第10話 転職とその後

 2008年9月のリーマンショックと呼ばれる経済危機から数年、その影響がまだ終わらない中で取引先が資金繰りに失敗して倒産した。会社は億単位の売掛金が回収不能になり、会津の営業所を閉鎖、従業員を東京本社に呼び戻そうとしていた。


 関東圏からこの地域で暮らすために転職しいていたため会社に意向に反してすぐに退職を決めた。


 元々勤務していた外資系IT企業を退職したのは、その1年ほど前のことだった。生活の基盤を会津にしようと決めてから、次の人生の岐路に立つまでの時間は自分が考えているよりもずっとずっと短かかった。


 田舎での再就職は容易ではない。ハローワークに通いながら、独学でAndroidやiOSでのアプリケーションの開発を学んだ。限られた資源リソースを効率良く使うために制約に満ちたフレームワークについて学んだのは良い経験だった。情報セキュリティの資格取得や、TOEICの再受験もこの頃にした。


 この業界で転職といえばエージェントを利用することが一般的だ。しかし僕の市場価値を見積ると、どのエージェントも一番高く売れる市場東京に情報を流した。勤務希望地の欄の存在価値など無に等しい。まったく役には立たなかった。地元に本社がある企業でもハローワークの求人票には東京勤務有りとの断り書きがあるぐらい、その頃の地方は首都圏への低廉な人材供給源になり下がっていた。


 当座は貯金があったこと、会社都合による退職扱いになったため失業手当の給付は素早く行われたことなどから、生活面での心配はなかった。一方で、勤続期間が10年未満だったので、多少の延長はあったものの失業手当の給付は比較的早めに打ち切られた。その次に再就職した会社が倒産した時には、国による未払給与の8割立替も受け、社会には様々なセーフティネットがあることを知ると同時に、これまでの、そしておそらく将来に支払うであろう雇用保険金分を回収した。


 失業して技術職であることの有難味を実感する。失業してもそれほど不安になる必要はない。しかしそれも蓄えに余裕がある間だけだ。ちょうど銀行口座の底が見えてきた頃に東日本大震災を経験した。僕の被害といえば震度5弱の揺れで本棚の上にあったコピー用紙の束が身体にあたった打ち身程度のものだった。電気も水道もそのままでパソコンもインターネットに繋ったままだった。近所のスーパーマーケットの棚とガソリンが空になったことを除けばライフラインは完全に機能していた。最も近い安全圏にいた僕にはGoogleが提供していた文字起しのボランティアぐらいしかできることはなかった。


 実家に戻る選択肢もあったが、そのままアパートに住み続けた。


 大震災直後の平穏な日常の中、ハローワークに通う道すがら、駅前の小さな民宿のような旅館の入口には被爆放射線量のスクリーニングを受けていない避難者の立ち入りを断わる小さな張り紙があった。帰りに確認すると、それはもうなかった。


 この頃の僕には漠然とあとどれくらい生きるのだろうという感覚があった。母が他界した年齢にだんだんと近づいていく。その先の人生を想像することは出来なかった。震災直後の4月に紹介してもらった仕事に就くとすぐに郡山に引っ越したが、1年後に倒産によってまた露頭に迷う事になった。


 そして僕の人生は母親の年齢を過ぎても淡々と過ぎていった。

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