第6話 コンパスも違うもんで。
「ふー、ごちそうさまです!」
チキンを完食し、ちゃっかりスイーツまで食べきった佳奈は、座ったまま深々と頭を下げる。
「今回はありがとうございました。なんかもう、なるようになれって感じです」
「アンタが大丈夫なら、それで平気だと思うわ。弁護士の勉強、頑張ってね」
「はいっ。あ、もし父たちが再婚したら、私たちってその――」
「ならない。アタシはアンタの兄にも姉にもならないわ」
「ですよね」
しゅん、と分かりやすく佳奈は肩を落とす。けれど、それを放っておくような性分ではなかった。龍也も、律も、どちらもだ。
「けど、何か困ったことがあったら言ってきなさいな。何かの縁だから、少しくらいなら協力してあげる」
「俺も、できることあったら協力する」
「ありがとうございます、律さん。それに、龍也さんも!」
ぺこり、と。やはり元気よく頭を下げて、佳奈はファミレスをあとにする。
それから、龍也と律の二人は少し時間をおいてからレストランを出た。
もし想定した通りなら、ここで接触してくるはずだと踏んで、緩やかな足取りで駅へと向かってみる。
「律!」
滑らかな女性の声で、その名前が呼ばれた。
それが彼らの耳に届くと同じタイミングで、律の元に一人の女性が飛び込んでくる。予想通りの人物。しかし、前方から、しかも、ここまで積極性を持ってくるとは思わなかった。
「な……っ!」
だから、つい龍也の方が反応した。律の方はただ黙って、自身の腕を掴んで揺すってくる白鳥美嶺を見下ろしている。
「ああ、律。聞いてちょうだいなっ」
律の冷ややかな視線をも全く意に介せず、白鳥美嶺は言葉を続けた。
「わたし、結婚するの。ねぇ、喜んでくれるでしょう?」
「…………」
「誰に、言ってんだよ」
黙りきった律に変わって、龍也が言葉を挟む。このままでは永遠に律が揺さぶられ続けそうで、黙っていられなかった。
「あら、この間の子ね。ふふ、あなたは律のお友達? それとも、まさか彼氏さんなのかしら? いやぁねえ、こんな人とじゃあ幸せになれないわよ?」
「な……っ! 俺は……」
「ねぇ、律。わたしの息子だから、わたしくらい幸せになれるでしょう? あなたにはその権利があるわ。その義務があるわ」
「ふざけんな! 誰のせいで律さんが傷ついたと思ってる!?」
「まあ、ごめんなさい……わたし、そんなつもりじゃなかったの。ただ、みんなを愛してただけ。みんなみんな大切だったの。だからあ……」
「テメエ――」
「待って、リュウ」
律の声が、勢い余って手をあげかける龍也を制する。そして、腕を掴む白鳥美嶺の手を、無理やり外した。
「アンタは、アタシに何をお望み? 祝福の言葉? それとも別れを惜しむ声? なんなら解放の喜びなのかしら?」
「律……どうしたの……?」
「うーん、どれもほしそうよね。でも、どれもあげないわ。だって持ち合わせてないもの」
「…………」
突然話し出した律に困惑したらしく、白鳥美嶺は言葉を詰まらせる。併せて、相手の台詞を絶妙に聞いていないスタンス返しをもされたことは、彼女にとって衝撃的だったようだ。
「今の僕にあるのは、頼れる唯一無二の相棒を想う心くらいだよ。アンタが絶対に持ってなさそうなものだね。他人を想ったことなんてないでしょ?」
「なんてこと……。も、もちろん、あるわよ。わたしはいつも、あなたのことを想っているわ。わたしの大切な息子だもの、幸せであってほしいもの。母なら願っているものでしょう? だから、あなたもたった一人の母の再婚くらい祝ってくれない?」
どの口が、と龍也は思わずにはいられない。
――久しぶり、元気にしてた?
その挨拶さえなく、ただただ自身の要求だけを無理やり通そうする。こんな人が律の実母だなんて、到底信じられなかった。
「ねえ、わたしの大切な律。どうか、お願い?」
「……ああ、そうだね。せっかくの結婚だ。祝福の一つくらいはあげてもいいかもね?」
「律! そうよ、わたしが結婚するのだから――」
「おめでとう、母さん。ようやく、ようやく僕から旅立ちできるというわけだ。素敵な卒業だね、おめでとう。いやー、よかったよかった」
「何を言ってるの……そんな悲しいわ……母にそんな……」
しくしく、と声を震わせながら彼女は訴える。
だが、律はまるで動じない。もう一度掴んできた手を払って、にこりと威圧的な笑みを浮かべる。
「心配しないで? 僕から連絡や接触はしないから。まあ、今までもしたことないけどね」
「待って。待ってよぅ、律」
懲りずに伸ばされる手を弾いて、ついには律の表情から笑みが消えた。
「おめでとう、美嶺さん。どうか、お幸せに。そして、さようなら。もう二度と、永遠に、オレの前に現れるなよ?」
「っ、待って。待ちなさいよ、律っ……律!」
「帰るよ、リュウ」
途方に暮れて立ち尽くす白鳥美嶺を置き去りにして、律はずんずんと道を進んでいく。龍也の手を引き、迷わず人混みに紛れながら、気づけば二駅分くらい競歩で移動していた。
駅前にある公園のベンチに腰掛けながら、短時間の休憩にする。
「はぁ……はぁ……疲れた…………」
「そりゃ、あの速さで歩けば疲れるだろうな」
「アンタは結構ピンピンしてるわね……ムカつくわ」
「普段の運動量も、なんならコンパスも違うもんで」
「……むぅ、地味に腹立つな……」
周囲に怪しい人影がないことを確認して、龍也はとある疑問を口にした。
「なあ、律さん。あんたってさ、一体いくつの顔を持ってんだよ?」
「えぇ? 心外だなぁ。決まってるでしょ。一つだよ、一つ」
「むー……?」
「本当の顔は一つだよ。ほんのちょっと、仮面が多いだけ」
「本当かよ?」
「もちろん。僕は僕。オレなんて柄じゃないね、さすがに」
「ンなら、『アタシ』と『僕』はどっちが本当だよ」
「ん~それは、両方かしらねぇ」
「そうかよ。俺はもう、本物はどっちか気づいてるけどな」
「……じゃあ、それがきっと正解だね。僕はリュウを信じてるもん」
律は立ち上がって自販機に向かい、白桃ジュースをポチッと購入する。取り出してすぐに蓋を開けて、中身をゴクゴクと飲んだ。
「でも……ありがと、リュウ」
「ん?」
「無事解決ってことで、夕飯は美味しいもの食べたいわね〜。今日くらい奢ってあげてもいいけど、どうする?」
「……マジか」
「明日は雪かなぁ」
「んなわけねえだろ、もうすぐ夏だぞ。あと、自分で言うな」
律はご機嫌な様子で、にこやかに笑う。
「ねえ、リュウ。僕を誰だと思ってる?」
「律さんだろ?」
「ふふ、正解」
「わ、分かんねぇ…………って、あぶねぇ!」
困惑する龍也の顔面に、開封済みのペットボトルが投げられた。飲んでいいということなのだろうかと戸惑いながらも、キャップを外してぐいっといただく。甘さが鼻まで抜けて、口の中に充満する。
「ふふふ、あはははっ」
龍也が飲み終える前に歩き出した律は、軽やかな足取りで歩いて行く。その後ろを追いかける龍也もまた、静かに微笑んでいた。
2-COLOR、2-FACE 久河央理 @kugarenma
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