貼り紙

「忘れないためにだよ」テンちゃんは言う。あの暗い瞳で、何の感情も窺わせない、無機質な声で。貼り紙みたいな薄い表情で。

 忘れないために。忘れないために、テンちゃんは、これまでどれほど時間と心を捧げてくれたんだろう。

 自分勝手に足を滑らせた、たったひとりの幼馴染みのために。

 テンちゃん。あなたはもう、私を――


「……会場を一通り回って、夕日を見に岬への道をのぼった」

 そう。浴衣の私はついていくので精一杯で、『置いてかないで』と手を伸ばした。テンちゃんは私を待ってはくれるけど、すぐに先を行ってしまう。私は、私はただ――

「夕日が綺麗、ってあいつは着いたとたん走り出して」

 綺麗だったの。あの日の夕焼けがいちばん、綺麗だと感じたの。ここからの夕焼けなんて何度も見ているはずなのに、なぜか特別だった。

 年に一度の日に、お気に入りの浴衣を着て、大好きな幼馴染みと一緒に見る夕日が、特別、だった。

「それで、転んだ」

 だって前方の景色に見惚れすぎて、足元をよく見てなかったの。慣れない下駄で、足が疲れてて、痛くて、ちょっと石ころを踏んでしまっただけなの。とっさに振り返ったら、テンちゃんが必死の形相で手を伸ばしてくれていたけど、私はそれを掴めなかった。

 掴む前に、滑り落ちてしまった。

 子どもの体格ではすんなりすり抜けられてしまう柵は、もともと壊れていたのもあって何の障害にもならないまま私はまっ逆さまに海へ落ちた。

「……天司君の、目の前で?」

「……ああ」

 だから、と守屋さんの声が聞こえる。だから。だから、だからそんなに、

「悔やんでるの?」

 守屋さんの問いかけに、テンちゃんは黙ったまましばらく何も答えなかった。答えなかったけど。テンちゃん。私、私は、贖罪みたいに覚えていてほしいわけじゃ――

「違う」

 否定したテンちゃんの声は、驚くほど震えていた。

「転んだあいつを助けようとして手を出した。あいつも、手を伸ばしてた」

 うん。でも私は掴めなくて……。

「でも俺は手を引っ込めた。引っ込めたんだよ」

 テンちゃん、何言ってるの?

「俺は、俺の意思で、あいつを見殺しにした」

 ……何を、言ってるの?

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