第十八話 恋人たち

「なんで、あんたはその剣を使えるんだ? スレイヤーなのか?」

「はい? こんなご老体よりも、シスター稼業の合間も鍛錬を欠かさなかったわたしの方が強いに決まってるじゃないですか」

 シスターは地面に落ちていた鞘を見つけて拾うと、刀の汚れを拭って収めた。ヘルシは、テキサの鍵爪の一撃を食らう前に後方に跳び退っていたので、傷は浅かった。シスターがさらにスカートを破いて作った布を傷口に自分で押し当てている。

「でも、そういえば、そっちのぼくが持った時も、剣は輝いていましたね。小さいとはいえドラゴンを殴って痛めつけられる腕力といい、その子は一体何者なんですか。あ」

「あ?」


 シスターは剣をシロの手に押し付けると、首を傾げて目を見開いているトロちゃんの顔に、自分の顔を近づけた。トロちゃんは怯えて後ずさった。


「あなた、目の色がグリーンなのね」

「そうなの? それっていいこと?」

「どうでしょうね。昔々、王都がドラゴンに襲われたどさくさに、行方知れずになった王の愛人とその赤ちゃんがいたとか。愛人は身分の卑しい女、いえ、まだ少女と言っていい年齢の町娘で、彼女は秘密裏に暗殺されたけど、その息子は行方知れずのままだとか」

「まさか――」シロは唖然とした。

「さあ、王宮に居た時に、そんな噂を聞いたような気がしましたけどね。気のせいだったかも。あの王なら、あちこちに隠し子がいてもおかしくありませんから、大騒ぎすることではないでしょう」


「おーい、終わったのかあ」森の奥の方から声がした。

「ヌー村長、ご無事で」

 トロちゃんがドラゴンと乱闘を始めたのを機に、命からがら逃げだしていたのだった。

 村長、シロ、トロちゃん、シスター、ヘルシの一行が村まで下りていくと、凄まじい光景が広がっていた。


 夕焼けに染まるヌガキヤ村の牧歌的風景は、血みどろの惨劇の現場と化していた。秋の収穫を大急ぎで済ませた盆地の田畑のかなりの範囲がドラゴンの血と思われる液体で赤黒く濡れ、ぬめぬめと嫌な光沢を放っている。そして、あちこちに散布された巨大な骨。その一つ、まだ肉片のついた生生しい塊にむしゃぶりついているのは、昼なお暗き森の魔女、ドラゴン・イーターの異名を持つリヴァイアだ。


「なんてこった」ヌー村長は、森の出口から数歩歩み出たところで、へなへなと崩れ落ちた。

「うわっ」トロール時代からほぼベジタリアンとして生きてきたトロちゃんは、既に腐敗の気配を漂わす甘ったるい血肉の臭いに耐えきれず、鼻を袖で覆った。

 ヘルシは、シロが抱き抱えていた剣を回収して腰のベルトに差すと、リヴァイアに向けて歩き出した。

 トロちゃん同様、巨大なドラゴンの残骸が発する悪臭による吐き気を堪えていたシロが慌ててあとを追いかけようとしたが、シスターの力強い手で腕を掴まれた。


「聖人様、にぶちんですねえ。ここからは恋人同士の時間ですよ」

「え、は、恋人?」

「コイビトってなにー。あ、昔シロが好きだったカイリーっていう女の子、あの子にフられてなかったら、カイリーはシロの恋人になる?」

「トロちゃんはちょっと黙ってて」

「なんでさ」

「告白してないんだから、フられてないし」

「なんでコクハクしなかったの?」

「今さら何言ってんの」

「あのー、ちょっと静かにしてもらえませんか。ムードが台無しじゃないですか」


 シスターにたしなめられて二人は口をつぐんだ。

 背の高いヘルシが、そこかしこに散らばるドラゴンの肉片や鱗を長い脚で跨ぎながらためらいなく進んでいく後ろ姿は、長くもつれた髪はすっかりグレイになっているし、体型はもう少し絞った方が理想的かもしれないとはいえ、やはりいい男ぶりだなとシロは思った。若い頃、吟遊詩人に謳われたドラゴン・スレイヤーとして全盛期の頃は、さぞかしもてたことだろう。


 一方リヴァイアといえば、宿敵であるドラゴンを仕留め、念願の肉にかぶりつき、口腔内が血と脂で満たされてから、完全に自制を失っていた。ドラゴンに無残に焼かれた皮膚はドラゴンの血を浴び肉を喰らうことで既に癒されていたが、美しい金の髪も白い歯も肌も、赤黒いぬらぬらとした液体に覆われて卑しい餓鬼と化している。肉を食いちぎり、骨を噛み砕き、吞み下したほんの一瞬だけ空腹が充たされる。しかし次の瞬間には、さらなる飢餓が彼女を襲い、もっと、もっとと駆り立てる。


 すべてを喰らい尽くしたときに何が起きるのかなど、考えたくもなかった。


 喰らえば喰らうほど、飢餓が募っていく。充たされない空腹を満たすために目についたものは何でも喰らう悪鬼にでもなろうか。ぐちゃり、ぺちゃりとマナーも礼儀も吹き飛んで手づかみ、むさぼり、顔中べとべとにして――


「リヴ」


 魔女の手が止まった。それでも口はまだ動いている。ゆっくりと振り向くと、背の高い男が立っていた。四つん這いになっていた魔女は、そろそろと立ち上がると、口の中いっぱいを占めていた肉や鱗をどうにか呑みこんだ。


「俺だ。わからないのか」


 ブーツが焼けて裸足であっても高身長の彼女より、男の方が頭半分ほど背が高かった。皺が深く刻まれ無精髭に覆われてややたるみが見えるものの、かつての精悍さをとどめた顔。


「怪我、してるじゃない」


 己の声とは思えぬ、か細い声に、女は胸が苦しくなるのを感じた。


「かすり傷だ」

「前の時は、違った」

「そうだな、あのときは、死にかけていた」

「死んだと思った」

「死んだも同然だった」

「なんで今さら」

「ドラゴンの現れるところにお前がいるだろうと思ってさ」


 二人がひしと抱き合ってもう二度と離れないという勢いで唇を重ねるのを見て、シロは不満の声をあげた。


「なんであれでうまくいくんだ」

「ちょっと黙っててもらえますか、もてない君は」

「なん」

 シスターの射るような視線にシロは渋々口をつぐんだ。

 ヒトの恋人同士の振る舞いを観たことがないトロちゃんは、怪訝な顔をしている。トロールにはない愛情表現だからだ。


 あんなことをしていたら、しまいにはめきめきと体にひびが入ってお互い砕け散ってしまうのではなかろうか。


 かつて岩石のように硬い体を持っていたトロちゃんは眉間に皺を寄せてそう考えている。


 そのうち一つに溶け合うのではないかとうっとりと見つめるシスターに想像させた二人の体が、弾かれたように離れた。

「おやあ」

 明らかに、異変が起きていた。リヴァイアは、体をくの字に折ると、えずき始めた。

「あ、これはまずいですね」シスターが呟いた。

「なんだ、なにが」

「森の魔女は恋をすると、食欲がなくなるんです」

 シロたちが見守るなか、ヘルシが踵を返して猛然と、三人の野次馬に向かって走り出した。

「逃げろ、お前たち、森に逃げろ!」

「え?」


 一人取り残されたリヴァイアが、げえげえと吐き始めた。ごぼごぼと半ば消化されたドラゴンの肉が、溶け残った鱗が、骨が吐き出される。その量たるや――

 三人も森に向けて一目散に駆け出した。シロは途中で腑抜けのようにへたり込んでいるヌー村長を担ぎ上げることを忘れなかった。


 恋を思い出した魔女は、食べたものをすっかり吐き戻した。それには長い時間がかかった。まるで産卵するウミガメのように、涙を流しながら、四つん這いになって吐き続けた。

 すべてが終わった時には、ヌガキヤ村は酸っぱい臭いのする吐瀉物で覆われていた。

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