隣合った縁

――三月二十七日――


 最近の駅前はいつにも増して賑やかだ。靴屋や服屋は店の前にまでワゴンを引っ張り出して、百貨店は高そうなドレスよりも色とりどりのランドセルを売ろうと躍起になっている。桜も満開になってから日が浅く、まだまだ道路脇に群がる人間は多い。

 新生活の準備だなんだと世の中は忙しないが、学生でも真っ当な職に就いている訳でもない私にとっては、ただ人の往来が多くて歩きづらくなるばかりの時期だ。


 私が浮かれられるのは桜の菓子くらいなもんだが、数日の内にしこたま食べて飽きた。おまけに菓子は量が少ない上に高いもんだから手に負えない。

 そんなこんなで絶賛金欠中な私だったが、自炊をしようという考えはハナからなかった。そういう才能は多分、生まれた時に腹の中に置いてきている。


 だからといって食事の量を減らすって選択を取れないのが私という人間だった。とかく燃費の悪いこの身体は、ほんの少しでも加減しようものならあっという間に動かなくなる。

 倹約は敵、或いは私が倹約の敵なのか。今日も今日とて遠慮なく、ニートよろしく駅前をうろついて「何食べようかな」なんて考える。


 日傘越しに店の看板を眺めながら歩いていると、ふと脚が止まった。愚鈍な脳よりもよっぽど鋭敏な嗅覚が、獲物を見つけたのだ。

 漂ってくる匂いは人によっちゃ顔をしかめる類。ぐらぐら煮立つ鍋に放り込まれる豚を幻視して、生唾を嚥下した。インターネットの情報じゃ色々と面倒くさいらしいってんで敬遠していたが、気分になってしまったものはしょうがない。幸いにも行列ができていたりもしないようだし、このラーメン屋は量が多いって聞くから私向けだ。


 暖簾をくぐった途端に匂いが強くなる。たまんないね、この雑な感じ。人の内臓とか慮る気のないところとか私好みだ。

 店主っぽい親父が目線でカウンター席を指すから大人しく従った。麺をすする音に被せるようにして呪文じみた言葉が飛び交う。アブラニン……なんだって? まあいいや、言うことは決まってる。


「全部たくさん」


「……こんなんだけど大丈夫?」


 怪訝な顔で取り出された巨大な丼。もう土鍋って言った方が正しいサイズだ。隣に座った客に迷惑がかかりそう。

 ひらひらと手を振って応える。こういう反応はもう慣れっこだ。別に私だって好きで太れない訳でも、趣味で日傘差してる訳でも無い。どっちも生まれつきで、自分じゃどうにもならない事だ。そっちが思ってるより上品な人間じゃないから放っとけ。


「ヘアゴムとかある? 代謝が良いもんだからさ」


「女性が来るような店じゃないんで……」


 本気で言ってる? 大丈夫かよこのご時世で。戦場でも土俵でもなくてここ飲食店だろ。世界の半分敵に回して生きていこうって尖りすぎじゃない?


 話半分だったがネットの噂もあながち嘘ってわけじゃないらしい。別に変なこと言った覚えもないのにどいつもこいつも鼻で笑いやがる。こんな反応も慣れっこだから別に怒ったりはしないが、それはそれとしてレビューは最低評価を押しておく。いや本当怒ってないから。こんなんで怒ってたら人類ここまで増えてないから。


 誰にするでもない言い訳をしている内に着丼。話に違わずデカい。私の顔の二倍くらいデカい。麺だけで常人だと残しそう。スープとかドロドロすぎてほぼ個体。野菜が山盛りなのに全然身体に良さそうじゃない。これは間違いない、星五つだな。


「で、これどこから食べればいいんだ。どう足掻いても麺から食べられなくないか? 明らかに設計ミスだろ。見た目のインパクトばっか気にしやがって」


 仕方ない、味がついていないのは残念だが、素直に上から……


「おねえさん」


「……ああ、悪い。邪魔だったかな」


 低い声が隣から私を呼んだ。

 身体の大きな男だ。肩身を縮こませてようやく一人分に収まっている。ケツなんか半分以上丸椅子から飛び出して、そんなんじゃ針のむしろとそう変わらないんじゃないか。


 頬骨の高い顔が、ぬっと私を見下ろしている。山に目をつけたみたいだ。威圧感は覚えるが、人に不安を与えない、静かな目。それが自分の手元を見た。


 私と同じくデカい丼の中身を、器用に箸がかき混ぜる。みるみるうちにうずたかく積まれた野菜と麺が上下を入れ替えた。


「へえ。こうやるのか」


「天地返しって言うらしいよ」


 なるほどな。こうやって全体に味をつけたり、麺が伸びないようにする訳だ。糖質とかそういう意味じゃ良くないのかもしれないが、そんなの私は気にしないし。


 零さないように、じっくりじっくり……上出来だ。


「ありがと、消防士の兄さん」


「うん、気にしなくていいよ。隣合った縁だ……なあ俺、消防士だって言ったっけ」


「言ってないよ」


 うん、美味い。麺も太くて食べ応えがあるよ。キャベツももやしも脂っこくなって味が濃くって脳がバグる。農家に謝れよ本当に。


「……なんだよ食べづらいな。美人を見ると食欲が湧くタイプ? 良い趣味だね」


「いや、説明がないから」


「ああ」


 そんなに気になる? いや、気になるか、普通の人間は。


「ガタイが良い。単純にデカいってだけじゃなくて仕事人の身体だ。格闘家か建築関係ってのも思ったけど、ちょっとだけ煤の匂いがする。最近この辺で火事があったからな。その時ちゃんと働いたんだね、お疲れさん」


「最近って、1週間も前だ」


「ちょっとだけって言ったろ。毎日風呂に入ってて偉いね。忙しいだろうに」

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