奪う 8月2日

【嫌いになんてなる訳がない】


 その言葉は


 嫌いじゃない。とか

 嫌いになる訳がない。よりも『好き』に近い気がして、その言葉だけで多少のことは乗り越えられた。


 7月30日の夜にそうたから

「彼女が急に酷い生理になって、ナプキンとか下着とか薬とか全部彼氏の家に持って帰ったから俺ん家に何にもない。変な電話してごめんな、杏梨。こういうときはどうしたらいいんだろ?うわーごめんな。俺なにやってんだろ」

とかなり動揺した電話が掛かってきたときも、夜寝付きが悪くなったけど大丈夫だった。


 何で別れた彼女が家にいて、元彼のそうたが介抱するのか意味がわからなかったけど、必要そうなものを持って、無いものは買ってそうたの家に行った。甘えた女にいらついたけど、倒れこんで辛そうな彼女を間近で見たら、母性本能が出てきて気持ちが変わった。

 そうたの首についたキスマークは彼女がつけたものらしくて、それもまた意味がわからないけれど、何か事情があるのだと思う。


 栄養があって食べやすい料理を作って、その後もそうたの家に持っていっている。


 今日、8月2日は【19時にご飯炊けるようにしておいて】とメッセージを送っておいた。その時間に合わせて料理を届けに行くつもりだったから。


 家で支度をしていると、スマホの画面が光った。表示されたのは懐かしい名前。連絡をとりたかったけれど、何となく遠慮して送れなかった。彼も頑張っていると信じてた。嬉しい気持ちでメッセージを開く。書かれていたのは彼の悲痛な叫び。


 8/2 18:18

 本橋樹:

 杏梨さん、お久しぶりです。

 こんなこと杏梨さんにしか愚痴れなくて、初めて送るメッセージがこんなんですみません。

 彼女から【樹にファーストキスあげられなかった。ごめんなさい。別れて下さい。】ってメッセージが来て、気が動転してます。

 友達に言っても、俺が真理のことどれだけ好きだったかわかってくれてない気がして、ふざけた愚痴しか言えない。

「そういう時は飲もうぜ」って言われて今から行ってきます。お酒の勢いで真理に何か言ってしまわないようにスマホは置いて行きます。

 杏梨さん、ごめんなさい。気持ちだけじゃどうにもならなかった。こんな泥みたいなメッセージ送ってごめんなさい。あいつらの前じゃ泣けない。



 信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていく。樹と彼女の絆は会えなくても、離れていても強いものだと思っていた。それなのに、それなのに。


 メッセージに返事は出来なくて、出てきた涙をそっと拭う。少し充血した目を隠すように、化粧を濃い目に直して約束通りそうたの家へ向かう。


 私は樹よりもそうたの元カノのあいりちゃんよりも年上だ。覚悟もあるし割り切れもする。彼等を支えるのが自分の仕事。よく文面を考えて樹には返信しよう。


 そう思っていた。


 そうたの家のリビングで大事そうに彼氏に抱き締められるあいりちゃんを見るまでは。


 お互いに微笑みあう姿は端から見ても気持ちが通じあっているのがわかった。羨ましい程に。

 家の主はそうたで、必死に介抱していたのもそうたで、彼女のことが大好きなそうたの前でラブラブな2人。それでもそうたは悔しい顔も悲しい顔もせずに淡々と「俺ん家でいちゃいちゃしないで下さいよ」と言うだけ。


 あいりちゃんの彼氏の水川さんは、写真で見るよりもずっとイケメンで王子様のようだった。見た目だけでいったら、そうたは確実に負けてる。


「折角だから一緒に食べよう」と言われて家に上がったけれど、適当過ぎる言い訳をつけて、精一杯の笑顔を最後に残して酷い顔でそうたの家を後にした。


 家にいたときも顔に負の感情が出ていたかもしれない。あいりちゃん達はどう思っただろう。


「杏梨っ!送るよ。

 ……どした? ごめんな。あの2人いちゃついてたから嫌な気持ちにさせちゃったかな? 」

 後ろから追いかけてきたそうたに顔を見られてしまった。妬みと惨めさでぐちゃぐちゃの醜い顔。全然割り切れてなんていない子どもの顔。


「そうたは平気なの? 自分の家で他の男と好きな子があんな風にしてても」

 言葉が止められない。そうたは感情をどこに置いてるの?


「平気ではないけど、あれは俺が仕向けてるのもあるからいいんだ」

「なにそれ、訳わかんない」


 どす黒い感情が沸いてきて、自分でも嫌なのに止められない。


「そうたは好きな人を自分のものにしたいって思わないの? 私は金田さんが他の子に触れるの何て嫌! 誰にも渡したくない。

 努力も我慢もせずに、ただ弱いから守られて愛される何て許せない。そうたの前であんなことする子許せない!」


「杏梨……嫌な思いさせてごめんな。それでも俺はあいりが好きなんだ」


 酷いことを言っているのにそれでもそうたは優しい顔で私の顔を見る。心配そうな目。いつも私を癒してくれた手。


「自分で奪わなきゃ誰かに奪われるの!どんなに思ってても我慢してても。

 奪いなよ、そうた。まだ間に合う。あいりちゃんだって迷ってるからそうたの家にいるんでしょ?」


 初めて会ったとき、あの子は私に向けて嫉妬の目をした。少なからずそうたに好意はあるはず。確かにライバルはイケメンだけど、それにも勝る包容力がそうたにはある。


「杏梨、ごめんな。俺はそれを望まないんだ。近くにいると自分勝手な思いが出てきて、また傷つけてしまいそうだから」


 悲しい悲しい暗い瞳。でもそこには『割り切りと覚悟』があった。


 もう杏梨の家のすぐ側まで来ていた。目の前にはコンビニ。


「そうた、私買いたいものがあるからコンビニ寄ってもいい? 」


 いきなり口調が変わったのでそうたはびっくりしていた。そうたがいつも使っていたやつがどれかは知っている。さっと買って鞄に入れて、外で待っていたそうたの手を取る。


「そうた、美味しいアイスコーヒーがあるから気分直しに飲んでいってね。嫌なこと言ってごめんなさい。金田さんとずっと会えてなくて、あいりちゃんが羨ましくて」


「……大丈夫だよ。俺の気持ち代弁してくれたみたいで嬉しかった。ありがと」


 そうたは、あいりちゃん達が心配しないようにメッセージを送るといってスマホを取り出した。



 その後は、ケイに教わった色々でそうたの身体を落とした。


 心は

「奪わない覚悟があるなら、私としても問題ないよね? そうた、私も寂しいの。癒して? 」

 と言ったら落ちた。


 2回目の愛のないセックスは、ほんの少しの好意が交ざっていた1回目のものとは違って、悲しみの味がした。


 それでもこの日の夜は杏梨にはそうたが必要だった。

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