第5話「ルーゲン」
5話 - Ⅰ
クォンティリアムが何故、勇者をルーゲンに向わせたかったのか。その理由はおそらく、【星門】にあるのではないかとエルゲドは語った。
星門とは、星の魔力が一点に集まる『結節点』のことだ。そこは星に選ばれた者のみが踏み入ることを許された『聖域』であり、ユスティティア城内にある【星の間】も、星門の一つに数えられていた。
『――ですが老師、あの辺りに星門なんてありましたか?』
怪訝そうに尋ねるリーリンに、ベテラン魔導師は言い切った。
『知らん』
『はい!?』
『ワシも本当に実在するのかどうかは知らんのだ。じゃが、あの地方に古くから伝わる伝承や文献には、【封印された星門】に関する記述が多くてのう』
『封印された、星門?』
『うむ……。なんでも数千年前、あの地は未曽有の厄災に苛まれたと伝わっておる。誰もが世界の滅びを覚悟した。そう記された文献も少なくない――だが、その危機を察した当時の勇者が駆けつけ、人々を守るために力を振るったそうじゃ』
『あの、その話と星門に、どんな関係があるのですか?』
『そう急かすでない。この話にはまだ続きがある』
エルゲドはここで、一呼吸置いた。
『勇者の活躍によって世界は再び平穏を取り戻した……。しかし厄災を止めたほどの力よ。勇者は、己の力がいずれ新たな禍根を生み出すと悟り、自らの命を賭して、その力を星門に封じたとされている。お主も聞いたことくらいはあろう。〝真に正しき心を持った者が現れし時、星門は再び開かれん〟――とな』
『はい。幼いころに何度も聞かされましたから。ですがそれは、神話の中の伝承じゃないですか。事実かどうかなんて』
『確かにな。最早、おとぎ話の類じゃ。だが一つ気がかりな点がある。ワシは書庫にある文献全てに目を通してみたんだが、星門の位置に関する記述は、どれも驚くほど一致しとった。偶然にしては出来過ぎだと思わんか?』
『まさか、それがクォンティリアムの言う、魔王を倒す力なのでしょうか?』
『さてな。が、調べてみる価値は十分あるじゃろう』
◇
ユスティティアからルーゲンまでは、およそ2500km。いかにグリフォンといえど、一日で飛び切れる距離ではない。そのため、黒斗たちはルーゲン近くの宿場町で一晩を明かし、朝方早くに町を発っていた。
日の出前の空はまだ暗く、朝靄漂う山岳地帯は、不思議と人の悲しみを誘発するかのように儚く、そして朧気だった。
グリフォンの羽音だけが一定のリズムで耳を叩く。二人とも眠気を振り払う気力がないのか、あるいは任務の緊張のせいか、ほとんど口を開かない。
切り立つ山々を飛び続けること三十分あまり。山岳地帯を抜けると、一気に視界が開けた。
「あ、朝日だ」
「綺麗ですね」
それはまるで、彼らの訪れを祝福するかのような、絶妙なタイミングだった。なだらかな大地に広がる平原が、朝焼けの光にゆっくりと染まっていく。
空と大地のあわい。
その遥か向こう、霞む空に伸びる塔の影が、ほのかに浮かんでいた。
「見えてきましたね。着陸の準備をしておいてください」
「分かりました」
微かに映る都市の輪郭を、黒斗も肉眼で捉えた。
中立機械都市――ルーゲン。
クオゾ大陸の西沿岸部に位置するこの国は、魔力と機械の共存を掲げ、実際にそれを実践していた、極めて稀有な国家だった。
――しかし、現在そのような国は存在しない。
大戦中に起きた魔操者たちの暴動によって、かつて中立として栄えた国は、瞬く間に滅んだという。戦後は人も寄り付かなくなり、今では魔獣が蔓延る危険区域になり果てていた。
それから数分後、彼らのグリフォンはルーゲン上空へと差しかかった。西洋風の街並みという意味では、ユスティティアとよく似ているが、しかし、そこには決定的な違いがあった。
「完全にゴーストタウンだな」
胸中に湧いた言葉を、気付けば黒斗は口にしていた。
生気を吸い取られた街が、眼下いっぱいに広がっていた。捲れた歩道、山のように積み上がった瓦礫。風に削られた割れ目からは雑草がひっそりと芽を覗かせ、壊れた噴水の途切れ途切れの水音が、ひどく寂しげに街に響いている。廃れた家屋には蔦が絡みつき、崩れた屋根の隙間から覗く室内だけが、人の営みの名残を物静かに語っていた。
誰が言ったか。廃墟とは『空間の死』を意味するらしい。
街の中心地と思しき場所に目を移すと、今にも折れてしまいそうな時計塔が聳えていた。ルーゲンのランドマークと言っていいほど、他と比べて背が高い。先ほど遠目から見たものは、これだったのかと黒斗は理解した。
今一度、黒斗は周囲を見渡した。戦争の爪痕が否応なく目に入る。彼のすぐ真下にそびえる礼拝施設――大聖堂のようにも見えるその建物は、おそらく銃撃の嵐に晒されたのだろう。荒々しい弾痕が壁面に無数の穴を穿ち、外殻だけとなった構造物は、骨のように痩せた柱を残したまま、風に曝されていた。
リーリンはグリフォンを緩やかに降下させ、大聖堂前の広場近くで滞空させた。彼女は周囲に視線を張り巡らせ、辺りに魔獣が潜んでいないかを慎重に確認した。
「大丈夫そうです!」
「了解!」
リーリンの操るグリフォンが着陸態勢に入るのを見て、黒斗もそれに続いた。二頭のグリフォンが大きく羽ばたき、砂埃を巻き上げながら広場へ降り立つ。
ここから先は、歩きでの探索に切り替える必要がある。黒斗は鞍から軽く飛び降り、グリフォンの首をぽんと叩いた。
「サンキューな。帰りもよろしく頼むぜ」
グリフォンが、ぐるぐると低く唸る。しばらく離れることが分かるのだろう。心なしか、寂しそうな顔をしていた。
魔獣が跋扈するこの地に、グリフォンを連れて行くのは危険だ。とはいえ、ここに置いたままでは狙われかねない。リーリンは魔術を使って思念を送り、〝空で待っていてね〟と優しく語りかけた。
「では、また後ほど」
グリフォンたちは軽く頷き、再び空へと舞い上がった。
あの二頭は仲が良いのだろうか。まるで恋人のように寄り添いながら、同じ方向に飛んで行ってしまった。
「クロトさん。ルーゲンに入ってから、何か違和感を感じたりはしませんか?」
「残念ながら、まったくないですね。すいません」
「そうですか。星門があるなら、何かしらの反応があってもいいのですが……」
「まあ、本当に封印されてるなら、その反応すらも無いんじゃないっすか?」
「なるほど」
「とりあえず、星門があると思しき座標は計六ヵ所。ほとんど市街地に集中してますから、今日中に全部片付けてしまいましょう」
◇
黒斗たちが星門を探し始めてから、かれこれ数時間が経とうとしていた。
二人は六ヵ所ある候補地のうち四ヵ所をすでに調べ終えていたが、どれも空振りだった。結果の出ない焦りがじわじわと胸を締めつけていく。特にリーリンは星魔導士としての立場もあるせいか、黒斗以上に表情が硬かった。
「見つかりませんね」
堪えきれなかったのか、リーリンは小さく息を吐き、そっと俯いた。
「まあまあ。六個中、四個がハズレって分かっただけでも、十分成果だと思いますよ」
「クロトさんは前向きですね」
「それ以外、特にすることもありませんしね」
黒斗の皮肉にリーリンも微笑み、場の空気がほんのりと和む。
「……それにしても」
「どうかしたのですか?」
「いや……さっきから全然魔獣を見かけないから、ちょっと変だなって思って」
「そんなことないですよ?――ほら、あそことか」
「ん?――あ!」
リーリンが指さす先には、狼のような魔獣が一匹。廃屋の屋根に身構え、尾を真っ直ぐに立てながら、鋭い目でじっとこちらを睨みつけていた。
「あの、明らかに敵意剥き出しにされてるんですけど……」
「大丈夫です。ちょっと見てて下さい」
言うや否や、リーリンは魔力で自らの体を瞬時に包み込んだ。
赤色の魔力が火柱のように激しく燃え上がる。迸る波動が空気を震わせ、その圧倒的な存在感に黒斗は目を見開いた。膨大な魔力を解き放ちつつ、それを自在に操る技量の高さは圧巻の一言に尽きる。流石、星に選ばれた魔導士と言ったところか。
「魔獣というのは、あからさまに力量が違う相手とは戦おうとしないんです。その習性を利用すれば、適度な魔力放出を行うだけで無駄な戦闘を避けられます」
すると、魔力がメドゥーサの如くうねり、威嚇する蛇のように揺らめいた。魔獣はその光景に恐れをなしたのか、喉奥から情けない声を絞り出すと、文字通り尻尾を巻いて逃げてしまった。
「まあ、こんな感じというわけです」
「……すごい。初めて知りました。でも、ずっとそんな調子で魔力放出していても、大丈夫なんですか?」
「心配には及びません。ここに生息している魔獣たちは、そんなに強くありませんから――」
炎のように燃え盛っていた魔力放出は、たちまちオブラートのような薄い膜へと姿を変えた。
「――威嚇範囲も狭まりますが、これくらいあれば十分でしょう。クロトさんは大船に乗った気でいてください」
ぱっと明るく笑顔が咲いた瞬間、かつての友人の面影が重なった。
黒斗はほんの一瞬だけ目を見開いたが、違和感を悟られぬように自然な調子で口元を緩めた。
久しぶりに流れていく和やかな空気。緊張の隙間に差し込む小さな安堵を、二人は確かに感じ取っていた。
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