Ⅷ 心変わりと、十年越しの使命


 町中央での大爆発後、遺恨者たちは計画を次の段階に進めていた。

 港の桟橋にいくつかの船が止まっている。三台ほどの船は奇妙な形をしている。

 漁師が使う小舟をいくつか連結させ、板で繋げて、一つの中型船にしていたのだ。これらは彼らが自ら改造した海賊船であった。

 手作りの船ゆえ整備や点検は欠かせない。

 計画の次段階に備えて、二人の男が船の整備と備蓄品の補充を行っていた。

 バンダナを巻いた男ソップは船大工の息子だ。彼は船に乗り込み、連結部を結ぶ縄に緩みや劣化がないかを確かめる。それが終われば、次は帆周辺に不備がないかを検める。

「俺のハンマーを取ってくれ」

 ソップは船首に居る男に声を掛けた。

 日焼けした男アレッシオが振り返り、大工道具が詰まった箱から点検用の小さいハンマー取り出す。

 下手で投げた。

「ほらよ」

 ハンマーを受け取ったソップは床板を叩いて、返って来る音を聞く。

 アレッシオは遺恨者たちの中で一番年若い男だ。と言っても、彼もすでに成人を迎えている。

 空の箱を抱えたアレッシオは桟橋に降りる。

「よっしょ。なあ、こんな事に意味があると思うか?」

「……なんだ、急に」

「さっきの爆発。アレが怪物との戦いが始まった合図だろ。て、事は仲間が何人か死んだって事でもある。そう考えたらよ、何かいいのかって思えてよ」

 波が当たり、船が揺れた。

 床板の点検が終わり、補強材で脆い所を修繕していくソップ。彼は思い悩むアレッシオに答えた。

「口じゃなく手を動かせ。武器の積み込みがまだだろう」

「…うるせえな」

 言われて、アレッシオは箱に武器や火薬を使った道具を詰めていく。

 強い潮風が吹いた。

「ソップはベローナを信じてるのか?」

「……どうした、さっきから」

「俺はもうわからねえ。こんな仲間や故郷を犠牲にするやり方を選ぶあいつがわからねえんだ」

「他の奴の前で言うなよ。ベローナを信奉してる連中に逆上されてしまうぞ」

「俺だって信じてた。けど、もうアイツが海の遠い向こう側を見てるみたいで、同じところを見てない気がするんだ」

「ベローナの事がわかる必要があるのか」

 ソップは喋りながらも作業を続ける。

 作業の手を止め、アレッシオはその身だけで船に上がった。

 帆に繋がる縄を掴み、ソップに己の想いをぶつける。

「じゃあ、これが正しいのかよ! 悪評が広がったせいで海賊業も上がったり。呪いと決着つけるって言っても、皆死んでいくばかりだぞ!」

 熱くなるアレッシオの言葉に、ソップも手を止めた。

 振り返るソップはアレッシオに問う。

「お前はどうしたいんだ?」

「仕事をするんだよ!」

 船首に走り、海の向こうを指差すアレッシオ。

 陽の光を反射する海は、呪いの影響があると思えないほど煌めいている。

「この船じゃ無理でも、もっと大きな船を作ってさ。魚が獲れないエリアを抜けて、呪いの影響がない海域まで行くんだ。そしたら、海賊業も続けられるし、もしかしたら漁師に戻れるかもしれないだろ」

 ソップはしゃがみ込んだままの姿勢で、首を横に振る。

「無理だ」

「どうして!」

「俺を信頼してくれるのは嬉しいが、俺にはそんな船は作れない」

 まだ納得しないアレッシオに冷静にソップは続ける。

「遠い海域に行くには船の強度や形だけじゃなく、その為の人員、食糧、色んな装備が必要になるらしい。俺は確かに船大工の息子だが、設計図も何も無いし、船作りを何も教わっちゃいない。船の整備がやっとの、船大工もどきなんだ」

「……クソッ」

 アレッシオは足元を蹴飛ばした。 

 悔しそうに口元を歪ませるアレッシオを見て、ソップは感じていた懸念を口にする。

「お前、やっぱりまだウェルターナの事を引きずってるのか?」

「!」

 図星だった。アレッシオは口惜しそうに拳を握る。

「ああ、そうだよ。ウェルはこの町で唯一最後まで漁師であり続けようとした男だった。あの人が正しかったと、俺は思ってる」

「……そうか」

 ソップはどこか苦しげな顔をした。


 ウェルターナという人物は、同世代の仲間がベローナに導かれ海賊になっていく中、漁師という仕事を続けようと主張した。当時、彼を中心として漁師を続けていた者たちも少なくない。

 ウェルターナは根気強く、海賊になった仲間を説得したり、アレッシオが提案するような遠洋漁業を開拓しようと奮闘した。

 ベローナとウェルターナ。海賊と漁師、二人の派閥で町は二分されかかっていた。

 けれど、ウェルターナは死んだ。

 魚が獲れなくなり、海賊の成果を拒んでいた彼は飢えて死んだだとか。町の人間に漁の成果を分け与えていた結果、飢えた者たちに殺されたとか。彼の死について、いくつも憶測があるが、正確な所を知る者は少ない。

 そして、彼の死後も彼の影響は強く残っていた。


 アレッシオもウェルターナの影響を受けた一人だった。

「俺はやっぱり――」

 彼は言いながら、船に積み込んだ剣を一振り引き抜いた。

 その剣を掲げ、何度も眺める。

 そして、アレッシオは剣を海に捨てた。

「ベローナには付いて行けねえよ」

「……そうか」

 ソップも自分の手元のハンマーを見つめ、何かを想い立ち上がった。

 

「アレッシオ、ソップ!」

 

 二人の名を呼ぶ女の声がした。

 二人は船の縁まで移動し桟橋を見た。そこに、ショートヘアの吊り目がちな女が立っていた。

 ベローナの親友であり、遺恨者たちの姉御的な存在であるサラニカである。

 サラニカは二人に気付くと、こっちに来るようジェスチャーで指示した。

 桟橋に降りてきた二人はサラニカに問う。

「どうしたんだよ、サラニカ」

「まさか、もうベローナが戻って来たのか?」

「そうじゃないよ。ただ、町を出ていくって決めた子らが居るの。今、浜辺で最後の挨拶をしてる」

 アレッシオとソップは顔を見合わせた。二人とも驚きの表情だ。

 サラニカはさらに付け加える。

「アレッシオは知っとくべきだと思ってさ」

「え?」

「出ていくのはクーリカとオウチョだ」

「……嘘だろ」

 驚きに眼を見開いたアレッシオは、浜辺に向かって駆け出していった。



「クー姉クー姉って懐いてたからね、ああいう反応にもなるか」

 小さくなっていくアレッシオの背を見ながら、サラニカは呟いた。

 そして、目ざとくソップの動揺を隠す様子に気付いた。

「どうかしたかい?」

「……」

「当ててやろう。アレッシオがベローナを信じないとでも言ったんだろう」

「!」

「何を言ってたんだい?」

 ソップは躊躇いながらも、聞いた事をサラニカに報告する。

「あいつは、まだウェルターナの事を引きずってる。だから、ベローナの事も信じ切れていない」

「……」

 サラニカは桟橋に残っている船に積み込む予定の武器を一本手に取った。

 そして、それをソップの前に突き出した。

「邪魔になるなら消しな、ウェルの時みたくね」

「……」

 ソップは眉根に皺を寄せて、武器を受け取った。


______________________

浜辺


 アレッシオが浜辺に着くと、数人の仲間たちが集まっていた。

 どうやら、誰かを取り囲んで話し込んでいるみたいだ。

 アレッシオが人だかりに近付くと、囲まれていた人物が彼の存在に気付いて声を上げた。

「アレッシオ!」

「クー姉!」

 人だかりの壁を無理やり退かして、アレッシオは円の中に入り込んだ。

 癖毛を後ろでまとめてた女性――クーリカは明るい笑顔で彼を迎えた。

「良かった。挨拶をしておきたかったから」

「クー姉、町を出るって。どうして……」

 そこまで言って、彼は思い出した。そして、思わずクーリカの少し膨らんだ腹を見た。

 視線の動きに気付いたクーリカが頷く。

「そう。この子が居るからよ」

「ぁ、っ」

 何も言えなかった。行って欲しくない気持ちと、ここが安全ではないと理解している自分がせめぎ合い、どんな言葉も思い浮かばない。

 明らかに戸惑っている。それを見抜いたクーリカが先に声を掛けた。

「私たちね、この子の為に全部を捨てるの」

 すると、パートナーであるオウチョがクーリカの隣に立った。

「捨てるって…?」

「全部だ。故郷も、呪いも、海賊だった過去も捨てる。生まれてくる子に何も背負わせない。その為に、別の町で生き直す」

 二人は顔を見合わせて頷いた。その仕草だけで、相当な葛藤と覚悟があっての選択だとわかってしまう。

 しかし、アレッシオは悔しくて仕方なかった。

「……何でだよ。そんなに、この故郷は悪いのか?」

 肩を震わせるアレッシオの手に、クーリカがそっと手を添えた。

 優しい声音で、慰めるように、

「アレッシオが故郷を愛してるのは知ってる。私たちだって、苦しかったけど愛してる。故郷ですもの。きっと、皆そうよ」

「なら、どうしてっ」

「今までの人生よりも、この子の為のこれからの方が大事だと思うから」

 その答えは、アレッシオとクーリカたちを別つ決定的な違いだった。

 歯がゆい表情で責めるアレッシオと毅然とした表情のまま答えるクーリカ。彼らの足元に波が迫った。

 クーリカは波を避ける。少しよろけたパートナーを、オウチョが咄嗟に支えた。

 その場に立ち尽くしていたアレッシオは濡れる足の不快さを感じながら、ワナワナと震えている。クーリカとオウチョを直視出来なかった。

 思い直してほしい。この町に未練がない様子が許せない。その一言は、彼のやるせない気持ちがこもっていた。

「タロもかよ」

 言った後に、アレッシオは「違う」と言いかけたが、ヒドく悲しげなクーリカの顔を見てしまい、二の句が継げなかった。

 クーリカは同じ表情のまま、

「全部捨てるの」

 と突き放した。

 まるで駄々をこねる子供とそれに悩む大人である。気付いてしまえば、自分が惨めで仕方ない。

 別の来訪者に気付いたオウチョが、このいたたまれない空気を変えたくて声を掛けた。

「サラニカ、ソップ!」

「っ」

 急にその場に居たくない気持ちが溢れたアレッシオは踵を返し、誰の止める声も聞かずに去っていく。


       ✕      ✕

 

「俺はアレッシオを追う」

 そう言って離れるソップを、サラニカは横目で見送る。二人だけの秘密が果たされるのを期待して。

 しかし、ソップは足を止めて振り返った。

「俺も抜ける。そうすれば、役割もないだろう」

 彼は先程の武器を見せ、「コイツは貰ってく」と付け加えた。

 さして驚いた様子もなく、サラニカは小さく首を傾げた。

「……アンタもウェルが忘れられない口かい?」

「片時も忘れた事がない。この手には今も、アイツの頭の硬さが遺ってるよ」

「そうか。そうだろうね。アンタの後悔はアタシのせいだね」

「いや、お前がやる事はベローナや仲間の為だ。例え、お前だけの考えだとしてもだ。俺も賛同した。だから、全部が俺とお前の罪だ」

「…恨めばいいのに。どうせ、お互いに碌な死に方しないんだからさ」

 サラニカは浜辺を離れて町の方に消えていくソップを見送り、ため息を吐いた。

「選択する最後の機会だって言ってたけどさ、本当に良いのかいベローナ……?」

 サラニカは戦いが始まる前に、仲間が町を離れたいと決意したなら止めるなとベローナから伝えられていた。

 リーダーの仲間を想う気持ちを理解しつつも、戦力が減る事を懸念する。


 サラニカはベローナと最も長い付き合いの親友であり、遺恨者たちにとってベローナの次に頼りにされる存在だった。

 彼女の家系が町でも有力な漁師の一族だった事もあり、決断力のある彼女を姉御のように扱う仲間もいた。

 事実、サラニカは仲間内で一番の友人想いであるし、面倒見がよく、好いた相手を守ろうとする意志がある。

 それ故に、なのだろう。

 ベローナに代わって戦略を立てる事もあるサラニカは、誰よりも何よりも親友の為に行動する傾向があった。

 遺恨者たちを導くベローナの邪魔になるならば、例え仲間であろうと、サラニカは排除する選択をいとわないほどに。

 様々な憶測が飛び交うウェルターナの死も、サラニカの計画によるものだった。ソップは共犯だ。

 彼女の友愛は、仲間の屍を踏み越えていく覚悟を持たせるほどに強固なのだ。


 サラニカはモクモクと上がる黒煙を見上げ、今も戦っているであろうリーダーを想う。

 そんな彼女にクーリカとオウチョが声を掛けた。

「サラニカ、ソップは?」

「アレッシオを追っていったよ。残念だけどね」

「そう」

 クーリカはそっと、サラニカの手を握る。彼女たちの手は冷たかった。

「……どうしたんだい?」

「不安なのよ、お互いね。きっと先が見えないせいだわ」

「クーには先があるじゃないか。それも、皆が羨ましがる宝物さ」

「サラニカ、私はアナタにほんのちょっぴり申し訳ないの」

 その理由をサラニカは問わない。

 代わりに、クーリカの負い目が軽くなるように言葉を選ぶ。

「良いんだよ。アタシの傷はアタシのもの、クーの宝はクーのものだ。きっと、ベローナもそう言うさ」

「……」

 クーリカは名残惜しそうに、サラニカの手を手放した。

「私じゃベローナの代わりになれないけど、きっと、サラニカのやってきた事は間違いじゃないわ」

 クーリカはオウチョの傍に戻った。二人は肩を寄せ合い、互いを支え合う。

 手に残る温かみを確かめ、サラニカは小さく微笑む。

「お幸せに、二人とも」

 二人が頷く。

 クーリカが個人的な心残りを口にした。

「ねえ、タロが何処に行ったか知らない?」

「さあ、見てないね。最初に話したんだろ?」

「ええ。けど、すぐに怒って何処かに行ってしまったの。もっと話したかった、唯一の家族だもの」

「僕も、憎まれてるだけでもタロと話たかったんだ」

「まあ、タロはお姉ちゃん子だったものね。オウチョは相当恨まれてそうだね…」

 言いながら、サラニカは町の方を見た。

「クーが信奉するもんだから、ベローナに嫉妬してたからね。となると、タロが頼りにしそうなのは限られてる」

 サラニカが誰の事を言っているのか察したクーリカたちは、同じように町へ視線を向けた。

「……もう時間はないでしょうね。タロに会ったら、伝えてほしいの」

「いいよ、言いな」

「全部捨てていく酷い姉だけど、愛してるわ」


――――――――――――――――――――――


✕✕✕


 そこは町の何処か。

 そこを知る者は少ない。

 ベローナは知らない。隠されていた。

 彼女に疑いを持つ者や彼女を敵視する者は知っていた。

 それは、家主の警戒心の現れだ。


 勢いよく家の扉が開かれた。

 家に飛び込んできたのは癖毛を短く切ったタロ・キンだ。最愛の姉を失くしたばかりの彼女は、この喪失を受け止めてくれる存在を求めていた。

 愛する姉クーリカは絶望の底に居た時、ベローナに光を見て、導かれる事で救われた。だから、クーリカはベローナに全幅の信頼を持っていた。

 だからこそ、タロはベローナが嫌いだった。

 だからこそ、タロはこの家を知っていた。

 家の主に教えてもらったのだ。

 しかし、初めてここに来た。

 タロは家主を探して回る。

「どこ、どこに居るの!」

 ほこりが多く、家具類には年季と風化があるけれど、明らかに誰かがこの家で移動した跡がある。動線の箇所だけほこりがなくなっていた。

 タロはその跡を見て、目的の家主が家の奥に居ると知る。

「……奥なのね」

 動線を追い、タロは不気味な暗がりを進む。

 ただ、喪失が苦しい。

 家族が男に奪われ、それ以前から心は女に奪われていた。

 この世にたった一人の家族、たった二人だけの姉妹。家族よりも友が大事になる事はない。

 だから、ずっと苦しかった。

 自分が姉の一番では無くなったと気付かないフリをし続けていた。

 しかし、逃げ続けた事実を突き付けられて、タロは苦しみの許容が出来なくなった。

 弱かったタロは姉から逃げ出し、溢れ出しそうな苦しみを受け止めてくれる人物を求めた。

 短い通路だが、薄暗さのせいか雰囲気のせいか、決して目的地に辿り着かない気さえした。

 その思い込みが幻だと、最奥の部屋の扉がタロを現実に引き戻す。

 かすかに海の匂いがした。

 タロは扉を開けた。

 腐った魚の異臭と濃い海の匂いがした。

 その部屋は湿気の多い場所だ。沢山のロウソクが部屋中に立てられ、小さな火で照らしていた。

 ロウソクが部屋の中央に居る者を映し出す。

 車椅子。それに座り、項垂れる老婆――カテリーナだ。

 老婆の向こう側、壁際に棚に布を敷いて作られた祭壇のような、禍々しいものが作られている。上には、釘で打ち付けられた沢山の魚と葉っぱ、白いサイコロ状の物――人間の指の骨だ。積み上がっている。

 そして、まるで祈りを捧げる対象のように、壁に数十個の人間の頭の骨が吊り下がっていた。

 流石のタロも、部屋の光景には言葉を失う。

 不快な匂いも彼女の顔をしかめさせた。

「ぅっ……」

 いっそ部屋を離れようとさえ思うタロだったが、そんな彼女に、カテリーナ婆の声が聞こえた。

「おいで」

「お、婆ちゃん…」

 タロはもう匂いが気にならなくなった。

 部屋に足を踏み入れる。

 ちゃぷんっ

 部屋には黒い海水が溢れていた。しかし、タロはそれを気にしない。

 老婆の膝下に縋り付く、苦しみのままに顔を埋めた。

「聞いて、お婆ちゃん。クー姉が、クー姉がね」

 老婆は何も言わない。いつものように口をモゴモゴと動かしているだけだ。

 タロは気にしない。

「私を捨てるの。私は姉さんが居れば、それだけでいいのに。姉さんは違うの。クー姉は、愛してくれない。私たち、唯一の家族なのに…」

 苦しみを気が済むまで吐き出す。

 黒い海水の水位が上がる。既に、しゃがむタロの腿まで、車椅子に座る老婆の膝下まで迫る。

「ベローナのせいだ。あの女が最初にクー姉を奪った! 二人で助け合えば、海賊なんかにならなくても生きれた筈なの。漁師の夢を捨てなくて良かったの!」

 自分が苦しむ真っ当な理由を求め、その責任を押し付けたい。タロの言葉に込められた気持ちは憎しみだった。

 涙を流すタロの頭が撫でられた。

 カテリーナである。

 タロは老婆見上げた。

「カテリーナお婆ちゃん…」

「……辛かったね……頑張ったね……」

 老婆は優しく受け止め、慰める。

 求めていたものを与えられ、タロは気持ちに歯止めが利かなくなる。

「私、私…。クー姉さんが居ればそれで良い、姉さんを奪ったベローナが嫌い! オウチョも、私を捨てるクー姉さんも嫌い!」

 老婆はタロを可愛がる。

「……辛かったね……頑張ったね……」

 彼女の口は変わらずモゴモゴと動いていた。


 かすかにだ。小さい声ゆえにかすかにしか聞こえない。タロは老婆の口が発する真の言葉が聞こえた。

「……ヤニス……モロ……ケイン……ジョー……ウィルソン……」

 まだまだ続く。最後の名を言い切れば、途切れる事なく最初に戻って、また呼び続ける。

 老婆は死んだ友人の名を呼び続けていた。

 では、タロを慰める声は誰のものか?

 老婆の声の筈だ。

 しかし、彼女は一心不乱に友の名を呼ぶ為に、慰めの言葉を口にする隙がない。

 タロは意味が分からなかった。

 老婆の口が止まる。口元には粘ついた泡が付きまとう。

 タロの頭を撫でていた老婆の手が、さらに優しくゆっくりになった。

「お婆ちゃん……?」

「…皆の……帰ろう……」

 老婆の一言で、黒い海水が動き始めた。

 すでにタロの腰辺りまで迫っていた黒い海水が、彼女の腕に黒い触手を伸ばし、絡みついた。

「な、何これ!? お婆ちゃん、お婆ちゃん!?」

「待ってて……皆……町の子が一人……加わるよ……」

「嫌、嫌! 助けっ助けて!?」

 タロはもがくが、黒い海水は獲物を離さない。

 老婆は変わらず、足元で暴れるタロを可愛がり続ける。彼女の濁った眼はタロではなく、壁の骨を見ていた。

「やっと……この時が……怪物……呪いの子……終わらせようね」


「嫌、嫌ぁ。助けて、お姉ちゃ――」


 タロは黒い海水に取り込まれた。

 老婆の手が虚空を撫で続ける。

 部屋に溢れていた黒い海水が蠢き、地面へと消えていく。

 


――――――――――――――――――――――

あとがき


 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 次回の更新をお待ち下さい。



 そして、今から、この回を初めて読まれた方には関係ないお話をします。すでに公開されていたこの回を読まれた方向けの謝罪となります。

 大変申し訳ございません! 間違って内容を上書きしてしまった為、バクアップデータを改めて書き直して再公開しています!

 詳しく事情を説明致します。

 この回はすでに2024年初めの方に公開していました。

 そして、同年12月頃に別回の公開の為、コピー&ペーストでこう、メモ兼下書きに本文を上書きしました。

 よし公開しようと右上のボタンを押し――。

 上書きしたのが過去回だと気付いたのは、その後だったのです…。

 私、過去回を参照する時は制作データじゃなくて公開している物を見る癖がありまして…。

 データのバックアップはとってあるのですが、公開分と差異が結構ありまして…。

 はい、注意不足によるミスです。ごめんなさい。

 悩んだ末、バックアップデータを元にして書き直す選択をしました。

 当然、公開当時と書き直しタイミングでは、文章やら内容やらに差が出てしまいます。なので、公開当時の回を読まれた方には大変申し訳なく想っております。

 このような事が二度と起きぬよう、公開分と制作分を含めた定期的なバックアップ更新を行います。

 対策が十分とは言えないかもしれませんが、今回の反省を胸に刻んで注意してまいります。

 最後に、重ねてではありますが謝罪致します。皆様の信頼を裏切る形となった事、前回の公開分を好いてくれている方に同じ物を提供出来なかった事含め、申し訳ございません。

 当然、この物語は最後まで書き上げます。このような至らぬ作者ではありますが、最後までお付き合い頂ければありがたく思います。

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