第5章 市立池田病院

※本文に出てくる人物の名前は仮名です。


 市立池田病院は附属池田小学校から目と鼻の先である。その日、何台もの救急車とパトカーのサイレン音に気付いた職員は幾名かいた。

「これ、(要救護者が)うちに来るんじゃない?」「どこだろう?」「附池?中高か小学校で何かあった?」

(※大阪教育大学附属池田小学校・中学校・高校は同じ敷地内)


 午前10時43分、池田市消防本部の救急隊から受け入れ要請があった。

「附属池田小学校にて刃物による多数の負傷者あり。」「子ども2名を搬送する。うち1名は死亡確認のための搬送になると思われる。」


 衝撃的な要素がありすぎて医師や看護師たちは頭が追いつかなかった。搬送依頼時点で、それも子供の患者の死亡確認とは尋常ではない。そして搬送されてきた男子児童・平塚健太を実際に見て、皆がさもありなんと思った。


 平塚健太は顔から脚まで全身が血まみれだった。刺されたのは右胸の1ヵ所だけだという事実は出血の量と激しさを物語っていた。右胸上部、右腕の脇の下あたりが刺創部位だった。その傷口から“ぬめり”がある塊が露出していた。肺が脱出していたのである。

 言うまでもなく平塚健太は心肺停止状態だった。先ずは呼吸を確保するために気道挿管をした。が、すぐに挿管チューブが鮮血で溢れた。それでもどうにか人工呼吸器に繋いだが、「シュー」という音が響いた。右胸の傷口から空気が漏れていたのだった。


 医療スタッフは絶句した。淡々と続ける処置はもはや半ば無意識に手が動いているだけだった。衣服を脱がせるために制服のズボンや半袖シャツにハサミを入れる。見るも無残な状態と化したカッターシャツだったが左側半分や裾のあたりは綺麗なままの部分も多かった。青みを帯びて輝くような蛍光白が、このシャツが新品であることを物語っていた。平塚健太は1年生。6歳だった。


 とてもではないが助かる命とは思えなかった。救急隊が連絡してきた時点で死亡確認を仄めかしていたのも道理だった。しかし、とてもではないがスタッフ一同は小学校1年生の子の救命を直ちに断念することなどできなかった。一方で現場の小学校にいる他の救急隊からも搬送依頼が届き始めていた。


 院長・古村達夫(仮名)は判断した。この病院は現場から一番近い病院として全力でなるべく大勢を受け入れるべきだと。しかし平塚健太に医療リソースを割けば、本来ならば受け入れられる子どもたちが受け入れられない。そのことで助かる命を助けられないことなど絶対にあってはならない。平塚健太と一緒に搬送されてきた男子児童Lは意識があるものの、腹部を深く刺されて腸が露出していた。しかし、適切な手術を施せば助けられる命だった。

 その後、新たに負傷者を搬送してきた救急隊と調整し、平塚健太を三島救命救急センターに転送し、Lは市立池田病院で大手術を受けて一命を取り留めた。


 この日、市立池田病院はLを含む8名の重軽傷者を受け入れた。7名が児童で1名が犯人を取り押さえる際に負傷した教諭だった。病院として本来の受け入れ能力を超える対応を要求されたが、大阪大学病院や刀根山病院から医師が応援に駆けつけてくれて事なきを得た。

 搬送者の波が一段落した11時20分ごろ、また搬送要請があった。女児2名を死亡確認のために搬送するという。ドクターカーで現場に向かった千里救急救命センターの医師が死亡の判断を下したという。到着した女の子たちを一目見て事切れていると分かった。2名とも7歳で2年生。患者の死は日常の一部と化しているスタッフたちをもってしても、あどけない死顔に耐えられずに落涙する者もいた。

 看護師たちが血に染まった制服を脱がせて2人の身体を拭き清める。せめて綺麗な姿でお母さんに会わせてあげたいと看護師たちは言った。


 2人の家族への説明は古村院長が引き受けた。死亡宣告といっても例えば90代の老人が老衰で天寿を全うした場合などは家族も心の準備ができていることが多い。今回の2名の女児の家族はその対極にあることは自明であった。はたして古村にとって長い経歴の中でも、とりわけ気が重い説明となったのだった。

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