クリーム・イン・ザ・ジェラシー
@miyamayumoto
クリーム・イン・ザ・ジェラシー
男と女は役割が違うのよと言い放った彼女を、私はどうしても許せなかった。
彼女と私はもう五年だか六年だか、曖昧なくらい前からの付き合いだ。彼女がオムライスを作った時、マヨネーズで彼女の名前を書いて机に運んだことがある。冬の寒い日、急に泊まることになった彼女がパジャマを貸してと言うので、スーツケースから半袖短パンを引っ張り出してあげたこともある。朝食の味噌汁を温める時、お風呂のぬるま湯くらいで火を止めてあげたことだってある。
つまるところ、私には役割という役割は与えられておらず、私であることが役割であったのだ。にもかかわらず、彼女は私を女だと言った。女の役割をしていると言ったのだ。それも、ぬるい土色の汁を啜りながら。
「驚いたでしょ」
「驚くどころじゃないよ」
「ごめん。なんだか言うタイミングがなくて」
「タイミングは探すものじゃなくて作るものだよ」
「ごめんって」
彼女は輪郭にかかるくらいの短い髪をご飯と一緒に食べていて、いつも通りだった。この前一緒に見ようと話していた映画を見てしまったから、その仕返しなのだろうか。それくらいの調子だった。絶対に違うのに。それくらいの調子で話すものだから、それくらいの事みたいに思えて、でも、茶碗を持つ手に光る指輪はそれくらいの安物ではなかった。
「怒ってるでしょ」
「何で」
「だって、否定しないから」
「……怒ってない」
「怒ってる! 確かに言うのは遅くなったけど、それでも友達の中では一番に言ったよ?」
一般に、友達と呼ばれる存在に一番はない。良いも悪いもない。好きと嫌いはあるかもしれないけど、好きは好きのグループしかないし、嫌いは嫌いのグループしかない。大きな括りの棚に綺麗に並べられていて、例えば好きな友達と会いたかった時、それはどれでもあったら同じだけ楽しいのだ。好きは数字に出来ないから全部同じになってしまう。零か一かはあっても、一か十かはないのである。私は、彼女を友達と言ったことはなかった。彼女は彼女であり、『彼女』というグループに一人でいる。きっとこれからずっとそうだ。
私は一言そっかと口にして、それきり黙ってきゅうりの浅漬けを口にして、目玉焼きを潰して、ご飯と一緒にそれも口にした。彼女はそのまま、男の役割の人の話を続けた。男の役割の人は私達の三つ上で、東京丸の内のビルの中の一つで営業をやっているらしい。私は適当な相槌しかしなかったけど、彼女は気にしなかった。女の役割の人は、どうやら仕事が少ないらしい。
「よかったね。いい人そうで」
「うん。それでね、今度のさ。あの、映画見に行こうって言ってたじゃん」
「うん」
「あれ今度にしてさ。その日、よければ会ってくれないかな?」
神様ってちゃんと行いを見てるんだと、初めて思った。
彼は、ソファ席に気にせず座るような、正しく男の人だった。私は早く帰りたくて、でも飲み物だけだと感じが悪いかもしれないので、間をとってクリームソーダを注文した。お前はと聞かれた彼女は、紅茶のホットとサンドイッチを注文した。この暑いのにホット? と彼は眉間に皺を寄せて、オムライスを頼んだ。この場での異分子は間違いなくお前だと水をかけたかったがぐっとこらえた。彼は私と違って一番だから、そんなことをしては私が彼女に嫌われてしまう。一番に私は勝てても、男に女は勝てないのがこの世の理なのである。
名前と役割とを言ったのち、彼は名前を聞いてきた。私が答える前に彼女が私の名前と役割を言って、何だかそれが無性にさみしくて、空いた穴を埋めるためにクリームソーダのアイスを食べた。じわ、と溶けて甘さが広がったけど、それだけだった。
「甘いもの好きなんですか?」
「あ、はい……まあ人並みには」
「というより、クリームソーダのアイスが好きなんだよね?」彼女の台詞に、私は堪らず目をパチクリさせた。「クリームソーダはあるといつも頼むけど、メロンソーダは頼んでるとこ見たことないし」
「へえ、そうなんですね。珍しいな」
「え、ええ」
降水確率百%の日、それでも傘を持っていかない私の鞄に、折り畳み傘をこっそり入れてくれたことがあった。彼女は、私と彼女との関係を築いていたのだと思った。そんな彼女が転がり込むようにうちに来た時、私は何だか穴が埋まった気がした。結婚しない人間のほとんどは一人で生きることになる。私は結婚するつもりもしたい気持ちも持ち合わせてない人間だったから、最初から一人の予定だった。彼女が隣に来てから一人じゃなくなった。一人じゃなくなったら、一人が怖くなった。私は、私が男だったらよかったとさえ思った。男というだけで、私が五年以上かけても貰えなかった一番を、すんなり貰うことが出来るのだから。
彼女がお手洗いに言っているうちに、彼のオムライスが到着した。ケチャップをかけて躊躇なく食べ始める彼は、きっと一番になりたいと思ったことはないのだろう。そんな風な生き方をしてきたのだと思う。私だったらきっと他の人が、彼女がくるまで待ってしまう。
「いいなあ」
「……オムライスが?」
「貴方が。私はこの先一生、きっと彼女の一番にはなれないので」
「そうですか」
「……」
「俺は貴方がうらやましいです。俺は男なので。一生一緒にはいられないですから」
肘をついてメロンソーダを一口飲むと、炭酸が喉ではじけて少し痛かった。成程、どちらも地獄があるならば、私のぬるま湯の中の方が幾分かマシかもしれない。
クリーム・イン・ザ・ジェラシー @miyamayumoto
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