第十九話 旅は道づれ

 かくしてヌガキヤ村はドラゴンの脅威から解放されたのであった。めでたしめでたし。 

 と

 なるわけがない。村人たちの長年の努力で毎年安定した豊作をもたらす肥沃な土壌に改良された村の農地が、ドラゴンの血肉で汚染されてしまったのだ。土は真っ黒に染まり、路傍の草木は枯れてしまっていた。掘り返して新たに運び込んだ土と入れ替えるなど、村が被った大被害から回復するまでには、何年もの長い時間を要した。

 都会の人間ならば、言うかもしれない。なぜ別の土地に移らないのか、と。先祖代々の土地に暮らし、耕し、愛し、その土地で死んでいくことに疑いを持たない者達に、それは愚問というものだし、失礼であるといえる。

 あなたが自由に自分の暮らす土地や仕事を選ぶ権利があるように、彼らにも自分達の土地に執着する権利があるのだ。たとえ、ドラゴンのような圧倒的パワーに打ちのめされて、もう駄目だ、と思ったとしても。

 長く根気を要するヌガキヤ村の復興には、長年の因縁を超えた隣村ナガミ村の人々の惜しみない協力があった。そして、驚くことに、復興に向けた両村の長年の協力は、驚くべき副産物を生み出した。


 すなわち、ナガミ村名物ハッチョとヌガキヤ村名物豚骨白スープを組み合わせた新たな名物料理、ガッタイスープだ。まろやかな黄みがかった色合いのコクのあるスープは、たちまちキンシャチにも波及するブームとなり、その収益は豊かなナガミ村をさらに豊かに、再建費用が湯水のごとく必要なヌガキヤ村に資金をもたらした。


 そして、一度は再起不能ではないかというほど落胆し放心状態だったものの、どうにか気力を取り戻したヌー村長は、頼りになる不屈の指導者であった。髪も髭も伸び放題、衰弱しやせ細り、はじめは実の親でさえ我が子と認識できない変わり果てた姿で村に帰還したイーライが、回復後は憑きものがおちたように元来の勤勉さを取り戻し、村長のはからいで大学に戻り、学位を取得する傍ら土壌洗浄の研究を続け、村の再建に一役買ったことも付け加えておこう。

 しかし、長年村の発展に尽力してきたこの愛すべき村長も、ついに村の復興を遂げた翌年、蝋燭の火がふいと消えるような、穏やかだが急な死を迎えることになる。心臓だった。この突然の別れは、ヌガキヤ村だけでなく近隣の人々からもおおいに惜しまれた。


 シロがその悲しい知らせを耳にするのは、生まれ故郷からはるかに離れた地でのこと。彼は、自分もかかわった物語が、尾ひれをつけ勝手にアレンジされ、真実とは異なる形で遠くの地まで語り継がれていることに驚きつつ安堵もしている。それはもはや、彼の手を離れて成長していく自由な生き物だ。《ヌガキヤ村の惨劇》にはいくつものバージョンがあり、それぞれ襲来するドラゴンの数が十匹に増えていたり、ドラゴンを喰い尽くした悪食の魔女が暴走して村人全員が喰い殺されたりと実にバラエティーに富んでいる。


 ドラゴン退治の立役者、と呼ぶには非常に微妙な立場に置かれたシロは、表向きは怒り狂ったヌー村長から村を追放されたことになっている。物わかりのいい人格者のヌー村長と異なり、ぞろぞろと戻ってきて惨劇のもたらした傷跡を目の当たりにした村人たちは、先祖代々の土地が汚染されたのは、あの女を連れてきたシロのせいだと、集団リンチに発展しかねない激しい憤りを燻らせていた。

 そのため、村人たちの眼前で、ヌー村長がシロを蹴飛ばして「出ていけ、戻ってきたら承知しないぞ」と怒鳴りつけるパフォーマンスが演じられた。

 罵声に追い立てられて村をあとにしたシロの懐には、どれだけ固辞しようとも村長ががんとして譲らなかった、村長の最後のへそくりの金貨が五枚、大切にしまわれていた。


「お前には気の毒なことをした。許してくれ」


 村長は村人たちには背を向けたまま、そう小声で詫びた。

 シロは村長を恨んではいない。それに、父親の悪行と母親の出自のせいで日陰者にされていた村には、さして未練もなかった。

 彼は村から引き上げるヘルシとリヴァイア、シスターそれにトロちゃんと一緒に昼なお暗き森を抜けた。


 トロちゃんは母トロールの元を離れるのを嫌がったが、一人だけで森で暮らしていくことはおぼつかないし「小さくて頼りないシロをオレが守ってやらなければならない」という彼なりの使命感もあり、旅に同行することになった。


 リヴァイアは、食べた分だけきっちり吐き戻してから数日はさすがに青白い顔でふらふらしていたが、その後徐々に回復をして、元気にヘルシ相手に悪態をついている。


「だいたいねえ、誰が迎えに来てほしいなんて言った? わたしは、幸せだったの。魔女としての食欲を取り戻して、好きなものを好きなだけ食べられる生活が。どうしてくれるのよ」


「素直じゃありませんねえ」シスターは薄笑いを浮かべながら二人の様子を眺めている。

 トロちゃんは、ヒトの心の機微がまだよくわからないため、リヴィとヘルシが喧嘩をやめて仲良くなってほしいと願っている。


 一行が無事に森を抜けた時、シスターは尋ねた。

「聖人様とその愛人様は、これからどうなさるおつもりで?」

「ええと……とりあえず仕事と住む場所を見つけないといけないんだが、路銀がある間は、旅でもしてみようかと思っている。俺は、ヌガキヤ村以外の世界をほとんど知らないから。ところで、散々言ってるけど、トロちゃんは友達だからね」

「ええもちろん、表向きはそういうことにしておきましょう。まだまだ古い考えに囚われている人達が大勢いますからね」シスターはしたり顔でそう言った。


 シスター・ウーヤはヘルシを説得し、今後何をするにせよ、まずは王都タカツチで国王に謁見することに同意させた。彼女は宮廷からの命令で、かつての英雄ヘルシのお目付け役としてキンシャチに派遣されていた。無事に回復したことを伝えれば彼女はお役御免、晴れて自由の身になれるし、ヘルシはかつて王都を救った英雄として、たんまり年金をせしめてやればいい、とシスターらしからぬ腹黒い顔で提案をしたのだ。

 以前は王宮の料理人をしていたリヴァイアは王都に戻ることにいい顔をしなかったが、「男なんてものは、目を離すとすぐに他の女に目移りするもんですよ。しかも、うんと年の離れた小娘みたいな女に」とシスターに耳打ちされて、渋々同行することにした。

 恋というのは、ヒトも魔女もかえてしまうようで、最近のリヴァイアは、特にヘルシが同席していると、小鳥の餌ほどしか口にしないため、これは心優しいトロちゃんのみならずシロをも心配させている。


「聖人様と愛人様は、どこに行くにせよ、まず大魔法使いムル=ジバルに会って話をきくべきですよ。愛人様――いえ、緑の瞳を持つ青年が、トロールの中から出てくるなんて。そんなが使える魔法使いは、そうそういません」

「だけど、あの老人は」リヴァイアが食べたのではないか、といいかけてシロは口をつぐんだ。深手を負って、息も絶え絶えだった老人。怪我を負わせたのはリヴァイアではなくテキサだが、そのあとは――

「食べてないわよ」

 小食になったせいで一回り萎んでドラゴンの鱗でできたドレスが緩くなったように見えるものの、十二分に美しい姿を保っている女は言う。

「あんなまずそうなもの、食べないわよ」


 それならば、またあの一本道をいくことになる、とシロはごく最近なのにはるか大昔のことのように思える、古都キンシャチへと続く長い長い道を思い出す。王都タカツチへ向かう三人も、途中までは同じ道を行くことになる。


 その前に腹ごしらえをしようということになって、一行は『海猫とタニシ亭』へと向かう。この先彼らを待ち受ける冒険は、また別の話。


 めでたしめでたし――






 おや、まだ何か、忘れているような。

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