Ⅱ 終わりの冒険のはじまり
船の出航を報せる鐘が一回、二回と鳴らされた。
乗り遅れまいとする、上物の服を着た乗客たちが大急ぎでタラップを
慌ただしい中、クルーと乗客を乗せた客船はゆっくりと港を離れてゆく。
港に残る人にも色々居る。
船に乗った誰かに向けて別れの合図を送る人、何かの瓶を抱えてハンカチで涙を拭う人、船に目もくれず木箱を運ぶ大男、休暇のため下船したクルーたち、港の奥の方でキャンパスと睨み合っている画家。
小さく見える港の人々を、甲板の
新鮮な感動に心が弾むかと思われたが、今は他に気を揉むことが沢山ある。
この船がどこに向かうのか。これから先自分がどうなるのか。
そして、一番気になるのは最後に見たボロボロのトワ。置いていった彼女を想うと、誘拐された自分ではどうしようもなかったとは言え今も心が痛む。
考えに耽りぼうっとしているコランは、何の気なしに自分の名前が刻まれたサメ歯のペンダントを弄っていた。
すると、隣に上品な服を着た女性が立った。
咄嗟にペンダントを隠したコランは、女性の方を見上げた。
潮風に帽子を飛ばされまいと守っているレディだ。
彼女はコランと同じ方向を見てから、彼の方に白金の仮面を向けて楽しげな声を掛けた。
「そろそろ、ボクの名前を教えてくれないかしら?」
「……」
コランが名前を教えないのは、トワにいつも言われていた三つの言い付けをまだ守っているからだ。
外の人間と関わらない。外に出ない。本名を教えない。
既に二つを破っているが、最後の一つは守っていた。
ふう、とレディが溜息を吐いてから言葉を続ける。
「君の名前を偽造しなきゃだったから、乗船するのに苦労したのよ。
……どう? 初めての船旅は。憧れの冒険家第一歩よ」
また、レディがコランの方を見た。
「……」
コランは答えない。
レディは自分を攫った張本人でもあり、トワを徹底的に痛めつけた怪物でもある。
当然、彼女に恨みもあれば恐れもある。
既に何日も一緒に居るが、会話の相手をする気は起こらない。
無視がコランなりのささやかな抵抗だった。
レディもそれを承知しているのか、コランの態度を気に留めない風を装って話を続けた。
「……この船は食料品の貿易商船なんだけど、人の運搬もやってるのよ。旅行業も兼ねてるの、無認可なんだけどね。『大冒険家コロンブスの跡を辿ろう』って触れ込みで富裕層相手に荒稼ぎしてるから、お咎めなしだけど。ああ、でも、本当に同じ航路じゃないみたいよ」
そう言うと、レディは前屈みになってコランの顔を覗いた。
ふいっとコランは顔を逸らした。
「いつか同じ航路で旅が出来たら良いわね」
そう言うと、レディは短く笑ってから、甲板の方を振り返って手すりに背中を預けた。
甲板に他の乗客たちが出て来始めており、彼らが海や魚影に興奮する声で騒がしくなってきた。
ここには誰も、仮面の貴婦人の外見を気にする者も傍に居る子が誘拐されていると思う者も居ない。
仮に気にする者が居たとしても、レディはそれを金や暴力で黙らせることが出来ただろう。
だから、コランも騒がずに彼女の傍に居た。
変わらぬ海上の光景に飽きだしたコランは、ここ数日のことを思い出していた。
ここ数日の間、レディはコランを連れまわして外遊していた。
誘拐の罪滅ぼしのつもりなのか、彼女はコランに沢山のイベントを用意した。
観劇やレストランを中心に巡り、途中公園などで祭りがやっているのを見かけたら、当初の予定を変更しコランの手を引いて飛び込んだ。
他には、誕生日でもないのにコランの誕生日パーティを開いたり他人の結婚式に勝手に参加したり、特別なものから悪戯レベルのものまで、大人が楽しいものや子供が喜ぶものを問わず、何でもやった。
中には失敗して、一緒に怒鳴られて追いかけ回されたこともある。
十歳になるまでトワ以外の他者と触れ合った事の無いコランには想像もできないが、二人はまるで長年の悪友が羽目を外して遊ぶように同じ時間を過ごした。
トワとの変わらない日々も楽しかったが、コランはレディとの遊びの方が疲れる程に刺激的なものだと感じていた。
コランはバレないよう横目で、心地よさそうに潮風を受けるレディをうかがう。
――様になる人だなあ。
彼女好みの白で統一された服とズボン、赤い鳥の羽が刺さった帽子。男装の麗人のような出で立ちで帽子を片手で押さえている。風に遊ばれないよう長い髪を団子状に結んでいた。
白金の仮面で顔を隠していることで、ミステリアスな雰囲気もある。
この船に画家が同乗していれば、きっとレディを題材に絵を描いているだろう。
そんな風にコランは考えていた。
数日一緒に居ただけだが、コランの中でレディに対する認識は、トワを痛めつけた憎い相手というだけではなくなっていた。
今は強い興味を惹かれる相手になっている。
レディの人間らしい面は複雑である。
彼女には二つの面がある。
善人の面と悪人の面だ。
善人のとき、レディは顔の広い文化人となる。
レディは自分が話すよりも他人の話に耳を傾けることを好む。観劇が好きで、悲劇よりも喜劇がいいと想っている。だから、自分の好きな喜劇をこき下ろす演劇評論家の記事を読むのが嫌いで、毎朝の新聞も嫌っている。
食事をしないのに、彼女にはレストランのオーナーの知り合いが多い。彼女の出資を受けていたり、彼女に恩を感じている人たちばかりだった。
子供がぶつかってきて倒れたら助け起こすし、服が汚れても子供やその親を責めたりしない。
また買えばいい、と言って余裕を見せる。実際、それだけの資金の余裕がある。
善人らしい一面を知る程、レディのもう一つの仮面が際立つ。
悪人のレディは、裏社会の有力者で犯罪を隠すことを得意とする事業を展開していた。
彼女に届く手紙は仮面の貴婦人の強い影響力を頼りにする内容で、自分たちの違法な事業を後押ししてほしい、悪事をもみ消してほしいなどが主だ。
密輸や違法品の取引をやる悪党や海賊、さらには宰相と呼ばれる人物までも手紙の名義に含まれていた。
犯罪や違法行為で手にした資産が彼女の資金源となっている。
不死身の彼女が稼ぎ、貯め込んだ額がどれほどなのか。
少なくとも、今の時間しか生きられない人間が到達出来るレベルは越えているだろう。
善悪が入り混じり生きる。それは人間なら当たり前の
だが、外の世界を知ったばかりの未熟なコランに、レディという女性の本性はまだ理解が難しい。
甲板の上で仮面の貴婦人と不貞腐れたコランの周辺だけ妙に物静かで、二人を見た他の乗客は親子だと思っただろう。
レディが楽しげな乗客たちを見ながら、手すりの柵を指先でトントンと叩きながら、言葉を発する。
「船の旅は長いわ。聞きたいことがあれば、今がチャンスよ」
コランも同じ意見だった。
今が一番いい機会だと思う。
意地を張って無視しても損になると判断し、コランは丁度考えていた疑問を投げかける。
「……レディはどうして悪いことをするの?」
出航してからやっとコランが口をきいた。
レディは嬉しさを努めて隠して、手すりに肘を乗せ手で顎を支える。
「外の世界で私に一番向いていた仕事だから。それに悪いことでのし上がると、周りから裏切られなくなるの」
「悪いこと以外じゃ、裏切られるの?」
「う~ん、ちょっと違うわ。
悪いことで偉くなれるような人はね、強くて残酷な者だけなの。
そういう相手を裏切れば、どんな目に遭うかわからない。その恐怖が生まれるから、裏切られなくなるの。
私は裏切られたくなかったからねえ、一番向いてたのよ」
レディがからからと笑う。
コランは難しい顔をして海を眺めていた。
「裏切られるのが辛いのは痛いほど知ったよ。……けど、それで良いのかな?」
「どういうこと?」
コランは自分の考えを確かめるようゆっくり喋る。
「恐怖で縛って裏切られなくなったとしてもさ。それは誰にも心から信じられないし、自分も心から誰かを信じられてないよ。
きっと、それは不自由で辛い。裏切られる辛さを知ったから、そう思う。
……僕は幸せじゃない生き方だと思う」
コランは顔を上げて、意思のこもった目をレディに向けた。
「僕はトワに正体を隠されてて、裏切られたって思ったよ。けど、トワをもう一度信じたいって思ったんだ。だって、僕は何も知らなかったから。まだ、聞かなきゃいけないことがあるんだ。
裏切られたくないって想いより、信じたいって想う方が勇気が湧くよ。
人と関わるって、全部が勇気なんだと思う。
裏切られたくないって、きっと怖いからなんだと思う。
レディ、その怖さも君を縛る呪いなんじゃないの」
思ったままのことを口にするコラン。
レディは言葉を詰まらせる。
コランの言葉が、彼女に昔の知人のことを思い出させた。
14世紀後半 ヨーロッパ
レディが出資し、懇意にしている秘密クラブがある。
そこは女性だけが会員になれる女の園。
ダンスや編み物の教室を開いている建物の地下に、秘密の花園が隠されていた。
そこの奥に、仲の良い女同士が逢引する為の特別な個室がある。
華美な装飾は無く、匂いのきつい花も生けられていない一見質素な部屋。だが、調度品はどれも一級品で、邪魔にならない程度に香水で香り付けされていた。。
利用客の予約があれば、サービスとしてテーブルの上に最高品質の茶と菓子が用意される。
男のように意地や見栄を張らず、ただ一緒の時間を楽しむ為の趣向が凝らされた場であった。
レディはとある人物に呼び出され、その部屋で待っていた。
二人の為に用意された茶と菓子に手を付けず、レディは瞼を閉じて相手の到着を待っていた。
すると、静かな秘密クラブの空気をぶち壊すような、「邪魔」という冷たい声が部屋の外から聞こえてきた。
すぐに部屋のドアが蹴り開けられた。
相手が誰かわかったレディは溜息を吐いて、瞼を開けた。
「……ドアを足で開ける癖、直さないの?」
注意を受けた女性は、男物の服に身を包んでいる。だが、胸には女性好みの薔薇のブローチを付けていた。
ステッキも持っていて、もう一方の手には大きな革製の鞄が握られている。
男装の女性が口をへの字にして、眉間に皺を寄せる。
「他人がねちっこく触りまくった取手はばい菌の温床よ。足の方がよっぽど健全だわ」
「その理屈で、ここのドアの鍵が壊されたのは何回かしらね」
「合計で7回。私の実家のドアよりマシだわね」
そう言うと、女性はステッキを適当に放り投げて、レディの向かいの席に座った。
「……帰りはいいの?」
「飽きたわ。この格好にもね。ここって服は貸してくれるのかしら?」
「着替えていくつもり?」
「次は海賊の恰好でもいいわね」
「はあ。相変わらずね、マンデヴィル」
彼女はジョン・マンデヴィル。後に『東方旅行記』の作者とされる男の騎士の正体である女性。普段から気分で男装、女装を使い分けている変人である。
マンデヴィルはテーブルの上に置かれているカップを手に取ると、一息に飲み干した。
「ふぅ、美味しいわね。頂いても?」
「どうぞ」
レディは自分のカップをマンデヴィルの方に押し出した。
「それで? 今日は何の用?」
「貴女に本の完成が近いことを伝えようと思って。私の勝利宣言を知っておいて欲しいから」
「例の本のことね。本当に男として世に出すの?」
この頃、丁度マンデヴィルは東方旅行記の二部を書いている所だった。秘密クラブでレディに出会った彼女は、レディのことを取材したいと何度もせがみ、そのしつこさに折れたレディがレディ・オブ・ザ・ランドの話を語った。
それからというもの、マンデヴィルはまるで親友のように馴れなれしく、レディに接するようになった。
マンデヴィルは飲み干したレディのカップをテーブルに置いてから、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「ジョン・マンデヴィルという騎士が書いた世界を、世の男どもが憧れ、世界が広いと啓かれるの。それが私の、女の空想だと露にも思わずにね。
そういう馬鹿どもに私がマンデヴィルだと明かしてやるのが、死後の楽しみなの。驚愕し、顔真っ赤にして否定する表情を想うだけで、笑いが込み上げそうよ」
「下品で倒錯してる。そんなに男が憎いの? なら、作者が女と明かせば、世間の鼻を明かせるでしょうに」
「馬鹿言わないで。それじゃ、私が立派な女性みたいじゃない。
私は私自身をよく理解してる。私は自分勝手で、女の為に活動できるような志なんて少しもないし、やりたくもない。
私が本を書く理由はね、自己満足の為。男の領域を土足で踏みにじりたいの。
私の思い描く『東方』は、まさに幻想の世界よ。
まさに神聖な創作! ざまあみろ!」
マンデヴィルは高笑いした。
すると、不意に真顔になって言葉を紡ぐ。
「それに勘違いしてる。私は男を憎んでない。馬鹿だから嫌ってるだけ。
私の宿敵は誰もが当たり前と思っている観念よ」
「観念? そんな曖昧なものを憎んで、どうなるというの?」
マンデヴィルが鼻を鳴らし、テーブルに足を乗っけた。
「勿論、幸せになる為よ。
観念はね、過去から積み重ねを続けて、女や男の思考を正しさの快感で縛っているの。それが原因で、今や誰もが不自由よ。
不自由という不幸を私は受け入れられない。
観念は、私たちを取り巻く運命なの。
運命は枷よ。レディにはこの意味がわかる筈」
「わかった気にならないで。私と貴女は友人でもないのだから」
「運命は呪いなのよ、親愛なるレディ。
人間も呪われている。歴史の生んだ不幸にね。
ね、貴女にはよく解るでしょ? それを傍で見てきた訳だし、呪いの苦しみを知っているのだから」
レディは答えず、マンデヴィルが続きを話すのを待つ。
「運命の呪いから解放されることこそが、人が求めるべき幸せなの。
私はジョン・マンデヴィルとして世に旅行記を出す。女に出来ないという呪いを解かなければ、私は幸せになれないから」
「成功したとしても、結局は新しい価値観が産まれ、それが新しい呪いになるだけよ。貴女の言う呪いからの解放は一時的なもの、真の勝利とは呼べない」
レディの反論にマンデヴィルが鼻で笑う。
「そうでしょうね。けど、私には関係ない。その頃には死んでるでしょうし。
私は創作という行為を女の手でやり遂げたい。それだけ。
言ったでしょ、私は自分勝手で自己満足の為にやるんだって。
私は私の幸せを追求するのに忙しいの。他の女の将来なんてゴミ同然。知ったこっちゃないわ。
人間全体の問題は、他の誰かがやればいい。
――けど、貴女の幸せは私の使命よ」
そう言ったマンデヴィルが、持ってきた鞄をテーブルの上に持ち上げた。
レディはそれが何かわからず、怪訝な眼を向ける。
「何それ?」
「秘密兵器、切り札、ご都合主義? 好きに言えばいいわ。
幸せの追求に余念がない私から言わせてもらえば、レディはちっとも幸せを求めていないわ」
「急に何よ。自殺志願に巻き込まないでくれる?」
冗談抜きの本気の殺意を向けられても、マンデヴィルは少しも怯まずに口を閉じない。
彼女にも作家としての意地がある。口を開くなら命を懸ける。
「
貴女が呪いを解けないのは、解呪法を見付けられないから?
違うわ、本気で幸せを求めていないせい。幸せを求めることより、恐怖から逃げる方が大事だからよ。
裏切られる恐怖という過去のトラウマを乗り越えられていない。いいえ、乗り越えようとしていない」
「言ってくれるわね。私は誰にも裏切られないだけの力を手にしてるのよ」
「それが逃げだというのよ、馬鹿ね。
わからないの? その恐怖も運命の呪いなのよ。いくら怪物になろうとも、人間だった以上は運命から逃れられないの。
犯罪を続けて周りを恐れさせれば、確かに裏切られない。けれど、愛されることはないわよ。だって、貴女は他人を愛さない為に悪に走るのだもの。
一方的な愛も愛でしょうけれど、貴女は愛されることさえ遠ざけてる。
愛されたいと望んでいる癖に、裏切りの恐怖が拭えないから悪に走り他人を遠ざけて、やっぱり自分は愛されない愛そうとしたのに裏切られたと叫ぶ。
……貴女、わがままな子供より性質が悪いわよ」
「なっ……!?」
レディは無礼な分析をまくし立てる女を殺してしまおうかとも考えたが、殺しても喋りそうな女だから止めた。
それに図星であると、自覚できてしまう。
マンデヴィルは鞄の鍵を開けた。
「ここには私が調べ上げた、貴女に掛けられた呪いを解く方法をまとめた資料が入ってる」
「なら、それを寄越して。そして、さっさとどこかに行って。本を出して、一人で勝ち誇って、貴女の言う幸せを勝手に実現して」
「条件があるわ。別に犯罪を止めろというんじゃないの。悪のままでいい。
ただ、自分の幸せを求めてほしいの。本気になって呪いを解いてほしい。
本当に愛されたい相手が出来たとき、貴女はその人にだけは誠実で信じる努力をすべきなのよ。それが呪いを解く攻略法だから。
――怪物のままでは、愛されないわよ?」
レディは黙したまま。
マンデヴィルは気にも留めずに、けろっとしたまま言葉を続ける。
「これは取材のお礼よ。
私の本音わね、貴女が呪いに打ち勝ってほしいと思う。
その為に、努力してほしいし、運命と戦ってほしいの。
言ったでしょ、運命の呪いから解放されることが人間の幸せだって。レディに幸せになってほしい!」
マンデヴィルが鞄をレディの方に差し出した。
その中には、彼女が集めた沢山の資料が詰まっていた。
「……どうして、そう思うの? ただ取材しただけの仲なのに」
「身分を詐称する予定だけど、私は作家よ。貴女のことを本に書いたの。貴女はもう私の作品の登場人物。
作家の私には、貴女を相応しい結末に導く義務があるの。
どうなるかはレディの運命次第だけど、解き放たれることを強く願っている知人が居ると知っておいて」
そう言うと、マンデヴィルが席を立った。
「帰るの?」
「帰るわ。用事は終わったしね。
もう会うこともないでしょうから、あの世で先に待っているわ。結末、幸せだったか教えてね」
部屋を出ようとするマンデヴィルの背に向けて、レディは声を掛ける。
「……ねえ!」
マンデヴィルが振り返る。
「ジョン・マンデヴィルになった後、貴女はどう生きるの?」
マンデヴィルは少し考えて、今思いついたことを答える。
「医者の妻にでもなるわ。あいつらが一番傲慢だから、傍で馬鹿にするのも面白そう。きっと逆上した夫に殺されるわね、ふふ」
部屋を出ようとしたマンデヴィルがまた振り返る。
「ああ、そうそう。私、悪党の貴女も好きよ。正体不明の有力者なんてミステリアスだと思う。
けれど、島で救いがあるって信じてた馬鹿みたいに純情な女の方が、滑稽でもっと好き」
部屋のドアが閉まった。
レディは一人残された部屋で、鞄の中身を検めた。
本当に沢山の資料が丁寧にまとめられていた。マンデヴィルは本気でレディの為に尽くし、遂には解呪法を見つけたのだ。
もう会えないだろう相手に向かけて、レディは独り言をつぶやく。
「さよなら、協力者」
現在 船の甲板にて
コランに面と向かって、他人を信じることを怖がっていると言われたレディは固まってしまっていた。
コランが心配そうに声を掛ける。
「どうしたの?」
「……驚いただけ。昔、知人にも同じようなことを言われたから。
きっと、貴方たちが正しいのね」
レディは手すりを掴んで、青い空を仰ぎ見た。
「あーあ……。けどね、今更信じるだとか結構大変なのよ。だって、もう何百年? とにかく時代を越えるぐらい長い間、こうだったの。
まさか、ボクに教えられるなんて……。
年上で教えてあげる側だと思ってたのになぁ」
「ぼ、僕だってもう10歳なんだ。わかることだってあるよ」
「ふふ、子供扱いにムキになる所は子供っぽい。
……ねえ、ボク。君にとって私が大事なメイドを痛めつけた怪物で、誘拐した悪い女なのはわかってる」
「……うん」
「でもね、君の忠告を受け入れて、君を信じて素直になりたい。いい?」
「うん」
レディが屈んで、コランの顔を見上げた。
コランは何が起こるのかわからず、不思議そうな眼差しを向けている。
「君に一目惚れした。愛しているの」
レディの告白に、コランは驚いて固まってしまった。
裏切られることを恐れ、トワよりも濃密な時間を過ごす間にコランに愛してもらおうとするよりも、レディは一目惚れしたコランのことを信じようと決めたのだ。
彼に愛してもらう為に、誠実に努力しようと。
だから、彼女の自身の目的も、コランに明かすことにした。
「君に伝えておくわ。
この旅の終着点はレディ・オブ・ザ・ランドの島、私と貴方のトワはそこで呪いに決着を付ける。運命を解き放つの。
どちらかだけが、呪いを解いて幸せになれる。君にそれを見届けてほしい」
その理由も、レディは隠さず語る。
「――私たちの呪いの解呪法は、愛の口づけだけ。
だけど、キスをすれば毒を直接取り込むことになる。毒に耐性があっても、人間だと一度しか耐えられない。
死の口づけなのよ」
呪いを解けば、口づけと共に死ぬことになる。
不幸に導こうとする残酷な呪いの運命が、コランと怪物たちを縛り付けていた。
屋敷 トワの部屋
予備のメイド服を取り出し、トワは姿見の前に裸で立つ。腰辺りから生えたドラゴンの尻尾が左右に揺れている。。
レディに付けられた傷はほとんど癒えているが、肩から胸にかけて付けられた爪の傷痕はまだ残っていた。
だが、それ以上に、心に穴が空いたような空虚感がある。
トワ以外の気配がない屋敷の静けさが、さらにそれを大きくする。
「……」
全ては自分のせいだ。
コランの心を傷つけたのは、自分が中途半端に幸せを求めたから。
呪いの力を引き出せずレディに負けたのは、怪物の姿となってコランに嫌われることを恐れたから。
コランをレディに攫われたのは、自分が呪いの力を上手く扱えず治療が出来なかったから。
「……ッ」
トワは傷痕を強く意識する。
深く切り裂かれた傷口が元の形、元の姿に戻ることをイメージする。
すると、固くなっていた傷口が沸騰した湯のように蠢き、熱を持って、みるみる癒えてゆく。
呪いの力を引き出し、傷を完治させた。
だが、代償がある。
治った傷口には代わりにドラゴンの鱗が生えていた。同じように治した傷痕があった箇所にも同様の鱗が生えており、トワの裸体は所々が鱗塗れになっていた。
「……気持ち悪い」
これは咎の証だ、とトワは想った。
自分の心の弱さがこういう形になって、自分の身体に刻まれたのだと。
同時に、トワの覚悟の証でもあった。
例え、この鱗が全身を覆っても、自分が本当の怪物に成り果ててでも。
やがてして、メイド服に身を包んだトワが屋敷の庭に立っていた。
コランが兄弟のように大事にしていたオレンジの木が倒れている。この木は元々、ラヌのことを忘れないよう、例の港町に近い産地のオレンジの苗木をサンドラとトワで植えた物だった。
トワは仮面越しにその木を見つめて、悲しい気持ちになった。
だが、すぐに視線を逸らして、空を見上げた。
「必ずコランを取り戻すわ。待ってて、サンドラ、オリバー。
……力を貸して、ラヌ」
呪いの力を引き出す。
加工したメイド服の背中から、レディと同じようなドラゴンの翼が生える。
メイド服から太い尻尾がまろび出た。呪いの影響が進行したようだ。
トワは飛び立った。
コランを救う為に、レディ・オブ・ザ・ランドの島を目指す。
相応しい舞台を目指して、運命が収束していく。
誰もが幸せを求めて、呪いを解き放つときが近い。
――――
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
遂に解呪の方法が明かされました。呪いを解くのは、やはり口づけであるべきですよね。
よろしければ、好評価や星などお願いします。
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