第6章 救急隊・川西19号

※本文に出てくる人物の名前は仮名です。


川西市消防本部救急隊員・矢島真輔の証言


~①応援要請~


 大阪の池田市消防本部から私たち川西市消防本部に救急の応援要請が入ったのは2001年(平成13年)6月8日の午前10時29分でした。

「大阪教育大学附属池田小学校にて児童ら複数名が刃物で襲われ、多数の負傷者が発生。救援を要請したい」との内容でした。


 川西市は兵庫県の自治体ですが、地図で見れば分かるように猪名川の対岸が大阪府池田市ですから地理的には我々の消防本部と附属池田小学校とは直線距離にして3キロも離れていません。

 しかし大きな災害などであればともかく、池田市で対応しきれない大きな事案において通常は大阪府内の他の消防本部に応援要請をするはずです。それが隣県の我々に応援要請がくるということは既に大阪府内への応援では足りないということです。大変なことが起きているのかもしれないと感じました。

 私は直ちに「川西19号」の救急車に乗り込み、附属池田小に向かいました。隊員は私を含めて3名。隊長の黒田雄二、細野健太郎隊員、そして私。この私が3人の中で一番若くて経験年数も浅い隊員でした。


 附属池田小学校の正門前に到着すると既に黄色い規制テープが貼られており、警察官が持ち上げるそれをくぐって学校関係者に誘導されるがままにグラウンド前に救急車を停めました。時刻は午前10時36分でした。

 この時点で先に3台の救急車が到着していました。池田市から2台と箕面市から1台でした。そしてその傍らで児童数名が処置を受けていましたが遠目に見ただけで極めて重篤な状態の子どもがいると分かりました。心臓マッサージを受けている男の子もいました。もしかしてこのような処置を受けている子供を搬送することになるのではと思いましたが、実際はもっと大変な事態になっていました。



~②臨場~


 学校関係者に誘導されて校舎に向かい、2年南組に入りました。あまりの惨状に3隊員ともども絶句しました。

 机と椅子が幾つも倒れて散乱していて、教室のどこに視線を向けても血しぶきの跡がありました。そして教室の前の方に女の子が3人、血の海の中でうつ伏せに倒れたままの状態でした。全員意識がないようで、微動だにしていませんでした。

 学校職員によれば事件発生から20分以上このままの状態だとのことでした。思わず「そんな・・・」と呟きそうになりました。どうしてこんな小さな子供たちがそんなに長い時間こんな状態で放置されているのか、と言いそうになりました。


 女の子3人の惨状は三者三様でした。一人目の子は制服のブラウスの背中が真っ赤でしたが、血だまりの大きさは他の2名よりも小さく見えました。2人目の子は刺された後で苦しんだのか頭から足まで、一見傷がない様子の背中まで血まみれでした。3人目の子はブラウスの背中は真っ白で、靴下も上靴も綺麗なままでしたが、血だまりの面積は一番大きいように見えました。


 処置のために3人をそれぞれ仰向けにしました。背中を刺された子は胸や腹部には傷がない様子でした。触れてみてやっと分かりましたが、まだ息がありました。瞳孔にも反応がありました。左胸の名札には「小林琴乃」と書いていました。

 次に全身血だらけの子を仰向けにしました。身体の前の側は先ほどの子とは対照的に血まみれでした。右肩近くに深くて大きな傷があるようでした。右上腕部にも傷が確認できました。ジャンパースカートの内側の制服のブラウスの襟と胸元は白と赤が入り混じっていましたが明らかに赤の面積が大きかったです。脈はありませんでした。半分に綴じられた瞳にはもはや光はありませんでした。血がついた名札には「下川玲子」と書いてありました。


 最後に一番大きな血の海に倒れる子を仰向けにしました。ブラウスの背中は真っ白なままでしたが、仰向けにするとあまりにも赤一色で息を吞みました。ブラウスの左右の半袖は血に濡れてそれぞれ上腕に貼りついていました。留められたままのボタンも血の泥濘の一部と化していました。その第2ボタンのすぐそばに横一直線に制服が破れた箇所がありました。心臓の近くでした。あまりに大量の出血で紺色のジャンパースカートさえも電灯と外の光に赤く反射していました。血まみれの名札は「赤石里香」と書いてありました。左の上腕部には防御創と思しき傷がありました。脈はなく、対光反射もありませんでした。


 処置のために3人の制服を切り開きました。赤石里香の制服を切ったのは私でしたが、ジャンパースカートの肩紐にハサミが入った瞬間、手に伝わった重量感は今でも忘れられません。乾いた布とは全然違う感触でした。

 3名それぞれを止血したのち、周囲の学校関係者にも手伝ってもらって我々の救急車近くまで運びました。小林琴乃は我々のストレッチャーに乗せましたが、他の2名は学校の長机です。そして救急車の心電図に順番に繋ぎました。やはり小林琴乃にはまだ脈がありました。そしてやはり残りの2名に脈はありませんでした。



~③搬送~


 苦渋の決断をしました。下川玲子と赤石里香を残して小林琴乃1名を優先的に搬送しました。すぐに近隣の巽病院への搬送が決まり、細野隊員の運転で救急車を出発させました。時刻は午前10時48分でした。巽病院までは5分もかからない距離です。それなのに小林琴乃の心電図は我々の目の前でフラットになりました。午前10時51分。病院到着はその1分後でした。そしてそのまま彼女の心臓が再拍動することはありませんでした。


 小林琴乃を巽病院へ送り届けると、我々はすぐに附属池田小学校に取って返しました。午前10時59分に再び学校に到着すると、ちょうど我々の増援に救急車「川西3号」も到着したところでした。

 その時点で、千里救急救命センターからドクターカーで駆けつけた先生の指示により心肺停止の子供たちは保健室に集められていました。その数5名。全員が女の子でした。

 その中から我々は赤石里香を、川西3号は下川玲子をそれぞれ搬送しました。赤石里香の搬送先は川西協立病院です。今度は私が運転しました。運転席の後ろから黒田隊長と細野隊員が心臓マッサージと人工呼吸を繰り返しながら彼女に声をかけつづけました。


 消防本部に戻ると、テレビでは附属池田小学校の被害状況が刻々と報じられていました。やがて我々が見た3名の死亡も告げられました。半ば以上分かっていたこととはいえ、途方もない無力感に苛まれずにはいられませんでした。


 その夜、自宅アパートでテレビをつけると事件のことをやっており、無分別にも現場の学校でマスコミが2年生の女の子にマイクとカメラを向けていました。流石に顔は映していませんでしたが、代わりに胸のあたりがアップで映りました。紺色のジャンパースカートと白いブラウスとボタンが目に飛び込んだとき3名の、特に赤石里香のことが思い出されてテレビを切ってしまいました。


 せめて5分早く到着できていれば、早いうちに処置を受けていれば、生死の結果が変わった子がいたかもしれません。本当に悔やまれてなりません。

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鮮血の教室~実録・附属池田小学校児童殺傷事件~ @zintaro666

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