りするような者はいない。
MLBでももちろん、アマチュアから入ってくるのが大多数だ。
そのアマチュアでの技術が、日本とアメリカでは決定的に違う。
そして単純に直史から点を取るには、まだしも日本の技術の方が有効ということだろうか。
ただ今の直史が日本に戻れば、どういうピッチングをするのだろうか。
そしてそのピッチングに対して、NPBはどう対応するだろうか。
小技を活かした攻撃は、直史にとって面倒な相手ではなかろうか。
もっともNPB時代の方がMLBよりも、奪三振率は高かったりする。
明日の直史の先発、ラッキーズにはタイタンズで四番を打っていた、井口がクリーンナップにいる。
去年も二桁本塁打を記録している井口だが、NPB時代より長打力は落ちている。
逆に成績を伸ばしている、直史や大介が異常なのだ。
周囲の環境に合わせて、肉体を最適化させる。
それだけの伸び代を持っているという時点で、異常な存在ではあるのだ。
テレビに映された試合は、緊張感を持って進んだ。
ボーエンは七回までを投げて二失点と、ハイクオリティスタート。
しかし味方の援護はなく、このままだと敗戦投手になる。
いくらなんでもこの内容で負けるのは、気の毒ではなかろうか。
そう思ったのか八回の裏には、アナハイムは二点を取った。
しかしその前の八回の表に、一点を追加されていたため、敗戦の責任はボーエンについたまま。
そして打順から考えて、逆転の可能性は低いと考えたのか、アナハイムの首脳陣は、九回の表にピアースを投入しない。
ここで抑えれば評価は高まるぞ、と若手のリリーフを使っていく。
どうせ明日はリリーフの出番はないのだから、ピアースを使ってもいいだろうに。
今年のアナハイムは最終回にリードしている、という場面がなかなかない。
そのため登板数もイニング数も伸びておらず、ただ負けがついたことも一度もない。
ここは使ってもいいのではないか、と瑞希は思う。
ただ直史が投げる明日と違い、第三戦のガーネットには完投能力はない。
またも直史が相手の打線を崩壊させても、アナハイム側の得点が少なければ、今度こそ出番はあるのではないか。
「ビハインド展開で投げても、打線が点を取ってくれるとは限らない」
悲観的な見方を瑞希はしているし、おそらく首脳陣もそうなのだろう。
結局この日、ボーエンには今季初めての、負け星がつけられることになった。
ピッチャーの評価というのは、勝敗だけではつけられない。
打線の援護がないチームでは、当然ながら勝ち星がつきにくいのだ。
それでも無敗であるところに、直史の異質さがあると言えよう。
打線の援護がなければ、一点も取られなければいいじゃない。
後に直史はそう言ったとか言わなかったとか。
おそらく後世の捏造である。
試合が終わってマンションに戻ってきた直史は、かすかに難しい顔をしていた。
無表情であることを己に課している直史でも、家族の前ではわずかにそれが崩れる。
今日の試合はデーゲームであったため、食事は一家で行う。
「おとーさん、あちたはなげる?」
わずかに舌足らずな真琴を頭を、優しく撫でる直史である。
「そうだな。明日はお父さんが投げる番だ」
「みにいってもいー?」
「そうね、明日は一緒に行きましょうか」
瑞希としてもとりあえず、直史の登板するホームゲームは、可能な限り見ておきたい。
明史はまだ、物心がつかないので、ファミリールームに預けておくことになる。
だが真琴はもう充分に、野球というスポーツを理解している。
ごくわずかな休みの時に、公園に行ってキャッチボールを行う。
その程度のことはもう、真琴は出来るようになっている。
まだチームに入るほどの年齢ではないが、アメリカにおいては父親が息子に教える重要な三つのことのうちの一つに、キャッチボールというものがある。
真琴は女の子であるが。
キャッチボールは完全に野球の基礎の基礎であり、真琴は直史の試合を見ているため、男の子に混じってボール遊びをする。
このまま育てばお転婆になるかもしれないなと思うが、最初は自由にさせてもいいだろうと考えている佐藤夫妻である。
女の子ならお人形遊びとか、そういうジェンダー的なことは考えていない。
ただ直史は自分で、女でもある程度生きていける技能は、愛娘に教え込むつもりである。
息子に教える大事なことは、残りはキャンプの火おこしと釣りである。
面白いことにキャッチボール以外は、生きていくための手段に見える。
だがキャッチボールは、投げるのをボールの代わりに石にすれば、最も原始的な遠距離攻撃になる。
アメリカという国は21世紀になっても平然と、大自然が日本の何十倍も残っている。
その中で遭難することも、しっかりと考えているわけだ。
もっとも日本にしても、直史の実家の山であれば、充分に遭難する可能性はある。
山を舐めてはいけない。
翌日、アナハイムのクラブハウスの雰囲気は悪かった。
ここまで勝ち星を積み重ねてきたボーエンに、初めての負けが付いてしまったからだ。
ただ今日は、直史が先発のローテである。
ここまで六試合、全て完封。
一試合あたりに打たれたヒットの平均が、一以下であるのだ。
ボーエンは極力、雰囲気を悪くしないよう、昨日のことについては何も言わない。
七回二失点であっても、負ける時は負けるのだ。
それに評価の基準は、勝敗ではない。
もちろんスーパースターになるには、分かりやすい数字を持っていた方がいい。
たとえば直史のような、投げる試合がほぼ完封などといったものだ。
もしもここで直史にまで負けがつけば、という恐怖がアナハイム側にはある。
おそらく直史は、いつも通りの完璧なピッチングをするだろう。
本人は別に、完璧だとは思っていないピッチングだろうが。
それで試合に負けてしまったら、今年のアナハイムは確実に勝てるパターンを失ってしまう。
勝てないと思ってしまったチームは、本格的に勝てなくなる。
その意味でも今日の直史の投げる試合は、今季のアナハイムを本格的に占うものになるのだ。
ロッカールームはぴりぴりとした空気に満たされている。
そんな中でもメンタルを平静に保っている者はいる。
直史と樋口のバッテリーは、変に力を入れたりはしない。
ただ今日の方針は決めておかなければいけない。
ここまでの試合で、奪三振の増えた試合は、スタイルを変更しながら投げている。
だが空振りを奪えるストレートは、ジャストミートされればホームランになるのだ。
絶対にホームランの可能性を0にするなら、バージョンダウンしたピッチングの方がいい。
だがいざという時に使えないコンビネーションなら、どこで試せばいいというのか。
これまでは楽な状態で使うことが出来た。
そしてこちらの士気が落ちている今、圧倒的なピッチングを見せ付けなければいけない。
二人の結論は、それほどおかしなものではなかった。
こういうプレッシャーのかかるような試合でこそ、実践しておくべきだ。
直史の投げる試合で負ければ、それは確かに絶望的であると言える。
しかしシーズン序盤の今以外に、そんな実践は行えないであろう。
今までもちゃんと試してきたのに、ちょっと苦しくなったぐらいでやめてしまうのか。
その程度の効果しかないなら、そもそもやっている意味はあまりない。
苦しい状況、負けてはいけない状況だからこそ、やってみせる必要があるのだ。
なにせ本当に試す相手は、今日のラッキーズなどより、よほど強い相手なのだから。
肉体、精神、己の状態はしっかりと分かっている。
不安要素は自分以外の部分である。
「初回の攻防が、けっこう重要になるだろうな」
樋口はそう言ったが、正確には初回の攻防で試合が決まりかねない。
まず一点でも先制すれば、アナハイム全体がリラックスして戦えるようになるだろう。
楽しみながらプレイする。
まさに試合開始時に、審判が宣告することだ。
ただ、やはり楽しむためには、全力で勝利を目指さなければいけない。
野球で食べていくというのは、そういうことなのだ。
不調ではあるがここのところ少し、アナハイムは勝敗に余裕を持っている。
ヒューストン相手に三連勝したというのが大きいのだ。
ただその後に、ボーエンが負けたので流れが悪い。
リーグ戦は半年間と長く、その中ではいい流れと悪い流れがあるのだ。
なお、直史は流れをあまり信じていない。
悪い流れの中でも、負けた記憶がないからだ。
ラッキーズは昨日の試合で、アナハイムのエースクラスであるボーエン相手に勝ち星を上げた。
その勢いというものが、一応は残っている。
一応という言い方をするのは、今日のアナハイムの先発が直史であるからだ。
レギュラーシーズン無敗の実績。
二年連続30勝超えで、今年はさらに勝ち星を増やすペース。
神のごときピッチングで、対戦相手を完全に封じてしまう。
だがキリスト教圏の人間にとっては、地上で神のごとき行いをするのは、だいたいが悪魔なのである。
一回の表から、空振り三振を奪った。
そして二番打者は、ムービング系であっさりと内野ゴロを打たせる。
完全に球数を温存する、いつもの直史だなとラッキーズの三番井口はため息をつく。
高校時代から知ってはいるが、井口はあまり直史との接触はない。
もちろんプロでは直史の一年目に対戦はあるが、ほとんどまともに勝負できていないのだ。
クリーンナップとしてラッキーズの戦力となっている井口だが、ここではまともに打っていこうとは思わない。
まずは出塁してパーフェクトを崩さないと、直史の支配力には抗えない。
そうは思っているのだが、実際には打つのも粘るのも難しい。
それでも五球を投げさせた。
最後はキャッチャーフライでアウトである。
初回から10球を投げさせられるのは、直史としてはやや球数が多めになりそうな気配である。
ただ三振とゴロ、フライのそれぞれで、アウトを取ったのは大きい。
今日も何をやってくるか分からない。
いつも通りの直史を印象付けられたのだ。
三振とゴロはいい。
だが井口からは、出来れば三振を奪いたかった。
「やっぱり日本のバッティング技術だと、対応の幅が広いな」
樋口の言うとおり、日本のバッティング技術は、小器用なものであるのだ。
「それでもやることは変わらない」
直史としては井口であっても、MLBに適応しているバッターなのは変わらない。
NPB時代から変わっていないのは、アレクである。
即座にMLBに適応したの樋口である。
MLBとNPBのバッティングにおいて、何が一番違うと考えるべきか。
それはやはりボールのスピードと、変化の仕方である。
単純にスピードは速いし、あとはフォームにも特徴がある。
NPBとMLBのピッチャーのモーションを見比べると、それははっきりと分かる。
MLBのピッチャーは手投げで投げている者が多く、フォームがやや非効率なものに見えるのだ。
実際のところは、非効率ではない。
なぜなら人間の人体構造は、人によって特徴がある。
アメリカでも選手の身体を見て、最も力の伝わる方法を考える。
日本のピッチャーのボールは、フォームが綺麗過ぎて打たれやすいという特徴もあるのだ。
直史のフォームは完全に効率を考えている。
だが今はあえて、そこから外れたフォームも混ぜているのだ。
タイミングを取らせないために、フォームやリリースを微妙に変える。
チェンジアップと同じ理屈を、球速以外でもやっているものなのだ。
今日の試合については、いつも通りに行う。
いつも通りに行って、普通に勝っていこう。
それがバッテリーの方針で、打線の援護はあるまで待つ。
普段どおりの直史であった。
ラッキーズには、やはりこの試合も勝てないのか、という厭戦感が漂い始めている。
まだ一回の表が終わっただけであるのに、直史のボールをミートした打球はない。
逆にこの裏に一点でも取られれば、試合は決着するような気配さえある。
直史の防御率を考えれば、それは大げさな話ではない。
そしてアナハイムの一番と二番は、それがはっきりと分かっているバッターであった。
一番のアレクは、立ち上がりのピッチャーを攻めて軽くレフト前に弾き返した。
シングルヒットで出たその後に、樋口の打順である。
ここで狙うべきは出塁である。
ノーアウト一二塁ともなれば、得点の可能性はかなり増える。
ただもっと狙うべきは、一三塁という場面を作り出すことだ。
一二塁であると、内野ゴロでダブルプレイの可能性がある。
ここは出来れば長打で、アレクを三塁まで送りたい。
もしノーアウト二三塁となれば、ほぼ一点は確実に得られる。
確率の問題であるが、ワンナウトまででシュタイナーに回せば、ほぼ確実に犠牲フライは打ってくれるという信頼がある。
樋口はピッチャーの決め球を狙いつつ、くさいところは見逃していった。
そしてこの判定が、ボールとされるのは幸運である。
(まあナオに比べれば、コントロールは微妙だからな)
直史はストライクゾーンの判定が、しっかりとしている審判が好きである。
独特の判定をする審判であると、上手くそれを利用できる。
今日の審判は、ややストライク判定が厳しめだ。
それでも直史の場合は、問題なくストライクが稼げる。
コースの縛りが大きいなら、緩急や角度を使えばいいのだ。
極端な場合、相手との読み合いにさえ勝てれば、カーブとストレートのコンビネーションだけで、直史ならどうにか相手を封じることが出来る。
樋口としてもフレーミング技術の見せ所である。
今はただ、相手のピッチャーの幅を狭めるために、利用していけばいい。
ボールカウントが先行した後の、わずかに甘い球。
それを素直に弾き返すと、ボールは左中間を抜けていった。
ノーアウト二三塁。
ほぼ確実に点が入る状況である。
三番に入っているウィリアムズは、ターナーに比べれば確実性がかなり低い。
ただここではとにかく、大きなフライさえ打てばいいのだ。
タッチアップでホームを踏むことが、リーグでもトップレベルに多いアレク。
それが三塁にいるのだから。
樋口としては打球がどうなるか、見てから判断すればいい。
一番困るのは、捕れるかどうか微妙なポテンヒットだが、それでも少なくともアウトにはならない。
ただポテンヒットだと、場所によってはアレクがホームに帰ることも出来ないかもしれない。
ノーアウト満塁になると、ツーアウト二三塁よりは、むしろ一点の入る可能性は減る。
ただここでウィリアムズは、素晴らしく安定した打撃を見せた。
外野に向かって、充分な距離と高さのフライである。
タッチアップで確実に、一点が取れる距離。
そして樋口もまた、タッチアップで三塁に行くことを狙う。
センターのキャッチした時点で、アレクはスタート。
素晴らしいボールが返ってきたが、それでもアレクの足の方が速かった。
微妙なタイミングであったため、途中でカットして樋口をアウトに、という選択も取れなかった。
まずは一点を先制である。
ワンナウト三塁で、四番のシュタイナー。
ここで彼がやることは、完全に決まっている。
フォアボールで勝負を逃げない限りは、深いところへのフライを打つこと。
これを完全にマスターしているのだ。
ここでもアウトローの球を、レフト方向に上手く飛ばした。
定位置よりも深く、レフトはキャッチ。
しかしレフトの井口は、そこまで強肩というほどではない。
樋口もまた、タッチアップでホームへ帰還。
二連打の後の、二連犠飛で二点を先取。
これでここまでの試合から判断すれば、アナハイムの勝利は確定したと言えるだろう。
一点ならば、まだ直史から取れる可能性はある。
しかし二点は取れないと、統計を見れば分かるはずだ。
ランナーがいなくなってから、スリーアウト。
アナハイムは素晴らしく、効率的な点の取り方をしていた。
「勝った。次回へ続く」
「いやいや」
直史の軽口に、樋口が反応して、二回の表が始まる。
果たしてあれは、本当に軽口であったのか。
当たり前のように、直史はアウトを積み重ねる。
二回は四番からなので、一発にだけは注意という場面。
だが直史はここでも、一つは三振を奪う。
二回の裏は動きもなく、三回の表。
ここでは三振二つと、内野ゴロを一つ。
またその裏も、アナハイムは追加点がない。
まるで投手戦のような無得点のイニングが続くが、その内容は全く違う。
またしてもパーフェクトなのか。
既に今年、二度のパーフェクトは達成している直史だ。
パーフェクトゲームが見たければ、アナハイムの試合を見逃してはいけない。
そんなことを言われているのだが、確かに直史はたった一人で、MLBにおいて成立したパーフェクトゲームの、半数に迫る勢いのピッチングをしている。
もっともさすがにそれは、難しいのではと思われている。
ただこの二年間で10回のパーフェクトを達成し、今年も既に二度。
MLBに慣れてくるにつれて、そのピッチングの精度は増しているように思える。
四回の表まで、パーフェクトピッチングは続く。
そしてその裏、アナハイムは下位打線のホームランで、一点を追加した。
下位打線であっても、普通にホームランを打てるパワーがあるのが、MLBのバッターだ。
ピッチャーがどうせ勝てないと思ってしまうと、その隙を見逃さずに突いてくる。
この三点差で、おおよそラッキーズの選手は試合の勝利を諦めた。
だが個人成績を悪化させるつもりはない。
とにかく食らい付いて、一本でもヒットを打つ。
フォアボールのほとんどないピッチャーなので、そちらの方では期待が出来ない。
それにしてもパワーピッチャーでノーヒットノーランなどの連発ならともかく、技巧派がパーフェクトを連発というのはなんなのか。
そもそも高校レベルであっても、強豪校のピッチャーが県大会などでパーフェクトをすれば、それだけで騒がれるのだ。
五回の表も、三人でラッキーズの攻撃は終了。
球数も少なく、しかし奪三振は多い。
ストレートでの空振りは多く、またゴロやフライを打たせることも自在。
ファールの打球でさえ、外野まで飛んでいくことはほとんどない。
これが本物の、技巧派のピッチングと言っていいものだろうか。
絶望の完成まで、残り4イニングである。
その完成を期待して、観衆たちは席を立とうとしない。
野球の楽しみ方を、少し変えてしまった直史であった。
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