32. 魔性の女(20)

「わたくしがどれほど紗耶香を愛しているか、あなたは知らない」

フェルナンドは必死になって訴える。

もはや、愛とか恋とかの戯言に付き合ってはいられない。

「同じ質問です。そもそも、あなたは紗耶香と正式に結婚しているのですか?」

フェルナンドは椅子の背にもたれ、口をへの字に結んで答えようとしない。

「フェルナンドさん、正式な結婚ですか?」

フェルナンドは長いことためらい、何か答えようとしたが、

「もしかして、スリランカにご家族がいるのではないですか?」

と、さらに責め立てると、フェルナンドは犬のようなうなり声をあげるだけだった。


たっぷり3ランドは互角に戦い、残りのラウンドに備えて赤コーナーの丸椅子に座るボクサーのように、こちらを睨みつけながら、フェルナンドは葉巻に火を点けた。

足を延ばし、椅子にのけ反り、煙を空中に吐き出すフェルナンドに、

「紗耶香とはどこで知り合ったのです?」

とたずねると、

「おお、六本木の外人クラブです。紗耶香はまだ女子大生でした。アメリカの大学に留学するとかで、英語の勉強のためホステスのアルバイトをしていました」

フェルナンドは、遠い昔を懐かしむような目で窓の外を見やった。

目よりも高い環状線を電車が音もなく走っていた。


フェルナンドの獰猛だが皺の刻まれた顔を見ていると、ふたりとも紗耶香に振り回される哀れな中年男にすぎないのではないかという思いに駆られた。

「フェルナンドさん、賠償金がほしいのですか、それとも紗耶香を取りもどしたいのですか?」

つい先ほどまでの戦闘的ではない、どこか憐れむようなことばの裏を読み取ったのか、フェルナンドは投げた餌に飛びついた。

「教えてください。紗耶香はどこにいますか」

哀れなスリランカ人は、てっぺんが薄くなった頭を深々と下げた。

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