エピローグ

1

 いろいろ言いたいことは、あなたにもお兄ちゃんにも、ありますが、さんざん三文ゴシップ週刊誌に書かれたような「好きな人を娘に奪われた嫉妬」なんてものは無かったと、それだけは胸を張って言えます。言えますが、私がお兄ちゃんと血縁があるということと、私がお兄ちゃんのことを愛していたというのは、本当なので、それだけは誰にも汚されたくなかったし、言われたくなかったし、言いたくなかったから、守るように私は沈黙をつらぬきました。ただ、あなたにだけは、言ってやってもよかったな、と、そう思います。あなたにも、訊いてみたかったかもしれない。あなたは、お兄ちゃんを好きでしたか? それは愛でしたか? この質問が、過去形になるよりまえに。

 あなたとお兄ちゃんが車のなかで遺体となって見つかった件は、警察では「熱中症による事故」として処理されましたが、いったいどこで話が漏れたのか(といっても行楽シーズンのサービスエリアですから、人の口に戸は立てられないというか、まあ目撃者が相当いたのでしょう)、ふたりとも裸であった件がネットニュースなんかで広まってしまいました。当然、いろんな憶測が憶測を呼び、私のSNSもいつのまにか特定されて辛辣な言葉で叩かれることもありますが、私はそれが、妙に気持ちよかったりします。ああわたしも、あなたとお兄ちゃんの物語のなかに入れてもらえてるんだな、と。

 数年、いや十数年ぶりに両親から連絡があったと思ったらその件で、お兄ちゃんとか私の娘でもあるあなたのことを心配してるのかと思ったら、ぜんぜんあさっての非難を浴びて、そっちはほんとうに閉口しました。まあ、両親は私とお兄ちゃんの関係を知ってもいますから、ネットでの噂よりは妥当な非難ではありました。

 電話の向こうでお母さんは声を荒げ、こう言ったのです。

『お前たちは歪んでる』

 と。

 予想もしていなかった言葉がぜんぜん頭に入ってこなくて、正直、いまもちゃんと理解できていません。私たちは、歪んでいたのでしょうか。そのことは、お兄ちゃんよりも、あなたに訊いてみたい気がします。

 あなたとは結局、最期まで、腹を割って話さないままでしたね。血が繫がっているのにね。あなたが私のことをどう思っているかは訊かないままだったし、私があなたのことをどう思っているかも、訊かないままだった。そういうのはまあ、一般的には、言わないほうがいいんでしょうね。私はあなたのことを体よく捨てたわけだから。それなのに、「言わぬが華」なんて突拍子もない言葉を思いついてしまい、ときどき苦笑します。華かあ。そうですね。でも私にとってあなたは、自慢の娘だったと思いますよ。これは皮肉ではなく、ね。あなたはお兄ちゃんが一生懸命育てた子だけれども、きっとお兄ちゃんは私のことを考えながら育てたに違いなくて、あなたは不本意でしょうが、私にとっては私が育てたに等しいものだと、そう思うことがあります。

 さて、歪みについて。昨今では、世界的にリベラルの潮流がいきおいよく、マイノリティへの理解が盛んに叫ばれ、私の法律事務所にも相談が来ることが増えました。一過性のはやりなのかな、と思うこともありますが、少なくとも現時点では世論に後押しされたたしかなムーブメントで、下品なことを言えば、私にとっては大事なお客さんたちです。といっても、マイノリティのなかにも序列があるな、と感じることがあります。いま賑やかなのはLGBTとか夫婦別姓とかそのへんです。朝日新聞や毎日新聞はもちろん、中道よりの日経新聞なんかを読んでいても明白ですね。海外では、アメリカのBLMだとか、中国でいえばウイグル族搾取なんかのイシューも注目されていますが、日本はもともと単一民族国家なので、あまりそういう人種的な話題はありません。在日韓国人にかんする相談も年を追うごとに下火になっていますし、日本人のなかでも被差別部落のような人種的差別がありますが、こちらもうちで扱うことはほとんどありません(そういうセンシティブな案件は専門の法律事務所で対応するものかもしれませんが)。

 なぜあなたにこういう話をしているか分かりますか?

 先日、うちにある相談が持ち込まれました。どうも金銭的に余裕がないということらしく、その場では最低限の三十分料金でだけ話を聴き、のちほど私が無料同然で個人で受けることにしました。明白な業務規則違反であり、もし事務所にバレると過去の複数事例にならえばクビになるどころかかなりの違約金を支払わなければならないということは分かっていましたが、私にはその案件を引き受ける十分な理由がありました。

 子どもたちがセックスをしている。なんとかしたい。という相談だったんです。

 あまり意味はないことだと思いながらも、一応、要所はぼかしつつ話します。兄のほうが高校三年生。妹のほうが高校二年生ということでした。両親は共働きで、住所は市内でも南のほうで、まあ昔からの貧困層が多いことで有名なエリアです、お金に乏しいのでしょう、両親ともにかなり遅くまで残業していることのことでした。家は戸建て、というかテラスハウスのようなもので、部屋は少なく、子ども部屋というものはなかったようです。おこづかいも十分にあげられていないようでした。そのうえ、大学の進学費も捻出できる見込みがなく、かなりの将来不安が子どもにも伝わっていたようです、というのは、直接聴いた話ではなく、類推も混じっていますが、私たちもそうだったので分かります。

 そうなると、ひとつの現象として、起こりえるわけです。N極とS極が惹かれ合うように、あたりまえに。

 私は自分を重ねて思いました。私とお兄ちゃんの関係は、なんだったんだろうと。愛していたというのは、自信を持っていえます。けれど、それを証明する手段はないわけです。じゃあ、どうやって証明したらいいのでしょうか。セックスでしょうか?

 これは誰にも話したことがないけれど、私とお兄ちゃんは、一度だけしたことがあります。お兄ちゃんが中学生で、私はまだ小学生でした。私に生理はまだ来ていなかったし、お兄ちゃんもたぶん包茎だったような気がします(ちゃんと見てはいないんですが、もっとあとに剥けたらしいことを聴いたので、たぶんそうなんだと)。なんでそうなったのかは、ぜんぜん覚えていません。気がついたら布団のうえで重なっていました。いろんな感情がないまぜになって、混乱したのは覚えています。お兄ちゃんは、気持ちよさそうではなく、どちらかというと焦っているように見えました。私も、気持ちよくはなく、また痛くもありませんでした、というのは、挿入までは至らなかったからです。俗にいう、ペッティングですね。まだ毛も生えていない私の股間に、お兄ちゃんのまだ桃色のペニスが当たって、そのまま十分ぐらい過ごしたかなあ、私が泣き出して、それで終わり、それだけです。

 それ以来、私はお兄ちゃんを、お兄ちゃんと呼ぶようになりました。それ以前にもそう呼んでいた気もするけれど、私のなかでは確かに呼び方が変わって、距離感をそこに留めておくその呼称がこれまでよりずっと重く意味のあるものになりました。

 証明できなかったんです、私は、セックスをもってしても。私がお兄ちゃんを愛している、ただそれだけのことを。

 あなたとお兄ちゃんがしたのか、警察は教えてくれませんでした。訊いてもいません、というか、訊いても教えてくれなかったでしょう。頭から事故とだと決めつけていたのだとすれば、検死もしていないかもしれない。だとすれば、誰にも分からない。けれど私は信じています。あなたとお兄ちゃんは、していないのだと。これは世界でたったひとり、私だけが信じている。

 嫉妬、なのでしょうか。あなたとお兄ちゃんは、してもいないのに、愛し合っていることを証明できている、そのことを、どう思えばいいのか、私は持て余しており、あなたたちのお墓にも行けていません。

 いろいろありましたが、両親が私のかわりに葬式を手配してくれて、そのことにだけは感謝しているし、子どもや孫の葬式をする人の気持ちにも感じ入るところはあります。お墓は海沿いに建てられたようですね。あなたとお兄ちゃんがおなじ墓に入ったのだと聴きました。そのことをもって「許している」と考えるのはナイーブが過ぎると思うけれど、きっとあなたたちは喜んでいるんだろうと、ありもしない感情のことを思います。ありもしない、というのは、単にあなたたちはもう死んでいるのだから、とそういう意味で、それ以外のふかい意味はありません。その感情に輪郭を与えられるとき、名前を与えられるとき、そして私がそれを受け入れることができるとき、初めてあなたたちのお墓を訪れようと思います。大好きなチャールズ・シュルツの「ピーナッツ」を持って。

 マイノリティのなかにも序列がある、という話はしたかと思います。血縁は殆どないが戸籍上親子であるあなたとお兄ちゃんと、血縁があり戸籍上も兄妹である私とお兄ちゃんと、どちらが序列として低いものだろうか、などと、詮無いことを何度か考え、今ですらときどき考えています。愛のかたちには序列がある、と言い換えてもいいと思います。日本では、近親婚は許されていません。二親等以内の性行為も法律上はともかく道義上は御法度です。許されていない、という意味では、私たちの愛のかたちも、あなたたちの愛のかたちも、似たようなものなのかもしれませんね。ずっと思っていたことだけれど、あなたと私はよく似ていますね。親子だものね。というのは、最近やっと思えるようになりました。

 親子の青春という、誰にも禁止されていないことを、私たちは勝手に禁止していたのかもしれません。

 こんなこと話したかったんじゃないのにね。あなたに言いたかったのは、「お兄ちゃんを連れていって狡い」と、それだけなんです。

 先述の、「子どもたちがセックスをしている」と相談してきた方には、「好きにさせたらいい」と伝えました。止めさせるのに効果的な策は、物理的にも精神的にもいくつか思いつきましたし、業務経験だとか業務知識だとかで裏付けされる現実的な方法もありましたが、私は敢えて、法律家ではなく個人として、愛する兄のいた妹として、そう答えました。だって、誰よりも私が、そう言って欲しかったから。それを聴いて、相談してきた方は机に突っ伏して号泣しましたが、泣きたかったのは私のほうだと思います。

 完全に越権行為だとは思ったけれど(というならとっくに越権行為ではあったのだけれど)そののちひとりでその方の家を訪れました。平日の定時後すぐに向かったので、午後六時過ぎだったでしょうか、子どもしか家にはいないだろうと思ったら、都合のいいことに妹だけが捕まりました。私は彼女を半ば強引に連れ出してサイゼリヤで話をしました。

 まず、兄妹でセックスをしている、というのは確かだったようです。彼女はあっけらかんとした性格というのか、わるくいえばあまり頭がよくないというか、そのことはチョコレートパフェを奢るとニコニコ顔で相好を崩しあっさりと教えてくれました。

 その先はいくつかのストーリーを想像しました。このパターンでよくあるのは兄による性虐待です。狭い家庭のなかですから、断るのも憚られ、なし崩し的にそういう関係に陥るというのはニュースでも漏れ聞こえるぐらい枚挙に暇がありません。また極めて稀ですが、逆パターンもあります。すなわち妹主導の性虐待です。ケースはごく少ないけれど、訴えても信用してもらえないことが殆どであるため、解決困難な点が特徴です。またいずれでもなく、若い性欲求に任せるまま、自然とそうなることも起こりえます。私とお兄ちゃんの関係は、敢えていうならばこちらに近かったのかもしれません。メジャーなものはそのへんでしょう。細分化すればいくらでも細かくできるだろうけれど、わかりやすさを優先すれば、だいたいこの三つぐらいに分けられるように思います。

 そのかぎりにおいては、「心から愛し合っていた」というパターンはないわけです。

 果たして、私が話を聴いていたその子は、目をかがやかせ、私をまっすぐに見つめ、自信たっぷりに、こう言ったのです。

「私とお兄ちゃんは、心から愛し合っている」

 と。

 その告白で堰が切れたように、その先の、将来の話も教えてくれました。遠くの町にいって、ふたり暮らしして、結婚はできないけれど、子どもを産んで、育てて、幸せな家庭を作りたい、のだと。

 彼女が描いていた未来像は、私が描いていた未来像そのもので、彼女があのころの私に見えました。

 私はそこでやっと、自分の人生について彼女に伝えました。というよりも、誰かに話したのは初めてだったと思います。思っていたことを全部伝えました。伝えることで、新しく見つかる「思っていた」こともありました。あえていうならば、それこそ私の「愛情の証明」だったかもしれません。

 彼女は私の話を激励と受け取ったようでした。にっこりと微笑んで、口のはしにチョコレートを付けたまま、舌足らずな口調で、

「がんばるね」

 と答えました。彼女とはそれきりです。別れ際、彼女の後ろ姿を見ながら、私はあなたに感じてもいなかった嫉妬を覚えました。

 結局、分かってもらえたのか、分かってもらえなかったのか、そもそも私は分かっていたのか、無力感でいっぱいだったけれど、不思議な充足感がありました。それは、私の人生にたいする充足感ともおなじでした。私は誰かを確かに愛していたのだと、そしてその証ことがあなただということを、私は胸を張って言えます。

 ねえ、ヒトミ。愛情の証明ってなんだと思いますか? 私はそれは、「家族であること」だと思います。お兄ちゃんが車を運転してくれて、私が助手席に座って、あなたが後部座席で寝ていた、あのわずかな時間こそ、私にとっては「家族」で、愛している、愛されているのだと感じられるしあわせな瞬間でした。

 あなたは、幸せでしたか? お兄ちゃんにも訊いておいてね。いつかまた会うことがあれば、みんなで答え合わせをしよう。家族でね、サイゼリア行って、メニューのはじっこからはじっこまで指さして、ぜんぶ下さいって言って、食べ切れねー、って笑って、泣いて、怒って、怒られて。

 それまで、生きていこうと思います。歪んでいるから、歪みながら、愛し合ったことを、ただしくしないために。

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