2話 - Ⅲ

 クォンティリアムが示した歴史の風景は、戦火が極点に達したところで、ふっと消えた。気付けば、最初にこの空間に入った時と同じ景色に戻っていた。視界の端まで蒼い光が広がり、呼吸のように揺蕩っている。


 意識を中央に向けると、星の意思たるクォンティリアムが、生命の輝きを燦々と放ちながら、静かに脈動していた。


〝長い。本当に長い戦争でした。世界規模で起きたこの戦争は、戦後【マキアルガの大戦】と名付けられ、四十一年前、魔操者同盟と機械連合が平和条約を交わしたことで、ようやく終結したのです〟


 星の声は、風に溶けた鈴の音のように穏やかだった。しかし、黒斗の胸には僅かな違和感が残っていた。


 確かに、戦争の生々しさは、異世界と言えども同じ。ただただ目を背けたくなるような、絶望のみの地獄絵図だった。だが、戦を止める勇者ならまだしも、なぜ終戦後の今になって召喚されたのか。その疑問だけが、彼の頭の片隅で燻っていた。


(まさか、戦後処理のために呼ばれた……なんてことはないよな)


 苦笑を浮かべたその瞬間、唐突に星が問いかけた。


〝戦争とは、よほど儲かるのでしょうね。あなたの世界ではどうでしたか、石杖黒斗?〟


 相手の質問の意図が汲めず、黒斗は眉根を寄せた。


「……まあ、儲かる奴は儲かるんだろうな。戦が起きれば、どこかで金が動く。人が死ねば、誰かが笑う。そういう仕組みだろうが、この世なんてものは」


 理想を突き放すような覚めた口ぶりで、黒斗は現実を吐き捨てた。


 危険があれば、武器が求められる。需要があれば、供給する者が現れる。

 たとえ殺意がなくても、恐怖があれば兵器は作られる。怯えが生み出す疑心暗鬼と暴力のメカニズム。それが世の理なのだと、黒斗は嫌というほど思い知っていた。


 ――無力化に手を染めた、日々を通して。


〝魔操者に対抗できる唯一の武器として、魔力兵器は世界中で使用されました。ですが、それは表向きの話。真実は違うのです。あの戦争は、魔力兵器をさらなる高みへと昇華させるための、狂った科学者たちの実験場にすぎなかったのです〟


 場が静寂に沈んだ。

 耳を疑う、というより、黒斗の脳がその意味を拒絶していた。


「……は? 戦争なんだぞ? あんなに沢山の人が死んだんだぞ!? それが……ただの兵器の実験だったて言うのかよ!?」 


〝魔力兵器の誕生は、魔操者根絶を目論む【ある組織】にとって、まさに天恵でした。その組織は有能な科学者を集め、知識と技術を独占し、開発を加速させていきます。やがて生み出された試作兵器が、実戦で運用されるようになると、その売買で得た莫大な利益が研究資金となって、さらに強化が推し進められていくようになりました。


 ――その組織、仮に【死の商人】と呼びましょう〟


 クォンティリアムの語り口は淡々としていた。

 だが、その一言一句は黒斗の神経を確実に焼いた。


〝彼らの欲望、いえ、魔操者に対する恨みは深く、とうとう最悪の事態を『演出』してしまったのです〟


 星の送る波動が、いよいよ確信を衝き、鮮烈なイメージとなって黒斗の脳天に突き刺さった。


「――死の商人が、国王を殺したんだな」


〝ええ、あなたが想像した通りです。【死の商人】は研究を進めるために、より大きな戦争を望み、ついには国王暗殺を企てました。やがて大戦が勃発すると、彼らの研究はより勢いを増し、魔を滅ぼす兵器は、とうとう完成目前にまで迫りました。ですが、先代の勇者と星魔導士たちの活躍によって、彼らの野望は打ち砕かれ、その信念と共に潰えた――〟


〝――はずでした〟


 刹那、空間全体がわずかに震え、クォンティリアムの輝きが揺らいだ。


〝時は満ちようとしている。微弱ながら、彼らの鼓動を感じるようになりつつあるのです。【魔王の名を冠した魔殲兵器】たちは、いずれその眠りから目覚めるでしょう〟


 気のせいかと思っていたが、やはり先ほどから、クォンティリアムの光がぼやけている。周囲が微妙に歪み始めたかと思った直後、暗がりが急速に増え始めた。


〝石杖黒斗。あなたには、その兵器を破壊する『力』が宿っている。あなたが勇者に選ばれ、この世界に召喚されたのはそのためです〟


 星の輪郭がぼやけ、光がどんどん遠ざかっていく。霧のように霞んでいく星の意思を、もがくように手を伸ばし、黒斗は懸命に掴もうとした。


「おい、まだ話は――!」


 星の気配が感じられなくなるにつれ、燐光も薄くなっていく。突き出した手は虚無を彷徨うのみで、何も得られず、クォンティリアムとの繋がりが、プラグを抜くように一線ずつ断たれていく感覚の中、矢の如く放たれた最後の意思が、黒斗の心を突き抜けた。


〝とはいえ、今のあなたにその『力』はまだ宿っていません。まずは【ルーゲン】へ向かいなさい。すべては、そこから始まるのです――〟


     ◇



 視界が、ゆっくりと明るさを取り戻していく。


 身体を包んでいた浮遊感は消え失せ、五感が再び現実に縫い留められていくのを実感した黒斗は、重くなっていた瞼を静かに押し上げた。


 そこは、つい先ほどまで彼が見ていた景色だった。

 掌ほどの魔法陣が静かに脈動し、正面に荘厳な扉が一つ――あたかも星を守護する番人のように、黙して佇んでいる。


 どうやら星との謁見は、無事に終わったらしい。黒斗はそう理解した。

 沈黙した扉の紋様が、その証左のように微動だにせず、再び開く気配もない。


 聞きたいことは、山ほどあったというのに、勝手に幕を下ろすとは、ずいぶん気まぐれなお星様だ。内心でそう舌打ちしながら、彼はひとり冷ややかに息を吐いた。


 ひとまず、異世界召喚の経緯を理解することはできた。だが、一方で犯罪者を勇者として選定するあたり、星の審美眼も甚だ疑わしいものだと、件の勇者は鼻で笑った。


(あれ?……ってか、待てよ……?)


 そして、ここに至って彼はようやく気づいた。

 致命的な――いや、あまりにも初歩的な失態に。

 額に手を当て、深く息を吐く。

 短い沈黙ののち、乾いた声がこぼれた。


「……元の世界に帰る方法、聞き忘れた」

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