第10話 祝勝会と聞かされて

「返事?」


 何のこと?とプロトはドアノブを握っていた手を放し、戸を開け放ったまま腕を組んで考える。


「……ウチ連絡したやんな。祝勝会やるよぉ言うて。見てへんやろ」


 イナリは上目遣いをしてジトリとプロトの顔を睨む。


 風呂に入っているうちに連絡して来たのか?

 配信する数時間前からは緊張していて何も手が付かない状態だったからな。ちらっとは見て、適当に返事したけど……。

 仮に連絡が来ていても、その細部の内容まで読み通せるほどの精神状態ではなかった。と少し前の自分を振り返り、プロトは目を逸らして話題を移す。


「祝勝会?あー、イナリ野球好きなんだっけ?」


 プロトとイナリは同期として親睦を深める準備期間が二週間ほどあった。ゲームもやったが、打ち合わせが殆どで、そこでの曖昧な記憶を掘り起こす。


「ちゃうに決まっとるやろ。ウチらのデビュー祝いや。それとな、うちの前で今野球の話だけはしたアカン。いや、今だけやない。今年はもうアカン。他人の口からは聞きとうない。ええか?呪いボコすよ、ホンマに」


 呪う。ボコす。そう言うイナリはそのどちらでもない爪を立てるポーズで威嚇する。

 このよく分からない脅し文句はイナリの口癖のようなものであり、大抵は無視して良いものだとプロトは知っていた。


「祝勝会やるとして、僕の部屋は無理だけど。まだ荷物結構そのままになってるし」


「はあ?前ウチも手伝うたやん。まだ残ってんの……」


 イナリは力なく耳を下げ、俯いて頭を抱える。

 彼女はプロトの荷解きに伴って出たゴミや食器の片付けなんかの手伝いを快く引き受けてくれたのだ。


「――まあ、それはええわ。大会議室や、大・会・議・室。カモさんがウチらのために準備してくれはったんよ」


「だったら、カモさんももっと早くに。それこそ、朝から連絡入れといてくれたら良かったのに」


「サプライズなんやから。プロト特別やろ?こっちの人間で。可愛がられてんねやから、素直に驚いとけばええねん」

「『わー、凄いですねー』言うてな」


 とイナリは両手を上げ、ふさふさの耳と尻尾を逆立て、目をかっぴらいて見せた。



 スウェットのままだと憚られるかなと考えたが、イナリの口振りからもう随分と待たせているようであったので、プロトはシャツアウターをスウェットの上に着て、カジュアルな私服に見えなくもない感じで部屋を出た。

 隣を歩くイナリはいつもの巫女服のような紺色の衣装を着ている。


「プロト何、あの初配信。なんかよう分からんおもろないこと言うて」


 イナリは下駄をカラカラ鳴らして歩く。


「え?そんな酷いこと言ってた?」

「もう緊張抜けて覚えてないんだよなあ。イナリ何人だっけ?初配信の後のチャンネル登録者数」


 ――面白くない。

 プロトには心当たりがないわけではなかった。自身が詰まらない人間かもしれないという悲しい話は置いておいても、Vtuberにはチャンネル登録者という如実な面白さの指標がある。


「ウチか?初配信の後のは覚えとらんけど、今はもう二万八千ぐらいおったんとちゃうかな」


 ――二万八千人。イナリはマシンガントークだし、サブカルチャーに精通しているし、歌が上手い。四期生はゲーマーのチームであるからゲームも出来る。アニメ声や萌え声ではないが、少し吐息混じりのハスキーな明るい声。プロトとは地力が違う。何せプロトの初配信終了後の登録者数は――。


「……百二十六人」


 ぼそりとプロトが吐露する。

 一週間早くデビューしたからと言って、それほどまでに差が出るのか?Vtuberになったところで、結局人気が出ないのはやはり声の所為なのだろうか。それとも喋りか?

 とにかくプロトはイナリと自分を比べ、イナリの文字通り桁違いなスタートダッシュに肩を落とした。


 当のイナリはプロトの背中を優しく叩いて、


「……そない落ち込みなさんなって。プロトの腕の見せ所はゲーム配信やろ。ほんなら初配信でもゲームしとけば良かったんやん。逆に何でせえへんかったん?」


 と言った。


「今の環境に慣れてないから。ちょっと下手になってる」


 デスクの高さ。

 初めてのゲーミングチェア。

 プロトは今まで小さなローテーブルに胡座をかいて向き合い、手狭な卓上でゲーミングマウスをハイセンシで使っていた。環境が良くなったのは間違いないが、慣れないものは慣れない。

 今の実力じゃあ、まだ人に見せるなんて。

 プロトにはそんな躊躇があった。


「それでもウチより上手いんやろ?ならええやん。ウチはもう歌配信とかもしてるし。そうや、今度コラボしてかましたろや。なぁ?」


 イナリの勇ましい正拳突きがホールの空を切り、丁度下に向かうエレベーターが到着した。

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