Chapter5
―怜二―
翌日。
「おはよ。」
先に来てメールチェックをしていたらしい三浦に声をかけると、慌てた様に顔がこちらを向いた。
「あ、おはようございま、」
す、まで言い終わる前に目を逸らしてしまう。
忙しいふりで、自分のPCのスイッチを入れて立ち上げる。意識は完全に三浦の方へ向いていたけど、特にそれ以上何か言われる事もなく、向かいの席からはキーボードを打つ音が聞こえてくるのみだ。
どうしたものか。
謝るのもおかしいし、怒るのも変だ。というか、蒸し返したくないというのが本音だった。
―昨日抱きしめられた感触が、まだ強く体に残っている。体の線をなぞるように触れてきた手の動きまで、はっきり。
一体何を考えていたのか全然分からない。同性の年上相手に、体触って可愛いとか言って。
いや、それより一番分からないのは…俺は何故こんなにも、三浦を意識しているのかということで。
「おはよう。」
「おはようございます。」
ナベさんは鞄を自分のデスクに置くと、三浦と俺の顔を交互に見てから耳元に顔を寄せてきた。
「…仲直りしたの。」
「何ですかそれ、別に喧嘩しているわけやないですって。」
「お、まだ怒ってんの?」
「怒ってませんてば!」
むきになって言い返したところで、つい声が大きくなった事に気づいて口を押えた。ナベさんの顔に苦笑が浮かぶ。
ちらりと視線を動かすと、困惑した表情の三浦と目が合った。
気まずくて、結局何も言わずに目を逸らすしかなかった。
何度か声をかけようと思った。その度にタイミング悪く電話が鳴ったり人に呼び止められたりで、結局三浦と何も言葉を交わせないまま夕方になってしまった。
「佐伯、帰るの?」
同じく帰ろうとしていたナベさんが声をかけてくる。
「帰りますよ、せっかくの金曜日なんやし…」
ちら、と三浦のデスクを見やる。部長に呼ばれて席を外したまま戻ってきていない。
「…ま、お前らの問題だから、俺はこれ以上何も言わないけどさ。仕事やりづらくしてくれるなよ?」
ナベさんは鞄を手に席を立つと、お疲れ、と俺の肩を叩いて先にオフィスを出て行った。
ため息が漏れる。隣で事務作業をしていた名木ちゃんが驚いて俺を見た。
「何かあったんですか、佐伯さん。」
「え?ああ…何でもないよ。」
慌てて鞄に荷物をまとめて席を立った。
「俺も帰るな、名木ちゃん。」
「はい、お疲れさまです。」
「お疲れさん。」
オフィスを出て、エレベーターの前で足を止める。ナベさんが乗って行ったばかりなのだろう、下の階からなかなか上がってこない。
ぼんやりと階数表示のランプを見ていたら、オフィスの方から急にばたばたと騒がしい足音が聞こえて来た。
「…佐伯さん、佐伯さんっ!」
聞き覚えのある声に、ぎょっとなって振り返る。
「…お、お疲れさん。三浦も帰るんか。」
音がしてエレベーターの扉が開いた。逃げるようにエレベーターに乗り込むと、当然ながら三浦も一緒に乗ってきた。そこそこ人が乗っていたが、つい三浦と距離を開けて立ってしまう。…が、三浦はそんな俺に構わず近くに寄ってきた。
「佐伯さん。」
「ん?」
「昨日のこと、まだ怒ってますか。」
「…昨日のこと?」
人がいるのを気にして小声にしたのに、全く通じなかった。
「思い切り抱きしめて可愛いとか言っちゃったから、俺。」
いつもは淡々と話すくせに。やたら張りのある声が、エレベーター内に響いた。
乗っていた人々が、ギョッとなってこっちを振り返る。
「!?…あ、ああ~うちの犬をな!!いやびっくりしとったで、お前加減せえへんから!」
焦って咄嗟に誤魔化そうとしたが、そもそも天然なこいつにそんな機転が通じるはずもない。首を傾げられる。
「犬…?あの、そうじゃなくて俺、佐伯さんを」
がばっと口を塞ぐ。
「??」
目を白黒させる三浦に、や・め・ろ、と唇の動きだけで言うと、ようやく周りを見る余裕が出来たのか申し訳なさそうに頷いたので手を離す。
一階に着き、エレベーターの扉が開いた。流れで降りて人気のない方へ引きずって行くと、改めて三浦に向き直った。
「お前な、その話を何であんなとこでせなあかんねん!」
「だって佐伯さん、俺のこと避けるじゃないですか。」
「別に避けてなんか…」
否定しかけて、いや避けてたなあ、と思い当たり、先が続かなくなる。
俺、と、三浦が口を開いた。
「今日一日、気になって仕事手につかなかったです。」
「はあ?何言うとんねん、仕事はちゃんとせな…」
「だったら避けないで、俺の事ちゃんと見てください。じゃないと俺、一日中あなたの事ばっかり考えちゃうじゃないですかっ。」
勢いよく言われ、理解が追いつかず一瞬黙ってしまった。
『あなたのことばかり、考え―…』
「…ごめん。」
ようやく、三浦の目を見た。俺よりずっと高い位置にある、真っ直ぐな瞳と視線がぶつかる。
「俺の方こそ、すみませんでした。」
頭を下げられて慌ててしまう。
「ちょお、やめてや…」
「でも」
ぱっと三浦が顔を上げる。
「別に俺、からかうつもりであんな事言ったんじゃないんで。」
「そ、そおか。」
「可愛いと思ったのは、本心です。」
大真面目な顔で、真っ直ぐ目を見て言ってくる。
「からかったみたいになって、すみませんでした。」
「…。」
「…お疲れ様です。」
「お、お疲れ。」
ほとんど条件反射で挨拶を返すと、三浦は硬い表情のまま、回転扉を開けて夜の街へ出て行った。
「…て、俺今、何言われたん…?」
『―可愛いと思ったのは、本心です』
「…何言い出すんや、ほんまに…」
顔の火照りが治まるまで、しばらくその場から動けなかった。
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