第12話 修行、早くも終了?
日が傾き、空がやや赤みを含んでくる頃。タイゼーンの町の端、農道に囲まれた畑のあぜ道に、トロワはいた。
粗末な柵に身を凭れさせ、どこか拗ねたように唇を尖らせ俯いている。その脇に控えるクレシアは、無言であった。
「……ねえクレシア、やっぱりもう一回おにいさまのところに行ってもいいかな」
「どうぞ、トロワ様の、お望みのままに」
クレシアは一切の躊躇いもなく肯定する。しかし、自分で言ったくせにトロワは動こうとしない。
「トロワ様。先ほどから、同じ問いを、三回繰り返しております。私は、トロワ様の望まれる返答を、できていないのでしょうか?」
クレシアは静かに、そう言った。トロワははっとしたように顔を上げ、そして再びしょんぼりと俯く。
「ううん、クレシアは悪くないよ。僕がいけないんだ……修行の旅を頑張るって決めたのに、まだここから動きたくないって思ってる。おにいさまがついてきてくれたらいいのにって、まだ考えちゃうんだ……」
「ですが、ウィル様は、お断りされて、いました」
「そう、だよね……おにいさまも、大変なんだもんね……」
呟いて、トロワは小さくため息を吐く。それを、クレシアは不思議そうに見ている。
「クレシアには、難しいです。トロワ様が何をお望みなのか、私は理解できていません。トロワ様、何をご希望ですか? 私が、それを叶えることは、可能ですか?」
クレシアの質問に、トロワは答えなかった。トロワ自身、自分が今何を求めているのか、自分がどうして動こうとしないのか、分からなかった。
お前は修行の旅に出るのだ、と父に聞かされた時、胸に沸き上がったのは未知なる世界への憧れと期待、これから訪れるであろう楽しい出来事の想像だった。父と離れること、生まれ育った屋敷を離れることは少しだけ寂しかったけど、我儘を言って父を困らせたくなかった。
だけど、たった数日のうちにそれらの楽しい気持ちは萎んでしまった。楽しくないわけではない、ずっと屋敷の奥で過ごしてきたトロワにとって、壁や天井で遮られることのない広い世界は、本当に美しく胸を揺さぶるものだった。いきなり空中に放り出されたのは驚いたが、助けてくれた『おにいさま』との出会いは、まさに運命と言っても過言ではない(とトロワは思っている)。
それなのに、それ以上に押し寄せる不安がそれらを色褪せさせてしまうのだ。この広い世界に、トロワはクレシアだけを伴って降り立った。もう今までのように自分を守ってくれた父も、世話をしてくれた多数のお手伝いもいない。生まれた時からたくさんの人に囲まれて過ごしてきたトロワにとって、今の状態はあまりにも心細いものだった。
「……やっぱり、もう一日だけ、ここにいようかな。お願いしたら、おにいさまも許してくれるよね? きっとそうだよ!」
そう言って、トロワは明るい表情を浮かべて元気よく飛び跳ねた。
「クレシア、もう一回おにいさまのところに行こ!」
「かしこまりました」
クレシアは躊躇いもなく了承した。
元来た道を戻るようにして、二人はまたタイゼーンの町の中を歩いていく。
「えっと、たしかこっちだったよね? ここに大きな建物があって……あそこ、おにいさまがお仕事してたところだ!」
背の高いレンガ造りの塀を見つけて、トロワは自身の記憶が間違っていなかったことを喜ぶ。ザックス・ワークス工場の近くに、ウィルの住んでいる小さな家(トロワの認識)があったはずだ。
「おにいさま、いらっしゃるかなぁ。クレシア、早く行こ!」
もう一度ウィルと一緒にいるところを想像し、トロワは振り向いてクレシアに話しかけるが。
「……あれ?」
振り向いた先で、クレシアはこちらに背を向けていた。さっきまで自分の後ろを歩いていたのに、どうして反対方向を向いているのだろう。
「失礼ですが、 どのような、ご用件でしょうか?」
クレシアは問いかける。それはトロワではなく、彼女の視線の先に立っている二人の人影に向けられたものだ。
「……トロワ・ニト・トゥルーエ様ですね?」
人影の一人、背の高い眼鏡をかけた男が、冷たい声で問いかけてくる。その声に、形ばかりの敬意はあれど、トロワ自身に対する感情は極めて希薄だった。
「え? 僕は確かにトロワだけど……あなたは誰?」
「御父上……ヴィルブランド陛下の命により、貴方をお迎えに参りました。共に、魔界へ帰りましょう」
男はそう言って、慇懃に礼をする。きょとんとするトロワだったが、男の後ろにもう一人、ドレスを着た女性がいることに気付いた。
「あなたも、お父様の命令で来てくれたの?」
「えっ、あ、ああ、そうです。そうでございます、トロワ様。王子のお迎え役として、私達が選ばれたのです。お一人で人間界になんて、さぞお辛かったでしょう? さあさあ、どうぞこちらへ」
女性はトロワに指名されたことでぎょっとし、早口でそんなことを捲し立てる。優しい声で手を差し伸べてくるが、帽子のつばの下の笑みは、どこかぎこちない。
「お迎え? 魔界に帰れるの?」
「ええ、そうですよ王子。ですから早く……」
「でも、お父様は修行の旅に出ろって言ったよ? もう修行は終りってこと?」
トロワの問いに、女性の笑みは引き攣った。
「えっと、それは……! ジョン、ちょっと、何とか言って!」
「陛下の御意思は、我々のような下々には分かりかねます。我々が命じられたのは、トロワ王子のお迎えのみ。それ以上の説明は、どうか陛下へ直々にお聞きください」
ジョンと呼ばれた男は、慌てる女性とは反対に、冷静なまますらすらと返答する。
「んー、でもぉ……クレシア、どう思う?」
困惑しながら、トロワはクレシアに尋ねる。クレシアはトロワとジョンの間に立ち、視線はジョンに固定したままで答える。
「私に与えられた、お父様からの命令は、トロワ様の修行に同行し、護衛とお世話をせよ、とのこと。修行が終了したのであれば、私のお役目は終了と、なります。トロワ様、ご判断、ください」
訊ねたはずが逆に決断を迫られ、トロワは困り果てた。
「えーっとぉ……修行、もう終わっちゃうの? せっかく出発したのに……」
「ですが、王子。人間界は田舎くさくて不便でつまらないところだったでしょう? お城に帰れば、贅沢な暮らしに戻れますよ。きっと陛下も可愛い息子が心配で、呼び戻すことになさったのでしょう。ささ、迷うことなどありませんよ。早くいきましょう!」
女性は急かすようにそう言ってくる。どうすることが正解なのか分からなくなったトロワは、言われるがままそちらへ向かおうとする。
「……トロワっ!」
その時、鋭く名前を呼ばれてトロワの動きは止まる。呼ばれた先を振り返ると、そこにいたのは。
「おにいさま!」
ここまで走ってきたのか、肩を揺らしてぜいぜいと息を乱しながら、壁に手をついてこちらを見るウィルの姿だった。
「……ったく、手間取らせやがって」
「え? 何が?」
急に現れて不可解なことを言い出したウィルに、トロワはおろおろする。ウィルはずかずかと大股で歩いてトロワに近寄り、徐にその手を取った。
「え、え? おにいさま……?」
「町中走り回って探したんだぞ。頼まれてた買い物、終わったのかよ? 母さん、料理が出来ないってずっと待ってるぞ」
「へ……?」
急に訳の分からないことを言い出したウィルに、トロワは呆気にとられる。
「失礼だが、君は先ほどの……?」
不意に、ジョンが眼鏡を指で押し上げながら、ウィルの方を見やる。それを聞き、ウィルはまるで今初めて彼の存在に気付いたかのように驚いてみせた。
「あれ、さっきの人達。いやぁ、またお会いするなんて偶然ですねぇ。あ、こいつ俺の弟なんですよぉ、可愛いでしょ? 買い物頼んでたのに、全然帰ってこないもんだから、母さんが探してこいって……」
不自然なまでに愛想を振りまきながら、ウィルはぺらぺらと喋り出す。トロワは呆気にとられ、ジョンは不審そうにウィルを見下ろす。
「弟? そのお方はトロワ王子。先ほどご本人にも確認済みだが、君は王族なのかね?」
「やだなぁ、それは弟の遊びですよ、遊び! こいつったら魔界の王子になりきって遊んでるんですよ、面白いですよねぇ。ちなみにこの女の子は隣に住んでる幼馴染のクレシアって言うんです。二人でごっこ遊びしてるんですよ~ガキなんだからまったく、ねぇ」
あはは、とわざとらしく笑いながら、ウィルはトロワの手を取った反対側の手で、クレシアの手も取る。
「じゃ、僕達これで失礼しますねぇ。さ~トロワにクレシア、家に帰ろうなぁ」
「おにいさま、何か変だよ? どうしちゃったの?」
「も~何言ってるんだよこいつぅ、俺はいつもこんな感じだろ?」
混乱したままのトロワと微動だにしないクレシアを引っ張るようにして、ウィルはその場を立ち去ろうとする。
「ちょっとお待ち! いきなり現れたと思ったら、何なのよあんた! その子はトロワ王子だって言ってんでしょ!」
ヒステリックに叫ぶ声に引き留められ、ウィルの動きはぎくりと固まった。
「君がどういう存在かは知らないし、我々も興味はない。用があるのはそちらのトロワ王子のみ、それ以外は家でもどこにでも帰ればいい」
ウィルのその場しのぎの芝居は、ジョンに全く響いていなかった。
「さあ、トロワ王子。こちらへどうぞ」
有無を言わさぬ強さで、ジョンはトロワに向けて言う。それは慇懃な動作と言葉でありながら、こちらに拒否は認めないという強固な意志が窺える。もはや命令である。
「でも、おにいさまが……」
ウィルの後ろに隠れて、トロワはおずおずと口を開く。
「おにいさま? 何それ?」
女性は理解不能とばかりに両手を広げ、そして
「まどろっこしいわねぇ……もういいからジョン、さっさとやっちゃいなさい」
と命じる。
「承知しました。それでは、」
ジョンは頷き、そして静かに言った。
「我々の任務です。トロワ王子、ここで死んで頂きます」
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