第19話 犬VS糞(前編)

「ダールさん、本当にここに住んでるでしょうか」


「信じるしかねえだろ。これ以上は分からねえからな」


 ダールたちがなだらかな斜面を下れば、周りを高さ数メートルの塀に囲まれる。


 目の前にはレンガで造られたほら穴。水路と共に地面の底まで突き進み、中は暗い。


 花屋の店員の情報が確かなら、この先に人が消えていったらしい。


 こんなとこに好んで住んでいるなら、村長の娘はとんだ変わり者ということだ。ダールですら気を疑うほどに。


「行きたくないです」


「俺だって行きたくねえよ。こん中は密閉されてて想像するだけでも気持ち悪くなる」


 水路から漂うやばい悪臭が、中はギュッと凝縮されている。


 ダールは考えただけでもおぞましく、戦いで味わえなくなった恐怖を久々に思い出す。足が震えて、逃げ出したくなる感覚だ。


「ボク、待ってていいですか」


「ざけんな。楽しようとすんな」


「本当にお願いします! 一生のお願いです!」


「こんなんで一生の願いを使えると思うな」


 ダールがミルトの襟を引っ張ろうと、縁に埋めこまれたハシゴをつかんでテコでも動かない。


 このままだと日が沈んでらちが明かない。ダールはあきらめて1人で行くことにする。


「覚えておけよ」


 ここから出たら仕返ししてやる。ダールは全ての恨みをこめて吐き捨てると、意を決して中へ進んだ。


 中は当然暗い。マッチの灯火だとなにも照らせず、ただ持っている手が熱いだけだ。


「おい!」


 鼻をつまんだマヌケな声がうろに響く。返答はなく、ただバカをさらしたような形になるのはダールにとって不本意だ。


「くそ、まだ先か」


 よりによって奥のほうにいる。わざわざ臭いこんな場所の奥にいるなど、後ろめたいことがあるのか。それとも鼻が鈍いだけなのか。


 どちらにせよダールにとって絶望的だ。まだ進まなければならない。


 ダールはマッチを水路に投げ捨て、新しいマッチを点火する。なにも照らせずとも、明かりはあるだけマシだ。


 奥へ奥へ足を進めれば、緩い曲折の向こうで明かりが淡くたゆたう。


 ダールはマッチを踏み消して、足音を殺して慎重に進む。淡くたゆたう明かりがはっきりして、その先には光源が見えた。


 ろうそくに灯された火に寄りそう1人の人間。ダールは見覚えがあり、目は大きく見開かれる。


「メトラ」


 名前を呼ぶと、フードを被った人間はこっちを見て警戒する。逃げることはせず、犬っころのように、毛を逆立てるかごとく威嚇してきた。


「そう警戒すんな。今さらお前を兵士に引き渡したりしねえよ」


「どうでもいい、私は誰とも会いたくない」


「そっちはそうかもだけどな、俺はそうにもいかねえんだ。ほらこれ、まずは返すぜ」


 ダールが指輪を投げ返すと、メトラは大事そうに両手で受けとる。


 本当の目的はこれだけだが、メトラが盗賊なら話は別だ。聞きたいことは山ほどある。


「ミンナノ王国で盗み働いてた理由はなんだ」


「言わない、私は絶対に」


「村のためか」


「……」


「だんまりかよ、図星なんだろ」


「違う、私知らない」


「知らないが通ると思うな。知らなきゃ、あんなに激昂しねえだろ」


 今は水面をなでるような声が、あの時ばかりは岩をも砕く激流となった。


 強い信念を宿した一声には相応の覚悟があり、ダールは今でも覚えている。金と比べられるのを心の底から嫌がり、否定した燃えるような目も。


「……そうかよ、なにも言わねえか。お前がなにをしたかった知らねえが、村は大変なことになってるぜ」


「待って。村が大変なことって……どういうこと……」


「誘拐だ」


「誘……拐……」


「なんか知ってるのか」


 メトラは見るからに動揺して、首は急かしなく動く。


 ダールが「おい」と詰め寄れば、燃えるようなオレンジの瞳がこっちを見て、ダールはすぐさま目を閉じた。


「約束が違う、私がしたのとは別?」


「なんの話だ」


「約束したの、私とヨールドさんと。ハームブルトにひどいことしないって、代わりに私がお金を持ってくるからって」


「そういうことか。いや、待てよ……」


 不明な金の出所はメトラが関係している。ダールはそう考えるが、納得がいかない。1人の盗賊が国の、それも上層の兵士を動かせるほど金を動かしたのなら盗賊に目が行くはずだ。


 ジジイが言っていたのは不明な金。盗賊なら足がつくことから、盗賊じゃない何者かがどでかい金を動かしている。


「金を持って来なかったら、どんな酷いことしてたか言えるか」


「い、言えない。ここでは言っちゃダメ。聞かれる、悪いやつらが耳をたててる」


「悪いやつら?」


「こ、殺される。私もあなたも、闇に葬られる。生きて帰れない、お父さん……怖いよ……」


「おい落ち着け」


 ダールはたまらず目を開く。メトラは頭を押さえてうずくまり、震えていた。


 小さな体はさらに小さくなり、触れただけで壊れてしまいそうなほど脆く見える。


「帰るぞ」


「へ?」


「ここで言えねえならお前の故郷で聞かせろ。安心しろ、俺が無事に連れて行ってやる」


「で、できるの?」


「できねえなら言わねえよ。できるから言ってんだ」


「あ、私、あなたのお金を盗ろうとした悪い子なのにいいの?」


「うだうだうるせえ! いいから来い!」


 ダールの中に宿っていた盗賊への復讐心はない。これだけの事情を知ったら、そんなものは萎える。


 今あるのは問題をこじれにこじらせた諸悪の根元、ヨールドへの怒りだ。


「ごめん、なさい。私のわがまま、自分勝手で巻きこんで……」


「なったもんはしょうがねえ。行くぞ」


「ダールさーん!」


 外にいたはずのミルトが、血相を変えて飛んできた。まだ言いたいことがあるようだが、呼吸が乱れてしゃべれそうにない。


 が、ダールはなんとなく勘づいている。わざわざこんな場所に来るほど、外は切羽詰まった状況になったのだろう。


「へ、変な人がたくさん来て、囲まれて、ボク……!」


「もういいぞミルト。俺の後ろにいろ」


「悪いやつら、聞いて来た。私たち殺すために」


「そ、そんな!」


「物騒だな。たかだかガキのお守りにたくさん人を呼ぶなんてな」


「ダールさん、どうしましょう……」


「お前らは俺がいいって言うまで中にいろ。後は耳を塞いで目を閉じてろ」


 命をかけた真剣勝負、平和を生きる今では味わえない駆け引き。少し前のおままごととは違う、相手はダールを殺しに来ている。


 そんなものは、子供に見せられないし聞かせられない。


 だが、ダールは楽しみでしょうがない。久々に血が沸き肉が踊る。戦慄(わなな)く体は武者震いだ。


「ダールさん、生きて帰って来てくださいね」


「祈るなら俺じゃなくて、相手の無事を祈っておけ」


 ダールはそう言い残すと、ほら穴からのそのそと出る。


 夕陽はすっかりと沈み、辺りを照らすのはおぼろな月明かり。敵の数はおおよそ20。


 軽装な鎧をまとった1人の男がダールにおらついてくる。


「お前か。こそこそ嗅ぎ回る犬は」


「……俺が犬か。ならてめえらは糞だ」


「あ?」


 男が疑問を口にした時には、ダールの攻撃は始まっていた。


 伸びた手は男の顔面を鷲掴みにして、ダールはそのまま堀に二度、念には念をと三度叩きつける。


 男がピクリとも動かなくなれば終わり。ダールは男を水路へ投げ捨てた。


「ふん、お似合いだぜ糞野郎。次はどいつだ」

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