第2話 6月23日 静かな湖畔の森の影にて
「おい、起きろレイジ」
ソフィアさんの雑なモーニングコールによって2日目が乱暴に始まった。僕はまだベッドの中で、いま目を開いたばかりなのにである。
「時間だ、行くぞ。早くしろ」
なにやら釣りに行くらしい。ご丁寧に竿を担いだ上でのお出ましだ。
にしても。
「は? え? もう出発? なんでもう少し早く起こしてくれなかったんすか?」
「知るかよ。おまえが勝手に遅く起きたんだろ? こっちには前々から予定があんだ」
そうして。
着るものを着たら強引に連れ出された。
道々の説明で、これから向かう湖は人気があり、おっとり出発していたら駐車場がいっぱいになるんだそうで。それに朝一番で魚が活性になる時間が狙い目なんだとか。
ホームステイなんてどこへやら、完全に釣り人の思考を聞かされた。
親父さんの運転で到着したここはトリリアムレイク。
言われるがままに場所取りをして。
言われるがままに竿を渡され。
言われるがままにエサをつけ。
言われるがままに糸をたらした。
じっと待つ。
じいっと待つ。
じっと…………。
なんだか違う。
想像していたのとぜんぜん違う。
普通ホームステイって言ったらたくさんの家族に囲まれて、祖父母とかワン助とか居て。それもデカイやつ。何匹も。顔を舐め回されたりとか。そんなワイワイガヤガヤを想像してた。
それがどうしてこんなところで糸をたらしているんだか。
少し離れたところで釣りをするソフィアさんが、竿を治具で立てかける。
朝食に手をつけるらしい。昨日の残り、コストスコのピザだ。
昨日と言えば。
まさか全裸自転車祭りとは恐れいった。そりゃああの竹を割ったような親父さんがゴニョゴニョ、はっきり言わないままに慰留を進めるわけだよ。自業自得、無理に強行した結果、おかげで僕の好感度はマイナスからのスタートとなった。
どうにかソフィアさんのお許しが出て、家にも無事に戻れもし。やっと遅い夕食をピザで。
「ああむ? もぉうした? 食えよモゴ日本モゴ」
「あ? じゃ、じゃあ……」
どうやら怒っているのではないらしい。恥ずかしかっただけか。
そりゃあそうだ、こっちからのぞきにいったのではなく、能動的にあちらから見せられたのだ。追いかけたのはあくまでも不可抗力。
それか僕など眼中にないか。それでもいいけど別に。
まあ、どんなにいいわけしてもマイナスなのは変わらない。
どんな関係でも夏の間だけ、2ヶ月半の話だ。その間だけ我慢したらいいし、それにゼロまでくらいは修復するかもしれない。だってまだ2日目なんだ。
そこで親父さんがひとこと物申す。今の彼女の無作法が気にくわなかったとみえる。
「口にものぉ入れてしゃべんなやドアホ娘。楽しい夕食に会話はつきもの、せやけどそれとこれとは別や」
今ので明らかにソフィアさんのスイッチが入った。ピザを急いで飲みこんでから反論する。
「なぁに言ってんだ? こないだご執心のマリナーズが逆転した時なんか、テレビまでポップコーンぶっ飛ばしてたじゃんか。ありゃなんだよ」
「ア、アレとこれも別や。とにかく、お客さんが居るんや、少しはまともにやな」
「ああん? こんな人の裸を遠慮なしにジロジロなめ回すような日本人にか? 気をつかう必要性はまるで感じねえかなぁ。なあ?」
「ごっ! グムぅ」
なんと。ご家庭のしつけの話、関係ないと決めこんでいたらあらぬところからこっちに矢が飛んできた。
「だ、だからあれは不可抗力ですって」
実に痛いところを、そこに親父さんの助け舟。
「なに言うとんねん。自分からわざわざ見せに祭りに参加しといて、見られて根に持つっちゅーのはむちゃくちゃやで。それとなソフィ、彼はレイジくんや。いいかげん覚えたってや」
「へいへい、レイジだかlazyだか知らねえが。ま、邪魔だけはすんなよ。アタシは忙しいんだ」
なんて言い草だ。
これはとんでもないお宅に決まった、そう思った初日だった。
そんなシューメイカーさん一家と一緒に始まった2日目。
本来お世話になるはずだったホストファミリーに不幸があり、ホームステイどころでなくなったために急きょ代打を買って出てくれたシューメイカーさん。
うちわけは親父さんとソフィアさんのふたり家族。
お母さんは何年か前に他界されたという。あの森の中の家はそのお母さんのお気に入りだったのだとか。虫とか動物とか多いだろうに珍しい。
仲良くやっていこう。ボーッとしていたらあっという間に終わってしまう。
……。
ボーッと。
…………。
なんだかなあ。
にしてもこの呑気さ。
どんなに時を過ごしても、何度スマホをポケットから取り出しても、時計は一番右に表示した数字しか変わらない。
ほんの時々二番目が。
時刻を司る数字は固まったのではないかと疑うレベル。
ああ、もう。
ああ。
ああ〜あ。
(なんで2日日から黙ってなきゃならないんだぁああああああっ!)
それでつい。
「なんで釣りになんか……」
「シィッ!」
言葉に出てたか。
腹ごしらえを終えたソフィアさんはすっかり釣り人モードだ。声を抑えてこちらを叱責する。
「いいか、アタシは遊ぶのに忙しい。言っとくけどアンタが来たからってことさら気をつかうつもりはねえからな。なんでこっちの予定を変えなきゃならねえんだっつの。アタシの横にいてもいいが邪魔はしてくれるなよ。アンタがこっちの予定に合わせろ」
ひどい言われよう。
会話しにはるばる海を渡ってやって来たんだっての。
まあでも?
だっていま自分で言った通りに2日目なんだ。だったらそんなに焦ることもないか。まさかこれから毎日ここにきてただ釣りをするなんてことはあるまい。
大丈夫だ。
きっと明日にも質問攻めにできる時間がやってくる。
それどころか、湖での釣りなんてせいぜいが日没まで。短ければ正午くらいで切りあげるかもしれない。それ以降は釣果や味で好きなだけ会話を楽しんだらいい。
(そっか、まだ焦る必要なんてないんだ)
なにをそんなに焦ってたんだか。
とにかく何かをつかんで帰ろうだなんて、帰国してからのことばかり。
大丈夫だ。なにも大変な事態に陥ってなんかいないじゃないか。
ただここに来て過ごす、それだけで意味がある。きっと身になる骨になる、今日のことだって。
どうやら肩の力が抜けたらしい。ようやく周りが見えるようになった。
(きれいなところじゃないか)
急に背景に色がついた。
緑は濃く、湖は深いのに底まではっきり。青空は、空気が澄みすぎて黒みを帯びそうなほど。
とにかく木がでかい。日本ならしめ縄が巻いてあってもおかしくないレベルの木がそこらに、ゴロゴロと。
ここが田舎だからだろうか、にぎやかな観光客の姿がない。あるのは野鳥と虫の音、それと魚が作った波紋の音。シャッターを切る音すらしない。
ここには木と山と水しかない。そういう土地なんだ。
ふと隣へと視線を移せば。
ただ湖面を静かに見つめるその眼差しは真剣そのもの。
(なんだこいつ。しゃべらなければ意外と? いや、かなり?)
オーバーオールに麦わら帽子なんて、少年かと疑うようないでたち。それでめちゃくちゃ美人。
ってか美人ってよりかは意外とかわいい系。
英語圏ではいろんな意味で出せるだけ全部出したボディに、はっきりとした顔立ちの美人が好まれる。だから比較的凹凸の少ない彼女は、たぶんこの辺りではさほど。
でも日本に来たならどうだろう、そこらのアイドルなら裸足で逃げ出すほどの逸材になりえる。
寝ぐせを気にして、ピザでついた口の周りのケチャップをぬぐい。安くていいから泥汚れのない衣服に着替えたなら。
表情は常に明るく、裏表ない。ほんの少し化粧をするだけで間違いなく大化けする。賭けてもいい。
だからか、胸がキュゥっとなった。
でもなんだか認めたくない。
よく見るとすごい目の色をしている。まるで今日の空みたい。
ずっと外に居て、こんな空を毎日見上げていたらあんな色になるんだろうか。ずっとここで生活していたなら、あんな悩みのなさそうな、つきものが取れたような顔になれるんだろうか。
昨日は嫌々ながらもきちんと家まで案内してくれた。今日もそれほど根に持たずに接してくれるし。釣り餌のつけ方から狙いのポイントまで、イスだって朝食だって僕の分も用意してくれた。
意外と悪いやつじゃない。
「なんだよさっきから人の顔をジロジロと。気持ちわりいなあ。どうせ見るんなら竿先見てろっつの」
おっとっと、顔に似つかない乱暴な物言い。
せっかく持ち上げの最中だったのに台無しだ。
僕は彼女を好ましい人物であろうと評した。それは訂正しなければ。
言葉遣い以外は、とのただし書きをつけよう。
見るなと言われ、指示のままに竿へと。そこに新たな気づきが。
「あれ? あんなところに山なんてあったっけ?」
きれいな雪山。周りが夏まっさかりの緑一色の中で、真っ白な単独峰が上にどっしりと。威風堂々、あれはまるで富士山——
「はぁん? 今ごろぉ? おま、今ごろになってあの山に気づいたって。今そう言ったのかあ?」
首をかしげて流し目で。いやみを言う顔がかわいいとかどうかしてる。
「シィッ!」
それは他の釣り人から。今度はソフィアがたしなめられる番になった。
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