がらんどう
欲の炎と正義の所在
奇跡の子
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煉獄が容赦なく家族の命を奪っていく。炎が立ちのぼる音で、誰の絶叫も聞こえない。ただ一人無事だった俺は、真っ赤な地獄の中で転げ回る皆を呆然と眺めているしか出来なかった。
いつも穏やかだった母も、いつも冷静沈着だった父も、別人になったかのように狂乱して、悪魔にでも取り憑かれたようだった。いつも無邪気に走り回っていた弟も、今や地面にへばりついて、ただの薪と化している。
「兄、ちゃん……」
細く弱々しい声が、己を呼んだ気がした。
振り返ればもう既に死んだものと思っていた弟が、こちらに向かって手を伸ばしている。
まだ生きている! 助けられる! 助けられる!
確かな希望を持って伸ばした手は、しかし何も掴むことなく空を切った。いや嘘だ。俺の手はしかと弟の手を握ったはずだ。一瞬だけ、と注意書きがつくだけで。
かしゅっと麩菓子みたいに弟の手が崩れ落ちた。まるで泥団子を握りつぶしたかのような感覚だった。あまりに現実と乖離した状況にすとんと力が抜けて、開かれた手の中から弟だったものが舞い上がる。見れば、父も母も影となって消えていた。
それからのことは、もうハッキリとは覚えていない。ただただ目の前の物が見たくなくて、今見たものを洗い流したくて、何よりそれ以外の行動を脳が許してくれなくて、誰かに抱き上げられるその瞬間まで泣いていた。
「どうして、どうして、どうして、どうして……」
ただ俺は、炎が好きで好きでたまらなかっただけなのに。花火が好きな弟に、もっと大きくて綺麗なものを見せたかっただけなのに。テレビの中の人のように、父と母を喜ばせたかっただけなのに。
一体どうして家族は、燃えてしまったのだろう。
生家が炎に飲み込まれて、父も母も弟も跡形もなく失せたのは丁度15年前のことだ。
何故だか居間でぼうっとしていただけなのに、火傷のひとつもなく生き残った俺は当時、奇跡の子だなんだと持て囃されて散々に見せ物にされた。
今よりもずっと被害者に対する配慮とかハラスメントとかの類には鈍感だった時代だから、ある程度は仕方のないことかもしれないが、抗う術も知らず流されるままだった俺は、心無い質問にいつも傷付いて、泣いてばかりいた。
どうして自分だけが無傷で助かったか、家族にもう一度会えたとしたらなんと伝えるか、出火の原因はなんだったか、これから先どうやって生きていくのか……何度も何度も同じ問いが繰り返された。答えられなかった自分も悪かったが、家族を失った子供に対して、世間も随分酷なことをしたものだと思う。
いつまで経っても事件の記憶が色濃く残って、引き取ってくれた叔父夫婦と馴染むのにも時間がかかったし、友人なんて一人もできやしなかった。塞ぎがちな人間になって、一言も発さず読書をするのだけが慰めだった。
マッチポンプという言葉を知ったのは、そんな鬱屈した日常の最中だった。
火をつけてからポンプの水でそれを消す……英語とオランダ語の混じった、日本にありがちなごちゃ混ぜの造語で、主に偽善的な行為のことを指すのだとか。
きっかけは多分、推理小説かなにかだったと思う。内容はこれっぽっちも覚えていないが、その言葉だけはずっと心の中心に残っている。
お陰様でそれまでずっとぐるぐると頭の中を巡っていた「どうして」という疑問が氷解して、消化することが出来たからだ。それで死んだ家族が戻ってくるわけでも自分の罪が軽くなるわけでも無いが、とにかくどうしてこうなったのか、それを自分なりに納得して、随分と呼吸がしやすくなった。
「マッチポンプです」
ある時、これで取材を受けるのは最後と前置きをしてから、こう答えた。
「やらない善よりやる偽善って言葉があるでしょう。犯罪者がいなければ仕事を失う警察官だとか、この世から傷病が無くなれば必要なくなる医者だとか、矛盾しているけど俺はやっぱり正義だと思うんです」
やっぱり質問はいつもと変わらない、この先どうやって生きていくのかとか、家族に何を伝えたいかとか、そんなものだったと思う。
「だから俺は、消防士になります。俺みたいな子を一人でも無くすために、頑張りたいです。どんな炎からでも皆を守る、そんな消防士になりたいです」
きっと火事もまた、犯罪や傷病と同じで、無くなってはくれないものだから。
立ち去ろうとする俺を、記者は引き止めてこう尋ねた。
「あの、マッチポンプとは、結局どういう」
「あの時はポンプが弱かったんです。だから、強くならなきゃって、そういう意味です。意思表明というか、座右の銘というか……これからそういう風に生きられるように」
最後まで記者は首を傾げていたが、口に出すと一層覚悟が決まる心地がした。
強くならなくては。もう二度と、大切な人を失わないように。
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