第1話 蛟龍〜水の拳〜 第二十四節

「『ビール瓶切り!!』ッス」


 木村小菰きむらここもが精一杯に野太い(感じの)声を出して、ビニール袋に詰めた瓶ビールを差し出しながら言った。

「……なんだそれは……」

 ジトッとした目で那美が訊く。かわいい。


 ここは関西空手道協会御槌流篠山道場、那美の実家であり空手の道を邁進まいしんする那美の修行の場である。


 そこに日曜日の朝もよから押しかけてきた木村小菰が、那美の顔を見るなり瓶ビールを差し出し言ったのだ。


 白いバンドTシャツにバミューダパンツとスニーカー、という活動的な姿でマウンテンバイクに乗ってやって来た小菰は、道場の扉をバーン!と元気良く押し開き、おはよーございますッス!!と元気いっぱいに挨拶をして、中で掃除をしていた那美とナディアが呆気にとられているのを気にも留めず、冒頭の台詞を言ったのだった。


 掃除の手を止めて小菰の元に来た那美とナディアは早朝の珍客に不思議そうな目を向ける。

 二人共空手道着を着て、黒い帯を締めている。


 そう、木村小菰は、日曜日の早朝、那美がナディアと共に日課のロードワークを終えて道場の掃除をしている所に押し掛けて来たのだった。


「良ク解ラないガ、演武みたいナ物カ?」

 那美の後ろからヒョッコリと顔を出したナディアがそう言うと、

「そう!それですソレ!!演武をお願いしたいんッス!!」

 ナディアの言葉に嬉々として答える小菰。


「ソレで、この少女ハ誰なのダ?」

 ナディアが那美に訊ねる。

 それを那美が答える前に小菰は、

「木村小菰と言いますッス!御槌流空手に入門に参りました、どうぞよろしくお願いしますッス!!」

 と、お辞儀をしながらナディアに答えた。


「なるホド、私ハナディア・シモーネ、ルーマニアから篠山道場ニ空手を学ビニ来た留学生ダ、ヨロシク」

 とお辞儀をするナディア。

「留学生!?ますます凄いッス!!国際派ッス!!」

 興奮気味に言う小菰。騒々しい子である。


「しかし、演武は良いが、今日は稽古は無いし、掃除をしているだけで他の生徒たちも居ないし、お前の為にやれ、と?」

 那美は、淡々とそう答えつつ、瓶ビールを受け取る物かどうか決めかねていた。

「あ、そうだったんッスね……小菰の早とちりでしたッス……」

 しょんぼりしながら瓶ビール入りのビニール袋を下げる小菰。


「……しかしな……せっかく遠くから自転車でわざわざ来てもらったんだ、掃除を手伝ってくれたら日頃の稽古のメニューを見せてやっても良いが、どうする?」

 何だかかわいそうに思えて来た那美が、小菰にそう伝えると、しょんぼりしていた小菰の顔はパアッと明るくなり、


「是非そうさせて頂きたいッス!!では、よろしくお願いします、那美師匠、押忍ッス!!」

 と言い、綺麗な十字礼を決めた。


 それを見た那美は、ほう、と感心した表情になり、基本は出来ている子なんだな、と思った。

 小菰も、ちゃんと出来たと得意げな顔でニコニコしている。


 そうして木村小菰は、道場内に上がり込んだ。

 入る時も道場内に一礼をし、神棚のある正面にも一礼をする。

 その小菰の振る舞いを見てうんうん、と頷く那美。


「それで那美師匠、掃除はどの辺りをさせて頂いたらよろしいのでしょうかッス」

 雑巾を絞りながら小菰が尋ねる。


「では、今ナディアが手前から拭いて行っている床を奥から拭いて来てくれ」

 那美はそう答えて、自身は神棚のさかき土器かわらけ瓶子へいし水玉みずたましつらえを用意する。


 一通りの掃除が終わったら、那美はナディアと小菰を呼び、黙想と柔軟体操と型稽古をやる、と言った。

 まずは道場の中央に集まり、正面に対して正座をして黙想をし、三人別々に柔軟体操をこなす。


 柔軟体操を終えると、那美はナディアと小菰に広めに間隔を開けて立つように指示した後、二人と正対する位置に立ち、一礼をすると、


「それでは我が御槌流で教えている型の一つ、内畔戦ナイハンチの型を見せる。一つ一つ動作を分解して見せるので、後に続くように」

 ナディアと小菰が押忍!と答えて、那美は最初の動作に移る。


 そうして一つ一つの動作を切れ良くこなしていく那美と、それらに付いて行くナディアと小菰。


 二人共体幹が良いのか、振り向きざまによろめいたり、もったりとした動きにはならず、切れ味鋭い綺麗な動作である。


 そして一連の動作を終えた那美が元の位置に付いて姿勢を正し一礼をすると、ナディアと小菰もそれにならい礼をする。


「次に公相君クーシャンクー、同じく動作を分けていくぞ」

 こちらも同じ様に切れ味良く二人共付いて来る。


「この、早朝の綺麗な道場で身体を動かすと、何かこう……体内のエネルギーが活き活きと巡るような清々しい気分ッス」

 小菰が爽やかな笑顔で言う。それを見た那美もにっこりと笑った。

 そうやって型を終え、一礼をして今朝の稽古は終了した。


「ではもう一度、拭き掃除だけして朝食を食べに行こう、小菰、お前も来るんだ」

 姿勢を軽く崩した那美が言う。

「えっ!?稽古を見せて頂いただけでなくて朝食までご馳走して頂けるんですか!?ありがたいッス!!」

 那美の言葉に驚き喜ぶ小菰。

 ナディアもニコニコしながら掃除の用意をする。


 そして三人並んで床を雑巾がけした後、互いに礼、正面に礼をして、道場内に礼をし、出入り口から出て母屋に向かう。


 母屋の玄関を開けた那美は、

「ただいま」と台所に居る静江に声を掛ける。

 続いてナディアが「タダイマ!!」と元気に言い、付いて来た小菰は「お邪魔しますッス!」と大きな声で言った。


 聞き覚えの無い声を聞いた静江が様子を伺いに廊下に顔を出すと、

「あら、初めて見る子ね、おはよう、もうすぐ朝ごはん出来るから食べにいらっしゃいな」

 と微笑みながら言った。


 突然朝食が一人分増えたにも関わらず、追加のおかずも併せてこしらえる。多数の客が突然来る事もしばしばあり、その都度対応をして来た、道場の妻らしい流石の手腕である。


「おはようございますッス!那美師匠のお母様も素敵な方ッスね!!」

 と小菰が喜ぶ。そして、

「これ、差し入れに持って来ましたッス」

 と瓶ビールを静江に渡す。

「あら、そんなお気遣いをしていただいて、ありがとうございます」

 静江が瓶ビールを冷蔵庫に仕舞う。


 四人揃って食卓を囲み、いただきます、と食前の挨拶をしてから食べ始める。


 今朝の献立はご飯、若竹汁、出汁巻き玉子、ウインナーソーセージ、野沢菜漬けだ。


「どれもめちゃウマッス、お母様凄いッス!」

 小菰が素晴らしい食べっぷりでモリモリと食べる。

「このタマゴヤキ美味しいナ、是非レシピを知りタイ」

 ナディアも食べ慣れていない和食にも関わらず、そのシンプルながらも奥の深い味に驚いている。


 那美は普段から食べ慣れてはいるものの、やはり美味しい母の料理をしっかり味わいながら、小菰とナディアが褒めるのを聞いて我が事のように嬉しく思いつつ、ふと小菰の先日の蹴りと構えを思い出して訊いてみる。


「ところで、小菰、昨日見たお前の構えなんだが、あれはテコンドーだな?どこで習った」

「あれは兄ちゃんに習ったんッス、今は京都市内の大学に通ってるんスけど」

 小菰が答える。


「そうか……だがな、形としては出来ていても技としては不十分だったと思うぞ、体重が軽いせいも有ると思うが、それより踏み出しが甘かったんじゃないか?」


 あの小菰の奇襲攻撃の飛び蹴りは、那美からは殆ど見えて無かったにも関わらず、凄い観察眼である。


「仰る通りッス、兄ちゃんに習って自己流でアレンジを加えてるんですが、体勢を崩さないのが精一杯って所なんス……あ、お母様、ご飯おかわり良いッスか?」

 悩み所をズバリ見抜かれて正直に答える小菰。そしておかわりを美味しそうにモグモグと食べる。


「それで正式に空手を身に付けて技を磨きたいって所か、天晴な心掛けだ、早朝にここまで自転車で通って来る行動力と根性も見上げた物だ」

 ベタ褒めする那美。


 それを聞いた小菰は照れながらも、

「小菰は自分の技を喧嘩の為の道具では無くて、正しい事の為に使いたいんス、その為にも今一度、キチンと正しく空手を教わりたいんです。那美師匠、どうかよろしくお願いしますッス」

 と那美に対してお辞儀をする。


「それを自覚出来てるなら後は精進を続けるのみだな、小菰、明日からしっかり頑張って行こうな」

 と感心したように言う那美。


「真面目ナ生徒ガ増えて良かっタナ、ナミ」

 ナディアもニコニコしながら那美に言う。


「それで母さん、この子の入門を父さんに伝えたいから、今日のお見舞いにこの子も連れて行ってもらって良い?」

 那美が静江に尋ねる。


「勿論よ、父さんの容態は快復に向かっているから、話だって出来ると思うわ。…それじゃ小菰ちゃん、この後病院に行くから一緒に来てくれる?」

 静江が柔らかな口調で小菰に言う。


「はいッス!どうぞよろしくお願い致しますッス!!」

 元気に答える小菰。


 こうして、朝食の後に静江と那美たちは福知山市民病院へと、父であり道場師範の竜馬の見舞いに行く事になった。


「その前に、ナディア、小菰、風呂に入って汗を流してから行こうか」

 那美が言う。


 そして三人は風呂に入って上がってから、静江が運転する車に乗り込んだ。

「昨日洗車したばかりなのに泥で汚れてるわね……まぁまた洗えば良いわ」

 静江のその言葉に顔を見合わせる那美とナディアだったが、細かい事は気にしない逞しい静江なのだった。







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