第2話,槇村 浩一の人生はゲームだった

槇村まきむら 浩一こういちの人生はゲーム一色と言って良かった。


幼い頃に子守りを面倒に思った両親が、我が子の気を逸らすために与えた一つのゲームがその後の彼の人生を決定づけた。


それは良くあるRPGで、魔王を倒すために勇者となって冒険し、少しづつレベルを上げて成長しモンスターを倒すという、言ってみればそれだけのシンプルな内容のゲームだった。


浩一はこの初めての体験にのめり込んだ。


暫くはそれにはまり込んでいた浩一は次第にそのゲームを遊び尽くすと、また別のゲームを求めるようになった。


ゲームソフトを与えていれば泣くことも駄々をこねることもないと気づいた両親は、彼の望むままにゲームを買い与えた。


幸い、と言っていいのか彼の家は裕福でゲーム程度ならハイエンドクラスのプラットフォームごと幾らでも買い与えられる環境であった。


交流を持つのは殆どスマホの連絡アプリの中だけで、それすら定期的な金の無心を行う時のみといった、親子の関係というには余りにも薄弱なこの繋がりを浩一は疑問にも思わず受け入れていた。


その対価に親が子に求めたのは政治家として有名な父と、表面的には慈善活動家である母の名前に恥じないような成績と進路のみ。


生まれながらに勉学については不自由をしたことがなかった浩一には、ゲームの妨げにならない程度の短い時間の勉強のみで両親が求める水準を満たすことは容易いことだった。


中学生になる頃にはPCゲームに手を出すようになっていた。


メジャーどころには一通り触れたし、あらゆるゲームをジャンルや種類を問わず貪欲にプレーした。


高校生となる時にはMMORPGにハマったが、とある理由から特定のギルドには所属しなかった。

と言うよりできなかった。


幼い頃から家庭という最も人格形成に関わる人間関係を形成できず、小中高とゲームのことばかり考えて友人関係をまともに築いてこなかった彼は深刻なだったのだ。


他人とのコミュニュケーションを必須とするMMORPGにおいて、彼のそんな特徴は次第に倦厭けんえんされていく原因となった。


別に彼は悪人ではないし、他人を貶めるような発言もしないし、他人の失敗を責めるような真似もしない。


他プレイヤーとクエストなんかすると上手く立ち回りを行い、ドロップアイテムなども気前良く譲り渡し文句も言わない。


しかし彼はゲームをする人間に自分と同じかそれ以上の熱量を求めた。


それは別に攻略トップを目指すことを求めたわけではなく、言うならばそれはその世界を楽しみ尽くすことだった。


日常生活を捨て現実の人間関係を廃し、ゲームの中だけに生きる事。


MMORPGに限らずに殆どの戦闘を行うタイプのゲームの目的は、他人より秀でる事では無いだろうか?

引いては、他者を打ち負かす事であろう。


対して槇村 浩一は他人と競うことに価値を見出さず、その価値観を共有できると信じた。


エンジョイ勢と言われる様なプレイヤー層であれば通った理屈も、トップギルドの猛者たちには通じない。


そして彼はトップクラスの実力を持ちながら競争を捨てる事を理想とした。


明るくプラス思考で自分の論を絶対と信じる者。


それは他人から見ると非常に面倒臭い人種だ。


端的に言えば彼はめちゃくちゃウザかった。


結果彼は受け入れられず、またそんな空気感が肌に合わなかった彼は高校を卒業するまでにはMMOの世界から撤退した。


勿論意気揚々と「MMOここは僕のレベルにはまだ着いて来れないみたいですね!!」と言った具合だったが。


そんな彼が両親が話を通した大学に入学が決まった頃、一つのタイトルに出会った。


それは当時まだ中小企業に過ぎなかったゲーム会社が売り出した【THE BOUNDARIES】と言うゲームで、膨大なスキルを自由に組み合わせてオリジナリティあるゲーム体験が出来る!と言うありきたりな宣伝文句で売り出された。


前評判はそこそこと言った具合で、日本の擦れたゲーマー達からは懐疑的な目で見られることの方が多かった。


浩一は発売前の小さなネット記事の開発者インタビューにて、プロデューサーが語っていた「他のゲームに実装されているスキルを網羅するだけでなく、それらを組み合わせて全く制限のない自由な発想でのゲーム体験を可能にしたい」と言う発言にひどく心を惹かれ発売を心待ちにした。


実際に発売されたゲームは、正直前評判通りのやや期待はずれなものだった。


しかし丁寧に作られたゲームシステムと様々なイベントや精緻なフラグ管理に一定のファンを獲得した。


浩一もまたこのゲームの丁寧な作りに引き込まれて、開発者のDMに何度もお礼や称賛の言葉を送った。


更に開発はネットでこのゲームの批判の主な対象であった事前告知されていた程の量のスキルが確保されていない事について、真摯に向き合い乱雑に放たれるネットでの無責任な意見とも言えない様な批判を取捨選択し、無料アップデートでゲーム体験へと活かし続けていった。


そのアップデートはバージョン1.1から始まり遂には今年バージョン7まで到達した。


スキルの数は最早数万を数え未発見の物を合わせると、正確な数を把握しているプレイヤーは存在しないと開発が断言するほどであった。


スキルの組み合わせによって新たに生じるプレイヤー独自のオリジナルスキルを加えると正しく無限と言えた。


その複雑さはネット上に有償でオリジナルスキルを構築する事を生業なりわいとする『スキル職人』なる職業が発生するほどであった。


トップクラスの腕を持つものはそれ一本で生活しているものまでいたほどである。


当然そこまで広がったゲームタイトルは日本だけに留まらず全世界にてサーバーを持つようになり、このゲームに触れていなければゲーマーでは無いと言うのは世界共通の認識にまでなった。


そんなゲームをリリース初日から1プレイし続けた人間こそが槇村 浩一だった。


同一ゲームの連続ログインギネス記録を受賞するほど、浩一はこの世界にはまり込んでいた。


勿論ここに至るまで様々なことがあった。

【THE BOUNDARIES】にのめり込み過ぎたせいでこれまで片手間ですらトップの成績を取り続けていた学業も疎かになり、両親との数年ぶりに長文での話し合いが行われた。


拗れに拗れた話し合いは事実上の絶縁状態にまで発展し、希薄だった関係は敵対的にまで悪化した。


留年が2年目に到達した時、一つの不動産と数千万円が記帳された預金通帳を渡されて親子関係の解消がなされる事になった。


その後の彼は前代未聞の試みを行った。


この頃【THE BOUNDARIES】リリースから3年、2回の大型アップデートにより複雑化したシステムの解明にコミュニティが形成されるなか、動画配信サイトを介さない自サイトでの無限スキル検証耐久配信を行い始めた。


それは一度も【THE BOUNDARIES】からログアウトすることなく、食事や排泄、風呂や睡眠時にすらゲーム画面を配信し続けるという試みだった(それらの不快な生活音が流れる際は当然マイクミュートがなされた)。


数ヶ月の間についた固定ファンは僅か18名であったが、1周年を記念している様子をミラーで有名配信者が放送してからその存在が認知されると、爆発的に知名度を得た。


同時にその配信は制作会社のプロデューサーにまで届き、プロデューサーは彼がゲームリリース当日からDMをやり取りしていたプレイヤーだと知った。


大手会社に手をかける様になる頃から一ファンのDMなど無視する様になっていたプロデューサーだが、リリース以後延々とプラスの発言と称賛を送り続けてくれる彼だけとは未だに連絡をとっていた。


このメディアに一度も顔を出さないプロデューサーは、奇跡的にも浩一と共感出来る異常な感性の持ち主だった。


なんと彼は浩一の配信に度々顔を出す(勿論文字通りの意味ではなくコメント欄に出没すると言う意味である)様になった。


初期の開発者インタビュー以降殆どのインタビューを拒否して、メディア露出を避けていた世界的ゲームプロデューサーが唯一降臨するゲーム配信は、注目を集めずに居られなかった。


度々プロデューサーがうっかりこぼす先行情報を目当てに張り付くものもいたほどだった。


もっともこれは最大瞬間同時接続数が数十万に届く浩一の配信を利用した宣伝だと捉える声(事実)もあったが。


長く続けていけると言うことはそれだけである程度の影響力を持つもので、彼の存在は国内のみにとどまらない認知を得ていった。


そんなメディアにも取り上げられる、ある種の有名人となった彼が、ある日配信中に謎の失踪を遂げた時、世界的ニュースとなったのは必然だった。

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