第9話 アフター

 人が住む場所じゃないと言われた家は、なんということだろうか。ほこり1つない、人の住める家に様変わり。


 あれだけ物が散乱していた台所も、今ではキレイなかまどがあるだけ。すすもほこりもなく、これにはソーバさんもびっくり。


「ミルトはいい子だねぇ」


 ソーバが温かい目を向ければ、ミルトは「えっへん」と胸を張る。台所の片づけから部屋の掃除まで、9割はミルトがした。


 ダールはというと、物を出したり入れたりの1割の力仕事。それなりに仕事はしたのだが、ソーバからは冷たい目が向けられる。


「で、あんたは仕事をしたのかい?」


「物の出し入れ、これで満足かババア」


「あんたは昔から力仕事そればっかりねぇ。この際だから、ミルトに掃除のやり方でも教えてもらったらどうだい」


「いらねえよ。俺はそんながらじねぇ」


 ソーバの薦めをダールは手をはらって断る。掃除などというチマチマした仕事はダールのがらじゃない。やはり、力でこなす仕事こそ性にあう。


「そういえば、ソーバさんはどうしてここに?」


「ああそうだ。ひょっこりと現れやがって。なんの用だよ」


「ミルトをどうしたのか気になってねえ。それで、ダールはミルトをどうするんだい?」


「誰にもやらねえで、ここに住まわせることにした。まあ親が見つかるまでの間だけどな」


「あんたにしては珍しい決断だね。どういう風の吹き回しだい?」


「実は、ボクのわがままでそうしてもらいました」


「……聞き間違いかね。最近はどうも耳が遠くて」


「そこは目だババア」


 ソーバは耳と言いながら両目をこすり、動揺しているのが丸わかりだ。


 ダールはババアの動揺っぷりにあきれつつも、同情する部分もある。こんな人間のそばにいたいなど、ダールでも耳を疑いたくなる。


 現にダールも嘘かと思ったが、覚悟の決まった目は本物だった。


「実は、ボクのわがままでそうしてもらいました」


「ばか正直に2回も言うな。ババアは聞こえてる」


「聞き間違いかね。最近はどうも耳が遠くて」


「ババアもふざけんな。今すぐ耳もとで叫んでやろうか」


「おかしみの通じない男だね。はぁ、とにかくあんたを好むなんて珍しいね。なにかしたのかい?」


「なんもしてねえよ」


「タバコに酒にギャンブル、しかも短気で粗暴……。ミルト、ダールにいいとこがあったのかい?」


「わざと悪いとこしか言ってねえだろ」


「ないです」


「おい」


 きっぱり言うミルトにダールは思わずつっこみをかます。


 「一緒がいい」。覚悟の決まった目で言ったのに、ミルトはダールを全否定だ。


 ダールはあの時にした決断は間違いだったのかと、少し心配になってくる。


「じゃあなんで言ったんだよ」


「ビビッときたというか、おおってなったというか……。ダールさんと一緒がいいってなぜか思ったんです」


「本能みたいなもんか?」


「いえ、そうじゃないです。んー、温かい……落ち着く……似ているけど、ちょっと違うんですよね」


「言葉にできなくても心にあるならいいじゃない。言葉になんて後ですればいいのよ」


「よく分からねえが、お前が納得する理由があるならいいんじゃねえか。それに、俺にもそれは伝わってきた」


 結局うやむやだが、ダールは自分の決断が間違っていなかったと確信する。


 顔に出るほど強い意志。それはダールの悪いとこ全て引っくるめても、一緒にいたいと思わせたのだろう。


「ミルトがせっかく住むんだからお祝いしないとね」


「お祝い!」


「まてまて、お祝いもなにも急にはできねえだろ」


「私がなにも準備をしてないと思うかい?」


 ソーバはニヤリとすると、手に持っていたバスケットをテーブルに下ろす。


 パカッと開けば、中は小さなパン屋だ。クロワッサン、サンドイッチ、ロールパン……他にもたくさんのパンがきつきつに詰められている。


 ミルトはテーブルに身を乗り出すと、目をキラキラとさせてバスケットをのぞきこむ。


「す、すごい。これ全部用意したんですか?」


「そうだよミルト。今朝このために焼いた特性のパンさ」


「ちょっと待て。もしミルトがいなかったらどうしてたんだよ」


「あんたに食わして、人に配って片付けるさ。そもそも私以外、子供を預けられる人があんたの知り合いにいるのかい?」


「一人いるぜ」


「どうだったんだい?」


「ダメでした。仕事がいそがしいみたいです」


「どのみち、ミルトがあんたのとこにいるのは必然だね」


 ソーバがふんと鼻を鳴らして、勝ち誇った顔をすればダールは歯ぎしりをする。まるでババアの手のひらで踊らされていたみたいで、ダールは腹立たしい。


 「隠居風情が」。ダールが負け惜しみで吐いた一言は、しっかりとソーバに聞こえていた。


「ダール! ご飯抜きにするよ!」


「はいはい俺が悪かったですよ」


「まったく。相変わらず口が悪いね」


「ダールさん、朝ごはんはパンだけで大丈夫ですか?」


「これだけありゃ十分だろ」


「なんだい、朝ごはんはまだだったのかい」


「起きてすぐ掃除だったので……」


「それは大変だったね。パンはいっぱいあるから、たくさんお食べ」


「ありがとうございます!」


「なあ、もう食っていいか? 腹へって死にそうだ」


「はいはい、じゃあみんな席について」


「はーい」


「それじゃあいただこうか」


「ボクはこのパンがいいです」


「俺はこれだな」


「あんたはいつもサンドイッチばかりだね」


「当たり前だろ。肉が見えるからな」


 ダールの目当てはパンに挟まったハムだ。目で見て肉と分かるからこそダールは食べる。


 対してミルトが取ったのはクロワッサンだ。ミルトはクロワッサンを一口食べると、はじけんばかりの笑顔をうかべる。


 「美味しい!」。ミルトはモグモグと食べて、ぺろりとクロワッサンをたいらげる。その様子にソーバはご満悦のようだ。


「嬉しいねえ。いつも一人だから、こういう反応があると心がほっこりとするよ」


「どうして一人なんですか?」


「そこのバカは家を出たし、バカ旦那は私を置いて仕事に大忙しさ。まったく、歳をとったら一緒に過ごすって約束したのにね」


「ジジイはどこいんだ?」


「知らないね、仕事でどっか行ってるよ。守秘義務だがなんだかで言えないけど、ギャンブルができないって手紙で嘆いていたよ」


「ジジイらしいな」


「ジジイさん?」


「あー、ソフンだ。まあジジイって呼んだところで怒らねえからな」


「なんだいダール」


「別に」


 ソーバを一瞥したことが気に障ったようだ。ダールが含みを持たせて答えると、ソーバは「そうかい」とだけ返す。


 ミルトはそんなギスギスとした空気が嫌だったのだろう。頬張っていたパンをのみこみ、「それより!」と話を変えてきた。


「ソーバさんのパンはどれも美味しくて、毎日食べたいです」


「ありがとうミルト。そう言ってもらえると、作った私は幸せだよ」


「だからその、毎日パンを買いに行っていいですか?」


「おい待て。ババアのパンはたしかにうめえが毎日パンは勘弁だぜ」


「んー、どうしましょう」


「……そしたら、ミルトがお手伝いをしたお礼として、パンを食べられるってのはどうだい」

「いいんですか⁉」


「もちろん。私もずいぶん歳をとってで一人じゃ大変だからねぇ、ちょうど人手が欲しかったんだよ。パンを並べたり洗い物をしたり、できるかい?」


「できます! 任せてください!」


 ミルトは意気ごみ、やる気満々と言わんばかりに鼻息を荒くする。ソーバはミルト見るなり微笑み、優しく頭をなでた。


「ありがとう。明日から来てくれるかい?」


「はい!」

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