第7話 願い、願われるヒーロー

   

 学業の関係で家と学校だけを往復する日が続いていた。その間続いていた雨が今日はどうやら遠慮をしてくれたらしく、空には晴れ間が見えている。久し振りの空いた日にこうなるのは、きっと日頃の行いの良さを認められているに違いない。

 午前中には日向さんや小鳥さんと半年ぶりに会えた。そして今から"ヒーロー"に向かう。恐らく一ヶ月ぶりぐらいになるだろう、私向けの依頼も幾つか断っているにと思われる。互いに承知の上とはいえ、申し訳ないことをしている。

 だからという訳ではないけれど、ちょっとした手土産も持参した。近所で穴場な和菓子店の栗まんじゅうだ。これで星月さんの顰め面が少しでも解れるといいのだが。

 それにしても今日は本当にいい天気だ。晴れてはいるけれど快晴ではないから暑すぎない。風があるから心地よさもある。梅雨の合間に外で活動するには適した日ではないか───


「……てよ、メロー。それ以上登るなって」


 不意に聞き覚えのある声が聞こえた。だが目の前には姿が見えない。歩道には見知らぬ人と街路樹しか存在しないように見える。気のせいだろうか?


「こんなとこ見つかったらまた怒られちゃうからさぁ、そのまま───よし」


 いや、気のせいではない。確かに聞こえる。前からではない。後ろからでもない。上からだ。恐らく、すぐそばにある大きな街路樹の上から降ってきている。


「全くもー、捕まえちゃうといい子なのに……」


 近寄って見上げると、大きな図体が樹の上側から猫を抱えて降りてきているのが見えた。猫を見て、抱え直して、足下を確認して───その課程で私に気がついたのだろう。目を見開いて強張ったように固まってしまった。背後に大きく「ギクッ」という文字が、もしかしたら出ていたかもしれないな。



「いやさ、木の上に登っちゃったら捕まえるのに登らなきゃいけないじゃん?」


「まぁ、そうだね」


 果たして無事に地面に降りた雲居君が真っ先に行ったのは、私への弁明だった。私はまだ挨拶すら口にしていないというのに。


「だからしょうがなかったんだよ。他に手段もなかったしさ」


「うん」


「……だからさ、宙さんには言わないで欲しいんだ。お願い!」


 雲居君の気持ちは分かる。前回謹慎処分を受けてしまったことはまだ記憶に新しいことだし、様子を窺いに雲居君の家を訪ねたときの彼の落胆ぶりと言ったら、それはそれはなかなかなものだった。どうしてそんなにまで叱られてしまったのかは聞いてはいないのだけど、またそうなってしまうことを避けたいというのは自然な欲求だろう。雲居君は本当に星月さんのことが大好きなのだから。


「分かったよ、言わないでおこう」


「うん、緑さんありがとう!」


 雲居君の腕の中で猫もにゃーと鳴く。不安げだった顔が一瞬で明るくなって、本当に分かりやすい。

 とはいえあの手慣れた様子はこれが初めてではなさそうだし、こんなに大ぴらにやっているのだから恐らくご近所の方々は知っているんだろう。私が言わずとも既に誰かは星月さんに話しているのではないか……と思わなくもないがそれはそれ、私は言わないでおくことにしよう。


「緑さん、今からお店に行くのか?」


「うん、そのつもりだよ」


「……えっと。俺さ、今からメローのこと届けにいくんだけどさ、緑さんに会うの久しぶりだし話したいし、だからさ、一緒に来てくんない?」


 突然のお誘いは雲居君にしては饒舌だ。私にまだ店に行ってほしくない、つまりはまだ安曇君が店に来ていなくて今は星月さんが一人で店にいるのだということなのだろう。回さなくてもいい気を回しているとみえる。


「そんなに話したいことがあるのかい?」


「もちろん!」


 即答だ。理由はどうであれ、嘘はないのが分かる。こういうところは雲居君らしくてとても微笑ましい。


「そうとまで言われたら断れないな。分かったよ」


「良かった! ありがとう、緑さん!」


 「良かった」が先に出てきてしまうところも含めて、ね。



「いつもは二ヶ月にいっぺんくらいなんだけどさ、先月もあったのに今月はもう二回目でさ」


「それは大変だな」


「進藤さんも不思議ねぇって言ってるんだよ。どんだけしっかり戸締まりしててもどっからか脱走しちゃうんだって」


 猫を撫でながら雲居君が言う。猫は目を細めて撫でられるがままにされていて大人しく、とてもそんな脱走癖があるようには見えない。


「お前、あんまり逃げてると進藤さん探してくれなくなっちゃうぞ?」


 猫がにゃーん?と鳴く。まるで本当に受け答えをしているようだ。その姿は甘えているようにも見えて、雲居君の腕から逃げ出さない理由もなんとなく分かる気がした。もしかしたら捕まえてほしくて逃げ出しているのかもしれない……なんて空想すら浮かんでしまうな。


「他の仕事はどうなんだい?」


「ええと……チラシ貼りと、見つかったからって剥がして回収したのと、朝一でデザート買うのに並んだのと、あと雨の日に通学路の横断歩道のところに立ってるやつと」


 指折り数えながら雲居君が挙げていものはどれも特別なものではなく、雲居君でなくても誰にでも、私にでもできるような仕事だ。それでも雲居君の表情はとても楽しそうで、良かったと思う。

 ……そういえば、同じようなことを日向さんに言われた気がする。日向さんや小鳥さんからしてみれば、私はいつまでも幼い後輩になってしまうのかもしれない。私から見て、雲居君や安曇君がそうであるように。


「緑さんは?学校のほうはもう大丈夫なのか?」


「うん、一段落はしたから顔を出そうと思ったんだ。でも本格的に来られるようになるのはもう少し先だね。来月くらいからかな」


「そっかー、残念だなぁ……あ、ここだよ」


 言いながら指したお宅は、実際にはもう二件ほど先の家だった。片腕でしか抱えていなくとも猫はやはり逃げる素振りはなく、にゃあとも鳴かずに大人しくしている。


「じゃあ、メロー届けてくるからちょっと待ってて。……あ、こんにちは進藤さん!」


 猫を抱え直してインターホンを押すのを見て、数歩下がる。インターホンの相手は挨拶だけで誰だか分かるのか、雲居君が名乗る前に玄関の鍵がガチャリと音を立てて開いた。


「ま~~~太陽ちゃん早いわねえ~~~いつもありがとうねえ」


 出てきたのはほんの少し肉付きの良い年配の女性だった。にこにことよく笑って、如何にも人好きのする印象抱かせる。


「メロディちゃん良かったわあ~~あんまり勝手に出て行ったらダメよ~~?」


 ぱたぱたと歩み寄って猫を受け取り、両手で抱いて頬を寄せた。可愛がっているのだろう、猫も嫌がる様子を見せない。


「じゃあはい、これお金ね……あら」


 何度ともなく交わされているいつものやりとりらしく淀みがない。テンポ良く進む様を眺めていたら、ふと女性が小首を傾げた。私に気が付いたのだろう。軽く会釈をすると女性は満面の笑みを浮かべて視線を雲居君に戻した。


「ありがとう進藤さん!どうしたの?」


「やだわあ、今日は彼女さんと一緒だったんじゃない~~~。メロディちゃんが邪魔しちゃってごめんなさいねえ」


「えっ?」


 不思議そうな顔をした雲居君が振り返る。そして私を見た瞬間にハッとした表情を浮かべた。

 忘れていた訳ではないだろう。ただ思い至らなかっただけだ。雲居君はそういうところがある。


「やだな違うよ進藤さん!そんなんじゃないって!」


「そうなの?」


「そうそう、俺のじゃないって!」


 そんな風に慌てて否定をすれば照れ隠しにしか見えないだろうに。おかしくなってついつい笑みがこぼれてしまう。


「じゃあ、メロディちゃんがまた出て行っちゃったらお願いするわね」


「うん、その時には言ってね!それじゃあっ!!」


 半ば強引に話を纏めて別れを告げて、急いで雲居君がこちらに戻ってくる。分かりやすくあれやあこれや言いたそうなのが顔によく表れていて、真剣な本人には申し訳ないながらもそれがまたおかしく思ってしまう。

 ───それはそれとして。


「緑さ


「で。誰が誰の彼女だって?」


 言いかけた言葉に被せたのはちょっとした意地悪だ。

 ここまでは雲居君の思い通りに動いてあげたのだから、一つくらいは反発してもいいだろう?


「いや、そうじゃなくって」


「そうじゃなくて。なんだと言うんだい?」


 ばたつきながら雲居君が口を開くが言葉は出てこない。待っても待っても言葉が出てこなく、だんだん身振りが大きくなっていく。なんとかして絞りだそうとしているのだろう。考え出すと動きが止まってしまう安曇君とは正反対だなと、ふと気がついた。こんなところまでレッドとブルーなんだな。


「…………もーーー!分かってるくせに!!」


 果たして言葉は絞り出せなかったらしい、まるで降参するかのような勢いだけを返す。そしてその顔は不平満面とでもいった様子だ。


「分からないよ」


「そんなわけないじゃん!!!」


「いいや、分からないよ」


 頭を振って雲居君に答える。分からない。いいや、分かると言ってはいけない、というほうが正しいか。


「言葉にされていないことは、事実ではないからね」


 確かにそうしなくても分かることは沢山ある。雲居君の考えはとても分かりやすいし、それを読み取って動くことはよくあることだ───実際に今日がそうだった。けれど、そうしてはいけないこともまた沢山ある。人の気持ちとなればそれは尚更のこと。

 

「さ、そろそろ安曇君も来ている頃だろうし店に行こうじゃないか」


 また「え?」となった雲居君を見やって歩き出す。

 やっぱり分かってるじゃないか、と思っているかもしれない。それとこれとは話が違うということを、雲居君はうまく分からないだろう。だけどきっと、安曇君は分かっている。


「緑さん!」


「ほら、来ないとまんじゅうを三人で食べてしまうよ」


「えっ、待って、待って!」


 ばたばたと駆け寄る足音はやがて追いついて、追い越して先に行くだろう。そういうものだ。そうでなくてはいけない。

 私もいつかはそう願われただろう。私は果たせただろうか。そして、


「待ってと言いながら追い抜かすんじゃないよ、雲居君」


 さて、どうなるだろうか。小さく笑って、走るような勢いの雲居君に追いつくために足を速めた。

 

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