第二十一話 精神の所在

 心配するな、とヴァラガンはソファから腰を上げる。

「夜にはワンを襲う。順当にいけば、お前に危険は及ばない」

 ケインズは俯き加減に「わかった」と言って、重い足取りで部屋を出て行った。

「突き当たりの外付け階段を使った方が安全だよ!」

 優がよく通る声で言うが、返事はなかった。

「大丈夫かな。あの人、裏切らない?」

「そうなっても、こっちには保険がある」

 ドアを開けて、廊下に半身を出すヴァラガン。

「裏切るなら、この場で俺を拘束してるはずだ。問題は現場に来るかだ」

 耳をそばだてると、階下の外付け階段の軋む音が聞こえた。言いつけに従って、恐る恐る降りているようだ。ヴァラガンは優に下で落ち合う約束をして、廊下に飛び出た。

 廊下の左右から手を伸ばすマネキンの間を潜り、外付け階段のドアを開ける。勢いに任せて踊り場を踏んだだけで、わずかに足元が沈み込んだ。正確には階段そのものが軽く前後に揺れたのだ。下からの間抜けな声が、錆びた階段の揺れに共鳴する。

「うお、お。な、なんだ!」

「返事をちゃんと聞いてない。取引は継続か?」

「け、継続だ。だから、階段が崩れる前に足をどけろ!」

 ヴァラガンは、茶色く酸化した手すりに肘を置いて下を覗く。

「裏切るなら、優を使って龍灰窟ロンフェイクー中の流氓リウマンをお前に仕向ける」

 それを聞いたケインズは顔面蒼白になる。半分は冗談だったが、真に受けたようだ。どうやら馬鹿がつくほど真面目らしい。ヴァラガンは鼻を鳴らす。

「夕方にでも電話を入れる。頼むぞ」

 その点を念押しして廊下に戻る。あの階段の状態では自身の体重に耐えられそうにない。小首を傾げる優を背に、ヴァラガンは億劫ながらも罠だらけの来た道に足を向けた。

 玄関の規制線を潜ると、交差点にはデルフォード市の緊急車両が集結していた。負傷者は口々に不平不満をこぼしながら、収容されていく。ヴァラガンは人混みに紛れて通りを進む。追手が待ち伏せているかもしれない。神経を尖らせ、バンを拾いに行く。

 事故の人混みから野次馬の群れに乗り換える。そこから小走りで路上駐車された車列の影に入る。バンは停めた場所にある。さり気なくうしろを振り返るが、不審な挙動をみせる者はいない。ヴァラガンは額に浮いた脂汗を拭って、バンのドアを開けた。

 エンジンをかけてシフトレバーをバックギアに押し込み、バンを後退させてからシフトレバーを戻して直進。クラクションを鳴らし、人混みを散らしていく。歩道では優が跳ねて位置を示していた。助手席側のドアが開く音を耳に、ヴァラガンは側頭部の傷をさする。

「どこか安全な場所を知らないか?」

「博士、えっと赤松博士の喫茶店」

 間を置かず答えが返ってくる。ガントレットの情報は与太話ではなかった。ヴァラガンはあのときのやり取りを頭に思い浮かべながら、慎重に言葉を選ぶ。

「どういう関係なんだ?」

「お爺ちゃんみたいな感じ。とりあえず、案内するよ」

 まるで常套句のような口ぶり。煙に巻かれたような気もしたが、そこまで小器用な真似ができるとも思えない。溌剌はつらつとした優の面持ちに一瞥を送り、アクセルペダルを踏んだ。

 大雑把な道案内の下、バンは北東部に向かう。ときには遠回りもして。ヴァラガンはその真意を問うが、優は「尾行対策だよ」とだけ告げて膝の上のノートパソコンに真剣な眼差しを向けていた。龍灰窟の金庫番というだけあって、身を守る術は心得ているようだ。

 赤松博士の存在も、なんらかのうしろ盾になっているのかもしれない。

 ヴァラガンの知る限りでは、赤松博士はただの学者崩れ。精神置換技術で世に名を馳せたと聞いたこともあったが、この街での利用価値はなきに等しい。ガントレットの言った通り、同郷のよしみなのか。そこで推察をやめた。下衆の勘繰りのようで気が引ける。

 誰彼構わず疑いの目を向けていれば、そのうち自分さえも信じられなくなる。その先に待つのは破滅。たとえ破滅に向かって歩んでいようと、その足をむやみに早める意味はない。ひとまず優の言い分を信じて、ヴァラガンは路地にバンを進めた。

「そういえば、仲間の女の人は一緒じゃないの?」

 暇を持て余した優が話を振ってくる。

「銃の買い付けに行ってるはずだ」

「じゃあ、今から会えるかもね」

 優は声を弾ませる。

「博士の仕事は銃器売買だよ」

 故買屋にしか縁のないヴァラガンには初耳のことだった。

「しかも手作り。その辺の複製品よりも質がいいから、人気なんだよ」

 殺しで生計を立てている者たちにとって、道具は命を預けるもの。半端な代物では困る。赤松博士はこの街に、既に居場所を築いていたというわけだ。ガントレットが足を運ぶことも十分にあり得る。そう思っていると、前方に大小二つの人影が現れた。

 噂をすればなんとやら。茶色の髪を風になびかせながら、細身の女に追従する少年。傍目には年の離れた姉弟に映った。ヴァラガンはクラクションを鳴らして、二人を引き止める。少年は音に肩を震わせたが、女の方は大型拳銃を手に怜悧れいりな目を向けてきた。ガントレットらしい。ヴァラガンはドア越しにいきさつを簡単に説明して、二人を後部座席に促す。

「なるほど、彼女と利害は一致しているというわけですね」

「ああ。それで、そっちはどうしてここに?」

 八割方、予想はついているが理由を確認する。

「赤松博士のところに銃器を仕入れに」

「ほら、やっぱり」

 どうだ、と鼻を高くする優。その仕草を見て、ヴァラガンは胸のうちで燻ぶる猜疑心は杞憂かもしれないと思った。対するガントレットは、ルームミラー越しに優を胡乱な目で見ている。あくまでも一時の関係として、一線を引いているようだった。

「……ガントレットさんは、家族はいるの?」

 険悪な空気を肌で感じたのか、少年は突拍子もないことを訊ねる。少年の境遇を鑑みるに、質問の真意がわからないこともない。周りの人間と共有できる話も限られている。少年は、借りものの黒の長袖シャツの中で身を縮める。袖は長すぎるために何重にも折り曲げ、同じく黒の七分丈のズボンは、ちょうど足首まで隠れても生地が余っていた。

 ガントレットは最初こそ無視するように車外を眺めていたが、瞬きを一つして向き直る。

「あなたの知るような親子の関係など、私は経験したことすらありません。強いて言うなら、双子の姉がその代わりだったのでしょうか。まあ、それも今や過去のことです」

 そう言ったのも束の間、ガントレットは突然、頭を押さえて膝の上に視線を落とした。隣から少年が不安げに声をかけるが、ガントレットは「いつもの頭痛です」と制した。

「それって、原因はなに?」

「片割れが近くにいるということですよ」

 そのうら寂しげな目をルームミラー越しに捉え、ヴァラガンは軽く首を捻った。車窓には背の高い建物に陽光を遮られた、青白く暗澹とした路地が果てしなく続いていた。

 数分後、バンは古びた喫茶店の前に行きつく。木造二階建ての建物はところどころに腐食した黒い染みを作っており、壁には補強のためにトタンが打ち付けられていた。店先に自生する曼殊沙華まんじゅしゃげは儚げに空を仰いでいる。こんな見るからに怪しげな喫茶店で本当に銃が買えるのか甚だ疑問だったが、ガントレットは吸い込まれるように店に入っていく。

 あとに続くと、中は外観とは真逆で清潔感のある雰囲気だった。厨房を囲うように配置された八人掛けのカウンターと、テーブル席が二つ。その奥には個室がある。隅々にまで掃除が行き届いており、部屋には埃一つない。そして、肝心の客も誰一人としていなかった。

 ガントレットは勝手知ったる風にカウンター脇のベルを鳴らし、厨房を見やる。

「道具を買いに来ました、赤松博士」

 しばらく待っていると、奥から重厚な金属音が近づいてきた。現れたのは、鈍く光る強化チタンフレームの骨格を剥き出しにしたアンドロイド。人ですらない。そんなアンドロイドを前に当惑した様子で半歩退く少年に、ガントレットは淡々と告げる。

「精神置換技術の賜物です。無機物に精神を置換することは造作もありません」

「この中に人の精神が入っている、ってこと?」

 すると、アンドロイドこと赤松博士は肯いて、チタン製の首関節から軋んだ音を鳴らす。ガントレットは「発声機能が壊れていて」と補足して言葉を続ける。

「彼は精神置換技術を世に広めた人物の一人です。利権絡みで延命管理局に爆殺されかけた末に龍灰窟に流れてきた極東人、もとい華系領東ユーラシア人です」

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