第26話 皇太子

 王妃の視線はある一点を見ていた。

 貴族でも皇子でもない中途半端な人物、側室のダニエル・ヘレルが産んだアランだ。

 ティアローズ様から聞いていた内容を反芻する。

 珍しくダニエルが大人しくしていると思っていたら、昨日レイモンから出席不要と連絡していたようだ。そしてレイモンは少し緩めの結界を張ったとも言っていた。それなら、そろそろ来る頃か。

 集まった貴族たちも何が行われるのかとざわつき始めていた。


「今日集まってもらったのは長引く王の不在を考慮して王の名代として皇太子を任命することにしました」


 歓喜の表情で次の言葉を期待する者や自分たちの先行きを不安視する者の顔がある。その中で一人ヘレル子爵だけが悠然と構えていた。

 アランを皇太子にする算段が整ったとでも思っているのか。相変わらずの狡くて腹黒い男だ。その腹黒さで娘や甥、姪たちも利用する。


「お待ちください!」


 声を上げたのは側室のダニエルだった。

 ドレスのスカートを掴み騎士の手を払いのけながら、貴族たちの間を早足で歩いてくる。集まった貴族たちがダニエルを避けるように道を開ける。

 レイモンが手を上げると、王妃の横で控えていた騎士たちが槍でダニエルを止める。


「王妃様。皇太子の任命には王の承認が必要ではありませんか?」


 大きな身振りで集まった貴族たちに訴えかけるようにダニエルは言う。

 いつもながらうまい演技だと感心する。尤もらしいことと情で訴えながら今の地位を手に入れ今日まで王宮で少なからずの力を持っていたダニエル。それを利用して力を蓄えようと常に画策していたヘレル子爵。

 それに乗じてヘレル子爵側に寝返った貴族たちが騒ぎ出す。


「お静かに!」


 国務大臣のジョセフ・カルダンが声を上げると同時に広間の隅で控えていた騎士たちが騒いでいる貴族たちに剣を向けた。


「現在、王の代理は私です。その私が皇太子を任命するのに不都合はないはずです。それより、ダニエル。貴方はこの場に入れる身分でも発言権もないはずでは?」

「なにを!私は皇子を産んだ妃です。ネヴィルやレイモンより先に王の子を産んだ私がどうしてこの場に入ることを許されないのですか? 皆さん、おかしいと思いませんか」

「黙れ!ネヴィル皇子とレイモン皇子を呼び捨てにするとはなんという不敬だ!! 今すぐ捉えよ」


 普段は温厚なジョセフが怒鳴っている。

 騎士たちがダニエルを抑え込む。ジョセフに目配せをすると、騎士はダニエルをその場で座らせた。ダニエルの周囲を騎士が囲む。先ほどまで騒いでいた貴族たちも騎士が制圧しているので静かになった。


(まだだ。最後まで気を抜けない)


「皇太子は、ネヴィル皇子に決めました。一週間後に正式発表、一か月後に任命式を行います」

「王妃様。皇太子にネヴィル皇子をと仰いましたが、他国はどう思われますかね」


 ヘレル子爵が挑発的な表情で騎士を押しのけて前に進み出てくる。


「国内のことでどうして他国が関係してくるのかしら。それとも他国が口を出してくる理由でもあるの? 例えば……国王の姫を皇太子妃にと考えているような国とか」

「それは、どういうことでしょうか。それこそ、他国の姫が皇太子妃になればこの国は安泰です。喜ばしいことではないですか?」


 ヘレル子爵は皇太子妃の話を持ち出したことで少なからず動揺が見える。


「ヘレル子爵はベティルカ国が他国と同盟を結ばないと安泰とは言えないくらい弱小国だと言いたいの?」

「そうではありませんが……」


 答えに詰まるところを見ると皇太子の任命には不都合があると証明にもなる。


「もしそうだとしてもその姫はネヴィル皇子に嫁いでもらいます。それで問題ないですよね」

「い、いや……。ある国では既に皇太子妃として誰に嫁がせるかを決めている様子です。それをいまさら皇太子が変わったからと言って嫁がせるでしょうか」

「レイモンからネヴィルに変わったからと言って皇太子妃には変更ないのよ。国同士の婚姻ってそういうものじゃないかしら」


 扇を口元に持ってきてほっと溜息をついた。次は何を言い出すのか。それを待った。

 ネヴィルは苛立ち始めているし、レイモンは先ほどから結界を強めている。ここにいる者、一人も出さないつもりかと聞きたい。ジョセフは今にもヘレル子爵を捕らえようと機会を窺っているのが感じられる。誰かが動き出す前に早く終わらせなければ血を見ることになりかねない。


 ヘレル子爵は何か言いたそうにしている。


「ネヴィルが嫌ならレイモンと婚姻を結べばいいのでは?未来の王弟よ」

「いえ、そうではなくて。その姫はアランとの婚姻を望んでいます」


 王妃は唇の両端を上げた。


「そうなの?でもアランに身分はないわよ。それでもいいの?」


 それを理由にアランに皇位継承権を求めようとしているのがありありと見える。だが、それを許すつもりなど元からない。


「それが。アランが皇太子になると思われているようで、キリファの皇女がアランの婚姻相手に決まったと」

「国同士の話をどうして一介の貴族が先に知っているのかしら?」

「王は以前、私にキリファとの同盟の話をされていました。今こそ、その願いを叶えるべく私が動いた次第です。それを疑われるとは心外だ」


 ヘレル子爵は騎士の手を振り払い、集まった貴族たちに訴えかける。


「こんなことをしていいと思っているの!」

「王が病に臥せっているからと言ってこのような勝手を許していいのか!」


 ダニエルの叫び声が広間に響き渡り、ヘレル子爵に賛同している貴族たちが騒ぎ出す。


「静かに!」


 宰相のフェルディナン・コルデーが制圧に乗り出す。騒ぎだした貴族たちに騎士が剣を向けている。


「ヘレル子爵。もう一度聞きます。王はキリファとの同盟を貴方に託したのですか?」

「そうです。王は私にキリファとの同盟を纏めるよう頼まれました。その礼としてアランを皇太子にすると約束されました。ネヴィルが皇太子にという話は認められません」


 他の貴族に誤解のないように王妃はしっかりと確認した。

 あくまでも王に頼まれたと言うが、その褒美がアランの皇太子だとは都合のいい言い訳だ。


「王からの頼まれたと言う話を私たちは存じ上げませんが、いつ頃の話ですか?」


 ジョセフが食らいつく。国防を担うものとしては許し難いだろう。王からの信頼を自負していた者として、何も知らされていないばかりか皇太子の話までも進んでいたことに動揺を隠せないようだ。


「王が病に倒れられる前です。私だけに話されたので皆さんが知らないのは無理もない」


 ヘレル子爵は勝ち誇った様子で話す。その横でダニエルは笑みを浮かべている。二人は勝利を確信したのだろう。だが広間の奥にいるアランだけは複雑そうな表情をしている。

 その表情が一瞬で変わった。


 エリアス侯爵を従えて王が姿を現したのだ。

 王妃は立ち上がり王を出迎える。広間にいた者たちが一斉に頭を垂れる。


 王が玉座に座るとその後ろにはエリアス侯爵とリコが立つ。ヘレル子爵とダニエルは信じられないと言った顔をしている。


「フェルディナン。ヘレル子爵があのようなことを言っているが、私は記憶にない。そのような記録はあるか?」


 数日前まで寝込んでいたとは思えないくらい力強い声だ。フェルディナンは王の横に立ち広間に集まった貴族たちに聞こえるように答える。


「そのような記録はありません」

「王と二人きりの時の会話なので記録があるわけがないです」


 ヘレル子爵が必死に弁明する。しかし、王の周囲にいる者達の目は冷ややかだ。


 フェルディナンが呆れ顔で説明を始めた。


「どれほどの密命だとしても、王は記録を残されることにしております。それは、後日の禍根とならないためです。記録を残すときも複数人の立会人が存在します」


 広間は静寂に包まれた。数人の貴族の高官は当然の事と知っていることでもヘレル士爵はその事を知らなかったようだ。ヘレル子爵の嘘がバレた瞬間だった。


「王妃」


 王は王妃を見て頷く。

 最後までやり切れと言う指示だと理解した。

「今回のヘレル子爵の言動、ダニエルの今までの所業を厳密に調査しました」


 王妃の言葉を合図にジョセフが告げる。


「ヘレル子爵と側室ダニエルは何十年とわたり国の財産である魔法石を横領、更にはそれを使い他国との取引を行った。ここにその証拠がある。二人を捕らえて牢屋に入れよ」

「証拠隠滅の可能性もあるためアランにも謹慎を言い渡す」


 ネヴィルが前に進み出てアランにも言及する。騎士たちが三人を捕らえる。

 ヘレル子爵とダニエルは最後の悪あがきのように暴れだし、何人かの騎士たちに引きずられるようにして広間を出ていくがアランは特に暴れる様子もなく、騎士に誘われて静かに出ていく様子はあまりにも対照的だと感じた。


 三人が居なくなった広間で王は立ち上がり見渡す。


「先程、王妃から発表があった通り皇太子はネヴィル皇子とする。異存はないな」


 集まった貴族たちは一堂に跪いた。

王の言葉に威力を感じる。

その後に続いて発表されたのはヘレル子爵の財産没収と爵位剥奪。ダニエルの更迭だった。これにより、アランは平民に降格になり広間から出される。

「皇太子は ネヴィルとする」

王が宣言して広間から歓声が上がった。リコは肩の力が抜けた。

早く部屋に帰って休みたかった。それを察してレイモンが広間から連れ出してくれた。

王妃が呼んでいると聞いて部屋に行くリコ。

「王妃様」

「あぁ。いらっしゃい」

王妃さまは和かに声を掛けてきた。

王妃はやっと終わったと安堵の表情を見せる。


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