Ⅶ 各々、燃ゆる

中央エリア 宿周辺


 踊り狂う火がゴウゴウと音を立てて、瞬く間に宿全体を飲み込み、港町の中心地に真っ赤な火柱を作り上げた。

 柱が焼け落ち、レディたちが居た二階が倒壊する。

 バキッ 

 メキメキメキ!

 木が折れる轟音と共に、大きな黒煙が立ち昇る。空に昇る大蛇のような黒煙は町のどこに居ても視認できて、全体に大きな異変を報せる。戦いを知らない者たちも否応なく動き出す。 

 大きな黒煙は敵味方なく、開戦の合図となった。

 十年前のジョーンズ家の悲劇とは比べ物にならぬ程、貧しい港町は呪いに蝕まれて火と混沌に包まれていく。

 

     ✕         ✕


宿の向かい


 『遺恨者たち』の一人である足の悪い男――ガルゴは現場に残り、宿の炎を見つめていた。炎の中に居る怪物を監視するつもりで。  

 にわかに、火事に気付いた町民たちが集まり出している。

「おい! 宿が火事だ、酷い火事だぞ!!」

「水を持ってこい。家の樽に入ってるだろ。空き家からもだ!!」

 町民たちは消火しようと周辺の家から水を溜める用の樽を持ってきた。そして、中身が油になっていると気付かず、火に油を浴びせてしまった。

 さらに火が勢いを増す。

「うおっ!? こりゃ、油だぞ!?」

「ここらはもう誰も住んじゃいないんだぞ、誰がそんな真似を……」

「おい、樽の中身が油なら、火が他の建物に移っちゃまずいんじゃないのか?」

 勢いを増した火事に慌てふためく町民ら。

 彼らを横目に、ガルゴは建物と建物の間の脇道に入った。脇道の途中に木箱が積んであり、それを登ると、建物の通気用小窓が覗けた。

 ガルゴは剣を壁に立てかけてから小窓を開け、部屋の中に置いてある沢山の樽を確認する。

 これらの樽には油ではなく、刃物や砕いたガラス瓶を詰め込んでいる。樽の底に仕切りを設け、その下に火薬を使った爆破装置が隠してあって、爆破の衝撃で破片が散る設計だ。

「集めるのに何年もかかった。これで殺されてくれよ」

 同様の物が他の空き家にも仕掛けられており、全部が起爆すれば一帯を吹き飛ばす威力がある。

 これらの爆破樽は油樽と同様に、『遺恨者たち』がレディ・オブ・ザ・ランド用に町に仕込んだ罠の一つであった。

 町に張り巡らされた罠の数々は一朝一夕で出来上がったものではない。

 十年間、日々積み重ねられた計画と研鑽の結果。

 どうすれば怪物を殺せるかだけを考え続けた、若者たちの為せる業。

 ベローナを中心に『遺恨者たち』は来るともしれぬ宿敵の為に備え続けていた。

 仮想敵と設定した強さは普通の人間ではない。強靭な鱗を持ち、人の力を凌駕し翼を持つ、呪いでドラゴンに変貌した顔を仮面で隠す不死身の怪物。

 伝承から強さを想像し、それを下に仲間同士で議論を重ね、訓練を積み、仕掛けを作って町を改造した。

 対怪物を想定した故に、生み出された仕掛けの威力に歯止めはない。

 一つの樽が爆発すると、他の樽が連鎖的に爆発し建物ごと中央エリアを吹き飛ばす。爆破の影響内には爆風と共に、瓦礫の礫と刃物が吹き乱れ、存在する生き物を確実に殺す死の暴風圏を形成する設計になっている。

 他にもレディ・オブ・ザ・ランドを殺す為の仕掛けは町全体に設置している。

 怪物を産んだ町そのものが、怪物を殺す作戦領域に変貌していた。

 

    ✕         ✕


 大事な物を奪われた気分というのはやけ酒で悪酔いをした時と似ている気がする。

 自分は酔う事がないが、舞台上の人生がにっちさっちもいかない酔っ払いと今の自分は、きっと同じ気持ちで同じ気分の筈だ。

 自分がこんな目に遭うのかと思う気持ちと上手くできなかった己を恥じる気持ちが同居し、少しの間は何も考えられない。だが、結局、現状が自分のせいでそうなったと悟り、自己嫌悪の淀みと気持ち悪さだけが残る。

 瓦礫の下敷きで、炎で空気が薄くなっているせいで気分が悪いのかもしれない。

 かつての侍女であり親友とさえ思っていたトワイライトも、自分に少年を奪われた時に同じ気持ちだったのだろうか。

 だとしたら、いい気味だ。自分を裏切った償いに苦しむべきだもの。

 あるはずのない眩暈を感じる。

 思えば、己の人生に裏切られる事は多かったが、奪われる事は少なかった。

 怪物となる前は王族で姫であったし、島を飛び出してからも、怪物の力を使えば裏社会で立場を得る事が出来た。その後も同じように。

 世界中を巡る資金。効果があるかないかもわからない呪いの物品。全ての活動に必要になる人手。隠れ蓑としての立場を解呪の為に最大限利用した。

 しかし、自分は今も怪物として生きている。

 解呪の方法はある。自分は知っている。

 だが、今のまま解呪しても、自分は幸せになれない。

 解呪方法を見つけてから、強く自分の幸福を考えるようになった。かつて出会った、押しつけがましく友人と名乗ってきた女――自由で自分以外の人間がどう思おうと気にしない性格だった――が羨ましいと思ったからかもしれない。

 ――自分の幸福は何か。 

 ――それは、愛する人との時間が欲しい。

 少年との幸せ。いつか語り合った『一緒に旅をする』という夢も本気だ。

 怪物のままでは旅の相棒になれない。死なない身体で、人生を共に生きられない。

 呪いを解呪しなくてはならない。運命を変えなければならない。

 だから、呪いの運命と決着を付けようと、島に向かう覚悟を決めた。

 ――今は彼の名前を知らなくたっていい。

 ――少年が自分を怖がっているのは知っている。今はそれが苦しいけど、自分が怪物である以上仕方がない。

 ――全てが終わった時、彼の名前を聞く。

 ――私の名前も、その時に……

 なのに、奪われた。

 かつて自分を裏切った、忌々しい国民の末裔――ベローナとその仲間たちに。

 生意気な娘は大事な少年を我が物顔で触りまくった。

 許せない。

 許す訳にはいかない。

 裏切られた時と同じぐらいに腹立たしい。

 初めて、レディは奪われる事に怒りを覚えていた。


     ✕         ✕


 瓦礫が崩れる音がした。

 通りで消火活動を続けていた町民らが、火事が延焼して他の建物が倒壊したのかもしれないと思い、周囲を見渡した。

 油のせいで延焼こそあるものの、宿以外の建物が崩れた様子はない。

 不思議に思っていると、一人が一番炎の勢いが激しい宿の跡地を指差した。

「なんだアレ?」 

 炎の中に注目が集まる。

 炎の中で影が立っていた。

 すると、影の背が広がり、翼を動かして羽ばたいた。

 ブワッ!!

 と、業火の中心から突風が吹き荒ぶ。

 一瞬で炎が吹き飛び、火球となって周囲に散る。



 建物が震えるほどの強風が路地裏にも届く。

 木箱の上に立っていたガルゴは踏ん張る事が出来ずに転げ落ちる。

「うわっ!?」

 顔を上げた男の耳に通りから悲鳴が届く。

 それが町民らのものだと、すぐに気付いたガルゴ。ひどく嫌な予感がした。

 剣を拾い、それを支えにして急いで通りに戻る。

 炎が通りの建物全体に及んでいる。

 炎の真ん中には白い異形が立っていた。焼け焦げ残った白い服が身体に絡みつく。それが白いヒゲのように見えていた。

 呪いの力が解放されて白い鱗が全身の七割を覆う仮面女――レディ・オブ・ザ・ランドの足元には、苦しげな表情の町民らが倒れていた。

 怪物は凛とした佇まいのまま、最後の一人を掴み上げて、いとも容易く、その者の首を折った。

 動かなくなった相手を炎に向けて放り、怪物はガルゴの方に仮面を向ける。

 白金色だった仮面も、表面が火に炙られ目元の金で描かれた装飾が溶けて涙のようになっていた。

 怪物が値踏みするように小首を傾げる。

「匂うわね、あなた。ベローナや他の連中と同じ匂い。敵意がプンプンと。火と油で鼻が曲がりそうだけど、それでもこの距離なら嗅ぎ分けられるわ」 

「これが、レディ・オブ・ザ・ランド……!」

「その名を知ってるなら確定ね」

 仮面で表情がわからないが、怪物の声にわずかに嬉々とした気配がこもっていた。

 感情の高ぶりのせいか、怪物の鱗がパキパキと逆立つ。

 ガルゴは剣を抜き震える切っ先を怪物に向けた。

 さっと視線を周囲に巡らせる。

 怪物の起こした突風で宿跡地の火事が周辺の建物に飛び火している。爆発樽を仕込んでいる建物にも引火しているので、時間を稼げれば罠が起動するだろう。

 ――……三人が死んだ。僕の番だ。

 覚悟を決めたガルゴが怪物に敵意をむき出しにする。

「怪物、よくも皆を!」

 怪物が肩を竦める。

「あら、ごめんなさい。貴方たちと彼らの見分けがつかなくて。だって、どっちも忌まわしいんですもの」

 そう言うと、怪物の尻尾が鞭のようにしなり、足元の町民の頭部に叩きつけられた。瓜が割れるような音が鳴って、血が飛び散った。

 怪物はわざとらしく仮面の口元を押さえ、驚いたフリをしてみせた。

「あっ……。気付かなかったわ。これも、知り合いだった?」

「!」

 ガルゴが怒りに歯を剥く。だが、目的は時間稼ぎ。勢い任せに飛びかかるような真似はしない。それで簡単に殺されては罠に嵌める事が出来ない。

 男の反応に怪物がつまらなさそうに肩を落とす。

「貴方、言葉とは裏腹に町の人間がそんなに好きじゃないのかしら」

 そんな事を言って、通りを歩き出した。ガルゴも右足を引きずりながらそれに追従する。

 ――まずい。悟られて逃げられたら……。

 不安を隠し、罠に気付かれないように少しでも自分の方に注意を向けたかった。

「この足を見ればわかるだろう。怒って斬りかかっても、どうせ避けられる。勝ちを狙ってるんだ。無駄死にしたい訳じゃない」

「そう、でも結果は同じ。皆死ぬ、無関係な者も。呪いに関わった人間は全員ね」

「あの子供もか? あの子はお前にとって何だ?」

「知りたがりね。貴方も、あのベローナって女も。貴方たちは島の怪物――つまり、レディ・オブ・ザ・ランドを倒すと宣言してたし、問答無用で向かってくる感じだと思ってたんだけど……一枚岩ではないのかしら?」

 怪物が歩む方向を変えて、ガルゴの周辺を歩き始めた。

「戦う理由はそれぞれだ。けど、皆、お前を倒すって気持ちは一緒だよ」

「どうして? 伝承で語られる怪物だから? そんな理由で? 大昔ならいざ知らず、この町に直接害をなした覚えはないのだけれど」

「十年前の事を忘れたのか、怪物」

 怪物は本当にわからないと首を傾げる。

 ガルゴが十年前の出来事について語る。

「十年前、お前は島から出てきた。匿っていたジョーンズ家を町の年寄りたちが襲った。お前とジョーンズ夫妻は逃げ、追いかけた年寄りたちは町外れの森で殺された。じいちゃんたちの顔は毒で苦しんで、死の恐怖に歪んでたよ。子供だった僕はよく覚えてるぞ」

 喋る内に過去を思い出したガルゴの言葉には怒りがこもっていた。

 ジョーンズ家の元に居たのはメイドのトワで、ガルゴが相対する怪物ではない。レディも忍ばせていた部下からその事件の事は聞いていたし、ラヌからも聞いていた。

 そして、年寄りたちを殺したのは確かにレディだった。

 怪物が鼻で笑う。

「貴方の言う年寄りたちなんて知らないわ。その日はいい拾い物をしたから、きっとそれで忘れてしまったのね。つまらない事って、良い事で上書きされるでしょ」

 炎の向こうにある青空と海を背景にして、怪物が風上に立つ。

「それに出来事が混同しているわよ。原因はよく似た女が居るせいでしょうけど……とにかく、身に覚えがない事で恨まれるのは鬱陶しいわ」

 忌々しげにそう言うと、怪物が大きく息を吐く。



 ガルゴの足から力が抜けてぐらりと体勢が崩れた。

「ぅっ!?」

 正常な筈の左足にも力が入らない。辛うじて剣を地面に突き立て、転がる事は防いだ。船酔いしたみたいに気分が悪く、胸の内が激しく鳴っているのが頭に響く。

 怪物は弱った獲物に悠然とした歩みで近付く。

「火事のせいかしらね。空気が乱れてて、毒が充満するのに時間が掛かるわ」

「ど、毒。どこから……?」

「毒ぐらい吐くわ。死なない量にしてあるから貴方たちの事を教えて」

「だ、誰が――ぐッ」

 麻痺する身体を無理に動かして、怪物を睨み上げたが、伸びてきた尻尾が首に巻き付く。

 レディの優先順位は少年とベローナである。

 立て続けに群がってくる敵の詳細など必要ない。どの道、こうなっては町民ごと皆殺しにするつもりだった。

 敵とは認識しているが、レディは『遺恨者たち』を脅威と認識していない。

 前時代的な剣や弓などは、例え火矢であろうとも、鱗で防げるから脅威にならない。だが、今の時代には自分を殺せずとも、大砲や銃など呪いの耐久力でも耐えきれない火力の兵器がある。

 銃が主流となり始めた頃、自分に有効かを試した事があった。銃の性能や火薬量でダメージにブレがあるものの、銃弾が体内に残る事で治癒が阻害されて、呪いの身体にも有効打になり得た。

 銃は高価で、もちろん火薬も高い。

 貧しい港町が手に入れるのは難しい。

 最新式の銃を持てるのは大国の軍隊だけだし、ベローナたちが海賊などから武器を買っていたとしても、一丁や二丁では自分の脅威にはならない。

 敵は自分を倒せないと慢心した。

 だから、敵のに気付かずに、不用意に近付いた。

 ブスッ

 と、ガルゴの剣先が怪物の尻尾に刺さった。

 防がれないように、鱗と鱗の間を的確に突いていた。

「嘘……?」

「怪物の毒なんて、ずっと前から皆知ってる」

 ガルゴがしたり顔で、更に剣を深く刺し込む。

 怪物が自らの尻尾に傷を付けた剣をじっと見つめている。

 そして、すぐに尻尾に力を込めた。

 尻尾の筋肉が絞まり、剣がバキッと折れた。

「……本当に私に備えていたと教えてくれたお礼に、殺してあげるわ」

 自分が騙されたのが悔しくて、憤りに任せて足の悪い男を殺そうとするレディ。

 毒を対策されたからといっても、まだ脅威にはならない。

 単に自信のある技を無効化されて、腹が立っただけの事。

 『遺恨者たち』は脅威ではない。レディはそう腹の内で思っていた。

 現時点で確かにその認識は正しく、だが状況認識としては間違ってもいた。

 三人や一人の刺客は脅威でなくとも、チームとして立て続けに襲い掛かり、レディの注意を惹くだけの結果を上げていた。

 その事が一つの結果を引き寄せる。



 レディは町に来てから、少年の体調不良や敵対者の出現などトラブル続きで、国民の末裔以外の、大きな因縁が残っている事を失念していた。

 ベローナやガルゴ、犠牲となった三人などがレディの意識を惹いたから。

 思いがけず、到着までの時間が稼げた。

 レディの脅威になり得る存在――空から飛来する『彼女』を。

 もう一人のレディ・オブ・ザ・ランドが舞台に到着した。

 

    ✕         ✕


 『彼女』は最大で二時間の飛翔ができる。スタミナだけで言うならば、更に三時間は飛べるのだが、空が高くなるほど強い寒風で身体が凍ってくるので、翼が動くギリギリの飛翔限界時間がその時間になる。

 陸路の移動は馬車などを使って最低限の休息だけで済まし、常に飛翔を優先した。

 渡り鳥のように海を飛び、先征く船を海上の道標とした。

 寝ず、休まず、追跡する。

 我が身が人間から外れていこうとも、空を征く。

 目標地点は因縁の島。

 怪物としての『彼女』が生まれ、親切な人間たちのお陰で『彼女』が救われた場所で、もう二度と帰る事がないと想っていた故郷。

 憎しみと呪いでその身をドラゴンに変えて、『彼女』は因縁の地に戻って来た。

 

    ✕         ✕

 

 最初に空の何かに気付いたのは、ベローナの脇に抱えられていたコランだった。

 コランは尻を前に向けたみっともない姿勢で、空を翔ける一条の軌跡を見た。

「あれは――」

 姿を確かめずとも、軌跡の先端部――少し丸い飛翔体が『彼女』だとわかった。

 何か予感したのか、ベローナが立ち止まってコランの方を見る。

「居心地悪いだろうけど、もうちょっと我慢してて。君と話せる場所までもう少しだから」

「話せる事なんてないよ、僕は何もできない子供なんだから……」

 ベローナが焦りを声にまじえて答える。

「そういうのも含めて後で。仲間が時間を稼いでくれてる内に話しておきたいしね」

 わずかに後方に視線を向けて、ベローナはすぐに踵を返して移動を再開する。

 コランは再びの揺れを不愉快に思いながら空を見つめる。

 ――考えなきゃ。トワやレディの事、自分の運命の事。

 ――守られてるだけなのも、流されてるだけなのも嫌だ。

 心の変化はトワと別れたあの日から始まった。

 今まではトワが言い付けを守り、彼女が居れば生きていけた。

 レディとの旅でも、彼女が少年を守り、彼女に愛されていれば生きられた。

 他人の意思で保護され、甘える代わりに自分の意思がない。自分の意思を無視される。それが今までの自分の生き方であり、生きてきた環境だったと自覚した時、とても嫌で情けない気持ちになった。

 トワと二人だけの屋敷に居たら辿り着かなかった悩みであり、レディに外の世界へ連れて行かれなければ弱い自分を知る事がなかった。

 本人も自覚していないが、ゆっくりと、十年分を取り戻そうと少年の心は成長していた。

 成長は今も続く。

 少年は泥の中をもがく悩む。

 弱い自分なりに為したい事は、大事な人たちと向き合う事。

 呪いの運命の中で産まれた、自分にしかできない事だと思うから。

 両親の残した記録で自分が呪いの流れの中に居ると自覚した少年は、誰かが少年に願ったからではなく、呪いの渦中にある彼女たちと向き合い。

 だが、自分違って、彼女たちにはこれまで生きてきた分の、辛い生と向き合ってきた分の固い意思がある。

 そんな彼女たちと向き合うには、まず自分の意思が無ければ話にならない。

 だから、隔絶され守られ続けてきた少年は己を知ろうと悩む。

 自分は彼女たちに何を望んでいるのか。

 自分はどうしたいのか。

 その答えは未だ出ない。

 だが、かすかな予感があった。

 自分を攫うこの女――レディに対して「呪いと戦う」と宣言したベローナが、自分に答えのキッカケをくれそうな予感が。


    ✕         ✕


中央エリア


 空を覆う黒煙を突破した濃い色の黒の塊が、一条の軌跡となって地上に向けて直進する。

 落下に速度と加重が乗り、空気を切り裂きながら、ブレる事無く真っ直ぐに目標物――ガルゴを掴み上げたレディ目掛けて加速する。

 黒い塊の表面には凍結している部分があり、鱗も一部が速度に耐えきれずに剥がれたりする。しかし、呪いの力を再生に使わず、攻撃の為に身体の内に溜める。

 鋼鉄の意思と黒い殺意を胸に。

 愛しい憎らしい相手に向けて。

 決着を付ける為に。

 黒い塊の先端で、

 ギラリ

 と、サーベルみたいな鋭い爪が煌く。

 目標物との衝突寸前に黒い塊がバッと解けて、大きな翼が広がり空気の塊を掴んだ。急停止した身体が慣性により前につんのめり、顔の前で腕をクロスさせたメイド――もう一人のレディ・オブ・ザ・ランドであるトワの姿が露わになる。

 まるで獲物を捕らえる寸前の猛禽類に似た様子で、トワはバネが力を溜めるように上体を反らしている。

 接近に気付いたレディが咄嗟に上空を見上げ、叫ぶ。

「トワイライトッ!!」

「――がぁぁぁあああ!!」

 トワの仮面の下の眼が光り、獣のような咆哮を上げる。

 防御ではなく攻撃の為に突き出されるレディの右腕よりも早く、反らしていた上体を振る動作と同時に、トワのクロスした腕が振るわれる。

 両手の爪合計十本で、レディの右腕と咄嗟に盾となった尻尾が深々と切り裂かれた。

 尻尾に囚われていたガルゴは地面に転がった。

「あぐっ。な、なんだ? ――うわ!?」

 トワが加速のまま地面に衝突して激しい衝撃と土煙が発生する。

 土煙はすぐに晴れた。

 衝撃の発生地点で戦う二人の怪物によって。

「ハハッ! 右腕が皮一枚で繋がってるわ、まるでかかしのようね!」

 狂ったように楽しげに笑うレディが右腕を振り上げると、皮一枚となるほど深く切られた事実など無かったかのように、再生力で右腕が繋がる。

 そして、手をピンッと指先まで伸ばして剣のように振り下ろした。

 振るわれたレディの爪が、着地の姿勢で屈んでいるトワの片翼を斬り落とす。

 だが、トワは怯むどころか斬られた翼を目くらましにした。

「ぐううがあああ!!」

 身体を捻り、翼ごと貫く威力の手刀でレディの腹を抉る。

「ガハァッ、ア」

 恍惚そうな吐息ともとれる呻きを漏らすレディ。

 二人の戦いは人間らしさなど皆無。もはや、戦いと呼べる駆け引きすら無い。

 獣であろうと、死なぬ為に傷を負うことは避けるもの。だが、レディ・オブ・ザ・ランドは人間でなければ、獣でもない。

 死ねない怪物だ。

 だから、二体の怪物の攻防は防御をかなぐり捨てて、ただ相手を殺したい殺意だけで術理も理性も無い。

 致命傷であろう傷も呪いの力ですぐに治し、先に相手が力尽きて死ぬまで――そんなものが無いと知りながら、ただ攻撃と破壊を繰り返す。

 あるいは理性など、この二人の間にはもう必要ないのかもしれない。

 二度と相手を許容など出来ないのだから。

 傍から見ているしかないガルゴは、地獄のような光景に戦慄しながらも目が離せなかった。

「ァハア」

 腹に刺さったトワの腕を掴むレディ。彼女の白い両翼が悪意を込めて、グニグニと動く。


 トワとレディの変身後の姿には個体差がある。

 トワは爪が長くサーベルのように鋭い、指を揃えればまさに短剣と表現できる形状になる。また、尻尾と翼が大きく、毒の性能が弱いのも特徴だ。

 対してレディは爪は短いが硬く、翼がトワよりも柔らかい代わりに第三の関節があった。かなり自在に翼を動かせる。また、体内の毒の性能が極めて強い。

 レディは翼の第三関節も使って器用に動かし、虎の牙のように尖った爪をトワの首に突き刺す。その姿はまるで相手を抱きしめる白いヴェール姿の花嫁。

 レディの白い翼とトワの黒い仮面を、噴き出したトワの鮮血が汚す。

「――ギ」

 瞬間、トワの尻尾が上に振るわれた。

 途中にあったレディの両翼を切り裂いて。

「は?」

 呪いの力を引き出して変身したトワの尻尾の背と先端は、骨が形状変化した剣になっていた。鞭を扱うように尻尾を振るい、骨の刃でトワの翼を切り裂いたのだ。

 それを理解したレディの正面に、首の異物を引き抜いたトワの手が迫る。

 トワの突き出した左手がレディの喉に突き刺さる。

「ゴヒュッ!?」

「ガギギギギ!!!」

 トワは相手の首を刎ねる為に腕に力を込め、そうはさせまいとレディがその腕を掴む。

 咄嗟にレディが先んじてトワの右手を止めた。更に攻撃を仕掛けたいトワだったが、彼女に攻撃手段はない。翼は鱗が多くて盾になるが、レディのように攻撃には有効ではないのだ。

 二人は拮抗状態となり、血を吐きながらレディが親友に語り掛ける。

「随分と、早い到着ね……もっと、遅れるかと思ったわ」

「ぎ、ギギギ、ガア」

「?」

 呻くだけのトワにレディが違和感を覚えた。

 思えば、戦いの最中もおかしかった。

 トワはまともな人間の声など発さず、ただ獣の咆哮に似た声を叫ぶだけ。

「――……ああ」

 レディだけは得心がいった。

「そんなにのね、もう人間の声すら出せない程に」

「……」

「戻ろうとした時、もう喉が怪物になってるかもしれないわね。どうなのかしらね? あの子は、それでも貴女を愛してくれるのかしら?」

「! ガアアアアア!!!!」

 レディが少年の事で挑発していると理解できたトワが吠える。

 尻尾が鎌首をもたげる蛇のように動き、レディの顔面目掛けて骨の刃を突き出す。

 しかし、尻尾の刺突は阻止された。

 レディのに絡め捕られて。

「私にはそんな覚悟が無いとでも? 数が多い方が良いでしょ」

「グ、ググ……」

 徐々に、トワが斬り落としたレディの尻尾が再生してゆく。

「私だって、あの子と一緒に生きる為なら怪物にだって成ってやる」

「グ! ガッ!?」

 完全に再生したレディの尻尾がトワの顎を下から殴り抜いた。

 腕、翼、尻尾。どれで守る事も出来ない。自由であるレディの尻尾に連続攻撃を許してしまう。



 目の前の光景が信じられないという心境だった。信じていたものが破壊される音が聞こえてくるようだ。 

 抵抗できないメイド服姿の怪物が白い怪物に痛めつけられている。

 ガルゴはただ目の前の光景を前に受け止めるしかない。

 怪物同士が互いに相手を滅茶苦茶にしようと、互いに滅茶苦茶な攻防を繰り返している。

「怪物が二匹も……」

 レディ・オブ・ザ・ランドは二人いた。

 『遺恨者たち』がカテリーナ婆さんから教わっていたレディ・オブ・ザ・ランド伝承には、怪物は一人しか登場しない。

 彼らが倒し決着を付けなければならない相手は一人だけ。

 それが彼らの、これまでの共通認識だった。

 ガルゴは彼らが信じてきた世界が壊されるような事実に心が囚われていた。

 そんな男の混乱を砕くようなタイミングで待ち望んでいた仕掛けが稼働する。


    ✕         ✕

 

 レディが現れた時、突風を発生させて炎を周辺の建物に飛び火させた。

 本人にとって、それは単に、簡単に出来る事だからやった程度の理由しかない。演劇のような外連味を好む彼女の気まぐれの一つだ。

 しかし、幸運にもその火球は『遺恨者たち』が仕込みを施した建物にも引火した。

 火は建物の木造部分を燃やし、内部まで至り、爆弾樽の一部に延焼した。

 もう少し必要と思われていた時間は短縮され、足の悪い男の僅かばかりの抵抗と怪物同士の血みどろのじゃれあいで十分に稼げていた。

 ――ドオオン!!

 最初に爆発したのは宿に最も近い建物。内部の樽が一つ爆ぜ、他の樽も連鎖して爆ぜる。

「まずい!?」

 足の悪い男が身を屈める。

 次の瞬間、男の頭上を大粒の瓦礫と樽に詰め込まれていた刃物が通過する。

「何?」

「ぐ、ぐぅ……?」

 二人の怪物にも瓦礫と刃物の嵐が襲い掛かる。

 瓦礫は問題ないが、爆発で加速している刃物は怪物の鱗を砕いて突き刺さる。

 翼の再生が間に合わないレディは尻尾を使って迎撃しようとするも、一本だけは大部分の通過を許してしまう。

 さらにまた爆発が起きる。

 別方向からも瓦礫と刃物が怪物たちに襲い掛かる。

「チッ」

 レディはトワを解放し、防御の為に二本の尻尾を振るう。

「ぐ、ぐう」

 すぐさまトワは翼をドーム状の盾にする。翼の硬度には爆発で威力の上がった刃物も通用しない。

 爆発が止まる事無く立て続けに起きていた。四方八方から逃げ場なく、仕込まれた殺意の塊が刃物という形となって怪物たちを襲い続けた。

 トワは翼の隙間からレディを見る。

 飛来する刃物を二本の尻尾で弾くも、捌ける本数には限度ある。しかも、全方位からの攻撃には対応しきれない。

 トワのように翼を盾にする為に呪いの力を回復に回そうにも、防御に専念する中で他に集中を回す余裕はない。

 結果、防げなかった刃物が勢いよくレディに突き刺さり更には瓦礫が衝突して、糸が絡まった操り人形のように不格好な踊りを披露する羽目になる。

 それでも、身体を切り裂かれ抉られながらも、レディは尻尾で防御を続けている。

 まだ、やるべき事があった。

 レディがトワに向けて手を伸ばす。

 トワへの憎しみと執念を原動力にして。

 一瞬、二人の視線が絡む。

「……」

「……」

 言葉はない。

 仮面で相手の表情もわからない。

 けれど、この二人は相手の事がよく理解できた。

 互いに通じ合った後、一際大きな瓦礫がレディに直撃して、連続する爆発の中に彼女を吹き飛ばした。


    ✕         ✕        


 トワは複雑な胸中ながらも爆発からの脱出を試みる。

 レディ・オブ・ザ・ランド用の罠による連続爆発の被害は火事の比ではない。宿のあった、町の中央エリア全体を吹き飛ばさん勢いだ。

 トワは急いで凶器の暴風域から抜け出そうと足に力を込めた。自分の鱗の頑丈さに任せて、爆発の中を一息に飛び立とうという腹積もりだった。

「う、うぅ」

「?」

 呪いの力で強化された耳が爆音の中で微かなうめき声を聞き取った。

 地面にうずくまっている男の存在に気付く。レディに捕まっていた男だ。

 男は平伏の姿勢で飛び交う凶器を避けているが、上手く片方の足が動かせないようで、その場から少しも動けずにいる。

 今は無事で済んでいるが、爆発は続いているし、それに巻き込まれるのも時間の問題である。

「……」

 自分には関係ないと、その場をすぐに立ち去ろうとするトワ。

 だが、不意に立ち止まって、また男の方を見る。

「まだ死ねない。伝えなくちゃ、皆に。もう一人居たって伝えなくちゃ」

 男は諦めていなかった。

 少しも前に進んでいないが、必死に身体をジタバタと動かして逃げようとしている。生きようとしている。

 だが、無慈悲な罠の矛先は領域内の全てに及ぶ。

 男の近くの建物が爆発し、幾本もの凶器と瓦礫の礫が迫った。

「くそ!」

 死を覚悟した男が目を閉じた。

 しかし、凶器が男に突き刺さる事も、礫が男をバラバラにする事もなかった。

 目を開けた男の視界に飛び込んで来たのは、黒い影。

 トワが翼を広げて男を覆い、飛び交う凶器と瓦礫の群れからの盾となったのだ。

「何で……?」

「ダ、ダマッテ」

 呪いの力によって変身した今のトワは喉が変貌していた。男の疑問に答える声は猛獣の吠え声のようであった。

 だから、言葉ではなく行動で意思を示す。

 トワは男を抱え上げて、翼を盾にしたまま連続爆発の中を歩く。

 時に爆発の衝撃でよろめきながらも、翼の盾を維持したまま、決して男に被害が及ばないように慎重に前進するトワ。

 一人だけなら飛んで逃げる選択もあるが、その場合は男を翼で守る事が出来ない。だから、徒歩での脱出を目指す。

 方角もわからず火薬で鼻も利かない中、十年前の土地勘だけを頼りにトワは男と脱出を試みる。

「何で、怪物が僕を守るんだ……?」

 ガルゴが視線を落とすと、トワの足元が見えた。

 翼で男を守ろうとすると、どうしてもトワ自身の足元は無防備になる。刃物と礫でスカートがボロボロになり、露わになった鱗まみれの脚がズタボロに切り裂かれる。

 怪物の心は人間にはわからない。

 だが、自分を助けようとしていると理解は出来た。

 ――まだ死ねない。仲間に伝えるべき事がある。

 今は生き残る事が重要だと判断したガルゴが指さして叫ぶ。

「そこ! あの建物の脇道に入れ! あそこを通って隣の通りまで!」

「!」

 トワはガルゴの指示を受けて、足に力を込める。

 溜めた力を解放し、バッと脇道まで一気に跳躍した。

 次の瞬間、彼女たちの傍の建物が爆発し、一際大きな被害をもたらす。

 爆炎が背に迫る中、ガルゴを抱えたまま、トワは跳躍を繰り返して安全地帯まで駆け抜ける。

「もう少し、あと少しだ!」

「ッ」

 仕掛けられていた罠の中で、一番爆発樽の数が大きい建物を爆炎が包む。

 次の瞬間、戦艦でも破壊できそうな程大きな爆発が起きた。

 衝撃と炎が駆け抜けて、トワたちを襲う。

「グゥ!?」

「うわああああ!?」

 咄嗟にトワが男を庇うように身を丸め、翼で覆う。

 吹き飛ばされた空気が戻り、さらに大きな爆炎が発生した。

 


 後に、宿のあった港町の中央エリアに大きな円状の更地が出来上がっていた。

 そのエリアの地面には、大小いくつもの爆発の跡が残り、それが重なって大きな更地を作り上げていたのだ。

 空からそのエリアを見ると、まるでコンパスを使って円を重ねたような文様になっていた。




___________

 

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