秋月春陽という後輩③

「ねー、ゴハンまだ?」

 叶夢に揺り起こされる。仕事終わりで疲れているのか、揺する際の声の大きさに揺さぶる手の力は眠っている人間を完全に目覚めさせるにはたいへん弱かったが、既に目覚めている人間からすればそれは関係ない話であった。

「……忘れてた」

 返事をするも、寝起き気味の喉から放たれる言葉はひどく掠れていた。

「んー。コンビニでテキトーに買ってきてよ」

「じゃあ金ちょうだい」

「カバン入ってるから取って行って」

 のっそりと体を起こしてベッドから降りると自分のベッドにもたれかかり今にも眠ってしまいそうな叶夢の財布から2000円を拝借して最寄りのコンビニまでの道を歩いた。

 免許合宿のお知らせに期間限定フェアの宣伝が流れる店内の弁当、惣菜が並ぶコーナーを彷徨っているといきなり背後から肩を掴まれてわっ、と声を上げる。

「んだよ山科」

 振り返れば案の定、山科がいた。自分を含め、人にちょっかいをかけた直後の、お決まりの「にひひ」と変わった笑い声を上げるとそのままの調子の声で続ける。

「どーしたのよ死にそうな顔しちゃってさ」

「寝起きで叶夢に『飯買って来い』って言われた」

「そりゃご苦労様。で、これがその飯とやらって訳か」

「別にいいだろ」

 山科の指差した先は大盛りパスタと唐揚げ弁当、キャベツの千切りの袋にフェア限定のシークァーサードレッシング付きサラダが放り込まれたカゴ。

特に意識していなかったが山科に言われてから見れば、自分の好みの物ばかりが入っていることに気づいたものの具体的な注文は受けていなかったので無視することにした。

 帰ってきた時にはもう既に日は落ちて、部屋は青をまとった暗さに包まれていた。電気を付けて視界を確保して目に映った叶夢はベッドにもたれかかって安らかな寝息を立てている。

「買ってきたぞ」

 袋をくうくうと寝息を立てている叶夢の後頭部めがけて少しの勢いをつけて当てたものの、ビニール袋と容器の擦れる軽い音が鳴っただけで叶夢はよっぽど疲れているのか、起きる気配を全く見せない。

 諦めて叶夢を放置して居間で一人、買ってきた大盛りパスタを温める。目の前のレンジからミートソースの酸味ある匂いが漂う中で意味もなくSNSやゲームを開いては閉じてを繰り返していると温め終了のアラームが鳴る。熱さを我慢しながらテーブルまで運ぶと、先端がフォークのような切れ込みのあるスプーンで麺とソースを絡ませて一口頬張る。トマトと挽肉から溢れ出た油が混ざったソースはパスタとよく絡んで啜るたびに満たされるような気分になる。続けて千切りキャベツの封をほんの少し開けて胡麻ドレッシングを注ぐと口を閉じて勢いよくシェイクして掻き混ぜる。ある程度混ざったことを確認すると封を切って薄い黄緑と薄い茶色の混じった袋に箸を突っ込んで口内へ押し込む。ふわふわでありシャキシャキとした食感のキャベツに香ばしく、程よい酸味のドレッシングがバランス良く絡み合ってシンプルながらも他のどの料理にも負けないような美味しさが舌を伝う。

 コンビニ飯に満たされた所で無意識的にスマホの電源を入れると自然と指は春陽とのトーク画面を開いていた。前に自分が送った、昔観ていたアニメのスタンプの下に春陽から明日の予定が送られていた。集合場所に集合時間、屋台での食べ物調達ルートに加えて春陽曰く、の比較的混んでいなさそうなルートの経路図までもが細かく書かれていた。

 あまりの用意周到さに、花火大会に対する春陽の熱意が否応無く感じさせられる。

 

 集合時間の10分前、現地集合と言われて指定された海浜公園の少し奥まった場所にある、複数の遊具がと組み合わさった海賊船の近くで春陽を待つ。


「せんぱーい!」

 遠くから呼びかける声がした方を向けば春陽が大きく手を振ってこちらに駆け寄る。

 天真爛漫な性格に反して、と言えばそれは誤りではあるものの、淡色で無地の衣類を纏った、飾りっ気の無い装いをした春陽は到着するや否やこちらの手を取り、すぐさま来た方向へ踵を返して再び駆け出す。

「来て早々どうしたのさ!?」

 子供に手を引かれ、連れられる親のように目的地のわからないまま引っ張られる自分はついさっき頭に浮かんだ疑問をそのまま上がる息に乗せる。

「いいから来てください!」と答えになっていない答えを渡され、黙らされてからも数分付いていけば、甘いとも香ばしいとも言えないどっちつかずな空気が2人を包む。

 次第に発電機のけたたましい稼働音と人々の喧騒が耳に入り、その直後には気を抜くと今すぐにでも繋いだ手が解けてはぐれてしまいそうになる雑踏の中で、春陽は人混みを砕氷船のように掻き分けて進んでいた。

「先輩は何が食べたいですかー?」

 大海と思えるまでにごった返す人々の波に揉まれて緩んだ足取りで春陽はきちんとこちらに聞こえる声量で尋ねる。

 洪水のように湛えられた人間が決壊しないよう抑える防波堤のようにしてずらりと並ぶ屋台では客の回転率こそ命と言わんばかりに積み上げられた商品を裸の電球が「我こそが一等賞也」と誇示するように煌々と照らし上げ、1人でも多くの通行人を釣り上げようと躍起になっていた。どれが本当の日本一なのか分からなくなる程、至る所で銘打たれた日本一の看板を一通り見渡すと、左前方にぽつんと1つ、タープテントに「ひるぜん焼きそば」とだけ書かれたのぼりを掲げる簡素な屋台が目に留まる。

「左の方の焼きそばの屋台行こうか」


「2つで800円になります」

 1つ400円とお祭り価格ではあるものの、他と比べればいくらか割安に思える焼きそばはその値段相応にちゃんと具が入っていたことが決め手となりご飯はこの屋台で決定した。

 その後もチョウチンアンコウに誘われる餌の如く、ドリンクに唐揚げの屋台を回って気付けばお互いの両手は埋まっていた。なんとかはぐれないよう人の波に乗り、ようやく抜け出した頃にはもうすっかり日が落ちて花火が上がるまであと15分のところまで迫っていた。

「まずいですよ。早くしないと間に合わないです!」

 腕時計を見るや、息を整える間も無くおてんば娘さながらに屋台エリアから飛び出す春陽を見失ってはいけないと慌てて後を追いかける。

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屋根の下の叶夢と涼祐 便利屋りょー乳業 @ryodairy

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