10:商売人の勘

 フリードリヒが仕事に行っている昼の間に、わたしは夜会用のドレスを借りるために街へ出た。

 ここは生まれ育った街ではなくて売られて来ただけの街。ゆえにお店の場所は知らないが、王都だけあり店は多く、馬車に乗れば後は御者が身分相応な店まで運んでくれるのだから何の問題もない。


 わたしは大通りの一本内側に入ったお店に入った。

「いらっしゃいませ」

 若い店員はそう言うと、露骨にわたしの後ろを覗き見た。

 おかしな客でも来たかしらとわたしも振り返るが、後ろに見えるのはガラス張りのドアだけで人影は無かった。

 はて?

「わたくしどもは社交界で使うドレスを扱っておりますが宜しかったですか?」

「ええ知っているわ」

「左様でしたか、本日は何をお探しでしょう?」

 店員はあろうことか入口で、おまけに立ちっぱなしのまま話を始めた。

 椅子も出さないなんて!?

 いままでいくつかの店に行ったことがあるが、このように失礼な店は初めてだ。正直に言って有り得ないわね。


「ねえこの街ではこういう接客が普通なのかしら?」

「はあ」

 何を言っているのか分からないと言う風の、なんとも煮え切らない返事に苛立ちが増した。

「もういいわ、別の店に行きます」

 わたしがそう言った所で、店の奥から年配の店員が慌てて駆けだしてきた。


「お客様、お待ちください。この者が何か粗相をいたしましたでしょうか?」

「夜会のドレスを借りたかったのだけどもういいわ」

「失礼いたしました。どうやら気分を害されたようですね。

 店員の教育不足は店長である私の責任でございます。この者に変わって謝罪させて頂きます。

 誠に申し訳ございませんでした」

「謝罪を口にしたと言うことは、入口で接客をするのがこの街の風習と言う訳じゃないのね?」

「ええ勿論です。

 ところでお嬢様、如何でしょう? 今回のお詫びと言ってはなんですが、お値段の方を勉強させて頂きますから、改めてお話をお伺いさせてくださいませんか?」

 勉強すると言う台詞にわたしは敏感に反応した。

 残念なことにわたしは、いまも昔もお金に不自由が多くて、お金に糸目をつけずに~なんて高飛車な態度は一度も取った事が無い。

 相手の態度も改まった事だし、値引いて貰えるなら悪くないかと思い直した。


 改めて奥に行けば、いつものお店と同じようなサービスが待っていた。

 最初からこのような態度で接してくれれば波風など起きなかったのに……


 ドレスを選び着付けの手配が可能か確認すると、いまは収穫祭の時期でもなく込み合ってもいないから難なく借りることが出来た。

 これで一安心。伯母を頼って叱られる心配が無くなりホッとしたわ。

「続いてお支払ですが……」

「ペンを、屋敷に請求をお願いするわ」

 どうぞと言われてペンを借り、請求書にケーニヒベルク男爵夫人の名を書いた。これでフリードリヒのお屋敷へ請求が行く手はずになっている。

「男爵夫人でいらっしゃいましたか、重ね重ねの無礼申し訳ございません」

 そう言えばお嬢様と呼ばれていたなと思った所で我に返った。


 ああ違う、そう言う意味じゃないわ。

 これはわたしが悪かったみたいね。


 化粧は適当で髪を後ろで束ねただけの、ワンピース姿の小娘が店に入って来たとする。店員は当然連れがいるだろうと後ろを覗くに違いない。

 だが後ろにその様な人影はいない。

 さてこの店ドレスに用があるのは貴族のみ、普段着同然のみずぼらしい服を着た小娘がそんな訳があるかと、店員は『ここはドレスを扱ってますよ』と親切にも教えてくれたのだ。

 だが客はそれを聞いて臍を曲げた。

 侍女がいないからと言う事情はあるにしろ、これはどう考えてもわたしが悪いわ。

 せめてフリードリヒを連れてくるか、最初に名乗るべきだったのよ。


 それにしても……

「ねえ一つ聞いていいかしら?」

 むしろ今の自分の姿を思えば、店長が呼びとめた事の方が奇跡じゃないかしら?

「何かご不明な点でもございましたか?」

「あなたはどうしてわたしが貴族だと思ったのかしら?」

「ああそれは商売人の勘ですよ」

「勘?」

「ええ」

 いい笑顔でそう言われてもねぇ。よく分からないわ……

 しかしそのよく分からない勘のお陰で、彼は失うはずの商機を得たのだから、商売人としてはきっと優秀なのでしょうね。


 フリードリヒにもそう言う勘があるのかしら?

 もしもあったとして、それに従ってわたしを置いてくれたのならば少し嬉しいかも。

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