21:優しい夫
いくら珍しいからと言っても、途中で少々休憩があっただけで八時間乗りっ放しと言うのは流石に堪えた。
汽車を降りてぐぃぃっと背筋を伸ばしたら、思わず「ううぅ~ん」と声が漏れて慌てて口に手を添えた。体を伸ばして声を出すなんて、こんなはしたない様を伯母様に見つかれば、きっと手を鞭で叩かれていたわね。
伯母が居る訳がないので手を叩かれることは無かったが、代わりに隣からくつくつと含み笑いが聞こえてきた。
声の主はもちろんフリードリヒだ。
「ごめんなさい。はしたなかったですね」
「いいやそうではないよ。
いつもの令嬢ぶったすまし顔も悪くないが、そう言う感じも悪くないなと見ていたら思わず笑ってしまった」
「すまし顔って……
普段のわたしってそんな顔をしてますか?」
「まあどこの誰が見ても貴族の令嬢だと気づく程度にはな」
「それは間違いなく伯母様の教育の賜物です」
「つまりとても厳しい伯母さんだったと言うことか」
「ええそれはもう」
思い出すのも嫌なくらいにね!
汽車を降りた日はそのままホテルに直行して泊まった。
しかし次の日は、朝から商人組合が管理する建物に行き、机や敷物の上に並べられた品を見て回った。壺に絵画に珍しいガラス細工、貴族御用達の品かと思いきや、貴族が着るには質が悪い衣服や猟銃まで、まったく客層がバラバラな品が並んでいた。
唯一の共通点と言えば、品物のどこにも値札が付いていないことくらいだ。
う~んこれはどうやって購入するのかしら?
わたしがそんな風に頭を悩ませていると、「この品はすべて競りにかけられるんだよ」とフリードリヒが教えてくれた。
扱うのが得意ではない品を手に入れるとここに持ち寄り、それらを扱うのが得意な人たちが競りを行い品を買い取る。
競りの方法は会場に入る時に貰った札に値を書いて、近くに置かれた封筒に入れるだけ。締切時間になって一番高値を書いた人が買い取る形式らしい。
「ところで利に敏い商人が自分が得意でない品を扱うことなんてあるのでしょうか?」
「んーまぁ、無い事も無い」
何やら言い辛そうにフリードリヒは言葉を濁した。
「もしやフリードリヒ様もなにか出しておられるのですか?」
手荷物にその様な品は無かったが、小さい品なら目立たないだろうし、大きな品なら事前に送っているはず。ならば出していないと決めつけるのは早計だろう。
「まぁ少しだけな」
フリードリヒは再び言葉を濁した。
フリードリヒが言葉を濁すと言うことは知られたくないと言うことだ。
そして彼がそう言う態度を取る時は、大抵わたしの事を思ってだから、「そうですか」と当たり障りのない返事をしてそのまま流した。
しかし会場をぐるっと回ってるうちに、フリードリヒが出した品がなんなのか見当が付いた。
机の上に置かれていたのは、上半身で抱えるほど大きな壺で、数は三つ。柄が似ていることから三つの壺は同じ作り手の品だと判る。
ちなみにこれ、ものすごーく見覚えがあった。
なぜって、わたしと一緒にフリードリヒの屋敷に来た、ザカリアス子爵家から資産分配された品だもん。
そりゃあ言い難いわよね。
わたしの視線に気づいたのか、フリードリヒは短く「すまんな」と謝罪した。
それをわたしは首を振って否定。
「屋敷にあっただけで、なにも想い出の品と言う訳でもございません。
この程度で返済の足しになるとは思いませんが、売れると良いですね」
「返済か、それならばもう十分に返して貰ったぞ。
だがこれを見るとどうしても思い出してしまうんだ。だから済まない」
今の言い方からして、貸した金が回収できなかった悔しさを思い出すと言う意味じゃないだろう。
だとすると……
「わたしはまだ卑屈なときがございますか?」
「いいや無いぞ。
むしろこれは俺の問題だ。俺はリューディアに出会って自分が良い方向に変わったと思っている。だがこれを見るとあの時の事を思い出して嫌気がさすんだ」
「思っているなんて自信のないことを仰らないでください。
フリードリヒ様は間違いなく変わりましたわ」
「そう言って貰えるのは有難いが、それはそれで変わる前の俺が如何に駄目だったかと言われているようで辛いな」
「そうですねぇ無愛想で守銭奴。とても怖かったですわ」
「お、おい!?」
「でも今はとっても素敵なわたしの旦那様です」
そっと背伸びをして耳元に口を寄せて囁いた。
するとフリードリヒは右手で口元を抑えて何やら困った様な顔を見せた。
「参ったな、どんどん好きになってしまうじゃないか」
「あらわたしはあなたの正妻なのですから、むしろそれで良いではないですか」
わたしがそう言ってクスクスと笑えば、「そう言えばそうか」とフリードリヒも合わせて笑った。
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