第八話 想いの名残は淡雪に溶けて
Chapter25
―匠海―
…夢中で抱きしめた華奢な体は、少しだけ震えていた。
***
「…?」
目が覚めた。見慣れた自分の部屋の天井が、視界に入る。
肩まで掛けられた羽毛布団をめくってみる。裸だ。いやそれは、いつもの事なのだが。
体を起こす。ベッドの隣に置いてあるハンガーラックには、きちんとスーツのジャケットやパンツが掛かっていた。
「え…夢…?」
目を擦って考え込む。
昨日は、クリスマスだった。佐伯さんの家でご飯をご馳走になった後、天気が悪くて家まで送ってもらった。
車を降りてから一度はマンションのエントランスへ入りかけたけれど、もしかしてと思って、駐車場に引き返した。
思った通り、まだ帰らずに車内にいた佐伯さんが、一人で泣いている姿が見えて。
それで、…俺は。
不意にトイレの水が流れる音がした。戸が開く。
「あ、起きたん?」
昨日と同じセーターとデニム姿の佐伯さんが出てくる。
「俺、帰るで。三浦もそろそろ支度した方がええんちゃう?」
ソファに置いてあった自分のコートを手に取り羽織る様子はいつもと何ら変わりなく、寝ぼけ頭の俺はますます混乱した。
「どしたん?」
佐伯さんが首を傾げる。俺はベッドから立ち上がると、思わず佐伯さんの両肩に手を置いた。
「…夢じゃないよね…?」
そう口にすると、それまで平然としていた佐伯さんの目に動揺が走った。
頬が真っ赤に染まっていく。その反応でようやく、昨日の出来事が俺の夢や妄想じゃなかったと思えた。
「あ、良かった。俺、まさか一人で夢でも見てたのかと、」
「…夢やった事にしといて。」
「え?」
俺の手から逃れた佐伯さんが顔を背ける。
「…何や柄にもなく、恥ずかしいわ。」
口元を隠すように細い手で覆うけど、耳たぶまで真っ赤なのは丸見えだった。
「ちょ、何それ。」
近づき、思い切り強く抱きしめる。
「めっちゃ可愛いんですけど。」
「…っ、またお前は。年上からかうなや。」
「いや、本心なんで。」
「…も、帰るで。ほんまに。」
ぐい、と胸を押されて逃げられる。
「てゆうか、服。」
背中を向けられたまま短く言われ、慌てて部屋着を出して身に着けた。玄関で靴を履く佐伯さんの背に呼びかける。
「あ。ねえ。」
「うん?」
振り返った佐伯さんの顔を見る。
「これから、名前で呼んでもいいですよね?」
「これから?」
「…え、ちょっと待って。」
何故そんな困った顔をするのか。
「俺ら、付き合うんですよね?」
当たり前のことを聞いただけのつもりだったのに、佐伯さんはますます困惑した表情になった。
「…付き合うん?」
「え、待って。じゃあ昨日の出来事は何?」
「…。」
「あ。俺そういえば、まだ告白の返事もらってないんですけど。」
「…。」
「…噓でしょ、まさか振られるの?俺…。」
泣きそうな気持ちでそう聞くと、佐伯さんは何か考えるように自分の顔に触れた。
「…あのな。」
「はい。」
「俺、大阪に戻るんやで。」
「知ってます。」
「どうやって付き合うんよ。」
「遠距離だから無理ってこと?」
「…それだけやないやん。」
「何ですか。」
「三浦は別に、男が好きなわけやないやろ。」
「は?」
ちょっと待って、と思わず手で遮る。
「昨日あれだけの事しておいて、今更?」
「…それは。」
俺も悪かったけど、と小声で言い訳するように言われ、俺の中で何かが切れた。
「佐伯さん。」
「…?」
「それは、俺に対して失礼だとは思わないんですか。」
「え、?」
「俺がどれだけ悩んで、どんな思いで好きだっていったか分からないんですか。気持ちを言うべきか、昨日ぎりぎりまで悩んだんですよ。正直好かれてる自信無かったし、過去の恋愛で傷ついてるあなたが、すぐに気持ち切り替えて俺を見てくれるとも思えなかったし。それでも、…それでも言わずにいられなかったくらい、俺は、あんたのことが好きなんですよ。どうして信じてくれないんですか?!」
気持ちが昂って、思わず声が大きくなる。
しまった、と思って謝りかけたその時、佐伯さんが俺に抱きついて来た。
コート越しでも分かるくらい細い体を受け止める。
「…あの、佐伯さん俺、」
「…俺、きっと重いで。」
「え?」
「…毎日電話するし、しょっちゅう会いたいて言うやろし。」
「いや、言ってくださいそんなの。俺待ってますから。」
「俺、女の子やないけど。」
「佐伯さんが男でも女でも、何でもいいんです。」
「…俺のどこがええんよ。」
「可愛いじゃないですか。」
「またそれか。」
「佐伯さんは可愛いから、俺が守りたいんです。好きな理由なんて、それだけでよくないですか?」
「全然理由になってへんわ…。」
笑いを含んだ声が聞こえて、ようやくほっとして体を離す。
「…佐伯さん。」
「ん。」
「もう、怜二さんて呼んでも良いでしょ?」
潤んだ瞳を見つめ返す。
「俺の恋人に、なってください。」
佐伯さんは…怜二さんは、ようやく微笑むと、頷いて優しいキスをくれた。
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