2話 - Ⅱ
身体が、淡い蒼光に満たされた水の中を漂っているような、あるいは自らが意識を保って胎児に戻っているかのような感覚。肌を撫でるのは冷たい水でも風でもなく、もっと根源的な生命の脈動、その循環が、遠望で長大なスケールをともなって、黒斗という存在を包み込んでいた。
(ここが、星の中なのか)
思考に応じるように、頭上で白い光が輝いた。それは海中に差し込む陽光のようでありながら、どこか違う。もっと根源的で意志をもって照らしている何か。
やがて、その光は形を帯び、眼前にひとつの姿を顕現させた。
大いなる力。そんな抽象的な印象を、しかし実在のものとしてありありと放つ存在が、黒斗の目の前に突如として顕現したのだ。それは、どんなものよりも神々しく、美しく、まさしく〝星〟と呼ぶに相応しい、命の力を存分に放っていた。
「これが……クォンティリアム……」
呟いた瞬間、何かが心の奥底に流れ込んできた。空気を震わす振動ではなく、心に直接語り掛けるかのような『心動』が、黒斗の裡側へと静かに染み渡っていった。
〝わたしは星の意志――クォンティリアム〟
胸の奥に直接響くその意思を、黒斗は無意識のうちに、言葉として再構築していた。それは翻訳というより、自動筆記に近い体感で、星の呼吸と混じり合っていくような不思議な感覚でもあった。
〝石杖黒斗。あなたには、自分がなぜ勇者となったのか――
そして、なぜ勇者が必要とされるに至ったのか。
そのすべてを知ってもらいたい〟
星の意志が、新たな感覚を送り込む。刹那、世界が変転した。
光の海は波の如くうねり、やがて一つの意思を宿すと、無数の映像と音が記憶の奔流となって、息つく間もなく黒斗の意識に雪崩れ込んだ。
――星の誕生。
――生命の芽吹き。
――戦乱と滅び。
――再生と歪み。
そのすべてが、途方もない時空となって黒斗の意識を貫いた。
情報というにはあまりに膨大で、記憶というにはあまりに鮮烈だった。
それでもなお精神が保たれていたのは、おそらくこのクォンティリアムという超常的存在が、黒斗の理解を補助していたからだろう。
(光が、魂を駆け巡っていく――)
なぜそんな言葉が浮かんだのか、彼にもよく分からなかった。けれど、それがもっとも自然な表現に思えた。本当に、光が自分の存在の隅々まで浸透していくのを、身体ではなく〝魂〟で感じていたからだ。
やがて、意識の視点が肉体を離れ、遠ざかっていく。
無限の彼方を俯瞰する何者か――まるでこの宇宙を監視する観測者にでもなったかのような、奇妙な感覚に包まれた。気づけば黒斗は、いや『黒斗という存在』は、宇宙そのものとの共鳴を果たしていた。
◇
――遥か昔。
地球に命が芽吹いたのと同じように、この世界の宇宙にもまた、人が住まうに足る惑星が生まれた。
星の名は、クォンティリアム。
地球と異なっていたのは、この星には【魔力】と呼ばれる、目に見えぬ力があったことだ。
幾億の歳月をかけ、原初の海に命が宿り、進化の果てに『人』と呼ばれる存在が誕生した頃、人々の中に、その魔力を操れる者が現れるようになった。
彼らは火を起こし、雷を呼び、水を導き、大地を耕した。
魔力はやがて文明を築く礎となり、魔を操る者――【魔操者】は、信仰と繁栄を司る象徴となった。
だが、崇められる者は、同時に畏怖の対象にもなりうる。力を持つということは、それだけで『他者を脅かす存在』になり得てしまうからだ。人が銃を携えたまま「撃たないから安心してほしい」と言っても、誰も心から信じはしない。それと同じ理屈で、魔操者たちは敬われながら、同時に蔑まれもした。
魔力に選ばれなかった者たちは、次第に祈りを捨て、己の知恵に救いを求めるようになった。やがて、自らを【科学者】と名乗る者が現れ、魔力を使わずとも動かせる【機械】が生み出された。火も、水も、風も、電気も、彼ら科学者が己の知恵と理論で自然を支配できるようになった時、天秤は静かに傾き始めた。
特別な者しか扱えぬ魔力と、誰にでも扱える機械。
大衆がどちらを選ぶかなど、問うまでもなかった。
時は流れ、国家の形が整う頃、文明の主役はすでに魔力から機械へと移り変わっていた。
魔操者は次第に衰退し、身分を隠して一般人として暮らす者も増えたが、それでもなお、魔力と共に生きる道を選んだ者たちは、ひっそりと集落を築き、互いを支えあって生きていた。
長きにわたり、この星はそのような均衡の上に平穏を保たれていた。
――だが、その均衡を破る、一人の天才魔操者が現れた。
山間の小村に生まれ、幼くして魔力の才に恵まれていた彼は、しかしその才能に心惹かれることはなく、祭りの喧騒や決まりきった行事を退屈そうに眺めながら、 外の世界を夢見ていた。
ある日、母の買い物の用事で訪れた城下町で、彼は生まれて初めて『機械』という存在に出会った。それは蒸気を吐きながら鉄路を進む鉄の塊で、歯車の音が生命の鼓動のように響く『汽車』だった。
まるで雷にでも打たれたかのような鮮烈な衝撃は、瞬く間に少年の心に感動という火を灯した。それ以来、彼は機械の虜となり、周囲の声など意に介さぬ様子で、研究の日々に明け暮れた。やがて成人を迎えると、彼は周囲の反対を押し退け、科学者を目指すために村を去った。
そして、幾ばくかの月日が流れた後――
天才は、運命を狂わす理論をこの世に生み出してしまった。
〝魔力と機械の融合〟
それは、少年時代の純粋な願いから生まれた、夢の産物にすぎなかった。
魔力も機械も、人を幸せにするための道具であってほしい。
彼の理想は、ただその一点に貫かれていた。
しかし、現実は理想を容赦なく歪める。
彼の理論は他の科学者の手によって兵器に転用され、トリガーを引くだけで魔弾が放たれる銃、ボタンひとつで魔術を起動する装置、そして常人を魔操者並みに変える強化外骨格へと姿を変えた。
天才が思い描いた理想は、魔を扱えぬ者たちに、人であることを超える力――『禁忌』を許してしまったのだ。
やがて、この星全土を巻き込むほどの戦争が始まった。
国家は新兵器の力に酔いしれ、軍靴の音が大地を覆い尽くす。
武器は次々と量産され、殺戮は理性の限界を超えて拡大の一途を辿った。
そんな中、ただ一人、平和を望んだ国王がいた。
彼は各国に停戦と共存を呼びかけ、その締め括りとして最後の演説を行うはずだった――が、その前夜、王は晩餐の席で毒に倒れた。
用いられた毒が『魔操者の土地』でしか採れぬものだと知れるや否や、大衆の憎悪は炎となって広がり、報道はそれを煽り立て、街頭では誰もが同じ言葉を叫ぶようになった。
『王を殺したのは、魔操者だ』と。
世論は瞬く間に沸騰し、理性は憎しみの濁流に飲まれた。
街は怒号に満ち溢れ、異端狩りが始まる。正義の名のもとに濡れ衣が正当化され、歯止めの効かない殺意は虐殺へと変わった。
生き残った魔操者たちは、散り散りの集落を繋ぎ合わせ、同盟を結成、科学者の台頭以来、虐げられてきた彼らは、抑え続けた怨嗟を爆発させ、ついに世界に宣戦布告したのだ。
対する機械の国々もまた、国家の存亡を賭して結束し、連合軍を創設。
かくして、魔操者と科学者。二つの正義が世界を分断し、史上最大にして最悪の世界大戦が幕を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます