第2章 混血種と傷あと
第11話 噂の盗賊
西日が射しこむ商業区、目に闘争の火を燃やすダールと、おどおどしたミルトは人ごみに逆らう。
いつもなら家にいる時間帯に、二人してここにいるのには理由がある。ことの発端はさかのぼること1時間前だ。
――「金を盗まれたぁ!?」
「ごめんなさい!」
帰宅早々、ミルトが正座をしていて何かと思えば、とんでもないことが起きていた。
日中の仕事を終えて、死ぬほど腹を空かしたダールにとっては致命的すぎる。金をとられて夕飯がないなど、この世の終わりよりも辛い。
「落としたとかじゃねえよな?」
ダールが念のため聞くも答えは変わらない。ミルトは首を横に振って否定する。
「はぁ……そうか。しっかしどこで盗まれたんだ?」
「商業区の広場です。音楽隊の演奏を聞いてたら、いつの間にかなくなってたんです」
「それはまぁ不運だな」
「ごめんなさい……」
「あんまし謝んなよ。謝ったところで金は帰ってこねえんだ」
「気にすんな」。そういうつもりでダールは言ったが、どうやらミルトには伝わらなかったようだ。
ミルトはガックリと肩を落として、さらに落ちこんでしまう。ダールも、こればっかりはさすがに非を感じた。
「お前を責めてるわけじゃねえよ。気にするなって言いたかったんだ」
「そ、そうだったんですか。よかったぁ」
「それにお前は悪くねえだろ。悪いのは盗んだくそ野郎だ」
「でも……」
「でももくそもあるか。いいかミルト、ここから謝るのは禁止だ。俺が欲しいのは謝罪じゃねえ。俺が欲しいのはくそ野郎の命乞いだ」
やられっぱなしはダールの性にあわない。盗まれたら全てを奪う。殴られたら半殺しにする。それがダールの信条だ。
「ダールさん。でも、誰が盗んだかなんて分からないですよ?」
「簡単だ。お前を囮にして暴くんだよ」
「え? ボク?」
「ああそうだ」
ダールがなに食わぬ顔で言うと、ミルトは固まってしまう。目をぱちくりとして、声も出さずに立ち尽くす。
「おい」
「……」
「お……」
「ええ!」
「うっさ。んだよ急に大声あげて、耳が壊れる」
「いやいや無理ですよダールさん。また盗られたなんていったら立ち直れませんよ!?」
「安心しろ。絶対に捕まえる」
「どうしてそう言いきれるんですか!」
「俺は
「だとしてもです。ボクはむりです!」
ミルトは腕でバッテンをつくり、断固として断るつもりのようだ。残念だが、ダールはそれを許すつもりはない。
「やれ」
「むりです」
「いいからやれよ」
「いやです」
ダールがいくら言おうとミルトは首を縦に振ってくれない。このままでは一向にけりがつかず、ダールは大きなため息をこぼす。
かくなる上は、あまり使いたくないがやるしかない。
「責任感じてんだろ?」
「そ、それはそうですけど。でも気にしなくていいって言ったじゃないですか」
「それはそれ、これはこれだ。少しでも悪いと思うなら罪滅ぼしに手伝え」
「うう……」
「それともなんだ? 盗まれたのに全く悪いと思ってねえのか?」
「そ、そんなことないです! ないですけど……」
「言い訳か?」
「もう! 分かりました! もし盗まれても知らないですからね!」
「盗まれねえから安心しろ」――
こうして、ダールとミルトは広場に来ていたのだが……。
「何もなかったですね」
「だな。さすがにバカじゃねえか」
盗賊は現れず、帰路についていた。行きは射しこんでいた西日も、帰りはすっかりと地平の向こうだ。
「くっそ無駄足だったな。なんか食いもん買って帰ろうぜ。腹が減って死にそうだ」
「ボクもお腹ペコペコです……」
ミルトがため息をついてお腹をさすると、お腹の虫は鳴き声をあげる。
すると、ミルトはたちまち恥ずかしくなったのか、真っ赤な顔からは湯気がたちこめた。
「おいなんだ? 恥ずかしがってんのか?」
「き、聞かなかったことにしてください」
「無理だな。しっかりと聞いたぜ」
「ダールさんの変態」
「変態ってなんだよ、俺だって聞きたくて聞いたわけじゃねえぞ。だいたい、腹が空いて鳴ることは当然だろ? 恥ずかしがることか?」
「恥ずかしいことですよ! よりによって人がいるところなんですから」
「だったらなんだよ」
「はぁ、ダールさんは一生分からないですよ」
「そうかよ」
「一生分からない」と言うのなら、ダールも理解しようとは思わない。
ミルトはきつく言ってきたかと思えば、今度は急にしおらしくなった。
「あの、ダールさん」
「なんだ」
「できればボクのお弁当も買ってきてくれませんか? お腹鳴ったら恥ずかしいので……」
「めんどくせえな。誰も聞いちゃいねえだろ」
「いやです、聞かれたら……わっ! ダ、ダールさん?」
「
ダールの左手はミルトの眼前を通り、フードを被った人の腕をつかむ。
ダールは見逃さない。こいつがミルトの金銭袋に手をかけていたことを。
盗賊の表情はフードで分からないが、驚いている様子も慌てる様子もない。バレて捕まったというのに、気色悪いほどに落ち着いている。
「ひとまず取った金は返してもらうぜ」
「ほ、本当に盗まれてたんですね」
「んで、何でこんなことをした?」
「……」
「おい」
ダールがどれだけ凄もうと、盗賊が閉じた口を開くことはなかった。
抵抗もせず、弁明もせず、盗賊は恐ろしいほどに肝が座っている。ダールも久々の強敵に骨が折れそうだと、内心ワクワクが止まらない。
「ふん、答えねえか。なかなか面白いやつだ」
「盗賊さん。教えてください」
「……」
「聞かれるだけじゃ不満か。なら、これで話したくなるだろ」
「っ!」
ダールが左手の力を強めると、盗賊は始めて声を漏らした。しかし、その後は口を真一文字に結んで黙ってしまう。
「ふん、見上げた根性だな。とっとと話した方が身のためだぞ。骨が折れちまう」
「……」
「何が目的だ」
「……」
「まだ言いたくねえのか。まあどうせ金だろうがな」
「……う」
「ああ?」
「違う!」
盗賊は始めて、意思をもって声を発した。幼い声色だが、強い信念を秘めた硬質な
ダールが驚くのもつかの間、盗賊は顔を上げて瞳を覗かせた。火を彷彿とさせるオレンジの瞳は大きく見開かれて、覚悟を決めている。
「っ!」
目が合う。瞬間ダールを不思議な感覚が襲う。
まるでベロンベロンに酔った帰り道みたく、視界がぐにゃりと歪んで、体の力が自然と抜けていく。
「ダールさん!」
ミルトに呼ばれてダールは正気に戻る。盗賊はすでに逃げ出していて、ダールはすぐさま左手を伸ばす。
左手は確実になにかをつかんだ。ダールは離さないように強く握りしめるが、無情にも、つかんだものは鈍い音をたてて壊れる。
「くそ!」
盗賊が裏路地に姿をくらまして、ダールは追うことをあきらめる。複雑に入り組んだ裏路地で探すなど、地の利があっても不可能だ。
「ダールさん。盗賊さんは子供なんですね」
「そうだな。俺もびっくりだ」
盗賊は子供であり、また小さな背中には大きな使命を背負いこんでいた。
金よりも大きく重い使命。ダールには分からないが、盗賊を熱くさせて、瞳で訴えかけてくるほどにはでかい使命だ。
「瞳……」
ダールはふと、不思議な感覚を思い出す。盗賊の瞳に見られてから、視界が歪み力が抜けた。
レメッタの言っていた「魔族の力」は、たぶんこれのことだろう。半ば嘘に思っていたダールにとって衝撃的だ。
「そういやこれもあったな」
「なんですか?」
「
ダールが手を広げると、手の中には指輪があった。
錆びて、くすんで年季の入った指輪は、どこにでも売ってそうな安物だ。宝石もついてなければ、金や銀で作られたものでもない。
「だいぶ古い指輪ですね」
「だな」
「あ、ここだけ文字が見えますよ」
「……ハームブルト」
「人の名前ですか?」
「いや、地名だな。最も魔王の領地に近いで有名な村だ」
「わざわざそんなところから来たんですかね?」
「どうだろうな。まあどっちにせよ、ここには行く必要がありそうだ。仕返しをするためにもな」
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